モラルハラスメント・ブログ

モラルハラスメントな夫と壮絶なバトルの末離婚した二児の母のブログ☆モラハラブログリンク集もあります☆

脱出、その後16~娘の涙~

2006年04月15日 15時09分48秒 | 脱出後





「ちょっと話あるねん、残ってくれへんかな。」

玄関で話す、しばらくの間口をきかなくなっていた夫と私の、
ただならぬ緊張感を察知したのかそうではないのか、
娘が、私と夫の間にたたたっ、と駆け入ってきた。
そして、
まだほんの小さな小さな手で、夫の大きな手をとった。

「パパ、ママに「ごめんなさい」って、言いましょうね。」

そして、私の手を取ると、夫の手に触れさせた。
夫は迷わず、強く私の手を握った。
最初は左手で握っていたが、次の瞬間に私の手は、
夫の大きな両手に包まれた。

「ママ、ごめん。本当にごめんね。」

いつも冷徹な、
凍りつくような刺すようなまなざしで私を見下ろしていた夫が、
動物のように、鬼のように、吊り上った目と眉で私を威嚇していた夫が、
小動物の嘆願するような怯えた表情で、私の前に居た。
私は醒めた目で、こんな顔もできるのかと、眺めていた。
夫の鼻は、見る見るうちに赤くなり、目からは涙がこぼれ落ちた。

「ごめんなさいっ!」

低い大きい声で言うと、私の手をふりほどき、
夫は狭い玄関で土下座をした。
体格のいい夫で、狭い玄関は一杯になり、
靴やらその日の子供の荷物やらが吹き飛んだ。

「何度でも謝るから!
何度でも謝るから!
許してくれるまで、どんなことでもするから、
お願いやから、俺を切らないでくれ!
子供達のために、やり直しを考えてくれ、
頼む!
これは俺だけのため、ちゃう!
子供達のためにも、一度だけチャンスをくれ!」

父親が、頭を擦り付けて母親に許しを乞うシーンだった。
娘は、私に抱きついて、
といっても、まだまだ本当に100センチもない程に
小さかった頃だったから、
私の太もものあたりに抱きついて、
にっこりと、必死に作り笑顔をした。

「ママ、ごめんなさいって言われたら、
なんて言うのかな?」

これは、幼い頃から、
しまじろうとしまじろうのおかあさんとの間で、
延々と繰り返された、セリフだった。
「しまじろう?ごめんねって言われたら、なんて言うのかな?」
ちゃらちゃらちゃーん、

「ごめんね」

「いいよ」

「ありがと」

まるでシミュレーションのように、繰り返し繰り返し、
しまじろうとお友達、
リアルの幼い子供と子供が、
この3つのセリフをお砂場で言うシーンがある。
私は、娘には優しい子になって欲しかったし、
ちゃんと謝罪ができる子になって欲しかったから、
他のお母さんと同じように、
ずっと、「ごめんねって言われたら、いいよって言いましょうね。」と、
教え続けてきた。
その娘に、同じセリフをつきつけられている。

私は、うつむいた。
夫は、土下座したままで、嗚咽していた。
娘は、私の顔をじっと見つめて作り笑いをしていたが、
その小さな笑顔が歪んで、真っ赤になり、
たちまち泣きそうな表情になった。

「ママ、ごめんなさいって言われたら、
「い・い・よ」って言いましょうね?」

「ママ、パパがごめんなさいって言ってるから、
「い・い・よ」って言いましょうね!」

普段から、
どうしてママがパパの元から離れたのか、
私なりに説明をしてきたつもりだった。
ママは、パパに蹴られた。
だから、あの家に戻るのが、怖い。
だから、戻れないし、もう一緒に暮らせない。
できるだけシンプルにそう説明してきたつもりだったが、
そんな中でも、父母の間を行き来している子供達にとっては、
理解ができないことだったのだろう。
まだ娘は4歳になったばかりの頃だったから、
わからなくても当然だったのだろう。
娘は、息を止めて、私がいいよというのを待っていた。
私は深呼吸をして、こう言った。

「○ちゃん、ごめんねって言われても、許せないことがあるのよ。」

こうして回想しても、
その時太い低い声でそのように回答した自分は、
客観的に見るとかなり非情な母に写る。
本質的に非情なのは夫で、私は自分で言うのもなんだが、
情に厚いタイプなのに、どうしてこういう構図になるのかと思った。
自分を曲げて、
「んじゃ、やり直す♪」というわけにはもちろんいかない。
まるで弱い父親を頑固な母親が苛めている図じゃないかと思った。

