前回はウチナーのブタ食文化についての記事でしたが、それに関連してウチナーのアメ横といわれる通りを紹介しますね。
アメ横って?
そう、東京上野のアメ屋横町のことです。
あの雑多な横町の庶民的な雰囲気がそっくりなんです・・・・・
それは平和通りといわれる一角ですが、この通りはウチナー最大のメインストリートといわれる国際通りのほぼ中間地点より分岐する商店街のことです。
正確にいうと国際通りから3本の通りが平行してT字型に分岐しており、それぞれ平和通り、むつみ通り、市場本通りという商店街で形成されます。
国際通りはその名のとおり国際色豊かな通りであり、駐留米軍人、軍属を中心にそれ以外の外国人の姿も数多く見ることができます。
雰囲気も日本であって日本ではないまるで東南アジアのような場所なんですよ~
戦後復興間もなく急速に発展したため奇跡の1マイル(約1.6km)といわれる由縁です。
さあ、それでは三越前から平和通りへ入ってみましょう。
平和通り
公設市場入口
市場のことをウチナーグチ(沖縄方言)ではマチグワーといいます。
その名のとおり食料品から衣料品、雑貨など、ありとあらゆるものが売られているんですよ~
ちなみに、マチグワーに良く似た言葉でマチヤグワーとは商店とか雑貨店のことをいいます。
とにかくここは限りなく東南アジアに近い雰囲気なんですね~
ウチナー(沖縄)が亜熱帯地域であることを肌で感じることができるトロピカルゾーンなんですよ。
さあ、いよいよ市場の中に入ってみましょう。
精肉店
ドキッ!
これこそ前回紹介したブタの頭です・・・・・・・・・
どうですか?
これはちゃんとした売り物ですよ。
そしてこれはサングラスをかけたブタです・・・・・・・・・
いずれも生々しいですよね~
心臓の弱い人にはちょっと刺激的でしたかね~
ショックを与えてすみません・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、こういうのもあります。
これこそ珊瑚礁の海で獲れた極彩色の熱帯魚たちです。
魚汁にしても良し、刺身にしても良し、フライにしても良し、とにかくウチナー独特の味が楽しめること受けあいです。
トロピカルな海からはトロピカルな魚が生まれるんですね~
食べるのがもったいない???
さて、まだまだ紹介したいものはあるのですが、そろそろ紙面が尽きてきました。
ということで次回までお楽しみに!
アンシェーヤ!(それでは!)
ホント、どこかに似てるって思ったんだけど
「アメ横」だね~^^
公設市場前の八百屋さんでいつも島らっきょうを
購入し配送してもらってますw
それにしても、ウチから歩いて5分なのに見てない風景が。梅雨に歩きまわってみます。
公設市場も、ワクワクします。
私はよく漬物を買って帰りますよ。
ボクは昔、上野のアメ横を歩いた時、初めてなのに平和通りを歩いているような錯覚を起こしたことがあります。
あの奇妙な感覚は今でも鮮やかに蘇ってきます。
東京には20代の頃、6年余り住んでいました。
がしかし、上野に行ったのは2,3回しかなかったのですが、今にして思えばもっと行けば良かったと悔やまれます。
当時は仕事人間だったのかも知れません。
府中に住んでいたのですが、いわゆる下町に行く機会はほとんどなかったように思います。
人間って、いつでも行けると思うとこれが不思議となかなか行かないものなんですね。
東京を離れて今、改めて懐かしく思い出します。
公設市場は沖縄観光の穴場なんですよ~
それこそいろんな意味で生の沖縄が体験できます。
地元の人間でも面白いスポットなんですね。
僕らが子供の頃は朝7時頃に仲間と連れだって市場を探検?したものです。
子供心にも興味津々の場所であったことは間違いないです。
あつしさんも家が近いのなら是非、探検して見ることをお勧めします。
そう、そう、ワクワクしますよね~
ところで公設市場の食堂に行ったことはありますか?
今度是非行ってみてください。
そこには庶民の味と雰囲気があると思います。
とにかく東京の下町気分?を沖縄で味わうには一番手っ取り早いと思います。
ボクは府中に住んでいたので下町のことは偉そうに語れないのですがね。
写真見てたら沖縄病悪化しちゃいましたよ~!!(笑)
市場も国際通りも全部また行きたいなぁ。。
アメ横行った事ないので、プチ沖縄を味わってこようかな~?
そう、そう、
アメ横へぜひぜひ、いきんしゃい!(笑)
絶対に沖縄と錯覚するからね・・・・・
ここは東京なのか?はたまた沖縄なのか?
ホント、不思議な感覚ですよ~
そしてそのあと、沖縄の平和通りにいくと
郷愁?がジワーと湧いてくること間違いなし???
いや~、
私のヘタなガイドで恐縮です・・・・・・・
そうなんです、沖縄とブタは切っても切れない仲なんですね。
やはりこれも琉球王国時代に中国から持ち込まれた文化のひとつだったのです。
つまり、中国との交易が始まってから本格的なブタ飼育が始まったといわれています。
これによって冊封使(中国の使節団)の接待料理としての需要が大きく伸びたワケです。
宗教的には祖先崇拝の沖縄にはいわゆる仏教でいう肉食禁忌の影響がなかったこともブタ食文化が栄える大きな理由のひとつだったようです。