沖縄あれこれ情報ブログ

沖縄の文化、歴史をメインに沖縄あれこれ情報を発信するブログです。

沖縄戦終結・慰霊の日

2006年06月24日 00時14分30秒 | 日記・エッセイ・コラム

6月23日は慰霊の日です。

61年前の6月23日に当時の牛島司令官と長参謀長が平和記念公園内の摩文仁の丘で自決しており事実上の沖縄戦が終結したといわれているワケです。

正式には7月2日に米軍側が沖縄作戦終結宣言をしました。

その後、8月6日に広島へ原爆が投下され、さらにその3日後の8月9日に長崎へ原爆が投下されました。

そして8月15日に天皇陛下の玉音放送があり、9月2日にミズーリ号船上で降伏文書への調印がなされました。

こうして第2次大戦は沖縄、広島、長崎に大きな犠牲を払って終結したワケですがなんという悲惨で残酷な結果でしょうか・・・・・・・・・・・・・・心が痛みます。。。

数年前に初めて広島の原爆記念館に行った時はあまりの悲惨さに涙が出て止まりませんでした・・・・・・・・・・(沖縄戦とラップしてしまった)

沖縄戦の終結から61年が過ぎておりますが沖縄戦での犠牲者の霊を慰めるために毎年行われるのが慰霊の日なんですね。

これは国内では公式行事となっており事実、小泉首相は3年連続の出席となっております。

小泉首相以外にも国内の首脳陣が続々と出席されます。

これはウチナー(沖縄)独自の公休日であり、県庁、各市町村、学校関係は休みであり正午の時報と共に一斉に黙祷を捧げます。

これは沖縄独自の公休日ゆえ、地方公務員ではない国家公務員は通常通りの勤務となるようです。

そして民間企業も殆どが通常の勤務です。(休みの企業も一部ある)

・・・・・・・・・・しかし、なんか変ですよね~

ムードとしては公休日であって公休日でないといった感じですかね。

年に1回、慰霊の日だけに灯るトーチ↓

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会場となる平和記念公園                       

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出席者             小泉首相     

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平和の礎(いしじ)

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この平和の礎には沖縄戦で亡くなった日本人、外国人を合わせて239千人余の犠牲者の氏名が刻銘されています。

つまり、国籍を問わずですね・・・・・・・・・・・・

ですから遠く外国から出席される遺族の方々もおられるワケです。

そういう意味では一地方の行事というよりも国際的な行事の側面もあるかもしれませんね?

外国人犠牲者の国籍もアメリカ、イギリス、韓国・・・・・・と多彩です。

そして礎(いしじ)に我が愛する人の名前を見つけて涙する姿は胸を打ちます。

哀しみに国境はありません。

かつては敵味方で戦った当時の人達もここでは単なる一個の人間でしかありません。

国境を問わず刻銘されていることに対して外国人の方々の評価は高いようです。

そこにウチナーンチュ(沖縄人)の他人に対する分け隔てのない優しさがあるかもしれませんね。

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慰霊の日にはこの方向から日の出が拝めますが実は平和の礎の入口から先程のトーチを結ぶ線上の延長線がこの日の出に一致するようにレイアウトされているのです。

今でこそ平和な公園となっておりますが戦時中はこの崖から多くの犠牲者が身を投げました。

せめて年1回の慰霊の日に犠牲者の御霊を慰めることが今こうして平和を享受している者達の義務かもしれません・・・・・・・・・・・・・合掌

そろそろ紙面が尽きてきました。

今回は慰霊の日特別記事でした。

次回をお楽しみに!

アンシェーヤ!(それでは!)


普天間基地

2006年06月16日 21時02分16秒 | 日記・エッセイ・コラム

ここはウチナー(沖縄)の中部に位置する宜野湾市の公園ですが、前方に何やらUFO(未確認飛行物体)らしきものが見えます。

ちょっと興味が湧いてきますね~

さあ、それでは近づいて見ましょう・・・・・・・・・・

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これが入口です。

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お~、見えました!

