経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

武士道の考察(110)

2021-07-07 13:01:17 | Weblog
 武士道の考察 (110)

(やせがまん)
 仏教で涵養された武士道の生活力は儒教という枠をはめられた事により、安定した形をとります。武士の情操は男道から士道に変わります。治者意識を鼓吹された武士層の基本的政策は土地本位主義であり、抑商政策であり、反地主制です。この基本的政策が時代の変化にもかかわらす推移できるのなら問題はありません。情勢は変化します。農業生産力の上昇と商工業の発展にともないこの政策は破綻します。徳川武士の270年におよぶ努力は、この破綻にいかに対処するかでした。治安つまり平和を維持しつつどう対処するかに苦慮します。武士の主要任務は経済政策になります。徳川時代の武士ほどはこの任務を諦めることなくまじめに正面から取り組んだ社会階層も少ない。上は将軍藩主たちから下は足軽雑兵にいたるまでまじめに問題に対処します。経済官僚たることを介して武士は自らの治者意識を職能意識に変えてゆきます。もともと武士は職人です。戦闘技術を売り込み、殺人の上手と言われる職人です。時には芸人とも言われました。宮本武蔵が好例です。これに治者意識と経済官僚体験が加わります。こうして武士の職能意識はより高度なものに練磨されます。
 事実徳川武士たちは270年間食うや食わずの生活を送ります。熊沢蕃山、新井白石、横井小楠、吉田松陰、藤田東湖たちの生活を見ると、彼らが人生を形成した時期の生活は貧しい。現在の生活基準から見ると生命維持ぎりぎりのところです。武士は贅沢をすることもありますが、それを自慢することは恥とされます。紀伊国屋文左衛門や淀屋辰五郎は羨望されますが尊敬はされません。儒教が唱える素朴な理想主義は日本の武士たちの美意識に適合しました。武士たちはこの理想を自己訓練の場とし、治者としての意識を育成します。自己の置かれた経済状況との対比において考えれば、これはやせ我慢の美学です。美意識を強く持ち戦うものは自己の意図とは別に自己を変容させます。武士たちは戦いつつ自らを変容させて行った存在でした。だからこそ270年の間、経済という未知の魔物に対処しつつ屈することがなかったのです。同時にそれは270年間の平和の維持でもありました。
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「君民令和、、美しい国日本の歴史」文芸社

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