奥武山と書いてなんと読むでしょうか?
ウチナーグチ(沖縄方言)では「武」はサイレント(発音しない)になっているため、「おうのやま」と発音します。
奥武山公園駅はモノレール那覇空港駅から4番目の駅ですが、この一帯は今でこそ公園になっていて大きなお祭りの度に催し会場となるのですが戦前は回りが海で孤立した小島だったようです。
実はなんと、かの有名な?「漫胡」の入口に接しているのがこの奥武山公園なんですね~。。。
つまり、奥武山公園の奥に漫胡が広がっているのですよ???
しかし先人はなんとも意味深な名前をつけたものですね~
ホント!思わず顔が赤くなってしまいます・・・・・・・
それから忘れてはならないのは現在ウチナー(沖縄)のあちこちで行われているハーリーは実はここが発祥の地らしいですよ。(そのまた先の発祥は中国といわれていますが)
さて、公園の中の神社をちょっと覗いてみました。
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それでは奥に進んでいきましょう。
いや~、これこそウチナー(沖縄)にしかない神社です!
赤瓦の神社なんて本土ではまずありえないですよね~
このなんともいえない独特の雰囲気が楽しいですね~
もちろんウチナー(沖縄)にも本土風の神社はあちこちにありますが、この神社のほうが親しみやすいのは何故でしょうか?
この神社にはひたすらウチナー(沖縄)独特の素朴さと不器用さ?を感じます。
さて、公園の近くに面白いものを見つけました。
これです。
ドクターがもしかしたら外国人?
残念ながらそれは違います。
実はこの一帯は本土復帰前はペリーという立派な地名だったのですよ。
このペリーという名前は今でもこの地域のあちこちに見かけることができます。
正確にいうと終戦後にアメリカがウチナー(沖縄)を統治する前は山下という地名だったのが米軍統治後は強制的に米軍によってペリーという地名に変えさせられたのです。
本土復帰後の現在は山下に戻っていますが、私の記憶でも確か私が高校生の頃まではペリーといっていたのを想い出します。
あの当時はどうしてカタカナの地名なのかということを特に深く考えたこともなく、ごく自然に受け入れていました。
この地名の由来は実は米軍が統治した時に山下という名前が戦時中に連合軍から「マレーの虎」として恐れられた、あの山下泰文大将にあったのです。
つまり米軍からすれば「山下大将」をイメージさせるということで改名させられたのがこの「ペリー」だったのです。
しかし、なぜ「ペリー」なのか???
これが実はあの歴史的に有名な琉球王国時代に黒船で何度も琉球を訪れた「ペリー提督」に由来していたのです。
ペリー提督はあの当時、アメリカ海軍のいわば大将でした。
日本の地であるこのウチナー(沖縄)で当時の大日本帝国陸軍の大将である「山下」という名前が当時の米軍から嫌われ、「ペリー」というアメリカ海軍の大将の名前に変えられたのは皮肉というしかありません。
戦前:「山下」→戦後・本土復帰前:「ペリー」→本土復帰後:「山下」
たかが地名、されど地名、世代わりに翻弄されたのがこの地であったワケですね~。。。
これも歴史の成せる技ということでしょうか?
もちろん当時の山下という名前は決して山下大将を意識して付けられたものではないようですが・・・
さて、そろそろ紙面が尽きてきました。
次回は別の話題を・・・・・・・・???
アンシェーヤ!(それでは!)