沖縄あれこれ情報ブログ

沖縄の文化、歴史をメインに沖縄あれこれ情報を発信するブログです。

ウチナー(沖縄)の世界遺産・首里城その2

2005年11月20日 17時14分15秒 | 日記・エッセイ・コラム
琉球が事実上の王国として対外的に認められたのは1372年に中山王の察度が中国の明に初めて使者を送ったことによります。 

1372年から1429年までの琉球は北山、中山、南山と三つに分けて統治されておりこれを中山王である尚思紹の息子の尚巴志が三山を統一したのが1429年です。
よって国内的には1429年に琉球王国が成立ということらしいですね。

以後、尚氏が1429年から1879年の首里城明け渡しまでの450年に渡り第一尚氏、第二尚氏と代々王国を受け継いでいくワケです。

第一尚氏は尚巴志ですが第二尚氏は1470年に王位を引き継ぐ尚円から始まって1879年の最後の琉球王である尚泰まで19人の歴代国王で統治されました。

これら第二尚氏の歴代国王を葬った王統の墓が世界遺産である首里城公園の一角の玉陵(たまうどぅん)であり1501年に第二尚氏の始まりである尚円王の息子、尚真王が父の遺骨を改葬するために築いたものです。

全体の造りは当時の板葺き屋根の宮殿を表現した石造建造物となっており2,442㎡の墓域となっております。

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さて、それでは再び守礼門に戻ってみます。

前回の写真では守礼門の額が見づらかったと思いますのでアップ写真を掲載します。
「守禮之邦」という額です。

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守礼門から奥に進んでいきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・みなさん、すみません!
ここでトラブルが起きてしまいました!

写真がアップできなくなってしまったのです。

おそらくプロバイダー側に原因があると思います。
何度か試みましたが、万事窮す! です。

現在原因調査中です。

まさか、王統の墓をアップしたせい???
でなければいいのですが???

すみません今までにこんなトラブルは初めてなので対応に苦慮しています。

ということで、とりあえず原因が分かるまで投稿を休止します。

早く原因が分かればいいのですが・・・・・・・

このブログは写真がアップできなければ意味がありませんからね・・・・・・


一日も早い復旧を祈って、
アンシェーヤ!(それでは!)




ウチナー(沖縄)の世界遺産・首里城その1

2005年11月13日 22時04分48秒 | 日記・エッセイ・コラム
今回から首里城がスタートします。

首里城は1429年から1879年の、450年に渡って琉球王国の国王の居城でした。

これらの建築物は14世紀末までには築かれたとのことです。
自然の地形を巧みに活かして内郭と外郭に分けられております。
城壁は琉球石灰岩の切石で築かれており、約1,080mに及ぶ総延長となっております。

城壁の高さは6~15mで、厚さは3mにもなります。

城壁は台風による風圧の影響を軽減するために曲線状となっておりこれは中国にある万里の長城の造りに共通しているとのことです。

先人の知恵には今更ながら感服させられますね~。。。

さて、左側は龍たん池から望んだ首里城遠景で、右側はそのアップです。
夜景はライトアップされ幻想的な眺めとなります。
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龍たん池はいわゆる本土のお城に見られるお堀とは違い、中国からの冊封使(さっぷうし:中国皇帝の使節団)などの来客に対する接待の場として使われました。
ここに舟を浮かべて接待したとのことです。

本土のお城と首里城の決定的な違いは本土のお城が戦国時代の攻撃に備える造りに対して首里城は平和の時代に対応した造りになっているという点なんですね~。。

ですから、本土のお城のようにお城の周りに敵の侵入を防ぐお堀がないワケです。

この龍たん池はお城の周りではなくてお城から離れたところにあたかも独立した形でレイアウトされているのです。
つまり庭園といったイメージですね。

現在では人々の憩いの場となっています。
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さて、いよいよ首里城の入り口です。    右側がかの有名な守礼門です。
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守礼門とは、つまり琉球は礼節を重んずる邦という意味でこの守礼門を首里城の入り口に配置したワケですね~
守礼之邦の額は主に中国からの冊封使向けに掲げた額らしくて当初は冊封使が滞在中だけに掲げたものが尚質王の代(1648~1668年)から常時掲げるようになったと伝えられているんですね。

この守礼門は実際には首里城第二の門であり、第一の門は現在は存在しない、かつての中山門であったとのことです。

ところでこの守礼門は釘を一切使わないで建てられたのですよ~
これはまさしく中国の流れを汲むものであり中国牌楼の装飾建築といわれております。

ウチナー(沖縄)の文化には常に中国文化が息付いているのですね~。

ところでこれも守礼門には違いないのですがちょっと変ですよね~
どなたか気付きましたか?
そうです、 守礼之邦の額の部分が裏返っていますよね。

実はこれは守礼門を裏から撮った裏バージョンでした・・・・・・・。。

おそらく本邦初公開???
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さて、そろそろ紙面も尽きてきました。
この続きは次回にということで・・・・・・・・・・・。。。


アンシェーヤ! (それでは!)



首里文化祭(首里城城下町の祭り)

2005年11月06日 14時31分21秒 | 日記・エッセイ・コラム
11月3日は文化の日でしたが、皆さんいかがお過ごしでしたか?

こちらウチナー(沖縄)では毎年文化の日には県庁所在地である那覇市の首里において首里文化祭が行われます。
首里とはあの世界遺産に登録された首里城がある城下町のことです。

このお祭りは那覇市の3大祭りのひとつとされております。

今年も盛大に行われました。
こちらは→平成14年のスナップです。

そこではまるでタイムスリップしたかのような、かつての琉球王朝時代の華麗な光景が繰り広げられます。

今回私が行った時は夕方であったため、残念ながら古式行列は見れなかったのですが、夜の城下町を体験することができ、とてもエキサイティングな気分になれました。

モノレールの終着駅:首里駅↓
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旗頭の行列↓
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これらの旗頭はちょうど大綱引きのそれと全く同じものであり、加えて衣装も同じなんですね~
中国の衣装とそっくりでしょう?

こういう祭りのシーンでは改めてウチナー(沖縄)の中国文化との深い関わりをつくづく感じさせられます。

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歩行者天国↓
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歩行者天国の屋台↓
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ところでこれはなんだと思いますか?
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ヒントはこれです↓ えっ、ヒントにならないって? ・・・・・・・・この人はつまり昔の衛兵ですよ。
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正解はこちらです↓







先ほどの写真は宵闇に浮かぶ首里城の正殿でした。
これは首里城の全体図です↓
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ということで次回はいよいよウチナー(沖縄)の世界遺産の第2弾、「首里城」をご紹介したいと思います。

はてさてどういう内容になるのやら・・・・・・・・・・・

乞うご期待を???

アンシェーヤ!(それでは!)