沖縄あれこれ情報ブログ

沖縄の文化、歴史をメインに沖縄あれこれ情報を発信するブログです。

武器を持たない国・琉球

2005年06月23日 18時19分07秒 | 日記・エッセイ・コラム
今日は6月23日ですがウチナー(沖縄)にとっては特別な日なのです。

今日は沖縄戦が終結して60周年にあたる終戦記念日であり戦没者の霊を慰める慰霊の日なのです。

1945年3月26日に慶良間諸島から始まった日米両軍の激しい地上戦を経て同年6月22日に日本守備軍・第32軍の牛島司令官と長参謀長が自決し、事実上の沖縄戦終結を6月23日として、この日を慰霊の日と定めました。

ウチナー(沖縄)では官公庁、学校関係、企業の一部が休みとなり、正午の時報と共に全県民が黙祷を捧げて戦没者の霊を慰める日です。

この地上戦により日米双方で約24万人の犠牲者が出ました。

全国各地からもこの日の為に多くの人達(主に遺族関係)が駆けつけます。

毎年、小泉首相を始めとして関係する大物政治家の方々も出席されます。

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左下の写真の奥が小泉首相で手前の方はSP(警護)です。

もっと近くで撮りたかったのですがSPに阻まれた上にマスコミ関係者にも追いやられこういう不鮮明な写真となりました。

残念!!

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沖縄戦の本質は日本本土防衛の為の防波堤だったといわれております。
つまり、ウチナー(沖縄)は本土決戦を遅らせる為の捨て石だったワケです。

結果的にはウチナー(沖縄)が占領され、広島、長崎に原爆が投下されて日本は敗戦となったワケです。
しかし、ウチナー(沖縄)が捨て石となったことで日本本土での地上戦は免れることができたのです。

今、私達はこうして平和を享受しているワケですが約24万人の犠牲者、それから広島、長崎の犠牲者の方達の無念を決して忘れてはならないと思います。

それともうひとつ忘れてはならない歴史的事実を!!
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かつてウチナー(沖縄)が琉球と呼ばれていた時代にバジルホールが1816年に琉球を訪れていますがその後、あのナポレオンに琉球のことをこう報告したといいます。

バジルホール: 「この広い世界に武器を一切持たない国があります。」

ナポレオン: 「武器を持たないだと! 大砲も持たないのか? 小銃くらいは持っているだろうよ?」

バジルホール: 「小銃も持っておりません。」

ナポレオン: 「槍はどうなんだ? 弓矢は?」

バジルホール: 「槍も弓矢もありません。」

ナポレオン: 「なんということだ! 武器も持たずに一体どのようにして戦うというのだ?」

バジルホール: 「琉球の人々は戦争をしたことがないばかりか外敵も内敵もなく平和に暮らしているのです。」

ナポレオン: 「なんと! 戦争を知らないだと!」

ナポレオンは信じられないという顔をしてバジルホールの顔を見つめたということです。


そうです! かつて琉球と呼ばれていたウチナー(沖縄)は武器を持たない、まさしく夢のような平和の国だったのです。

そういう歴史的な平和の地で日本国内唯一の悲惨な地上戦が行われたというのはなんという皮肉でしょうか!!

きっとあの世でバジルホールとナポレオンは嘆き悲しんでいるはずです。

「ああ! 戦争を知らない平和の楽園が戦場となってしまった! なんということだ・・・・・ああ!琉球よ」

合掌


今回は「慰霊の日」特別記事でした。

アンシェーヤ! (それでは!)









ユッカヌヒー、ハーリー

2005年06月11日 17時33分43秒 | 日記・エッセイ・コラム
本土各地では梅雨入りしたようですがこちらウチナー(沖縄)ではひと足先の5月初めに梅雨入りしており、まだ梅雨明け宣言は出ておりません。

梅雨明けは例年どおりであれば6月23日頃(慰霊の日)の予定です。

ウチナー(沖縄)ではハーリー鉦が鳴り響くと梅雨明けとなり本格的な夏の到来といわれております。

昨日はユッカヌヒー(旧暦5月4日)といってウチナー(沖縄)の各地の漁港ではハーリー(ハーレーともいう)が行われました。
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ハーリーについてはこちらをクリック


ハーリーとは爬龍船といわれるクリ舟(沖縄方言ではサバニという)にウミンチュ(漁師)たちが乗り込み、舟漕ぎ競争を行う行事です。

まあ、いって見ればボート競争みたいなものですネ。

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ウミンチュ(漁師)の町ではこの日は豊漁と航海の安全を願ってこのハーリーを開催する訳なんですネ。
ハーリーのことを別名、海神祭ともいいます。

ところでハーリーの翌日はグソーハーリー(後生ハーリー)といって亡くなったあの世の人達が同じ海上でハーリーを行うそうです・・・・・・???
そういうことでウミンチュ(漁師)の町ではその日の漁はゆっくり休みハーリーの翌々日から漁を開始するそうです。

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ところで、ユッカヌヒー(旧暦5月4日)とはそもそも男児の節句でありこの日に限ってこども達は好きなおもちゃを買い与えられたということです。 男の子のお祝いの日にハーリーも行うようになったようです。

いわゆる現在行われている5月5日の子どもの日の昔版といったところでしょうか???

