沖縄あれこれ情報ブログ

沖縄の文化、歴史をメインに沖縄あれこれ情報を発信するブログです。

巨大な鳥かご、そしてエイトマン

2006年05月27日 23時00分21秒 | 日記・エッセイ・コラム

こちらはウチナー(沖縄)の南部にある埋立地です。

そこで珍しいものを見つけました。

これです。

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なにやら巨大な鳥かごのような建物が見えます。

何でしょうか?

もっと近づいて見ますね。

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実はこれは糸満市の新庁舎なんです。

そして鳥かごのように見える外観は地方自治体としては最大級の195.6kw太陽光発電システムの太陽電池だったというワケです。

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屋根部分と南側壁面を覆っているのが太陽電池であり、庁舎で使用する電力量の12%を発電し、冷房エネルギーのなんと25%を削減しているのです。

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屋根と南面に太陽電池とセットにしたルーバーによってウチナー(沖縄)の強い日差しを和らげる仕組みとなっており風雨からも守っているワケですね~

この南面の軒下部分をウチナーグチ(沖縄方言)で「アマハジ」といいます。

あっ、それから太陽のことをウチナーグチでは「ティーダ」といいます。

そして太陽が照りつけること、つまり日差しが強いことを「ティーダカンカン」というんですよ~

この言葉の響きがなんともいえませんね・・・・・・・「ティーダカンカン」

夏の暑い日に昔の母親が子供に対してよくいった言葉は

「ティーダカンカン、ソーグトゥ、ボーシカンティ、イキヨー」

これはつまり

「日差しが強いから帽子をかぶって行きなさい」

という意味ですね。

日差しの強さがこの「ティーダカンカン」という言葉で表音文字的に伝わってくると思いませんか?

方言ってホント、いいですね~

標準語では表せない味がありますよね・・・・・・・・・・・

さて、庁舎の正面(北側)はこうなっています。

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この一帯は埋立地であり、新興住宅地域でもあります。

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糸満市は昔からウミンチュ(海人→漁師)の町であり、ハーリー(爬龍船競争)の盛んな地域であります。

毎年5月末、つまり梅雨明け頃にハーリーは開催されます。

ハーリー鉦が鳴るとウチナーの梅雨が明けると、昔から伝えられているんですね~

この糸満という地名の由来は昔、台風の嵐の海で外国船が遭難した時に自らの命もかえりみずに8人のウミンチュ(漁師)がクリ船を出して救助に出かけたそうです。

その時の8人のウミンチュの勇気を讃えて「8人の男」→「エイトマン」→「糸満」という地名になったという伝説がありますが真偽の程は定かではありません???

しかしそういう伝説ができるくらい、この地域のウミンチュは勇敢だったということですね。

昔の糸満漁師はクリ船ひとつで世界の海をまたにかけて遠洋漁業にいったということですからあながち伝説だけではないのかもしれませんね・・・・・・・・

さて、次回は糸満市の知られざる史跡をご紹介します。

お楽しみに!

アンシェーヤ!(それでは!)


ウチナー(沖縄)のリサイクル工芸

2006年05月22日 22時48分47秒 | 日記・エッセイ・コラム

ウチナー(沖縄)には紅型、陶芸、漆器など数多くの伝統工芸がありますが、それらの中で最も歴史が浅い伝統工芸はなんだと思いますか?

それはこれです。

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これは県内に16ヶ所あるガラス工房の中のひとつです。

そもそもウチナー(沖縄)にガラス工芸が生まれたのは明治の中期であり、現在に至るまで、まだ100年程度の歴史なんですね~

ところで皆さん、ガラス工芸が琉球ガラスとして今日まで発展してきたのは何故だと思いますか?

