再び連絡が取れておりますことを感謝しております。◆貴殿の自省と善い宇宙人と悪い宇宙人については表現はどうであれ、小生は笑いません。日経新聞(7月22日「UFOはもう笑えない」という記事がでました)でも、またニュースでもyoutubeでも見られますが、実際、彼らの訪問は頻繁になって、一部地上の人の中には同化して気がついていない人もあると思いますが、時代が時代だけに善い宇宙人が「気が付きなさい」と日増しに警告、呼びかけをしているように思われます。貴殿は宇宙からというか、霊的な感性がするどういかと思われますので、どうぞ善い宇宙人とコンタクトを取られて、健康に過ごされますように願っております。悪い宇宙人も後退的な考えを助長する悪い波長もかなり発信しているので、戦いである、ということになりましょう。◆小生のライフワークは、自分の中ではすべてにおいて繋がっていると思っております。昔、読みました本を引っ張り出して再読しておりますが貴殿に読んでいただきたい本があります。エドガー・ケイシーという人の「転生の秘密」と言う本です。この人は実に謙虚なクリスチャンでした。仏教においては大衆向けにされた大乗仏教においてこの大切な要が隠されてしまいました。釈迦が最も伝えたいことがです! ◆旧約聖書が分かりにくいのも地上に来ていた彼らが編集していたのではないかと思われる箇所が多数ありますし、新約のイエスご自身が地上で起こっていることを”風”に例えて話した記事が載っています。長くなるので書きませんが、旧約聖書はつまるところ善い、悪い宇宙人との中で、選民族と呼ばれる民族への過去の導きで、全人類がそれを知り、新しい時代への救済ということが目的にあると考えております。人は知識が増せば、あれやこれやと限がありません。そこで、どうしても拡散しないようにさらに上位の唯一の神がおられることになります。◆イエスと言う方は、地上の人類が決して不可能であった永遠の命の救済を、自らの十字架刑で信ずる者に、それを成し遂げられたということになります。最近は、”赦し”ばかりで”裁き”が忘れられているように思われます。
◆田舎の合同法要に参ります。ここに来て、住職には小難しい議論はしませんが、時代が時代だけに小生もだいぶ肉体劣化がここに来て激しく進んでおりますので、さらに知りたいことを更に解明したく思っているところです。長くなりました。お二人の健康が守られますように心からお祈り申し上げます。 それでは。
世界のベストセラーを読む(624回) (その5)作家 大江健三郎の小説「万延元年のフットボール」 彼の救済!
僕らは本人の気質傾向は変わらないとしても、その時々の時代、環境、そして肉体の成長によっても発露する言葉は異なるものなのである。方向性としてまったく違ったことを言い始めたとすればそ......
◆添付写真は平成13年8月29日初版発行、明窓出版株式会社発行である。フランス人の評論家が読書の流れに応じて思いつくまま書いたものだという。77ページほどで残りの3分の1は白黒写真が載っている。大江の「みずから我が涙をぬぐいたまう日」が一番好きだという。大江の作品は、当時の流行ったサルトルの実存主義とやらの影響をかなり受けていると思う。僕は、当時も今もその救済されるべく人のありようそのものとは何ぞやということに関心がある。大江は「新しい文学のために」(岩波新書)で、言葉のレベルで、文章のレベルで、主題のレベルで、全体のレベルで区分して検証していくことは自分を励まして仕事ぬ向かわせてくれる効果的な手がかりとなると書いている。それは仕事柄なのだろうけれど、当時の僕は、全く外的な自称、対象、物証などなく励ましとなるそのものはないのかというようなことをしきりと考えていた。・・・とすれば、当然、生命があるという存在自体に喜びを見いだすようなというような究極の宗教性のようなものにいきつくのであると。(色即是空、空即是色)
世界のベストセラーを読む(623回) (その4)作家 大江健三郎の小説「万延元年のフットボール」 彼の救済!
◆2000年以上も前から答えはでていたはずなのに、世の中、世界がそうゆう状況であるならばという意味で、その時代に言葉を充てるのが、哲学であり、文学なのだとすれば、いずれ、答えが出て......
