さて、前回に引き続き中城城跡です。
前方右奥が知念半島で、その左前方には神の島・久高島が横たわっていますが写真ではちょっと分かりづらいかもしれませんね~
中城城跡は東に太平洋、西に東シナ海を望み南側に知念半島、北側に勝連半島が見渡せる素晴らしい眺望の高台にあります。
中城城跡公園全体図↓
久高拝所(久高島に向かって祈願する場所)↓
久高島方面↓
首里遙拝所(首里城に向かって祈願する場所)↓
中城城跡にはこのような拝所が8箇所あるといわれています。
ウチナーには琉球時代からノロ(神に仕える神女)、ユタ(霊媒師、祈祷師)が存在し、琉球王府に多大な影響力を持っていました。
琉球王国はある意味、ノロに支配されていたといってもいいかもしれませんね。
実はこの部分が良くも悪くも本土と決定的に違う歴史と文化なんですね~
城壁と空↓
この歴史と文化は現在でもウチナーの各地に受け継がれています。
今も昔も共通するのは神事の行事には男子禁制だということです。
女性パワーは脈々と受け継がれてきたワケですが、どうやらその辺にウチナー女性の強さの源があるのかもしれませんね~
カンジャーガマ(鍛冶屋跡)↓
これは上部が人工の城壁で下部は自然の城壁となっており、鍛冶屋は自然の城壁の一角をくり抜いた形(右下のくぼみ)で残されています。
一説によると城主の護佐丸が宿敵の勝連城主である阿麻和利との戦いに備えるために、ここで武具を造っていたということです。
正門(元々は上部に櫓が乗っていた)↓
正門近くの鉄砲台↓
琉球史で有名な護佐丸・阿麻和利の乱は時の中山王・尚泰久を勝連城主の阿麻和利がおびやかし始めたことがきっかけでした。
護佐丸は阿麻和利から中山王(首里城主)を守るために備えていたのですが、ある日、阿麻和利が変装して首里城に上り、護佐丸が中山王に対して謀反を起こしているという謀略を図ったのです。
これにより中山王は阿麻和利に対して護佐丸への攻略を命じたワケですね~
かくして護佐丸は阿麻和利の手に落ちたワケですが、その後、阿麻和利自身も中山王によって滅ぼされました。
1429年に尚巴志が三山を統一以来、1458年に阿麻和利の乱の後、琉球王国は益々安泰化したワケですが護佐丸の無念は、さぞ尽きなかったことでしょう・・・・・・
実は中城城こそ琉球における中央集権の確立に大きな役割を果たし、かつ中世的な戦乱において最後の築城であった特筆すべきグスク(城)だったのですね~
現在、護佐丸は中城城跡の近くにあるお墓に葬られていますがこの墓こそウチナーにおける最も古い亀甲墓として存在しているのです。
あの世の護佐丸は中城城跡を見下ろして何を想うのでしょうか・・・・・・・・
南海の古城に息づく、いにしえのロマンはあなたを琉球の世界へと誘って(いざなって)くれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、そろそろ紙面が尽きてきました。
中城城跡はこれで終わります。
次回をお楽しみに・・・・・・・・・・・・・・
アンシェーヤ!(それでは!)
青空とグスグの写真がなんとも言えない素晴らしさですね☆
沖縄ではまだその青空を体験したことないです~(´;ω;`)
来月晴れるといいな♪
ラストスパートはまだまだ続きます・・・・・(笑)
お楽しみ。。。
沖縄という、複雑な歴史を持つ方のユニークな視点は考えさせられる点が多く本当に勉強になります。
沖縄のヒロシさんのお言葉に感謝することも多いのです。本当に。
まだまだ未熟な私ですが、来年もまたよろしくお願いいたします。
そういって頂けるとすごく嬉しいですね♪
今想えば、極真会という共通項を通してのネット上での出会いが今日まで続いているワケですよね・・・・・・・
あれから1年?を経過しているワケですが、お互いにネットでのやりとりだけで共感を得ることができるのは大変素晴らしいことだと思います。
私自身、自分より若い方に教えられることが多々あります。
これからもお互いに共感を得ることができれば幸いです。
本年は大変お世話になりました。
新年も変わらずよろしくお願い致します。
貴重なメッセージありがとうございます。