階段の向こうにUFO?らしきものが・・・・・・

この階段はなんと120段もあって、おまけに結構きつい勾配ときています。

なんとか息切れしながらも昇ってみましょう・・・

しかしこれはいかにも昔流行ったテレビドラマのスポーツ根性物語にでてきそうな急勾配で長い階段ですね。(地獄の特訓?)

さて階段を昇りつめると・・・・・・・・・

そこには・・・・・・

ありました!

あのUFOが????                             

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しかしUFOにしてはちょっと変ですね~

実はこれ、展望台なんです・・・・・・・

ここは嘉数高台といって海抜100m余りに位置する格好の展望台であり、かつては第二次大戦中の激戦地だった所です。

作戦名称を第70高地と命名され自然の要塞に堅固な陣地であったため当時の米軍からは「死の罠」あるいは「忌まわしい丘」として恐れられた永代に残る歴史的な地なんですね~

そしてここはかつての日露戦争の203高地に匹敵するほどの戦跡でもあるんです。

さて、先程の展望台は地球をイメージしたものですが、展望台の先には一体何が見えるのでしょうか?

それは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

住宅街の前方に広がる平地                       

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実は住宅街の前方に広がる平地は近接する沖縄国際大学構内へのヘリコプター墜落事故で名を馳せた?

米軍海兵隊の普天間基地なんです。

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普天間飛行場全景

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市街地の真ん中の白抜き部分が普天間飛行場

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嘉数高台は左下で沖縄国際大学はその右側にある↓

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宜野湾市の総面積に対する 基地面積は33%を占める

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ご覧のように普天間基地はまさしく住宅街のど真ん中に位置する極めて危険な飛行場を有する基地なんですね。

米軍海兵隊には3つの航空団がありその内、普天間基地はヘリコプター部隊の拠点として位置付けられており有事の際には米本国から派遣される300機の航空機を収容する能力を持っています。

攻撃型ヘリコプターで有名な通称「コブラ」はここを拠点としているんですよ~

湾岸戦争においてはイラク軍から「スキニーバード(骨だらけの鳥)」として恐れられたのは有名です。

実はこれはベトナム戦争のゲリラ戦のために開発された攻撃ヘリであり細身のボディーでビルや樹木の陰から突然に敵を襲うことから「コブラ」と命名されました。

映画でも「コブラ」として上映されたのは記憶に新しいかと思います。

さて、普天間基地を眼下に見下ろす嘉数高台にはこういうものが残されていました。

トーチカ

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これは、かつての日本軍が米軍を苦しめた遺産ですが今では残骸として寂しく風雨にさらされています。

大戦終了時にはこの一帯は戦火のため一本の樹木もなく焦土と化していたそうですが、ものいわぬトーチカは普天間基地を眼下に見下ろして何かを訴えているような気がします。

1996年に当時の橋本首相が普天間基地の返還を公式発表してから早10年が過ぎました。

しかし、返還予定の2003年を過ぎた今でも代替基地の問題で返還が凍結されています。

この先、返還までにはかなりの時間がかかりそうですが嘉数高台から見下ろす風景が変わるのは果たして何年後でしょうか?

ものいわぬトーチカを見ていると何故か侘びしさがこみ上げてきます・・・・・・

そろそろ紙面が尽きてきました。

次回をお楽しみに!

アンシェーヤ!(それでは!)