ウチナー(沖縄)でハーリーが始まったのは15世紀初めの察度王時代だといわれております。

ところでハーリーの由来はなんだと思いますか?

なんとこれは中国から伝えられた歴史があったんです!

むかしむかし、中国の楚という国の宰相である屈原という人が当時の世の中を嘆いて投身したのを助けるために舟を出したのが始まりだそうです。

この話はウチナー(沖縄)の民話にもスグリ山田という優れた学者に置き換えられて語り継がれております。

つまりそのルーツは人を救うために一刻も早く舟を走らせないといけないということだったワケなんですネ~。
今でこそ舟漕ぎ競争という形をとっていますがその根底にあるのは人命救助だったということです。

いってみればあの当時のウチナーンチュ(沖縄人)は中国の人命救助の歴史をハーリーというウチナー(沖縄)独自の文化に変えて脈々と現在に伝えてきたワケですネ~。

あの当時の先人の想いを考えると、なんていうかスゴク感動的ですよネ~・・・・・・。。。。

ここに中国でもなく、かといって日本でもないウチナーンチュ(沖縄人)の独創性を見る思いがします。

トウンアラン、ヤマトゥーンアラン、イッペーイッペーウチナーフージールヤサ!
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中国でもなく、日本でもない、とてもとても(果てしなく)沖縄風である!


アンシェーヤ!(それでは!)










アカバナー

2005年06月06日 23時41分33秒 | 日記・エッセイ・コラム
さて、これは何でしょうか?
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んん? なにやら神秘的な雰囲気が漂っていますよネ~??

ヒントはこれです。
  ↓ ↓ ↓

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そうです。 これは英語ではハイビスカス、日本語では仏葬華(仏桑華)、ウチナーグチ(沖縄方言)ではアカバナー(赤花)といいます。 ウチナーグチ(沖縄方言)ではアカバナではなく、アカバナーと語尾をのばします。

正解はこちら!
  ↓↓↓

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実はこれはなんのことはないハイビスカスティーだったんですネ~。。。

ちょっとしたお遊びでした!

失礼しました・・・・・。。。

世の中、視点をちょっと変えてみると思わぬ発見があるんですよネ~。。。

このハイビスカス、というよりもこちらウチナー(沖縄)では仏葬華あるいはアカバナー(赤花)といったほうがなじみやすいのですがそもそも縁起の悪い花なんですヨ~・・・・。

ウチナー(沖縄)では仏葬華のことを別名、後生花(グソーバナ)ともいうんです。

後生(グソー)とはつまりあの世のことなんですヨ~・・・・・・ということは後生花(グソーバナ)--->あの世の花なんです。 こちらウチナー(沖縄)ではお墓の花なんですネ~。。。

今でこそハイビスカスなんてハイカラなネーミングで呼ばれていますが、私が子供の頃はアカバナーとしかいわなかったんです。(仏葬華というよりも)

ところで前回ペリー提督のことを記事に書きましたが、やはりあの当時の彼らの目にもしっかりと捉えられていたんですネ~・・・・。。。

なんとそれは水彩画として現在にも残されていたのです。

しかも驚くことにはハイビスカス以外の呼び名として仏葬華でもなく、はたまたアカバナーでもない言葉が残されていたのです。

それは・・・・・・・・・「龍吐珠」--->英語では Dragon Mouth Pearl ---> つまり直訳すると 「龍の口の真珠」 という表現が使われているんですネ~・・・・。。。。
  
ビックリでしょう!

なぜ龍の口の真珠なのか???

それは謎です???

おそらくあの当時のペリー提督一行の目にはその形容がそうイメージさせたのかも知れませんネ。

しかし人の見る目によって色々なイメージが浮かぶというのは面白いことであり、すごく興味のあることですよネ~・・・。。。

みなさん!あなたの身の回りのものをちょっと視点を変えて眺めて見て下さい。

ほら、そこには思わぬ発見が!!???


アンシェーヤー!(それでは!)