日本人に生まれて

前期高齢者の仲間入りをしました。昭和、平成、令和を振り返りながら、日常の出来事を綴ります。

日本人の劣化

2019-09-22 00:25:00 | 政治
「備えあれば憂いなし」

 我が国日本は、改めて災害大国であると自覚しました。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」「忘却とは忘れさることなり」日本人のいけないところは、何事もすぐに忘れようとする思考回路です。また、都合のよい言葉、「想定外のことが起きた」このフレ-ズを使うことにより、責任回避をします。東電の元経営者3人の無罪確定がよい例です。被害に遭われた人たちに寄り添うことを忘れた日本人、台風15号への災害本部の設置の遅れで政府への批判が高まっています。その程度の対応しかできない人たちを国の代表に選んだのは国民です。共同責任です。「政治を見ればその国の人のレベルがわかる」ラグビージャ-ジを着てはしゃいでる姿、高校生並みの演説、議論のできない議員たち、これが現在の日本です。これから何に対して備えたらいいのでしょう。日本沈没に備えることです。

未来のビジョンを描くことが苦手
 
 東日本大震災から何度も地震、台風、噴火、日本列島は天災にみまわれました。そして、台風15号です。「災害は忘れた頃にやってくる」まさか関東には来ないだろうと油断があり、電柱が倒壊するとは「想定外」でした。水道、ガス、電気は、何があっても止まらないだろうと過信、自然の力はいともたやすく壊しました。日本人の短所は長期的視野にたつことができない所です。「木を見て森を見ず」痛い目にあっても「そのうち何とかなるだろう。誰かが助けにきてくれるだろう。」甘えているのが日本人です。電柱をなくし、電線を地中に埋め電力を供給、戦闘機など購入せず、予算をインフラに回せば解決することです。
国民が安心して暮らすことができるようにすることが政治です。日本がどこを着地点に据えるかビジョンが見えてきません。自分に今言えることは国が国民に自助努力を求めるなら、国も自立努力をすべきであります。ぺこぺこ頭をさげるのではなく、胸を張り堂々と主張、日本が誇りを取もどせるなら私も寄り添います。

 印象に残った記事紹介します。
 
小田嶋隆 コラムニスト

 私は、2012 年を境に日本社会は変容したと感じています。リ-マン・ショックから長引く不況と3・11の一撃を経たタイミングで誕生したのが第二次安倍内閣でした。粛々と日本を立て直すことを期待したのに、結果はモラルをぶっ壊した政治、改ざん、隠蔽は当たり前で、平気でごまかし、嘘をつく。「総理のご意向」の忖度強要で官僚機構のモラルは崩れ、今や機能不全に陥っています。
 強行採決の連発で民主的手続きを無視し、集団的自衛権容認改憲で憲法をタテマエ化。この春から予算委員会の開催すら拒み続けているのです。日本社会の寛容性が失われていく中率先して「公正」「正直」「勤勉」という美徳を破壊。こんな政治が許されるなら、正直者はバカを見るだけとなり、卑怯な社会に拍車がかかるのは当然の帰結です。
                    日刊ゲンダイデジタル版より


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