もしかめ&月面着陸道

けん玉とともに淡々と暮らす
塚口真穂登の日記です。

全日本けん玉道もしかめ選手権@大阪南港コスモスクエア

2015年11月29日 16時08分24秒 | もしかめ

【11月28日】
11月8日の統一日に出る予定だった全日本けん玉道もしかめ選手権大会。

 

こんなコーヒーグッズを会場へ持っていき、
コーヒー:1杯 砂糖:1杯、ミルク:1杯
そして、お湯はコンビニまたは会場の給湯器からもらうと、協会事務局の方から
「信じられない!!これが大阪人なのか!!」て。
高速道のSAでいつも使っている技なので、自分にとっては全然普通なのだが・・・・・・・

会場はビルだらけの立派なところ。
 

試合前の様子です。
 

 

もしかめは、10時開始でした。
結構好調で、10分ぐらいで落ち着いていたので、非常に珍しかったです。
ちょっとぐらつく時もあったが、2時間ぐらいはいけたので、
「これは、4時間は行くのじゃないか!!!」なんて思って油断をしていたら
バランスを崩してしまい、落球。

やっちゃった!!!


気づいた時には修復不能。
これが「もしかめの恐ろしさ」だ。
油断大敵だ。
3時間を超えると、数㍉のずれで一瞬に奈落の底に沈ませる 「もしかめ」

また、8時間寸前に玉が飛んできて立て続けに落球 なんてのもありました。

8時間45分で2名残り、最後は11時間。
偉大だ。

ところで、「もしかめの技術」について、結構話し込みました。
玉を手前に回転させながら、穴の位置を一定にさせる技術。

けん玉道五段の人にやらせてみたら、なかなかできない。
「もしかめ」なのに。練習しないとできない技術であることは、間違いないようである。

もしかめで行き詰れば、「大皿と中皿をのせる連続技」の原点に帰ることが重要だと思いました。

技のうまさによって、もしかめのバランスを作り、その乗せ方によって、大皿 中皿 ののりかたが
柔らかくなる。

自分のもしかめの原点。

僕の記録は2時間28分03秒だった。
1995年から21年間ずっと1回も休まず出場しているが、いまだに

もしかめとは??

の答えは、得られていないようである。


全日本けん玉道もしかめ選手権大会へ

2015年11月04日 19時43分34秒 | もしかめ

【長らく更新してませんでしたが】

それにしても、相当忙しい日々でしたですね。

8月1日・2日は新潟伊勢丹でけん玉。

 

大阪に2回帰省ました。
8月と9月に

9月の18日に鎧郷小学校でけん玉授業
 


写真は授業終了後のシンポジウム

さてと、久々に大阪大学生協のくじらや食堂に行った。


 

 

10月には熊本に

写真は、熊本駅から一駅だが、豪雨と強風で何とかたどりついた、川尻駅から徒歩10分ほどの
川尻ラーメンけんだま
それにしても、店員は、けん玉人に対して冷たいな。
ちゃりんらん屋と大違いだな。

鳥栖の食彩けん玉も行ったが・・・・・・

入れず、逝ってしまった。

まじか???

あのおんぼろ特急の九州横断特急にも乗った。
 

 

さんふらわーも

 

新潟シティマラソンも出た。

ハーフマラソンに1時間55分だった。
さらに全日本クラス別けん玉道選手権も。

Aクラス1・2回戦は勝ったが、3回戦で負けちゃった。
もちろん、拳玉に行ったよ!!

 

次の週は、大阪大学医学部付属病院薬剤部の無名会に行ったよ!!!
 

 

それでも、介護施設でけん玉したり

 

10月25日は白新中学校でけん玉!!
 

10月31日は新潟会場のもしかめ選手権大会

 

 

さて、ここから本題だ。
11月28日、大阪で全日本もしかめに出るのだが・・・・・・・

サポート役を付けないといけないらしい。

私自身、全日本けん玉道もしかめ選手権大会に今年出ると勤続21年になります。
1995年から1回も休むことなく出ています。
初出場は、1988年。そのときは、なんば、高島屋の屋上で藤原会長主宰でやってました。
僕は、自己ベスト1000回程度で、もしかめしかできなく、周りには1時間以上できる小学生がいたのですが、
気が付いたら、自己ベストを大幅更新して22分6秒で関西2位になったのが最初の出場。

7年間の時を経て、1995年に1時間48分30秒で気が付いたら関西優勝してた。

自分のもしかめの原点は、その後の12月23日に西成青少年会館の阪井さんに頼まれて、
「もしかめ、やってほしい」と、年末ウキウキフェスタで、なんと、4時間10分43秒をやったのが、世界記録挑戦を考えるようになった時です。

そのときから、もしかめをずっと阪井さんに見てもらっていました。

1998年3月の北摂大会で当時世界記録の5時間3分越の5時間5分42秒でやめちゃいました。

 当時のけん玉通信が下。

 

1999年に当時、伊藤佑介くんぐらいしか、4時間近い記録を出す人がいないところに
私が3時間30分07秒をマークして、時代の扉が開かれた。

そして、2000年に挑んだのだが・・・・・・・
伊藤佑介著 けん玉で生きる P118ページの通り、2時間45分の計測で失格になってしまった。

翌年、大阪から新潟に移り住み、2001-2004年と4年連続全国3位。
それでも、表彰状1枚もらったことはなかった。
2003年に6時間8分49秒をマークして、ようやく新聞・テレビに取り上げてもらえるようになった。

それからも毎年、全日本もしかめはずっと出続けています。

2006年・2007年の時も大阪で出ました。
2006年の時は西成の阪井さんに水渡しをしてもらいました。 

 もしかめ大会で水渡しを成功したのは、日野社会教育センターにいらっしゃった松永会長と阪井さんの2人のみです。

新潟に移り住んでからは、もしかめ大会を東京で出ることが多かったが、ずっと、東京・日の社会教育センターにいらっしゃった
松永会長に見てもらいました。
終わるたびに、いろいろいとお話ししてくださりしたので、ずっと見てもらっているんだ!!!という気持ちが強いです。

関西でやってた頃は、長時間もしかめを練習すると、いっぱいばかにされてたから、嫌な思いしかなかったけど、
西成青少年会館の阪井さんと阪大の先輩の曽我さんだけはそうではなかった。

今回、サポート役は、松永会長が来れないらしいので、僕自身は、

「阪井さん以外の人には絶対につかせない」

気持ちだけです。

阪井さんに見てもらったら、どんな記録でも後悔しません。

僕のやれる精一杯のもしかめを共に歩みたいです。 

けん玉協会40年の歴史の半分以上、全日本けん玉道もしかめ選手権に出続けているのは、もはや自分だけです。
もしかめを通して、けん玉界の歴史をずっと見てきました。
自分のもしかめの姿は、ある意味、もしかめの歴史かもしれません。

多分、こういう記念のもしかめに出るのは、年齢的に今回で最後となるだろうから。