goo blog サービス終了のお知らせ 

marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

親愛なるSへ:古びた残された2枚のカード

2023-10-07 20:38:05 | 手紙

 

親愛なるSへ  

僕の好きな『風のささやき』という映画音楽を何度も聞きながら・・・。映画俳優スティーブ・マックイーンのファンだったし。それは遠い昔の事だ。

それにしても、僕の心底に流れているものは、人が生きる悲しみのようなものなのだろうなぁ。歳を重ねて考えて見ると、前に差し上げた手紙の幼児期の失われた暗く湿った穴ぼこのような空間を僕はいつも埋めようともがいていたようなのだ。

おまけに心臓が弱い。これは身体的に。前頭葉を働かせて、意志を持って行動をしようとすると時折、肉体とのミスマッチが起こる。心臓が痛くなるのだね。左の肩甲骨の下あたり。まったく言葉にすれば、意志が強くない男と映るわけだ。

だから、スポーツは不適合な体というわけだな。どんなことでも、他人にも忠告は無論しない。批判もしない。ただ、そんなことは、自らが教えられるとおりに、とお任せするわけだ。君にはこれも気にいらなかったのだろうけれど。

生きることの悲しみはいつからか、苦しみは次の世界への修行と捉えるようになったというか。体の疲れはすべて苦しみだったというか。

***********

君はまだ僕の前には現れていなかったし。出てきたカードの内容の抜粋はそのままだから君への遠慮の配慮の口調などまったくない。ただ、記憶に留めたいだけ。

実に抹香臭いものだ。結局、自分の心底の悲しみに気づき始めた時から、こういうスタンスの思いの解消を求めて人生を歩もうとしていたんだろうな。宗教性に傾く人は、自分の悲しみを人は誰でもそうなのだと気がつき、その解消に命を生かしめているものに憧れ、永遠の世界に飛び立ちたいと、この地上の人生に耐えているのだろう。それは自己肯定の補填を、その湿った穴ぼこを埋めるような欲求なのだろうか。

************

先に書いた『人の脳みそと個性と言われるものについて』。それは、実際の人の身体の成長過程の事実なのだという。

多くの人は、秀才でも無く凡人で、貪欲で無いかぎり、ほどほどに人生を全うして次の世界に行ければいいと思っているなどと言う言葉は、老人の域に完全に足を踏み入れたか、寺の住職か、宗教祭司か牧師か、あるは悟りの境地になったか。

しかし、言葉で煎じ詰めて感情論、情緒など入れないのは脳の医者だけであるだろうな。人の体のつくり。特に「脳」の解析の事実についてなんだけれど。

多くの例を集めて、同じような考えを持ったり、生活様式が似ているということから、人もあたりまえのように動物の傾向をもつ。どのような環境の下にそだったか類推ができるというわけだ。

その他の付加は、無論DNAを親の基にしその気質を受け継ぐその個人の表れは、ほぼ本人が自意識をもつ環境下で決まってしまうと言うわけだった。9歳から10歳頃までかな。人生の不足の解消に、人は自分の命を存在せしめている神を求めるのかもしれませんね。

この次期の親の適切なフォローがその子にあれば、いいのだけど。すべての親が得とくすべく幼児教育。それでも悪のDNAの残骸は、誰にでも残って行くものだろうけれど。

************

僕の場合はその時期に彼ら(👽)にその背中に烙印を押されたと言うわけです。その時、生家の裏の沼で一度死んだのだ。だから、今でも彼らにアタックされた背中にくすんだブチ色のあざがある。痛むのは胸の裏の心臓のそこなのだ。

僕の生まれたその近辺に地球に多くの彼らが訪れていたというのは、後で知ったことだった。それは、世界的な規模でその時代に人類の危機に瀕する時があった。調べて見ると分かるかと思う。

***********以下 2枚のカードに万年筆で書き留めていた内容。五井昌久:『聖書講義』(参照出版社不明)

人間にとって一番大切なことは生命そのものが自由にいきいきと働くことであり、生命と生命が素直に交流することである。

横においては人類愛、縦に置いては神との一体化となる。

霊魂(生命)の方が大切であり、肉体身というのは、ただその天命を果たすための単なる「器」であり「場」である。

この真理が分からぬ限りは、人類にこれ以上の進化はない。人類は滅亡の方に向かってしまうのです。

人間は霊なる者であり。肉体はそのあらわれである。・・・・(p230)

