沖縄あれこれ情報ブログ

沖縄の文化、歴史をメインに沖縄あれこれ情報を発信するブログです。

残波岬その1

2006年07月29日 22時30分24秒 | 日記・エッセイ・コラム

ここはウチナー(沖縄)の西海岸にある恩納村の万座毛付近 ですが珊瑚礁が美しいエメラルドの海です。

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この美しい海から南へ下ると読谷村という所に残波岬という景勝地があります。

この一帯は海岸そのものが国定公園に指定されているんですね~

             残波岬

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ここは高さ30~40mの隆起珊瑚の絶壁が2kmに渡って 延々と続く海岸線であり、風光明媚な景勝地となっています。

ダイビングスポット、釣りのスポット、海水浴場、としても有名であり岬そのものが公園となっているため、夏には多くのレジャー客が押し寄せます。

残波岬全体写真 (灯台から撮影)↓

  ←北                      南→   

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残波岬公園空撮写真↓    ←南  北→

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岬突端から陸地側を望む↓

左側の大岩は台風が運んだもの        

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これは大岩のアップです。↓

(高さ約2.5m、幅約5m、重量約94t)       

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実は今から16年前の1990年10月6日に台風21号が襲来し、残波岬一帯を大波が飲み込んでしまったのです。

その際に台風のエネルギーを秘めた大波はこの大岩以外にも85t と 50t の大岩も同時に動かしてしまったのです。

皆さん、ここの絶壁は30~40mの高さがあるのですよ!

にもかかわらず、それを乗り越えて大波が襲ったワケです。

自然のパワー、恐るべし! ですね。

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東シナ海             絶壁下の海         

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絶壁の端に立つと真っ青な海に吸い込まれそうになって、長いことは立ってられません。

残波岬は、紺碧の大海原に木の枝のように突き出しているため、古代においては「崎枝」と呼ばれていたのですね~

そして今でこそ公園になって人々が自由に訪れていますが戦後から本土復帰までは米軍が実弾演習場として使用していたため、一般人は立入禁止地域だったのです。

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ここはダイビングスポットとして有名であり、多くのダイバーが訪れますが、昔から航海の難所として知られ波が荒いことからこれまでに多くのダイバーが波に呑まれ犠牲となっています。

復帰前は一般人立入禁止の看板が立っていたのに今ではこの警告板が立っているワケですね。

さて、そろそろ紙面が尽きてきました。

次回に続きます。

お楽しみに・・・・・・・・・

アンシェーヤ!(それでは!)


ウチナー(沖縄)の世界遺産・識名園(最終回)

2006年07月25日 22時28分18秒 | 日記・エッセイ・コラム

さて、世界遺産シリーズの識名園も今回が最終回となります。

さあ、御殿をあとにしてどんどん奥へ進んでみましょう。

こういう静かな散歩道を歩いていくと・・・・・・・・・・・・・  

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24560039_1 おや? 草むらに何かありますね~

何でしょうか?

それではアップしてみましょう・・・・・

どアップ↓↓↓

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皆さん、これこそまさしくウチナー(沖縄)的風景なんですね~

ちょっと草むらに入ろうものならそこにはハブが潜んでいるのです。

こういう看板はここだけではなくて観光地のあちこちにあるんですね~

ちょうどこの時期はハブの出没する季節ですので油断は禁物ということですね。

それからしばらくいくとこういうのが・・・・・・・

バナナ園               竹林

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これは当時から存在していたらしいですよ。

もちろん現在のそれは植え替えられたものですがね・・・・・

さあ、さらに奥に進んでいきます。

しばらく行くとそこは行き止まりになっていてなにやら展望台のような小屋があります。

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それでは展望台から覗いてみましょう。。。

そこからは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

雄大な景色が一望できました。

はるか向こうは太平洋方面ですがなぜかここからは地平線しか望めないのです。

←東                          西→

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ここは御殿とは正反対の方角に位置しており、御殿から最も離れた場所なんです。

実はここは勧耕台といって沖縄本島南部方面を一望できる展望台であり、当時の海洋王国琉球時代から現在まで、なんと海を見ることができない大陸的景色となっているのです。

今でこそ建物が密集していますが当時の琉球は田畑が一面に広がる地域であり中国からの冊封使が手入れの行き届いた田畑を見て琉球の王様が人々を励ましていると讃えたことに由来しています。

皆さん、実は当時の琉球人は意図的に海が見えないように設定していたのですよ。

・・・・・・・・・・・それはなぜか???

