5月15日はウチナー(沖縄)が日本へ祖国復帰した日ですが5月26日は何の日だと思いますか?
今日は5月30日ですからちょうど4日前ですネ。
当時の日本は鎖国状態でした。
その日本を鎖国から開国させたあの歴史上の人物といえば??
そうです・・・・当時のアメリカ海軍から派遣されたかの有名なペリー提督です。
なんとペリー提督は日本へ立ち寄る途中に我がウチナー(沖縄)へも入国(当時のウチナーは琉球国であったため)していたのです。
今から約150年前の1853年5月26日を皮切りに1854年7月17日までの約1年半の間にペリー提督は5回もウチナー(沖縄)に入国していたのです。
ペリー提督はのちに日本遠征記の中でその当時の琉球見聞録も残しておりますが彼らが見た驚きの見聞録の一部にウチナー(沖縄)の墓について述べたものがあります。
彼らの目に映ったウチナーの墓とは??
これは亀甲墓といわれるウチナー(沖縄)独特のお墓です。
これは正面から見たものですが上部からみると丸い形をしておりちょうどカメの甲らをイメージさせるためにこう呼ばれています。
別名、門中墓ともいわれ親戚一同の合同墓みたいなものです。(墓の中は人間が何人も立って入れる広さである)
この立派な建造物に対して当時のペリー提督一行は琉球では生きている人達の家が粗末で小さいのに対し死者を葬る墓がはるかに立派で大きなことについて圧倒されたといいます。
彼らが上陸前の沖から見たそれらの墓はちょうど欧米の町並みと一緒だと誤解されたということです。
その形容は彼らがアメリカへ帰ったのちにスケッチを元に版画としても残されています。
この亀甲墓の形は一体どういう理由で作られたと思いますか?
これは実は女性の子宮をイメージして作られたものなんです。
つまり人は誰でも女性の子宮から生まれて死んだら再び母なる子宮に帰っていくということなんですネ~・・・・・。。。
私が子供のころは毎日のように段ボール箱を広げて近所の亀甲墓の上から下まで滑り降りて遊んだものです。
今、考えるとスゴク罰当たりなことをしていましたがあの当時はろくに娯楽施設もない時代ですので子供にとってはあの大きな墓が格好の遊び場だったのです。
滑り台としての遊び以外では墓の入口の門柱の上を端から端まで走り幅跳びのように飛び移って遊び仲間と競ったりしていました。
そういう遊びをしていたある日のこと私の弟が墓の上から滑り降りた時に勢いがつき過ぎて墓の下に落ちてケガをしたことがありました。
それを知った私の母が家に帰ってきた私の弟を再び墓へ連れていってあることを行いました。
「マブヤー、マブヤー、ウーティクーヨー・・・・・ マブヤー、マブヤー、ウーティクーヨー・・・・・」
この意味は → 「魂よ、魂よ、追ってきなさい・・・・・ 魂よ、魂よ、追ってきなさい・・・・・」
ウチナー(沖縄)では昔から現在までお墓でケガをした場合はこのようにしてお祓いをするのですネ~。
つまりお墓でケガをするということは何らかの罰が当たって当人の魂が抜き取られてしまうということなんですネ~・・・。。
このことを「マブイウトゥシ」→「魂を落とす」といいます。
そして先ほどのお祓いのことを 「マブイグミ」→「魂込め、あるいは魂入れ」というのですネ~・・・・・。。。
他府県でも似たようなことはあるのですかネ~???
そういえばちょっと意味が違いますが墓にちなんだ話題として、私が東京に住んでいた頃、タクシーに乗っていると途中で多摩霊園にさしかかった際に急にスピードが落ちました???
私: 「どうしたんですか?」
運転手: 「ぼちぼち、行きましょうか・・・」
↑ ↑ ↑
これはノンフィクションです!
今にして思えばあの世知辛い東京にしてはユーモアあふれる運転手さんでした。(確か25年前??・・・・です)
アンシェーヤ! (それでは!)