道をつくっていくことも大切である。しかし、それが真実に神の愛を人間に知らせ、人間が神の分生命であることを悟らせる道に続いていないと・・・。

深い信仰心とは神との一体化であり、大生命である神のみ心の中に小生命である人間があらゆる妨げを排除して素直に融け込んでいる状態である。

こういう心の状態になると、いかなる業(カルマ)の妨げも突き抜けて大光明波動の中に突入できるのであって、自ら神の光明がその人の魂魄(幽体肉体)を浄めてしまうのである。

霊体になったり、肉体になったり自由自在にできる人が存在したり、霊体のままで肉体界に大きな影響を及ぼすことの出来たりした人がいる。

宇宙子・波動・生命物理学  ・・・(p244)

宗教の歴史というのは、その歴史の陰に常に守護の神霊、大天使方の働きが秘められているのであって、やがて誰の眼にも見え、誰の耳にも聞こえるという時代がやがてやってくる。 ・・・(p249)

*********** カードに書かれていた内容は以上です。

君と出会う半世紀以上も前からこんなことを考えていたのは、やはり僕には人生の宿題があったのだろうと今更ながらに思っているというわけです。

会って話をしたいのですが、まだ適わぬようです。これから寒くなります。お体に気をつけてお過ごしください。

健康をいつも祈っております。 ・・・ 


親愛なるSへ:「脳の発達と子供のからだ」

2023-10-06 13:42:23 | 手紙

親愛なるS

「私があなたの親だったらあなたのようになるような育て方をしなかったでしょうね。」これがあなたの言葉だった。(実はその言葉は正解だ。)

全てはその言葉の中に疑問符があることは、当然、承知のことだったのだが、つまり僕は普通人ではなかったようで、君の望む人間ではなかったということです。(突飛な話、ここで今までの<👽>の関りを・・・。)

それで、生涯でそれを解決すべく、しかしそれはあくまで個人のことだから付き合いをしてもらうことは気の毒と思ったのです。年老いて、伴侶者に先立たれ気分的には気を遣うことの重荷が解消されたことで荷が下りた気分になるとは、時折、聞くことである。あなたには、自由に生きて欲しい。

それであるなら、話し合いのうえで離れて暮らせばいいのだが、二度と口をき聞きたくない、あの時は、エストロゲンの枯渇で更年期障害かと思ったが、それも今では神の摂理とかというものかと。

『全て相働きて、益となるを我らは知る。』

僕は残念とは思うが、寂しいとは思わない。理解されないことは、僕にとっては善いことであった。全般を思いめぐらし、考えて見ればすべて万全ではないだろうか。ねぇ、そう思うでしょう。

誰もが親を選べなし、幼少のころの環境などすべてを当然のごとく受け入れるしかない。これは何度か書いてきたことだ。それが分かった人でも、受け入れて、普通人になるべく、それらの欠点を見出し学習して、それを修行というか、次の世界に住めるよう生涯をおくるのである。これが僕の持論です。

少なくともそういう課題が僕には与えられている。

もし、このような状況でほとんどの人がある訳だから、それがきっかけで困難に会うとすれば、命を与えたその摂理とやらに文句をいうか、個人的などうしようもないことなので、少し高みにのぼって、人とはいったい何なのかと考えてもみたくなるものです。

個人の生涯の宿題の重荷を共に担って欲しいなどとは、間違っても思わない。人は結局、一人で次の世界に行くのであるからね。

*********

本を整理していると半世紀以上前のメモが出てきた。この当時は、まだワープロなどというものも流布している時代ではなかったし、そういうこれからの将来的なり利便性のある電子機器は、悪友の医者の卵であった奴しかもっていなかったから、僕がこまめに葉書大のカードに万年筆で珍しく細かな字で書いあるところを見ると、この時はかなり内容に共感したものなのだろう。

実のところ、その関心ごとは後期高齢者の部類に入り込もうとしている現在も思いは変わっていない。そのメモ書きには答えが書いてあるように思われたから。

つまるところ、内容は拡散できるものでは決してない。人の身体的事実を素直に見つめることなど、暗くて面白いものではない。

よほど悩むか、医者とか、哲学や心理学や宗教などに関心があるのであれば、あるいはそうではないかもしれないが、内容は現在では人体のことはかなり詳細に解析がされて分かってきているので、今では初歩的な内容かもしれないが、きっかけはやはり自分の存在に漠然とした不安をもっていたのだろう。

