経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

マルクス経済学入門(1)

2009-06-05 00:56:18 | Weblog
 経済学を英語で表記すると二つの名称がある。Political Economy と Econmics。19世紀半ばに出たJS・ミルの「経済学原理」までは前者が、後には後者がよく使用される。Political Economyすなわち政治経済学はその名が示すとおり、政治制度を前提にして経済現象を考察する。当初経済学は国家や民間の経済への政策のあり方として出発した。当然それは政治現象と関連して取り扱われる。スミス、リカ-ド、ミル等皆そうだ。リカ-ドはよく議会の諮問に預かり、ミルは彼の哲学急進派と言う立場からも政治的関心は強烈だった。ミル自身下院議員になった事もある。

 経済学が発展すると、これをなるべく科学的に取り扱おうとする態度が強くなる。多くの場合科学的思考における最も鋭利な手段の一つである数学で理解処理できるべき方向が求められる。この事情に前記した金本位制下の安定した経済状況が絡んで限界効用理論あるいは均衡理論という学派が生れた。EconomicsはPhysics(物理学)と同じ語尾を持つ。社会人文科学のなかで一番早く科学として発達したという経済学者達の自負(というよりうぬぼれ)と願望がこの語尾に込められている。物理学は自然科学の中で最初に実験による仮設検証システムと数学的表現による現象の厳密な客観化を成し遂げた分野だ。

 私は学派という言い方をしたが、数学的表現を駆使する経済学が圧倒的主流だ。特にアングロサクソン系の経済学者はそのほとんどが数学の訓練を受けている。最近アメリカのある大学で経済学の必須科目から経済史をはずそうという話があった。経済学が真の科学であるならば学説史は要らない、最も新しい知見が最も真実に近いから。その学説が唯一の真なる方向なら過去は関係ない、真実が積み重ねられてゆくだけだ、と言うわけ。事実自然科学では学説史は習わない。関心のある人だけが学ぶ。医術の分野で言えば、新しい検査方法、新しい薬、新しい手術技法が見出されれば、その発見が優れている限り、専門家は新しいものを学べば事足りる。

 ところで経済学は多くの学者が自負するほど科学的なのか?確かに経済学は「財貨は快楽、労働は苦」という具合に、人間の心理や価値観を単純化して捉える事により科学的数学的な処理をし易くしている。しかし主穀と綿布のみで成り立つような経済システムを仮定すれば近似的にこの単純化はあてはまるかも知れないが、労働意欲、技術学習、研究組織、人的資源、需要の開発、余暇の経済的意味、将来への展望希望などと経済学が対象とする要因が複雑になるとそうはゆかない。数学的表現はただただ形式的になる。なによりも人間は相互作用の中で相互に変容しつつ、新しいシステムを作ってゆく存在だ。当然経済システムも変化する。細胞や原子の構造が300年で根本的に変る事はないが、政治や経済のそれは変る。現在のシステムに適用できる技術が過去にも適用可能とは限らない。

 ここで歴史的考察の必要性が出現する。歴史は制度とそれを作る人間の相互変化の過程だ。一定の時点でどんな制度があり、それに人間がどう反応したか、またどう反応すべきであったか、制度はその結果どう変ったか、という問いかけが必要だ。数学的処理に全面的に任せると、経済は人間の意志を越えた必然として、成るように成る・成るようにしか成らない、過程になる。対して歴史的考察では制度との批判的対話が考察の主軸だ。前者を数理派、後者を制度派あるいはより広く歴史学派と言う。前者は主流だから多い。と言うよりそれなりの数学的訓練を受けてそれを経済現象にあてはめるのは簡単だ。少なくとも方法論は確立している。対して歴史学派は研究者個々人がおのれの歴史観という枠を作らねばならない。独創性が要る。ビッグネ-ムでは、マルクス、ウェ-バ-、ゾンバルト、ヴェブレン、そしてケインズくらいか。ケインズはえらい難しい事を経済学者に注文している。経済学者は、優れた数学者であり、優れた歴史家であり、優れた政策立案者でなければならないと。私は彼が優れた数学者とも歴史家とも思わないが、優れた政策立案者であり優れた経済学者であったと思う。そして彼はなによりも優れたギャンブラ-だった。

            (続)

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