今日は5月30日ですからちょうど4日前ですネ。
当時の日本は鎖国状態でした。
その日本を鎖国から開国させたあの歴史上の人物といえば??
そうです・・・・当時のアメリカ海軍から派遣されたかの有名なペリー提督です。
なんとペリー提督は日本へ立ち寄る途中に我がウチナー(沖縄)へも入国(当時のウチナーは琉球国であったため)していたのです。
今から約150年前の1853年5月26日を皮切りに1854年7月17日までの約1年半の間にペリー提督は5回もウチナー(沖縄)に入国していたのです。
ペリー提督はのちに日本遠征記の中でその当時の琉球見聞録も残しておりますが彼らが見た驚きの見聞録の一部にウチナー(沖縄)の墓について述べたものがあります。
彼らの目に映ったウチナーの墓とは??
これは亀甲墓といわれるウチナー(沖縄)独特のお墓です。
これは正面から見たものですが上部からみると丸い形をしておりちょうどカメの甲らをイメージさせるためにこう呼ばれています。
別名、門中墓ともいわれ親戚一同の合同墓みたいなものです。(墓の中は人間が何人も立って入れる広さである)
この立派な建造物に対して当時のペリー提督一行は琉球では生きている人達の家が粗末で小さいのに対し死者を葬る墓がはるかに立派で大きなことについて圧倒されたといいます。
彼らが上陸前の沖から見たそれらの墓はちょうど欧米の町並みと一緒だと誤解されたということです。
その形容は彼らがアメリカへ帰ったのちにスケッチを元に版画としても残されています。
この亀甲墓の形は一体どういう理由で作られたと思いますか?
これは実は女性の子宮をイメージして作られたものなんです。
つまり人は誰でも女性の子宮から生まれて死んだら再び母なる子宮に帰っていくということなんですネ~・・・・・。。。
私が子供のころは毎日のように段ボール箱を広げて近所の亀甲墓の上から下まで滑り降りて遊んだものです。
今、考えるとスゴク罰当たりなことをしていましたがあの当時はろくに娯楽施設もない時代ですので子供にとってはあの大きな墓が格好の遊び場だったのです。
滑り台としての遊び以外では墓の入口の門柱の上を端から端まで走り幅跳びのように飛び移って遊び仲間と競ったりしていました。
そういう遊びをしていたある日のこと私の弟が墓の上から滑り降りた時に勢いがつき過ぎて墓の下に落ちてケガをしたことがありました。
それを知った私の母が家に帰ってきた私の弟を再び墓へ連れていってあることを行いました。
「マブヤー、マブヤー、ウーティクーヨー・・・・・ マブヤー、マブヤー、ウーティクーヨー・・・・・」
この意味は → 「魂よ、魂よ、追ってきなさい・・・・・ 魂よ、魂よ、追ってきなさい・・・・・」
ウチナー(沖縄)では昔から現在までお墓でケガをした場合はこのようにしてお祓いをするのですネ~。
つまりお墓でケガをするということは何らかの罰が当たって当人の魂が抜き取られてしまうということなんですネ~・・・。。
このことを「マブイウトゥシ」→「魂を落とす」といいます。
そして先ほどのお祓いのことを 「マブイグミ」→「魂込め、あるいは魂入れ」というのですネ~・・・・・。。。
他府県でも似たようなことはあるのですかネ~???
そういえばちょっと意味が違いますが墓にちなんだ話題として、私が東京に住んでいた頃、タクシーに乗っていると途中で多摩霊園にさしかかった際に急にスピードが落ちました???
私: 「どうしたんですか?」
運転手: 「ぼちぼち、行きましょうか・・・」
↑ ↑ ↑
これはノンフィクションです!
今にして思えばあの世知辛い東京にしてはユーモアあふれる運転手さんでした。(確か25年前??・・・・です)
アンシェーヤ! (それでは!)