以下、メモの内容 「久保田 競 著 築地書館(普段いつ出版されたか書くものだが、元のメモだけで元の本がどこかに埋もれてしまっている、そのうち出てくるだろうけど。著者は医者である。)」

*********

 人間の頭の良し悪しは遺伝と環境の相互作用で決まる。

東大で卒業後、研究者になった者の特徴

・自分の言葉で喋る。

・性格が楽天的である。

性格や特徴は、生得的、遺伝的にあらかじめ決まった神経系への働きを外から育てあげることができる。

 脳

ニューロンの働きは神経パルスを出して情報を伝達する。ニューロンは生まれた後は数が増えない。

120億のニューロン間の繋がりは、実は私たちが生まれたときにほぼ完了している。

妊娠後5週から20週にかけて増大のピークは出生後2か月ころである。ミリエン鞘が神経をつつむと神経が正常に神経パルスを伝導する。このピークは生後6ヶ月ぐらいで、そこを過ぎると脳のタンパク質の代謝運動はピークを過ぎ少なくなる。この時期までに脳が働くための基本的物質基礎ができてしまう。

生後6ヶ月こそが脳の働きが大きく変えられる時期なのである。働きの変わっていく可能性の大きい時期である。

刺激を与えない状態でおくと人間は正常な発達をしない。当然あるべき働きは、成長の途中の正しい時期に正しく与えることで出来上がる。刺激を正しく与えないと働きが劣る状態になる。

疲れないと正常な働きが出来て来ないということが、ニューロンの働きとして基礎付けられる。

*********そこでメモは終わっている。

親愛なるSへ どのような思い込みも結構だが、話すことが嫌ならば、次の世界で君が僕を嫌になった理由を理解するだろう。そこでもう一ど、あぁ、そうだったのか、と分かってくれるはずだ。

『すべてのこと、相働きて益となるを我らは知る。』

健康には留意されてください。 それでは、また、手紙を書きます。メモ書きカードがあと2枚でてきましたので、それは、あくまで自分向けでしたので。

 それでは、お元気で お体に気を付けてお過ごしください。 ・・・


Mへの手紙(9月2日)

2023-09-02 13:07:31 | 手紙

 猛暑の中、ようやく何週間ぶりかで雨が降り始めた。

 平野啓一郎の「三島由紀夫論」が小林秀雄賞をもらったとのメールが飛び込んできた。三島が自決したのは僕が高校一年の時だった。午後から国語の授業があったのだが、先生が現れない。10分ほど遅れて足早に講壇に立った比較的お年を召した東京帝国大学を出ておられたその先生は、静かな面持ちで遅れて来た理由を述べられた。

「市ヶ谷自衛隊で三島由紀夫が自決されました。昼休みテレビを見てたニュースを見ていて遅くなりました。」この先生は、国語の授業は、教科書の話を書いた人、その時代などを話された後、ただひたすら声を出して淡々と教科書を読むばかりであった。時折、質問をするがひたすら教科書を読むばかりの人だった。僕らは、字ずらを同じように追いかけるだけだった。

 生まれてきたとが当たり前、生きていることが当たり前、すべてが当たり前。そう思って来た自分を相対的に見つめるもう一人の自分という他者がいるのではないかと思い始めたのは、その先生が淡々と読まれるその教科書の文字の行間に目で見ている現実と違う世界があると教えられたからであった。こういう意味で、僕は遅れてきた少年であったのだが。

三島由紀夫の本は読んだことがない。キラキラした言葉の表現に才能はある人なのだろうなとは感じられたが、波長があわないと感じていた。こういう事件があると、やはりなぁ、と正直思わされた。

 彼に心頭していた奴がクラスにいて、筋トレをして体を鍛えていた理由を後で知ったのであったが、三島の自決の後、夢に彼が何度か現れて、日本の為に決起せよ、としきりに演説するんだよ、と真面目に昼休みに話していたのを思いだす。お墓から三島の骨(遺灰)も持ち出した輩もいてニュースになったくらいだから、三島のこの国を自分なりに思う熱情が亡くなった後も全国の若者の霊にしきりに語り掛けていたのだろうな。

僕は、作品より、なぜ、作家がそのような考えをするようになったのか、作品を現わすようになったのかということを考える方が性に会っている。人とは何か? さらにそういう人を創造した神とは何なのか? そして死亡率100%の人の生涯とは何なのか?

