桜という花には本当に魔力がある。その時々で巡る思いも違い、喜怒哀楽のすべてがそこに描ける感じ。
雨の日に川辺で咲いてるのを見つけた桜の花。
私は、抗がん剤の副作用が強く何回目かの投与が延期になってしまった病院帰りに見た桜は切なく、満開なのに、ゆっくり観たいという気持ちもないくせに、体力なく、しゃがみ込んでしまった自分が悲しかった、その年の桜、凄く覚えてる。苦しいくらい綺麗だった。
再建から退院してきたあとの桜はただただ陽射しのようだった。
コロナ禍でみた滋賀の山桜には癒やしがあった。
あの日あの年が桜と重なる。
すぐに散ってしまうのに、これは魔力だな、と、思う。
そんな桜を題材にして、
下の記事でもコメントくれてるみっちっちのブログでは短歌が詠まれていた。
墓石に舞う桜の花びらの情景は、それだけで深い愛しみが物語を感じさせてくれた。涙。
私もね、
桜で、思い巡る事があるこの2年をちょっと書いてみたくなった。いや、書かなければならないか、伝えるべきか、どうしようか、ずっと悩んでいた事、短歌という形ならゆるやかに、そっと伝えられるかな。と、ふと思った。
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雨桜 病床の友へ 送信し
既読待ちわび 2度の花筏
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雨の日に川辺で咲いてるのを見つけた桜の花。
思わず写真撮り、緩和ケアで長引いてる友へライン。
新年まではやり取りしてたのに、、、
あれから2年、
何度かラインするも、この日から既読はまだつかない。
いい短歌やね。
心打たれたよ。
既読がつかないってほんと悲しいね。
すぐ散ってしまう桜には独特の思いを持つ。
亡くなった人への供花とも言われるんよね。
今朝の私のコメントに、短歌は優れた詠み手と優れた読み手で、優れた短歌が完成する。
と書いてくれた方がいるよ。
お互い、頑張ろね🎵
ありがとね🎵
ありがとう。みっちっちのブログで、桜は供花にも使うとみて、なんだか友との別れを残してみたくなったんよ。
とはいえ、もしかしたらまだ彼女はどこかで頑張って今年のさくらを見てるかもしれないって希望もあるの。既読つかないけど、それは単に私と離れたかったのかもしれない?て、その意味では希望の桜なのかな。複雑な2度目の春なのよ。
詠み手と読みてで色々な思いが短い歌の中で膨らむのって素敵な事だね。
また、ブログ楽しみにしてるね。