8月15日は終戦記念日でした。
その終戦記念日にちなみ、復帰前のウチナー(沖縄)にいってきました。
こちらは1960年代のウチナーの街並みです。
手前がおみやげ品店で奥がAサインバーです。
Aサインバーとは当時の米軍が地元のバーに米兵相手の営業許可を与えたAランクのバーという意味なんですね~
米軍の機関により特に衛生面などを厳しくチェックされた店のみがその資格を許可されました。
Aサインバー↓
米兵相手ですから日本人は入れないワケでこれらの店は米軍のペイデー(給料日)には多くの米兵で溢れました。
もっとも、復帰後はAサインバーは姿を消し、日本人相手のバーに変わりましたがね・・・・・
そして当時の歓楽街は白人街と黒人街に分かれており白人と黒人の乱闘が耐えなかったのです。
今ではそういうことはありませんが昔は米軍にも人種差別が残っていたということでしょうね・・・・・・・・・・・・
おみやげ品店↓ 洋服店↓
実はここは基地の街で有名なコザ市(現在は沖縄市)であり全てが横文字の街でした。
現在でもその名残はまだ残っています。
さて、これは↓なんだと思いますか?
PAWN???
つまり質屋という意味ですね。
復帰前はPAWNの看板が至るところにありました。
現在ではなかなかお目にかかれなくなりましたが、米兵相手の店は一部残っているようです。
そして当時のウチナー(沖縄)の典型的な雑貨店がこれです。
マチヤグワー(雑貨店、商店)
木造建てのレトロな雰囲気ですよね・・・・・・・
現在のウチナーでは木造建てがコンクリート造りに変わっていますが時代の流れを感じます。
あと、珍しい光景としては以下のようなものがありました。
当時の求人広告張り紙 露天商
少女の行商 少年のクツ磨き
琉球政府の電柱公告
当時は沖縄県ではなくて琉球政府というアメリカの属国?だったワケですね。
つまり復帰前の沖縄は日本であって日本ではなかったワケです。
日本政府の統治ではなくアメリカ政府(米軍政府)の統治下にあった沖縄は沖縄県と呼ぶことを許されず、占領軍の元で琉球王国ならぬ琉球政府という、いわば属国であったワケですね~
ですから、全ての公的機関は例えば沖縄県立●●ではなくて、琉球政府立●●といった具合ですね。
復帰前当時の米軍基地の警告板
当時の米兵ガードマン
現在の警告板
沖縄上陸後、占領した沖縄の土地を銃剣とブルドーザーで一方的に奪い取った米軍は先程の警告板を各基地に貼り付けたワケですが、ただでさえ狭い沖縄がますます狭くなりました。
こんごも半永久的にウチナー(沖縄)の基地は存続すると思いますが、ウチナーに本当の意味の平和が訪れるのは果たしていつの日でしょうか?
さて、そろそろ紙面が尽きてきました。
次回をお楽しみに・・・・・・・
アンシェーヤ!(それでは!)
コザ付近にお友達がいるんで是非行ってみたい^^
米軍問題は未だ解決しませんね…
一体これからどうなるでしょうかね
しかも北朝鮮は核ミサイルを日本に、しかも沖縄に
打ち込むって言いますし(汗)
いつの時代も沖縄が犠牲になってしまうのか!
私、断固として許せません!
戦争の悲惨さを後世に伝えていくことが沖縄の使命だと思います。
ありがとうございます。
コザは個性的な街です。
昔の古き良き沖縄があちこちに残っています。
もちろん怪しげな所もありますが、
昔の沖縄を知る穴場的な街であることは間違いないですね。
コザは昔から横文字の街として有名です。
それでも復帰後はだいぶ横文字が少なくなりました。
残念というかなんというか・・・・・・
複雑な心境ですね。。。
実はこの画像は、とある所にあるのです。(笑)
次回に、その種明かしをしますね。
お楽しみ・・・・・・・・