・・・雨が降り止んだ。

 


再考:ローマ教皇が卒倒した「ファチマの預言」、覚えよ我らのことを!

2023-08-03 01:54:35 | 手紙

深夜、2022年6月19日掲載の配信を今一度、と促された。・・・・調べよ、検索されよ、と!

 1916年、ポルトガルの寒村ファチマでルチア、フランシスコ、ヤシンタという三人の子供が天使に出会い、さらに聖母マリアに出会って、これから起こる不思議な秘密を聞いたというのであった。大人たちは誰も信ぜず嘲笑していたのだが、やがて何万人もの前で不思議な啓示の業が起こったというのである。村はずれの丘の上で、オーロラのような光、風が揺らぎ、雷が光り、不思議な光が丘全体を包んだのだった。しかし、聖母マリアのお告げを聞いたのは子供たちだけだった。不思議な天変地異の現象が多くの人々の前に現れ、その後、癒しの奇跡が一瞬のうちにおびただしい人々の上に起こされた。ローマ・カトリック教会は正式に現今の奇跡であると認めざるを得なかったのである。

聖母マリアが子供たちに告げた秘密とは何だったのか:その第一は、そのころ起こっていた第一次世界大戦が一年半後に終わるということだった。そのとおりに一年半後に終わった。その二番目は、今から二十年後に第二次世界大戦が起こるという、戦争になるという預言であり、それもまた、その通りになった。問題は最後の三番目の預言であった。二十世紀後半、つまり僕らが住んでいるこの時代の上に大きな試練が襲って来て、多くの民族が地上から姿を消していく。だから祈りと悔い改めをもって向かわないならば、ロシアが戒めの鞭となって人類を苦しめ、悩ましていくという預言であった。

教皇パウロ6世はこれを読むと驚愕のあまり卒倒したと言われ、歴代の教皇たちもこの預言の恐ろしさに茫然として、ひた隠して封印したのだった。(公開されたのは、開示しろとの要求で、1981年5月にフランスの旅客機のハイジャック事件が起こった為である)

◆果たして、この内容は今のことではないのか!・・・・僕が学生時代にもノストラダンスの預言とか、世界の遺跡の暦にも今の時代になると暦が消えているから危ないぞ、とかの終末預言ブームがあった。当時、カトリックは「ファチマのロザリオの聖母」書物に対して聖霊セミナーまで開いたのだった。

当時、カトリックのあるシスターは語る。「この預言は、悔い改めにあるのです。人類が滅亡するということではなく、憐みの神様が、悔い改めるならば、その滅亡から人類を救われるということが、この預言の目的なのです」。・・・人知を超えた神の愛と恩寵。

それにしても、ロシアという国名が、きちんと予言されていたとは・・・。 ********

◆ここで話が終わってしまえば、人という生き物は、そもそも、自分のこととは関知せず、へぇ~、そうなんだ、とそれなりの話で終わってしまう。自分に関わらなければ、つまり身体に痛みを伴わなければ我関せずという具合で、自らの普段の身体にも関心を示さない。・・・しかし、人類の歴史という次元で考えてみれば、ひしひしと気がつかない内に僕らの普段の日常のこの日本の国の土台も腐食されているということへの警告なのだ。

◆天上界から派遣される黒子達は、人類の見える形で切った貼ったの地上での歴史を作り、あるいは、見えない形での影響を人類に、否、ひとりひとりの人生に影響を与えている。現に今も存在もしている。無論、この時、あなたにも僕にも。

最近NASAがUFOの実態調査をまともに50年ぶりにも行うというニュースがあった。僕らの世界に関与し天上にあっての啓示により、この地上で善い宇宙人や悪い宇宙人の実態が、時間がなくそろそろ姿を表して、まともに個々人自らのこととして、悔い改めをし、創造されし我々は、真に天上界へ帰還する準備をしなくてはならない時代になったのだということへの気づきへの奨励なのであろう