それは島国琉球が大陸国・中国と対等に渡り合うために琉球はいかにも中国と同じような大陸なんだと思わせるための策略だったワケです。

今でこそ飛行機が空を飛び上空からどこでもその広さを確認できるワケですが当時は飛行機がない時代ですからこういうことが可能だったということですね。

それにしても当時の琉球人がいかに大陸国・中国との外交に力を注いでいたかをうかがい知ることができる一端ではありますね・・・・・・・・・・・・・・・

島国琉球は立派に大陸国・中国との国交を重ねてきたワケですが当時のことを想像するだけですごく胸が躍るのは私だけでしょうか???

さあ、これで世界遺産シリーズ・識名園は最終回です。

次回はさて?

お楽しみに・・・・・・・・・・・・・・

アンシェーヤ!(それでは!)


ウチナー(沖縄)の世界遺産・識名園その2

2006年07月21日 22時15分28秒 | 日記・エッセイ・コラム

さあ、前回に引き続き識名園です。

どうぞご覧ください。

庭園から御殿を望む↓

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それでは御殿の中に入ってみましょう。

下の写真は、かつて中国からの使者、冊封使を迎えた部屋の中です。

御殿の中には一番座、二番座、三番座、台所、茶の間、前(メー)の一番座、前(メー)の二番座など15の部屋があります。

ところでウチナーグチ(沖縄方言)では「前」のことを「メー」といい、「後ろ」のことを「クサー」といいます。

例えば、前に座りなさい→メーンカイイレー、後ろに下がりなさい→クサーンカイシーケー

といった感じですね。

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台所↓ 右側奥には大きなまな板が見えます。

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勝手口↓ このアングルからは素朴さあるいは懐かしさが伝わってきたので思わずシャッターを切ってしまいました。

ウチナー(沖縄)の原風景といった感じですね。

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駕籠屋(馬と人足の休憩所)↓ これも昔のウチナー(沖縄)ではよく見かけた風景です。

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御殿の裏側↓ 王家の別邸というよりも田舎のお屋敷という感じがしますね。

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離れの部屋↓ 茶屋のような感じです。                              

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かつてはこの池に小舟を浮かべて中国からの冊封使を接待しました。

当時の琉球にとって中国は最大で最良の貿易国であり、友好国でした。

中国が経済的にも文化的にも当時の琉球に大きな影響力を持っていたのがこの識名園にも現れています。

つまり、中国風の庭園を造ることによって冊封使を最大限に歓待したワケですね~

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舟揚場↓ 

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識名園は王家の別邸ということではありますが、実は中国からの冊封使を接待するための場という目的が大きかったようです。

それは首里城をメインとすればここはサブ的な役割を持っていたようです。

つまり何らかの理由で首里城では目立つ場合、ここが目立たない場所ということで活用されたということですね。

首里城からは徒歩でも30分位の距離ですから当時としても何かと便利な位置にあったワケです。

さて、そろそろ紙面が尽きてきました。

次回は最終回です。

どうぞお楽しみに!

アンシェーヤ!(それでは!)


ウチナー(沖縄)の世界遺産・識名園その1

2006年07月17日 17時07分34秒 | 日記・エッセイ・コラム

いや~、すっかりご無沙汰してしまいました。

しばらく基地シリーズが続いたので、趣を変えて久々の世界遺産シリーズとなります。

ウチナー(沖縄)の文化は基地あり、世界遺産ありと実にバラエティーに富んでいます。

そこがウチナー(沖縄)が他府県と違う所だと思いますし、特色だと思いますね。

前回までの世界遺産はセイファーウタキから始まって首里城までいきましたが今回は首里城の近くにある識名園です。

識名園全体図(首里城は下方に位置する)

↑南 ↓北 ←東 →西

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入口

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ところで識名園とはなんだと思いますか?

ウチナーグチ(沖縄方言)では「シチナウドゥン」といいます。

シチナ→識名、 ウドゥン→御殿 の意味ですね。

御殿というと?

そうです、実はここは琉球王家最大の別邸なんですね~

ここは18世紀終わり頃に造られて国王一家の保養、外国要人の接待に使われました。

外国要人とは主に冊封使(中国国王からの使者団)のことです。

ここは位置的に首里城の南側にあるため別名「南苑」→なんえんとも呼ばれました。

正門

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さあ、それではどんどん奥へ進んでいきましょう。

真夏だというのにここは日差しが柔らかく涼しい風がそよぎ、驚くほど快適な環境です。

さすが王家別邸の名にふさわしい地です。

騒々しい那覇市内にあるというのに、ここだけは喧噪を感じさせないまさしく別世界といった感じですね。 不思議な感覚です・・・・・・・・・・・・・

御殿に至る歩道

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番屋(見張り番の詰め所)    育徳泉(井戸)

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御殿              

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廻遊式庭園

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識名園は廻遊式庭園といって池の周りを歩きながら景色の移り変わりを楽しむスタイルとなっており、池の中には中国風東屋の「六角堂」やアーチ橋が配置されています。

