経済(学)あれこれ

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武士道の考察(61) 行基菩薩

2021-05-16 17:15:14 | Weblog
      武士道の考察 (61)行基菩薩

(天平の僧行基 私有地開拓者)
 仏教の根本理念の一つが菩薩道です。菩薩は涅槃という魂の永遠の至福を拒否し、衆生救済のため俗塵にまみえることを願う存在です。彼岸と此岸を架橋し、自利と利他を同時に遂行する者です。菩薩にとって俗世の営利殖産は、人を救いまた自らをも救う、成道の資糧です。だから菩薩の本義は、だれでもの菩薩、だれでもなれる菩薩、です。
 8世紀前半に活躍した行基という僧がいます。彼は民衆を集め、現世における因果応報、働けば報いられるという論旨を説き、彼らを率いて貧民救済のために開墾灌漑や道路橋梁の建設などを指導しました。律令政府は彼の行動を危険視し(たいていの政府は民衆の集合を恐れるものです)、行基の率いる集団に解散命令を出します。行基の行動は私有地の開発につながります。20年後政府は行基を大僧正に任命し、大仏建立への協力を依頼します。彼の勢力を無視できなくなったからです。
 行基はただ貧民救済(これまでの歴史書ではこの点のみが強調されるきらいがありました)の動機のみで動いたのではありません。彼の集団は非常に良く構成されていて、富裕農民と言われる人たちが幹部になり、作業を分担し、彼らの影響下の農民を領導しました。そこには行基の弟子である僧侶や私度僧がいます。彼らは当時としては最高の技術を持っていました。私度僧は俗人が課税を免れるために僧侶の姿を取る方便でもあります。もちろんまじめに修行する人もいます。行基の集団はこういう僧俗混交の集まりです。行基が活躍した20数年の間に三世一身法そして墾田永世私有法が制定されます。全国に澎湃として沸き起こる土地私有願望に答えるためです。公地公民制は次第に崩壊します。こう考えると行基は後に田堵・名主・富豪輩と呼ばれる土地占有者のボスでありイデオロ-グでもあったことになります。貧民救済のためには生産性の向上が不可欠なのです。逆に生産性向上のためには貧民救済は必須です。行基は学識ある僧侶でその指導力と社会事業の成果ゆえに行基菩薩と尊称されました。田堵や名主は武士の原点です。宗教勢力と武士層の結合の発端を行基の活動は物語ります。行基の代表的な業績としては和泉国の狭山池、また地方の農民が納める租税を運ぶ経路の難所、例えば山城国木津川などに架橋しました。雨で増水すると何日も逗留し餓死する者も多かったと言われています。行基が弟子たちを連れて大仏建立に協力したのは有名です。この事は決して象徴的なだけではありません。律令政府は行基集団の経済的影響力を期待したのです。
 弘法大師空海の諸国遍歴の話は行基の拡大版です。空海は全国を行脚して池や堤を造り橋を架け道路を整備したと言われます。彼がある地点を杖でトンと叩くとそこからこんこんと水が出てきたなどのお話もあります。かなりの部分は伝説ですが、かなりの部分は真実です。讃岐国の満濃地、和泉国の久米田池などが有名です。彼がした事は空海個人の経営する寺院のためなのか、寺院の影響下にある農民のためなのか、もっと多くの人のためなのか、多分そのすべてでしょうが、ここでも行基に関して言ったことがあてはまります。高野山や東寺は大荘園領主です。行基や空海に相当することは他の寺院にもあてはまるでしょう。この種の事業は平安末期になると重源さらに叡尊・忍性など西大寺派律僧たちにより、より大規模な貧民救済大公共事業として行われます。もちろんお寺も儲かります。社会事業を行い、公共の福祉のために活動するこのような宗教者を菩薩僧と言います。日本では菩薩は決して架空の存在ではなかったのです。菩薩僧と寺院領主、どこが違うでしょうか?行基は田堵名主そして武士の淵源であり、同時に寺院領主の範例です。
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「君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社


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