お待たせしました!
毎度おなじみの世界遺産です。
えっ!待ってないだって?
まあ、そういわずにどうぞご覧ください・・・・・・・・
ここはウチナー(沖縄)の中部に位置する勝連半島です。
勝連半島は太平洋側に面しており、海中道路の町としても有名です。
それから米海軍基地のホワイトビーチもあり原子力潜水艦の寄港地としても知られています。
米軍基地の中でも嘉手納空軍基地に次ぎ警戒の厳重なエリアとなっているんですね~
ちなみにここから北上するに従って米軍基地のレッドビーチ、ブルービーチが位置します。
ホワイトビーチが軍港として使われているのに対し、レッドビーチ、ブルービーチは主に海兵隊の海上から陸地への急襲作戦の訓練に使われているようです。
つい最近から市町村合併により勝連町がうるま市に統合されました。
この旧勝連町は肝高(きむたか)の町として有名です。
きむたかとはウチナーグチ(沖縄方言)で気高いという意味があります。
かつれんのとよみてた(勝連の鳴り響みてだ)
ももうらとよみてた(百浦の鳴り響みてだ)
きむたかのとよみてた(肝高の勝連の鳴り響みてだ)
かつれんのいちやぐち(勝連の板口を)
きむたかのかなやくち(肝高の金口を)
かみからは てるまはま(上からは波照間浜に)
しもからは はまかはに(下からは浜川に)
これは沖縄最古の歌謡集「おもろさうし」の16巻に唄われている詩です。
これは勝連の気高い按司様は百浦にとどろく按司様である。(按司→アジ→支配者)
勝連の立派な港を開け上からの舟は波照間浜に、下からの舟は浜川に着けて栄えている。
という意味です。
そしてこの気高い按司様こそ琉球における15世紀の激動と混乱の世に出現した英雄、阿麻和利だったのです。
この阿麻和利は当時、琉球がまだ琉球王国という統一国家になる前の地方の支配者であり、当時の国王に最後まで抵抗した按司でした。
幼少のころは体が弱く山に捨てられた阿麻和利は苦労しながら成長し、たくましさと知恵を授かったのちこの勝連にたどり着いたことで人々から慕われ按司として君臨しました。
阿麻和利はその才覚によって海外貿易を行い栄えていきます。
当時の勝連は肝高と呼ばれ、本土の京都や鎌倉に例えられるほど繁栄し、阿麻和利に対しては「千年もこの勝連を治めよ、勝連の名高き王」と讃えられたということです。
一の曲輪↓
この阿麻和利の実力に脅威を持ったのが時の琉球国王・尚泰久でした。
この時期はまだ激動と混乱の時代であり、安定しない時代だったのです。
国王・尚泰久が考えたのは攻略結婚であり、なんと自分の娘、百十踏揚(ももとふみあがり)を阿麻和利の元に嫁がせたのです。
つまり、国王を恐れさせるほどの力を阿麻和利は持ち得たワケですね~
ここで百十踏揚の名前の由来は
百十→百に十を重ねる→いつまでも
踏揚→踏んで揚がる→秀でる→名高い
という意味であり、すなわち気高く美しいということなんですね~
さて、そろそろ紙面が尽きてきました。
次回に続きます。
お楽しみに・・・・・・・・
アンシェーヤ!(それでは!)
思わずため息が出てしまいます。
そういえば、私の好きな小説に、一夢庵風流記(作:隆慶一郎)というのがあって、主人公が琉球王国に渡るくだりがあります。時代的には、16世紀~17世紀の境目あたりですけどね。
もし、その辺りの時代にまつわるものがありましたら、また記事にして下さいね。
待ってまぁ~す!
前田慶次郎が琉球に渡るのは、一夢庵風流記を原作とした漫画、「花の慶次」の方でした。原作の一夢庵風流記では、朝鮮王朝に出兵していました。
間違えました。m(._.)m ペこっ
ヒロシさんの記事、拝見するたびに行こうと思う場所が増えます^^
行く前にこうやって豆知識を頭に入れておくと
また違ったカンジで観光できますね
にふぇーでーびる♪
はい、がってんです!(笑)
興味津々といった内容で
勉強になります。
貴重な情報ありがとうございます。
どういたしまして!
今後もラグ☆さんがいきたいと思う場所を
ガンガン増やしますので
お楽しみに・・・・・
・・・・・・・・・・・・プレッシャー(笑)