海神祭・ハーリー(爬龍船競争)

2006年06月07日 11時38分15秒 | 日記・エッセイ・コラム

昨日(6月6日)は中国の暦で二四節季の中の「芒種」でした。

ウチナー(沖縄)の、この時季はちょうど梅雨の真っ最中であり、梅雨明けは例年ですと6月23日(慰霊の日)頃となります。

ところで「芒種」のことをウチナーグチ(沖縄方言)では小満芒種と書いてスーマンボースーといいます。

この意味は→小満(草木が生い茂る時季) + 芒種(種まきの時季) となります。

ことしの梅雨は活発な梅雨前線が張り出しているためどうやらしばらくは雨続きのようですね。

さて、この時期はハーリー(爬龍船競争)の季節でもあり、毎年旧暦の5月4日に各地のウミンチュ(漁師)の町で開催されます。

そして、ハーリーのことを海神祭といいます。

つまりこれは豊漁と航海の安全を海の神様に願うウミンチュ(漁師)の行事なんですね。

それから5月4日のことをウチナーグチ(沖縄方言)ではユッカヌヒー(4日の日)といいますが、もともとは男子のお祭りの日であり、昔は年に一度おもちゃを買い与えたそうです。

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トーナメント表

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←競争に使われるサバニ(クリ船)

この日はあいにくの雨ですが昔から雨天決行がハーリーの伝統となっています。               

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出走

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ハーリー競争                             24560009_4

 選手交代               こども選手     24560014_824560013_7

選手控えテント                 24560025_324560020_4        

出店

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ハーリーは15世紀初めに中国から伝えられたといわれています。

そしてその由来はそもそも人命救助のために舟をだしたのが初めといわれているんですよ~

15世紀に中国から伝えられたハーリーがしっかりと現在までウチナーの伝統文化として受け継がれているワケですが、人命救助が由来だとすればこれは素晴らしいことですよね。

さすが、海洋王国琉球といったところですかね・・・・・・・・・

さて、そろそろ紙面が尽きてきました。

次回をお楽しみに!

アンシェーヤ!(それでは!)


沖縄本島最南端の知られざる史跡

2006年06月01日 01時42分14秒 | 日記・エッセイ・コラム

ウチナー(沖縄)には世界遺産が9ヶ所ありますが、そのどれにも登録されていない知られざる史跡があります。

それでは、行って見ましょう。                                           

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ここは沖縄本島の最南端に位置する糸満市の静かな農村地帯です。

標識をまっすぐ行くと具志川城跡、左へ行くと喜屋武岬にたどり着きますが、

どちらも海に向かっており、行き止まりです。

それでは最初に具志川城跡に向かいます。

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ここが入口で、自然石のアプローチが奥に続きます。

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どんどん奥へ行くと一挙に視界が開け、その前方には小高い石垣が左右にありますが、これが城門です。

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下の写真は上2枚が東シナ海側でその下2枚が太平洋側となります。

そうです、ここは最南端に位置するために一度に東シナ海と太平洋が一望できる絶妙なロケーションとなっているワケですね~

東シナ海側

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太平洋側

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東シナ海と太平洋の中間方向                   

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城壁

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具志川城跡は久米島(離島)の具志川城主であった真金声按司(マカネクイアジ)が伊敷索按司(イシキナワアジ)の次男である真仁樽(マニクタル)に攻められて落城し、久米島から逃れてこの場所にその名も同じ具志川城として15世紀以降に築城されたようです。

ここで、按司(アジ)とは12世紀頃より現れた地域の支配者であり、その後は琉球王国の親族のことをこう呼ぶようになったということです。

そしてもともとは主(あるじ)が語源となったようですね。(あるじ→アジ)

さて、この城は喜屋武岬の先端に建てられた断崖絶壁の海城(ウミグスク)であり、国指定の史跡となっています。

二の丸は海に通ずる穴があり、本丸は海に突き出ているというまさしく自然を活かした城塞となっているんですね~

おそらくここを拠点に中国との貿易が盛んに行われたものと思われます。

まさに海洋王国琉球を彷彿とさせるロマンが広がりますよね~

さて、それでは先ほどの標識へ戻って今度は喜屋武岬へ行って見ましょう。

沖縄戦跡国定公園

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上の写真は太平洋側となっています。

当時の琉球人達はこの海を眺めその向こうに続く異国の地に想いを馳せてロマンをたぎらせていたのかも知れません・・・・・・・・・・・・・

さて、そろそろ紙面が尽きてきました。

次回をお楽しみに!

アンシェーヤ!(それでは!)