◆昨年、そういえば日本中がフットボールに湧いたなぁ。gooさんから昨年のブログ大江について書いた記事、立て続けに配信されてきた。学生時代、わけも分からず読んだものもあった物語と同時に当時の自分の何かを求めてもがいていた暗い時代を思いだした。
「レビ記」からは、第16章なかばを引用する。《こうして、至聖所、臨在の幕屋および祭壇のために贖いの儀式を済ますと、生かしておいた雄山羊を引いて来させ、アロンはこの生きている雄山羊の頭に両手を置いて、イスラエルの人々のすべての罪責と背きと罪とを告白し、これらすべてを雄山羊の頭に移し、人に引かせて荒れ野の奥へ追いやる。雄山羊は彼らのすべての罪責を背負って無人の知に行く。雄山羊は荒れ野に追いやられる。》(20節から22節) 「その山羊を野に」から。(文春文庫 p244)◆さて、評論家でなくても、読んですぐにこれは、作者の湧いてきた来た言葉の貼り付けを感じさせるところはいたるところに見られる。例えば、「先験的な子供たちの頭の中でのみ準備されていたのだ。」とか、「器具としての「滑り車」は・・・」など その他 多数。◆ずいぶん難しい哲学用語とか、機械的な言葉を用いなくていいだろうにと、江藤 淳などは、だからダメなのだこの作家は言うのではなかろうか。物語の内容にのめいる以前に作者の言葉への定義、その意識化をその言葉から感じてしまうのは、僕だけではないだろう。それがいいかどうかは、別にして、僕の場合は自己の言葉への意識化の自己認識を改めて、彼の言葉から感じさせられ、意識化させられると言ったらいいだろうか。どうも言葉の堂々巡りの文章だが、そういう意味においては、大江の文学は、僕にとっては、物語内容はどうでもいいような、それが一つの今の自分という存在の自己認識の手段として働いてしまうように感ずるので、それなりの効用を果たしていると言えるだろう。だから、自分の今の例えば体調如何にかかわらず、今の自分のありようを、その感情を、ぼんやりではなく、改めて意識化してみるという操作が、強要されるという働きをするのである。◆さて、この物語は、旧約聖書のレビ記から暗示を受けて、少年のころを思い出し、スケープゴートの物語を当てはめて、物語にしたものである。しかし、聖書の語る一貫したモチーフは、イエス・キリストである。ここでのスケープ・ゴートは、殺されてはならぬとされる贖罪山羊なのである。キリストは我々の罪のために、十字架に掛かられたのである。パーフェクトになれない我々は、キリストのみを見上げて生きなければならないのである。彼は、この地上においては、その肉体が最終、甦り、天に帰還された。不完全な我々を、最後の審判において、信ずる我らの弁護人になるべく・・・。 (2016.01.19)
◆倒れた石積みから積み直したよ。初めは751回、倒れた写真は753回。それで、ここ数日、雨で風も強かったから又倒れるかなと思っていたのですが、初めより(753回)バランスが悪そうなのに倒れない。◆それで、前のブログの答えとしての1点とは詰まり、僕が日々イメージするこのG(重心)の平衡になったその目には見えないバランスの基点。日々の生活の考え、行動する基となる魂のGというか、その点から確認すること。すべての僕という生き物の基点というか、それは、今という存在の宇宙も含むすべての中にあるということ。◆その核心は、人であれば石ころの無機物とは違い、有機物の僕が消滅してもその核があったそのことは、僕の存在をあらしめた基へ日々つながっていることを心がければ、永遠のそのGばかりではなく、僕らが知り得ないこの永遠の宇宙の微細な命のシステムの軌道に乗ることができるであろうと、それは間違いないと思ったのです。◆それで、存在するあなたたちが、なぜラッキーなのかは、どこかから持ち出してきた良い話ではなく、今まで地上のDNAを引き継いで来た人々のつまりご先祖からの、永遠の救済のファミリーヒストリーが敷かれていたということを僕は確信したからなのです。あとは君たちは、基点となる魂のGを更に強固にする為に人生が残されているということを自分の言葉で確認し、大胆に生きて欲しい。そこに真の本当の自由への道があるのだから。◆長くなりました、ハイデガーとう哲学者の「存在と時間」を読み始めました。それでは、この地上でフィジカルであるお体に気をつけてみなさんの健康を祈ります。(終わり)