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沖縄の琉球処分

2016年01月04日 14時10分25秒 | 日記
今日は1月4日ですが昨日で正月休みが終わり今日から仕事始めの方が多いかと思いますが如何でしょうか?

さて、本日の朝刊で→「琉球処分」救国訴え客死、北京の琉球人埋葬地危機→ の記事が掲載されていました。
はて、琉球処分とは?と思われた方が多いと思います。

琉球処分とは1879年、当時の明治政府によって琉球王国が日本に併合されたことを指していう言葉です。

1609年、琉球は薩摩の侵攻を受けて薩摩の支配下に置かれました。
薩摩の藩主・島津氏は幕府の許可を得て琉球侵攻を企てたわけですが、これは日本の戦国時代における乱世により日本と当時の中国・明国との交易が衰退したことに端を発するものです。

琉球では海洋国として海外貿易が14世紀頃から活発に行われるようになり中国や韓国、シャム(タイ)、ジャワ(インドネシア)、スマトラ等の南方方面にまで及び海洋発展の時代を築きました。

そしてそこに目を付けたのが当時の日本の各藩です。
とりわけ薩摩は琉球から各藩を締め出しいわゆる制海権を握って琉球を仲介として明国との交易を続けることで利益を収奪することを狙ったわけです。

この薩摩侵攻はいわゆる植民地支配を意味するわけであり当時の琉球人にとっては耐え難いことだったようです。
侵攻による殺戮、暴行、侵攻後支配による過酷な税搾取、差別、刀狩(武器禁止令)・・・・・
この薩摩侵攻時の様子を絵で表した絵巻物が現在でも県立博物館に展示されていますがとても見るに堪えません。

そして琉球の薩摩による支配は1609年から1879年の何と270年も続いたのです。

その後1872年、薩摩支配下の下、明治政府の意向により琉球王国は琉球藩となり当時の国王・尚泰王は国王から藩主となり華族として位置付けられたのです。

そして1879年、廃藩置県により琉球王国は琉球藩から沖縄県となるわけですがこのことを「琉球処分」というわけです。

これは当時の琉球にとっては誠に屈辱的なことでした。
それは当時の琉球最後の国王・尚泰王が明治政府の意向で東京に居を移し華族として幽閉されたことによります。

つまり事実上の琉球王国消滅により国王も藩主も要らなくなったというわけですね。
琉球王国の琉球人としての名誉はこの時点で砕かれたわけです。

ちなみに当時の文献から琉球国王のことを当時関わった日本のある権力者が意図的な差別と侮蔑意識を持って国王ではなくて「琉球の酋長」と表現していたといいますから驚きです・・・・・

冒頭の「琉球処分救国の訴え」は琉球処分前後に中国に救国を訴えて亡命し北京で客死した琉球人のことです。
そして北京の琉球人埋葬地(現在はリンゴ畑)が再開発により発掘調査や遺骨・遺品収集・保存が危機にさらされているというわけです。

沖縄はこのような歴史的背景からレジスタンス(抵抗)の民族といわれています。
薩摩侵攻・支配、琉球王国消滅、第2次大戦時の地上戦による犠牲、米軍支配、米軍基地配置・・・・・

しかし、沖縄県民はそういう歴史的苦難を乗り越えてきたという事実があります。
祖国復帰前は祖国復帰に反対する人達から復帰したら復帰前の貧しい「芋と裸足」の時代に戻るから米軍統治下のままが良いという声が上がりました。

しかし、1972年の祖国復帰から今年で44年を迎えますが現在の沖縄は復帰前には考えられない程の目覚ましい発展を遂げております。

沖縄県民が琉球王国の誇りを忘れず、かつ日本国民としての誇りも持ちつつ昨今の悩ましくも困難でデリケートな事象に対処していければと思います。

コメントお待ちしております。
それでは!

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