それは・・・・・・・・・

なんと米軍がウチナー(沖縄)に駐留したことが大きな要因だったのです。

当時のガラス原料は米軍施設から大量に廃棄されるアメリカ製のコーラ瓶やビール瓶などが主流であり、当時のウチナーンチュは既に今でいうリサイクル産業の先端を走っていたワケですね。

もちろん、ガラス製品の供給先もなんとその60%を米国に輸出していたのです。

残りの40%が本土と県内に供給されていたワケですが、

復帰前当時は圧倒的に駐留米軍人軍属が購入していたということですね~

つまり、当時のウチナーンチュ(沖縄人)は米国産のリサイクルガラス瓶に命を吹き込み立派なガラス製品にして再び米国へ供給還元してきたワケです。

当然、それらの製品もアメリカ人好みのもの がどんどん作られていたワケですね。

ウチナーンチュのたくましさがビンビン(瓶瓶のシャレ?)伝わってくると思いませんか?

ちなみにウチナーグチ(沖縄方言)では「どんどん」とか「もっと」というのを「バンナイ」あるいは「ビンナイ」といいます。

さあ、それではさっそく製品をご覧ください。

店内の様子            スタンド

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水差し、コップ

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ビールジョッキ           置物

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風鈴                    置物                                      

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皆さん、琉球ガラス工芸は何を隠そう、実はアメリカとウチナーのチャンプルー文化だったというワケです・・・・・・・・・

もちろん、原料はアメリカ製だけど命を吹き込んだのは紛れもないウチナーンチュ(沖縄人)だったワケですね。。。

そろそろ紙面が尽きてきました。

次回をお楽しみに・・・・・・・・

アンシェーヤ!(それでは!)


ウチナー(沖縄)の平和通り

2006年05月13日 20時38分30秒 | 日記・エッセイ・コラム

さて、前回に引き続き平和通りです。

ここは平和通りの一角にある食堂ですが花笠食堂というところがありました。

花笠とは歓迎式典などの華やかな席で琉球舞踊を踊る際の衣装のひとつで女性が頭にかぶるきらびやかな王冠?のようなものです。

さてメニューを覗いて見ると、ありました! ミミガー(ブタ耳の皮)、ラフティ(ブタ肉の角煮)、テビチ定食(豚足)、ポーク定食(ブタ肉加工の缶詰)・・・・・・・

そして、ブタ肉料理以外にはソーメン汁、ソーメンチャンプルー、ゴーヤチャンプルー、トーフチャンプルー、ナスミソ定食・・・・・・・・・

平和通りの食堂、 カレーうどん、ミミガー、ラフティ

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ポーク定食、ソーメン汁、ソーメンチャンプルー                24560016_3 24560013_6                

ゴーヤーチャンプルー、トーフチャンプルー

テビチ定食、ナスミソ定食

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これらの中で本土にもある共通メニューはカレーうどんにナスミソ定食くらいのものでしょうか?

さて、チャンプルーとはウチナーグチ(沖縄方言)でごちゃまぜのことですが料理の場合は炒めものを指します。

特にトーフを主体に混ぜ合わせる炒めものをチャンプルーといいます。

ある料理専門家にいわせれば厳密にはトーフが入っているのをチャンプルーというのだそうですが実際は必ずしもそうはなってないようですね。

ところでこれはなんだと思いますか?

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これはナーベーラーチャンプルーといいます。

これはナーベーラー、とうふ、ポークをミソでチャンプルーにして炒めたものです。

これこそ隠れた典型的ウチナー料理かもしれませんね。

ところでナーベーラーとは?  

それは → なんと、ヘチマのことなんですね~ 

ヘチマって、あの体を洗う、あれ?

そうです! まさしく、アカスリに使うヘチマです。

本土では食用には使わないそうですがウチナー(沖縄)では立派な食用野菜なんですね~

しかもこれは食堂でも家庭でも結構、人気メニューなんです!

本土の人が聞いたらビックリするでしょうね?

いくらなんでもアカスリが料理の人気メニューとは・・・・・・・・・・・・・・・

ところ変わればなんとやらでこういうところにもウチナー(沖縄)の独自性が発揮?されているワケですね。

あと、面白い食材にこんなのがありました。

人面タコ?             鳥ナス?