娘は、小さい頃から、
いわゆる手のかからない「いい子」だった。
いつも、兄がしかられているのを見て育っているから、
「私はそんな馬鹿なことはしない♪」と見せ付けてくる、
二人目ならではの要領の良さがあった。
だから、泣いてぐずぐずぐずることはあっても、
自分が抑えきれずに取り乱すことはなかった。

けれどこのときばかりは、違った。
自分が信じてきたママと、パパ。
大好きなパパが、ママを嫌っている。
ママは、パパのことが怖い。
パパが謝っても、許さないママ。
すべてのことが、幼い娘には、受け入れられなかったのだろう。
娘は私の足にすがりついたまま、泣き出した。

「パパごめんなさいって言ってるから許してあげて、
お願いママ、お願いママ~!!」

「許してあげて、許してあげて~!!」

「どうしてどうして、ママどうして、お願い~!!!」

もともと、娘には感受性の豊かなところがあった。
幼稚園の先生にも、保育園の先生にも、
「繊細な子ですよ。気をつけてくださいね。」と言われていた。
聞くと、皆について行けなくて、はじかれたまま、
取り残されてしまうような部分があるらしい。
ぱっと気持ちを切り替えて、走り回ることができずに、
浮かない顔をしてうずくまってしまうような、
そんな部分があるらしかった。
私の前ではいつも、
はつらつとしていて、利発で、にこやかで、時にはわがままを言うけれど
拗ねたり、落ち込んだり、引きずったりと、
そんなネガティブなそぶりを見せるタイプの子ではなかった。
娘にすがりついて泣かれて、私は動転した。
正直、思い切り動転した。

この子は、
私に見せない部分で、いっぱい、傷ついてきたんだろうか。
私に悟られないよう、ずっと我慢していたんだろうか。

私は、一体何をしているんだろう。
私が迷ったり、悩んだりすればするほど、
私に否応なしに付いてきているこの子達も、引きずられて、
振り回されて、私よりずっと傷つくんだ。

大人たちが、
自分の生命の源となった大人達が、
喧嘩をしたり、すれ違ったり、無視したり、泣いたり、
怒鳴りあったり、やり合ったり。
そんな姿を見て、どんなにこの子達が
傷ついてきただろうか。

私は、幼い頃から両親が不仲で、そんな環境に育ったが、
それを当たり前としていて、もう傷つかなくなってしまっていて、
だから、娘達にそんなシーンを見せることにも、
抵抗がなかった部分があったが、
不仲が普通という家庭環境が、
子供の心にいい影響を与えるわけがなかった。
「自分は生まれてきてよかったんだろうか。」
「自分はいないほうがよかったんじゃないか。」
そんな心理状態が当たり前にそだった私だったから、
もう少しで子供達に、そんな気持ちを味合わせるところだった。

娘は、狂ったように頭を振り乱していた。
そんな娘を、見たことがなかった。

私の膝に抱きついて泣きじゃくる娘を、
私が抱き締めようとしたとき、
突然夫がむっくと起き上がり、
娘を抱き締めて、叫んだ。

「ごめんな!
ごめんな!
ごめんな!
こんなパパでごめんな!
パパが悪いんや、パパのせいなんや、
○ちゃん、許してくれ!!!」

泣きながら抱き合う二人の前で、
私は硬直したまま立ち尽くしていた。
涙など出るわけもなかった。
夫のテンションにもついていけなかったし、
何より娘の涙と動転ぶりが、ショックだった。

今になってみれば、夫が、
人一倍感受性の強い娘の気持ちなど一つも考えず、
復縁のための捨て駒として道具に使っていたのだと、
大の大人が子供を道具に使うなど、もってのほかだと
なんて卑劣な奴なんだろうと、あの頃のことを思えるが、
どうしても今日離婚の話をつけようと思っていた私の心はまた、
揺さぶられて、うずくまり、考え込んでしまった。

作戦成功である。
大成功、と心の中でピースサインを出していたかもしれない。
土下座し、わんわん泣きながら夫は、
舌を出していたかもしれない。
それとも、
「かわいそうな俺」
「家族のためプライドを捨て、妻に嘆願しているかっこいい俺」
に完全に酔っていたのかもしれない。

ともかく、玄関口の大芝居によって、
私は離婚話ができなくなった。
お互いに涙を拭きあう父娘を横目に見ながら、
一人ソファに座り込んでいると、
玄関でドアが閉まる音がして、
娘だけが私の元に走ってきた。
夫は、私に何も言わず帰ってしまったのだった。
私が決意し準備した決戦も書類も何もかも、
パーになってしまった。

