最近、気が付くと地元の方言で話をしている。あれほど方言が嫌でクセを直したのに…。元々、この土地の言葉は「ざじずぜぞ」とか「だじづでど」のような濁音が多いせいで言葉が汚く聞こえることが多いところで、他所の土地の人が聞いたら喧嘩をしているように聞こえるかもしれない、かなり乱暴な言葉遣いをするところ。
“ごしてい、ずくねい、もうらしい、こんぼこ泣いて、せつねいのう”
⇒ さて、この言葉は理解可能? 不可能?
意味の判る人は長野県の中部の人か、中部に住んだ経験のある人、身内に中部出身者がいる人だけだろうなぁ。他所に出るとこんな方言は絶対に喋らなくなるので、友人・知人にここの出身者がいても気づかないかも。
@幕張も大学一年の時に方言が原因で一時喋らなくなった時がある。東京スタンダード(笑)では半袖という言葉は「はんそで(__/ ̄)というアクセントになるが、長野県中部では「はんそで( ̄ ̄\_)」となる。そんなアクセントと共に語尾の変化した方言が著しく多いのが“松本方言”の特徴。
「~だじ」とか「~じゃん」「~だわや」なんてのは序の口で、方言の五段活用?! かどうかは知らないが、「~ずら」「~ずらで」「~ずらだで」「~ずらだでね」はみんな意味が違う。意味は「そうずら」という言葉を仮定した場合、「そうです(肯定)」「そうでしょう(推定)」「そうでしょうから(仮定)」「そうですから(断定)」…
似たようなニュアンスだから言葉にするのが難しいが、微妙なニュアンスで意味が違ってしまう。
他にも県内の方言でも同じ意味で言葉がまるで違うものもある。
「とんでく」「まってく」 …ん?!
共に「急いで行く」という意味なんだけれど、長野方言では「とんでく」、松本方言では「まってく」になる。語源は「空を飛んで行く/空を舞って行く」ように急いでいきます…という言葉から。
地元にタブロイド版の「市民タイムス」という超ローカル新聞がある。その中に「アルプス市民」という落書きみたいな絵の四コマ漫画が連載されていて、毎回コテコテの松本弁が出ているから読んでみそ。
ところで、最初の方言の意味だけれど、
ごしてい ⇒ 「疲れた」
ずくねい ⇒ 「気力がない/やる気がない」
もうらしい ⇒ 「かわいそう」
こんぼこ泣いて ⇒ 「赤ん坊が泣いて」
せつねいのう ⇒ 「悲しいなあ」
という意味。さあ、これが解ればあなたも信州人。
“ごしてい、ずくねい、もうらしい、こんぼこ泣いて、せつねいのう”
⇒ さて、この言葉は理解可能? 不可能?
意味の判る人は長野県の中部の人か、中部に住んだ経験のある人、身内に中部出身者がいる人だけだろうなぁ。他所に出るとこんな方言は絶対に喋らなくなるので、友人・知人にここの出身者がいても気づかないかも。
@幕張も大学一年の時に方言が原因で一時喋らなくなった時がある。東京スタンダード(笑)では半袖という言葉は「はんそで(__/ ̄)というアクセントになるが、長野県中部では「はんそで( ̄ ̄\_)」となる。そんなアクセントと共に語尾の変化した方言が著しく多いのが“松本方言”の特徴。
「~だじ」とか「~じゃん」「~だわや」なんてのは序の口で、方言の五段活用?! かどうかは知らないが、「~ずら」「~ずらで」「~ずらだで」「~ずらだでね」はみんな意味が違う。意味は「そうずら」という言葉を仮定した場合、「そうです(肯定)」「そうでしょう(推定)」「そうでしょうから(仮定)」「そうですから(断定)」…
似たようなニュアンスだから言葉にするのが難しいが、微妙なニュアンスで意味が違ってしまう。
他にも県内の方言でも同じ意味で言葉がまるで違うものもある。
「とんでく」「まってく」 …ん?!
共に「急いで行く」という意味なんだけれど、長野方言では「とんでく」、松本方言では「まってく」になる。語源は「空を飛んで行く/空を舞って行く」ように急いでいきます…という言葉から。
地元にタブロイド版の「市民タイムス」という超ローカル新聞がある。その中に「アルプス市民」という落書きみたいな絵の四コマ漫画が連載されていて、毎回コテコテの松本弁が出ているから読んでみそ。
ところで、最初の方言の意味だけれど、
ごしてい ⇒ 「疲れた」
ずくねい ⇒ 「気力がない/やる気がない」
もうらしい ⇒ 「かわいそう」
こんぼこ泣いて ⇒ 「赤ん坊が泣いて」
せつねいのう ⇒ 「悲しいなあ」
という意味。さあ、これが解ればあなたも信州人。