そして池の周りは琉球石灰岩が積まれているのです。

つまり、ここは日本庭園ではなくあくまでも琉球と中国の折衷型庭園なんですね~

御殿正面                           

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六角堂                アーチ橋          

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識名園の敷地面積は41,997平方m(約12,726坪)であり、建物の面積は643平方m(約195坪)あります。

建物の面積に比較して敷地面積がなんと65倍にもなります。

この狭いウチナー(沖縄)の地においてこれこそ王家別邸の名にふさわしいスケールとなっているワケですね・・・・・・・・・・・・

当時の識名園は第二次大戦で破壊されましたが1975年から約20年の歳月をかけて当時の姿を復活させました。

その後、2000年12月2日に世界遺産に登録され現在に至っています。

首里城からタクシーで約10分程の距離ですが、意外と知られていないかも知れませんね?

いわばここはもうひとつの琉球王国の証しなんです。

さて、そろそろ紙面が尽きてきました次回も引き続き識名園です。

お楽しみに!

アンシェーヤ!(それでは!)


極東最大の基地そして安保の丘

2006年07月01日 23時49分45秒 | 日記・エッセイ・コラム

さて、ここはどこだと思いますか?

南北に広がる平地↓

(写真の上段は北部方面で下段は東シナ海方面)

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これこそ極東最大の空軍基地といわれる在沖アメリカ空軍・嘉手納基地です。

ここには全長3689メートルの滑走路が2本横たわっています。

ここはアジア最強の空軍基地といわれており、太平洋地域におけるキーストーン(要石)といわれているんですね~

そしてここには世界最強の制空戦闘機といわれるF15戦闘機が48機配備されているのです。

なにしろここはアメリカの国益に絡む朝鮮半島、中国、台湾に近く、かつ中近東にもアクセスが容易なため不沈空母といわしめているワケですね~

アメリカにとっての嘉手納基地は朝鮮半島およびアジア太平洋地域をカバーする中核的な戦略基地であり将来的にも手離せないまさしく 太平洋のキーストーン(要石)なんです。

その意味は嘉手納基地がというよりも正確には沖縄本島そのものが不沈空母ということかも知れません・・・・・・・

嘉手納基地の滑走路では常時、警備兵が目を光らせており飛行場内に不審者、不審車両を見つけるとすぐさまM16ライフル銃?を携帯した兵士が軍用ジープで駆けつけます。

アジア最強の空軍基地は厳重な警戒区域でもあるワケですね。

嘉手納基地空撮写真 (右上:北、左下:東シナ海)↓

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ここでは日常的に、訓練が行われているワケですがおそらく世界最強のF15戦闘機の発着訓練を目の前でみることができるのは全国でもここだけかもしれません。

ここは嘉手納基地のすぐそばにある道の駅「かでな」ですが屋上に展望台があります。 

道の駅「かでな」

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展望台

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展望台のショップ

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何を隠そう、 冒頭の展開写真は実はここから撮影したものなんですよ~

この施設は最近できたばかりであり、それまでは「安保の丘」という小高い丘が唯一嘉手納基地を展望できる場所だったのです。

現在の安保の丘は今でこそ擁壁が築かれて立派になっていますが以前は自然の丘であり何の変哲もない場所でした。

安保の丘は別名「安保の見える丘」ともよばれています。

安保の丘↓

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つまり、日本は第二次大戦の敗戦により日米安全保障条約が結ばれた結果、これらの基地が存在するワケで、戦略基地である嘉手納基地の中が見渡せることからこう呼ばれるようになったというワケですね。

皆さん機会があれば是非こちらへきて日米安保の現場をご覧になってください。

あっ、それからひとつ意外なことを話しますが世界最強のF15戦闘機はここではスクランブル(緊急発進)はしないのですよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

何故でしょうか?????

それは、あくまでもここは日本であり日本の安全は航空自衛隊が守ることになっているからです。

ですから万一、敵機が沖縄の空に不法侵入してきた場合は嘉手納基地ではなく那覇空港にある那覇基地から航空自衛隊機がスクランブルするワケです。

なんとなく敵機侵入の際は嘉手納基地のF15戦闘機がスクランブルするものという先入感があると思いますが実はそうではないのですね。

そしてもうひとつ意外な事実を話しますと前回の普天間基地が宜野湾市の面積の33%を占めていましたがここではなんと嘉手納町の面積の83%を占めているのです!!!

全国の米軍基地の75%が沖縄に集中する中でとりわけ嘉手納基地が町の面積の83%を占めるという事実は一体なにを物語っているのでしょうか???

そこにはまさしく戦略基地、不沈空母の意味が隠されているとは思いませんか???

そろそろ紙面が尽きてきました。

次回をお楽しみに!

アンシェーヤ!(それでは!)