沖縄あれこれ情報ブログ

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ウチナー(沖縄)の一五夜

2005年09月19日 03時46分36秒 | 日記・エッセイ・コラム
昨日9月18日は旧暦の8月15日でした。

旧暦の8月15日といえば?

そうです、一五夜ですね。

ウチナー(沖縄)では毎年一五夜になると各地域で色々な行事を行います。

さてこれはなんでしょうか?

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んん? なんだかワラのような?

はい、それでは向こう側にいって見ましょう。

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わ~! なにやら大きな輪ですね~???

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そして、長~い!
そうです!
これは大綱引きの綱でした。










上の写真は雌綱で雄綱は下の写真です。


左側に立ててあるのはカヌチ棒といって雄綱と雌綱を結合させる時に輪の中に入れて二本の綱をしっかりと繋ぐための棒です。

二本のうち一本は予備です。

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大綱引きといえばこちらウチナー(沖縄)では那覇大綱引きが有名です。
綱の大きさではあのギネスブックに登録されています。

ウチナー(沖縄)の大綱引きは今から約400年前に生まれたということです。

それはちょうど1609年頃ですから、薩摩が当時の琉球を侵略した時期ですね。

大綱引きは元々、五穀豊穣を願い豊年満作を祈願するためにちょうどこの時期、旧暦8月15日の一五夜に行われた農村の行事です。

ところで皆さん、綱が雄綱と雌綱の二本に分かれている意味はなんだと思いますか?
それは・・・・・・なんと雄綱と雌綱を結合させること自体に意味があったのです。
この意味はつまり生殖にあったというワケですね・・・・・・・。。。
つまりこれは稲の発育を促すことに引っかけたということらしいのです。

確かに雌綱の輪の中に雄綱を入れて結合させること自体、生殖をイメージさせますよね~。。。

本質的なものは古代から人間が考えることは変わらないんですね~、、、ある意味驚きです。

さて綱引きをメインイベントとしていわゆる前座に行われるのが棒術と空手演舞です。

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棒術も空手も中国から伝わってきましたがそれぞれウチナー(沖縄)独特の武術として今日まで伝えられております。
特に棒術の伝来は当時の琉球と中国の関係を物語っています。

それは今から約600年前の1404年に中国の皇帝の使いである冊封使(さっぽうし)が琉球滞在中に伝えたということです。

ウチナー(沖縄)の古武術は空手と同じく中国から伝えられたものを琉球独自のスタイルに変えて今日まで伝統文化として
脈々と伝えられているワケですが、今や世界に誇る武道、武術となっていることはご存じのとおりです。

現在のウチナー(沖縄)の文化に大きな影響を与えた冊封使は1404年から1866年の間で24回琉球に訪れたということです。
ちなみに1866年は琉球最後の王様である尚泰王の時代でした。

さて綱引きの模様はこんな感じです。

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ハーイヤ! ハーイヤ! のかけ声と共に老若男女が東西に分かれて綱を引き合います。
今まさに400年前の行事がここに再現されています。

皆さん、ちょっとはこの熱気が伝わったでしょうか?

来る10月にはあのギネスブックに載った那覇大綱引きが行われます。

皆さんも是非この感動を味わって下さい。

今宵の月は満月でした・・・・・・。。。

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今回は一五夜特別記事でした。










アンシェーヤ! (それでは!)



真玉橋幽霊

2005年09月10日 04時16分07秒 | 日記・エッセイ・コラム
「真玉橋」と書いてなんと読むでしょうか?

しんたまばし?

しんぎょくばし?

残念ながらいずれもハズレです。

正解はこちら

 ↓ ↓ ↓

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そう、「まだんばし」 と読みます。

ウチナー(沖縄)の固有名詞は難しいものが多いのですがこれもその中のひとつなんですね。 

この真玉橋は那覇市と豊見城市の間を流れる国場川に架かっています。

国場川は先日の記事で書いた漫湖の上流側に位置しています。

私が子供の頃はよく親父に連れられて橋の上から釣りをしてテレピア(川魚でエジプトでは高級魚らしい)をバケツ一杯に釣って夕飯のおかずに持ち帰ったものです。(とにかく驚くほどよく釣れたのを記憶しています)

この真玉橋は今から遡ること約480年前の1522年に琉球王府時代の首里と島尻地方を結ぶ交通の要として当時の琉球国王・尚真の時代に架けられました。

その当時は木橋の五連橋であり、橋の中央が真玉橋、北側が世寄橋、南側が世持橋といい、両端の橋は名前のない橋でした。

その後大雨による洪水で流されたため1707年に石橋に架け替えられたのですが工事中に何度も橋脚が洪水で流された末なんとかできあがったのが・・・・・・・・
これです。

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どうですか?

美しいアーチでしょう?

これは構造的および景観的にも当時のウチナー(沖縄)独特の石造文化を代表する橋でしたが残念ながら1945年の沖縄戦で破壊されました。

冒頭の写真は3~4年前に架け替えられたばかりの橋です。

アーチの部分は当時の面影を復活させたようですね。

当時のアーチ部分は架け替えの工事中に発掘されたものを遺構として現在の橋の入口に復元されました。

これです。

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当時の橋の架け替えには多大な費用と人力を要したという記録が残されていますがそれにまつわる伝説が今でも脈々と伝えられております。

それは当時、木橋から石橋に架け替える際に何度も橋脚が洪水によって流されたため、困り果てた役人はあるひとりのノロ(神女:神に仕える女性)にお伺いを立てたワケです。

そうするとそのノロいわく「水の神様を鎮めるために人柱を立てる必要がある」 といったのです。
つまり人身御供のことですね。

で、その条件とは「子年生まれで七色の元結い(髪飾り)をした女」といったのです。

役人達はそれから必死でその条件の女性を捜し回ったワケですがなんと結果として当のノロ自身がその条件に当てはまったのですね~!!

さあ、ノロは泣き叫びながらなんとか役人から逃れようとしたのですが強制的に連れて行かれてなんと生きたまま人柱にされてしまったのです。

そして死に間際に娘に残した言葉が「人より先にものを言ってはいけない!」ということでした。

つまりでしゃばるなということですね。

以来、人々は「ムヌユミムンヤ、ウマヌサチ、トゥーユン」

つまりこの意味は「おしゃべりものは馬の先を行って災いを招く」という戒めの言葉として伝えられているワケです。

そういうことで昔から草木も眠るウシミツドキになると幽霊が出没するといわれているのが真玉橋幽霊として今日まで言い伝えられているワケですネ~。。。

ああ、なんと恐ろしや、恐ろしや、

これをウチナーグチ(沖縄方言)でいうと → アイエーナー、ウトゥルシムン、ウトゥルシムン、

となります。

ところで、あなたは幽霊を信じますか?

ほら、あなたのうしろに・・・・・・・・


今回は夏も終わり頃のウチナー(沖縄)の怪談特別記事でした。


アンシェーヤ!(それでは!)