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とにかくウチナー(沖縄)のマチグアー(市場)には思いがけない発見の連続があって面白いし、楽しいです!

そこには着飾らない庶民の生活の場面が日々展開されています。

何を隠そう、この地域は実は終戦後間もない頃は闇市だったのですよ~

闇市からスタートして自然発生的に現在の商店街に発展しきたワケですね。

どおりで生活感溢れるたくましい通りなんですね・・・・・・・・・

喧噪の中にもかかわらず、そこにいるだけでホットするのはなぜでしょうか?

それは東京の下町にも相通じるものがあるからでしょうね・・・・・・・

みなさん、ぜひ東京上野のアメ横と平和通りを比較体験してみてください。

そこにはきっと思わぬ発見が・・・・・・・・・・・・・・・

平和通りの雑貨店     平和通りの路地裏(桜坂)

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さあ、そろそろ紙面が尽きてきました。

次回をお楽しみに・・・・・・・

アンシェーヤ!(それでは!)


ウチナー(沖縄)のアメ横

2006年05月07日 00時30分33秒 | 日記・エッセイ・コラム

前回はウチナーのブタ食文化についての記事でしたが、それに関連してウチナーのアメ横といわれる通りを紹介しますね。

アメ横って?

そう、東京上野のアメ屋横町のことです。

あの雑多な横町の庶民的な雰囲気がそっくりなんです・・・・・

それは平和通りといわれる一角ですが、この通りはウチナー最大のメインストリートといわれる国際通りのほぼ中間地点より分岐する商店街のことです。

正確にいうと国際通りから3本の通りが平行してT字型に分岐しており、それぞれ平和通り、むつみ通り、市場本通りという商店街で形成されます。

国際通りの那覇タワー24560029_4 24560028_3                

沖縄三越          24560023_1   24560001_4   三越前の平和通り入口

国際通りはその名のとおり国際色豊かな通りであり、駐留米軍人、軍属を中心にそれ以外の外国人の姿も数多く見ることができます。

雰囲気も日本であって日本ではないまるで東南アジアのような場所なんですよ~

戦後復興間もなく急速に発展したため奇跡の1マイル(約1.6km)といわれる由縁です。

さあ、それでは三越前から平和通りへ入ってみましょう。

平和通り

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むつみ通り         24560011_5      市場本通り         

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公設市場入口

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市場のことをウチナーグチ(沖縄方言)ではマチグワーといいます。

その名のとおり食料品から衣料品、雑貨など、ありとあらゆるものが売られているんですよ~

ちなみに、マチグワーに良く似た言葉でマチヤグワーとは商店とか雑貨店のことをいいます。

とにかくここは限りなく東南アジアに近い雰囲気なんですね~

ウチナー(沖縄)が亜熱帯地域であることを肌で感じることができるトロピカルゾーンなんですよ。

さあ、いよいよ市場の中に入ってみましょう。

精肉店

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ドキッ!

これこそ前回紹介したブタの頭です・・・・・・・・・

どうですか?

これはちゃんとした売り物ですよ。                 

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それからこれがチラガー(ツラの皮)と豚足です。24560008_5        

そしてこれはサングラスをかけたブタです・・・・・・・・・

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いずれも生々しいですよね~

心臓の弱い人にはちょっと刺激的でしたかね~

ショックを与えてすみません・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、こういうのもあります。

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これこそ珊瑚礁の海で獲れた極彩色の熱帯魚たちです。

魚汁にしても良し、刺身にしても良し、フライにしても良し、とにかくウチナー独特の味が楽しめること受けあいです。

トロピカルな海からはトロピカルな魚が生まれるんですね~

食べるのがもったいない???

さて、まだまだ紹介したいものはあるのですが、そろそろ紙面が尽きてきました。

ということで次回までお楽しみに!

アンシェーヤ!(それでは!)