初詣に行ってきました。
ウチナーの神社には明治以前の琉球国府から特別扱いを受けた八つの神社があります。
これを琉球八社といって波の上宮、沖宮、識名宮、普天間宮、末吉宮、八幡宮、天久宮、金武宮のことをいいます。
そして、これらの中で特に沖縄総鎮守の神社として位置付けられているのが波の上宮なんですね~
さて、この波の上宮、単にそれだけではなくおそらく全国的にも珍しい立地にあるのです。
波の上宮↓
左側手前から前方奥にかけての砂浜は波の上ビーチ↓
それはご覧のように海に面した絶壁の上に建っていることと何とその下にはビーチがあるのですね~
絶壁下の透き通った海↓
左側は波の上橋↓
透き通ったビーチの真正面は波の上橋の橋桁↓
波の上ビーチから波の上宮を望む↓
波の上ビーチ↓
前方の橋は波の上橋↓
空と橋と砂浜の絶妙なコントラスト?
海側から陸地側を望む↓
前方はラブホテル街↓
いかがでしょうか?
絶壁といい、橋といい、ビーチといい、ラブホテル街といい、自然と人工物のコントラストが奇妙に交差しているのが波の上宮なんですね~
果たして、こういうバラエティにとんだ立地にある神社が全国にいくつあるでしょうか?
特にビーチに隣接した神社というのは珍しいと思います。
これこそ、ウチナーらしいというか・・・・・・・
実はこの波の上宮、古くからウチナーに言い伝えられているニライカナイ、つまり海の彼方に神々の住む理想郷があるという伝説に基づいて神様からのお告げにより建立されたらしいのです。
このニライカナイなるもの、実は竜宮城伝説にも結びついているのですね~
海の彼方とは実は海の底、つまり竜宮城のことをいっているという言い伝えですね。
昔から那覇港に出入りする船は波の上宮に航海の安全を祈願したということですから海の神様といってもいいかもしれませんね。
全体図↓
さて何を隠そう、現在の波の上ビーチは実は人工ビーチなんです。
どういうことかというと砂浜の砂は人工的に敷き詰めたものなんですね。
ビーチそのものは40~50年前からありますがその当時は砂浜ではなく岩場のビーチでした。
当時の私は小学生でしたが、岩場の中に海水プールがあって、その周辺には海上店舗がありました。
泳ぐのは海水プールか海上店舗の下の岩場だったのを記憶しています。
あの当時は浮き袋も車の廃タイヤのつぎはぎのある真っ黒いチューブでした。(ホント、懐かしい・・・・・年代が分かる?笑)
現在の形のビーチに生まれ変わったのはごく最近なんですね~
復帰後?は長いことビーチは閉鎖されていたのです。
そして現在、多くの市民の熱望により県庁所在地の那覇市内にある唯一のビーチとして再び生まれ変わったワケですが、街の中のビーチにしては海のきれいさはご覧のとおりです。
さて、波の上宮に話を戻します。
一の鳥居↓
波の上宮は神社が建立される以前はニライカナイにまつわる波の上の聖地として人々が海神の国の神様に祈りを捧げる拝所(ウチナーグチでウタキという)としたのがそもそもの起源だったということですね。
参道↓
二の鳥居↓
本殿↓
新年の出店
さて、かようにバラエティに富んだ波の上宮ですが実は今後まだまだ変貌を遂げようとしています。
それは・・・・・・・・・・・↓
空港へのバイパスとして海底道路への連絡道路・若狭インターチェンジ完成予想図↓
中央上部が波の上宮および波の上ビーチ↓
右下が空港への海底道路にアクセスする↓
現在、工事は着々と進行しています。
しかし、よく考えてみればこれは素晴らしいことかもしれません。
なぜならば波の上宮は元来、ニライカナイにまつわる聖地なワケですから海底道路はすなわち竜宮城伝説に繋がるワケですよね?
これは決して偶然ではないかもしれませんね~
左側が工事中のアクセス道路で右側が波の上橋および波の上ビーチ↓
これはすなわち、波の上宮を起点に海底道路(竜宮城)を経由して空へ飛び立つワケですからホント、縁起がいいですよね?
これはあくまでも私の勝手なイメージですが皆さんはどう思いますか?
琉球時代の人達はこの変貌ぶりにおそらく腰を抜かすかもしれませんね・・・・・・
アイエーナ!ヒルマサカワユル、ナンミンヨ・・・・・・・・
(なんとまあ!こんなに変わっていく、波の上よ・・・・・・)
さあ、そろそろ紙面が尽きてきました。
今回は新年特別記事でした。
次回をお楽しみに・・・・・・・・・・・・・・・
アンシェーヤ!(それでは!)