marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(535回目)脱線:宗教における難しい課題と僕が思っていること

2018-08-16 10:50:01 | 日記
 このブログを始める時に自分の人生の宿題が僕にあるように思われたので書き始めてきたのですが・・・・。

 ・・・とここまで書いて玄関の呼び鈴が鳴った。誰かと思い出るとご婦人がお二人「エホバの証人」の方であった。この国の普段のプロテスタントキリスト教からは”異端”とされている。”異端”と言えば、宗教オタクの僕は、統一原理の「原理公論」、「モルモン経」も読んだし持っている。で来られた方々の「探求<神を探求する人類の歩み>」という本も・・・。いずれも偶然、手に入れたもの。

◆ところで、閑散とした僕の田舎のお墓の道路向かいの小路に小さな「エホバの会館」が出来ていた。誰も行かないようなど田舎にどうしてこのような教会ができるのであろう、と少しく聞いてみた。そんなあまりに小さな教会など無論知らなかったが、結論、無機的に書けばこれはアメリカの本部と繋がっているから補助金が出るからでしょうと。モルモンもそうですがグローバルな組織の存在は、すごいな。

◆伝道熱心な事には頭が下がるが、日本語の文語訳聖書には神様を”エホバ”と訳されていますが、どうぞ怒らないで聞いて下さいと、今は誰でもが書店で読める聖書の解説でもエホバと訳されるのはヘブル語からの誤訳であり間違いで今はそうは言わないのですと話してあげた。伝道に熱心なだけにとても残念。それから聖書が教えて下さっていると彼らが配布する「ものみの塔」は日常のケースに起こる困難、課題への対応書、倫理道徳的指導書と言ったらよいか、そのような内容の冊子である。その総括本のような先の「探求」も世界の全ての宗教に於いて(ユダヤ教も含む)、キリスト教が、否、あのイエスという方が本当の神から使わされた、つまりキリスト教がまことの神を示している、しかもその中でも宗派的な争いから、人類にどの宗教が本当の神であるかが示されている、まことの神に帰りなさいとの勧めがなされている。 総括的にとてもよく研究されている本である。この中にはヘブル語のヤーウェからエホバと読まれるなどの説明もあるが、巷のキリスト教のノウ・ハウ本でもこれは誤訳であると誰でもが読めるものが捜すと多数。それ故にこそ残念なのだが、ここは議論の場ではないので・・・。世界中の熱心な研究者からの寄稿を集約したような内容でした。世界の殆どの宗教、例えば、日本、神道、仏教、キリスト教の混在、平田篤胤が集約させて日本神道で戦争に突き進んだことまで書かれています。宗教改革者カルバンが、三位一体を否定したスペインの医学者を焚刑したことまで・・・。しかも、この「探求」という本は世界中の信者が読めるように各国の全ての言葉に訳されているようです。毎週、そして聖書を研究され、歴史から現代の僕らの生活の所作までのことごと。訪問されて来られた方のようにその宣教を実践することに使命を持っていく。しかし、僕らは組織のしがらみ囚われることに留意されたい。議論するために組織に入る訳ではないので。

◆それから、外出すると町の中でモルモン教の若い米国の青年お二人が歩いているのに出くわした。今日は、そんな日なのだろうと・・・。

 正直、僕らが(僕が)自分で嫌悪しているのは、イエスとの会話からいつの間にか、(キリスト教に拘わらず)その組織体の維持の言葉にすり替わってしまうことなのです。例え、一般に善いと思われていることでも・・・。詰まるところ、どのような組織におられても、最後は、普遍なる命を生かしめている根源と自分との会話ということになるように思います。漫然と組織に従属して安心してしまう、牧師と言えどもそうだろう。それを僕は、大きな”しがらみ”になりやすい障害だと思っているのです。これは、あくまで個人、つまり自分に関することなのです。ですから真摯なる黙想が必要なのですと。少なくと僕はキリスト教が人間に責任を与えこの世に「合理性」と「衛生」、「契約の概念」などを与えてきた点を考慮するだけでも絶大だったと思っている。効果を確認すると言えば、ともすれば観念的なことから実際、現実の生身の世界が進展しこの世に当たり前のように善くなってきたと言えるのは、天地を創られた万能の神を信じてきた決して歴史の表舞台には出てこないユダヤ人達がいたからだと僕は思っているのである。

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 イエスは彼(ヨハネ)に言われた。「やめさせないがよい。あなた方に反対しない者は、あなた方の味方なのである」。(ルカ9:50) ・・・