哀悼!(その1)ノーベル賞作家 大江健三郎

2023-04-12 19:25:26 | 手紙

 哀悼!大江健三郎。僕の机上に今もある彼の一冊の本を掲載した。

半世紀以上も前の話。三重に出張に行った列車の中で、津を通り過ぎようとするころであったろうか、彼の『ピンチランナー調書』を若い女性が座席の前に座り、その本を読み始めた。ロボットのような親子の版画の絵が描かれたハードカバーの本だったのだが、途中までは読んでいたようなので「面白いですか?」と思わず尋ねたことを覚えている。

どうして大江なのかと思っていると、その若い女性は、自分は子どもを扱う幼稚園や保育、障害児を扱う保育士になろうと思っている。彼には障害児のお子さんが居られるでしょう。少し、こういう作家はどのように体験され思われるのか知りたいと思っているので、と続けて語った。

「あぁ、光くんですね。」と僕は返答し、「面白いです」と彼女は言ったけれど・・・。邪魔をしてはいけないと思い、それで会話は終わったのだが。若者が学生運動で盛り上がったあの時代、『性的人間』や露骨に女性器の言葉も出てくるものもありますようねぇ、どう思われますか? などとこのようなうら若き純粋な女性にたいしては間違っても語ってはいけない。

大江文学は、少し、当初、著名な評論家から批判されたように、それまでの文学というか、それは文章による情景や心理描写の表し方が、うまいとか、余韻が考えさせるとか、であったのに対しそうではなく、文章が冒頭から内面のイメージが言葉として唐突に書き著されている文章が多いので、思考訓練でもさせられるような前頭葉にきしみが起こる。

こういう表現は文学のしきたりとしてはどうなのか。エッセイのようでもあり、一種の哲学ジャンルにも踏み込むようでもあるし、いろいろな思想の部分的な解説書でもあるような、時代に対する思いを吐露するいろいろな断片の思いのつなぎ合わせでもあるようだし、短編ではそういうものが多い。

つまり、誰でも思いを言葉にまとめようとすれば、思索において自己肯定ができるのだ・・・物語を想像していける、とそういう勧めであるように僕は思ってしまうのだ。私小説というジャンルに関わるのか、彼が同時に同期に体験していることをその中に盛り込んでいるものだから、読みにくいと思われる人も多いのではないだろうか。

ナラティブ(語り)とかメタファー(隠喩)とかの言葉とか、幼小時代に母親から与えられたハックルベリーフィンの冒険の本とか、W・H・オーディンの詩(彼の短編『見る前に飛べ』はこの詩集にある)、ウイリアム・ブレイクとか・・・時代を読み解く世界の様々な哲学書や思想の書物を読み込んでいけば、それに彼は公然と、他からの引用を認めている訳だから、逆に彼の書いたこの作品は、世界の誰の思索からインスピレーション(彼にとってはメタファーのきっかけという意味になろうけれど)を受けたものではなかろうか、というようなことも推論できていく。

そして、誰でも人生には限りがあるのだから、世界のそれらのそして時代を動かしている底辺の思想ごとき何かを追及していけば、作家は仕事柄表立って口にしないまでも誰もが宗教的人間なのだから、一つの書物に収斂していくことを語っている。

*******

3月12日レント(キリストの受難の時期)の礼拝の牧師の話に、たまたま大江健三郎の話がでてきた。その後、少し会衆に報告することがあったので、大江が加藤周一(故)と共に立ち上げた『九条の会』の話をさせていただいた。

*******

大江が早逝した兄からもらった英語の辞書の話を、彼のエッセイで読んだこともあるが、教会の礼拝では二度異なる牧師から伺ったことがある。早熟だった健三郎が兄から、好きな言葉をその英語の辞書から探して教えてくれと言われた時、彼は『CHAMPION』ということばを語ったのだそうである。

何故、その話を牧師は語ったのか。それは、その『CHAMPION』という単語の意味には『競技の優勝者』の他に『特定の集団、思想などの為に代弁し、戦う人➡(主義・主張の)擁護者、闘士』の意味があり、つまりそれは、イエス・キリストのことでもある、と語りたいが故でもあった。

『イエス・キリストは我らの不義のために、わが身を負って十字架に掛けられ身代わりとなった。彼を信ずる者は死んでも永遠に生きる』

彼は今も生きて語っているというのである。ご自身(イエス)を信じた者が永遠の命に入らんがために、父なる神にその擁護者となっているというのである。

今年2023年のイースター(復活)の主日は4月9日である。・・・