日本人に生まれて

前期高齢者の仲間入りをしました。昭和、平成、令和を振り返りながら、日常の出来事を綴ります。

失われた日本人の優しい心、どのように取り戻したらよいのでしょうか?

2020-12-24 08:39:00 | 教育
    今日の言葉

二つのものは知性の恥なり。語るべきときに黙し、黙すべきときに語るのは。
サ―アディ―「ゴレスターン」

「人類はみな兄弟」

幼いころ、📺❇️からCMで流れてきました。笹川良一氏と子どもたちが戸締まり用心火の用心と大太鼓をたたきながら、練り歩く映像でした。冒頭のフレーズ、笹川氏のセリフが締めでながれてきます。今でも、耳奥に残っています。

「三つ子の魂百まで」と言われます。その当時の記憶が高齢者になっても蘇る、洗脳されてしまっているのですね。ユーチューブ検索したらありましたので載せてしまいました。若い人たちからみると,「何だこの映像は」と感じることでしょう。しかし、あの頃の自分は、「ああそうなんだ」と妙に納得しました。「戦後はみんなで仲良くしなければいけないのだ」と脳裏にべったり張り付いてしまい、現在も剥がすことができません。



心の支えを喪失した日本人

明日はクリスマス、そして、「もういくつ寝るとお正月」、年末年始のかきいれどきがコロナウイルにより消滅してしまいました。今年は、各家庭で内輪のクリスマスパーティー、ケーキの予約数が例年の倍以上とニュースが流れていました。

ブログの記事を探していたら、学校の先生についての記事がありました。改めて、大変な仕事なのだと感じました。先生の志望者も減少傾向です。それと1クラス35人体制に移行。先日新聞に掲載されていました。現状も仕事過多で激務といわれ、それに輪をかけて超がついて、「超激務」になることが目に見えています。政治家と役人は、現実と乖離する政策を立てるのは得意中の得意です。議員先生も教育実習で1日でもいいから、教壇に立ち、身を持って体験するのもありかな、とおもいます。



絆を忘れた日本人

師弟という二文字はレガシーに成り果てたのでしょうか?勉強を教えてもらう人を師匠教わる人を弟子と呼びます。そこには、教える者と教えられる者との絆があります。この縦の絆が見えにくくなり、横の絆のほうが強くなっているのが現代です。

戦後の甘い言葉『平等』

先生と生徒は同じ人間だから平等「それでいいのだ!」けっしてそうではありません。あくまで「それは先生」敬う気持ちがなければ、人間失格になります。親に対しても同じです。勝手に産んだのではないかと、ふと自問自答することがあるかと思います。しかし親は子どもが一人前になるまでに衣食住、教育、立派に社会にでて活躍できるように育てます。ことわざ二題です。

  「鳶が鷹を生む」
  「蛙の子は蛙」

無限大の組み合わせにより、様々な親子、師弟関係が築かれます。そこに必要なのは、感謝の気持ちです。人としては、平等だけれども、子が親に、生徒が先生にお世話になるのですから敬う態度を示すことが礼儀というものです。

勘違いしてボクとパパとママ、そして先生は平等でいいのだ、
 「寝言を言っては困る」
成人なるまでは、親は扶養義務があり、先生は卒業するまでは教える義務があります。

〆の言葉です。

「自由と平等は絵に描いた餅である」

今日の一曲です。










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