娘は、もう泣いていなかった。
娘に、どんな言葉をかけたらいいのか、迷っていたら、

「パパが、ママのことおこらないでねって、○ちゃんに言ったの。
だから、○ちゃんは、ママにおこってないし、
パパは、ママにおこってないの。」

懸命に、にっこり笑いながら私の膝に乗った娘を、
私は下唇を噛みながら、強く抱き締めた。
もう随分遅い時間になっていたから、
泣きつかれた娘をよしよしして寝かしつけて、
ベッドにそっと寝かせた。
娘の寝顔を見ると、泣けてきた。
私は、どうすればいいんだろう。

そもそも私はずっと、流されるままに生きてきた。
夢があって入ろうとしていた志望大学への受験も、
毎日母が流血して家庭が最高に不和になっていたときだったから失敗して、
不本意な大学に奨学金を貰って行くことになった。
弟が公立高校に入れなかったから、
私と二人分では、授業料が続かないと思い、
大学2年に上がる前に中退をした。
父の知り合いの大企業の社長が、私を拾ってくれ、
そこでは地道にたいへんな努力したので成功したが、
たまたま巡り合った夫と、ろくに考えもしないで結婚をして、
こんなぐちゃぐちゃの、泥だらけの状況に陥ってしまっている。
自分で自分の人生の道を決める。
40年生きてきて、
そんなことをしたことがなかった。
というか、全く情けない話だが、ちゃんと自分の人生について、
考えたことがなかった。
でも、今こそ、誰に頼ることなく、決断しなければならない。
自分の人生だから、自分で決めなければならない。

一つだけ、その日、わかったことがあった。
もう、この子達を傷つけてはいけない。
不仲で当たり前の両親のもと、育てていいはずがない。
私のような、
この年になっても自信のない、決断力のない、
自分を大切にできない人に、育ててはいけない。

だから、私は、迷ってはいけない。
父親の不機嫌をどうやりすごすか、
父親を爆発させないように家中に気を配り、
いつでも自分の心を投げ打って捧げなければならないような環境で、
子供達を育ててはいけない。
母親は母親の幸せがいったいどこにあるのか、
さまよい喘ぎ、のたうちまわり、心を殺して生きている。
そんな環境が健全なわけがない。
私は、正直言うと、この母子家庭という安全地帯を手に入れるまで、
子供どころではなかった。
人並みに、育児をしているつもりだったけれど、
心は完全に夫との問題に明け暮れていた。
そんな中、子供達は私を許し、諦め、
それでも最高に愛して、ついてきてくれていた。

翌日の夜、夕飯後、
子供達とプラバンで遊んだ。
ナイロンの板に油性のマジックで絵を書いて、
オーブントースターでチンをすれば、小さく固くなり、
キーホルダーなどに付けられるものだった。
娘が大事そうに、はにかみながら、後ろ手に隠して、
「できたぁ」と持ってきた。

「ママ、できあがるまで見ないでね。」

「はいはい、何かな?」

言われたとおり、
キティちゃんのプラバンを、
見ないようにして仕上げて、娘に渡すと、
娘は私の手にそれを乗せて、プレゼントだと言った。

「ママにぃ、プレゼント。」

リボンが赤く塗られたキティちゃんの横に、
娘のたどたどしい字があった。
「ままだいすき」と書いてあった。

「まー、ありがとう○ちゃん、ママの宝物にするね~☆」

娘を抱き締めながら、私は決意を新たにした。
もう、私は、この子を傷つけちゃいけない。
私がこの子を守るんだ。
玄関で、娘をわんわん泣かせた夫を思い出した。
あの時の、娘のポロポロ湧き出た涙を思い出した。
その瞬間ようやくなのだが、初めて夫に対して、憎悪の感情が生まれた。
同時に、彼が娘を泣かせたのだと、
いらぬ罪悪感を抱かせたのだと、気付いた。
また、私が優柔不断で、決断するのに時間をかけたことが、
子供達にいらぬ傷と負担をかけたのだと、思い知った。

前日の、夫の復縁のための名演技が、
私のさらに強い決断を導いたことは、とても皮肉である。

今振り返ると、なぜあの時?と思うことがとても多いが、
すべて初めて経験することを日替わりで次々に対処し、
乗り越えていっており、
客観的に冷静に、少し引いた立場で物事を判断することができなかった。
また、モラルハラスメントについて、甘い認識しかなかった私は、
その加害者についても甘い認識しか抱いていなかった。
夫が、かつて生活していた頃、大喧嘩のたびに、泣きながら、

「俺は、どうしても、どんなに頑張っても、人の気持ちがわからない!!!」

と叫び訴えていたにも関わらず、
普通の人として、普通の相手方として対応しようとした。
そう対応しようとしてしまった。

「どうしても、どんなに頑張っても、人の気持ちがわからない。」

そんな人物が、崖っぷちに立たされた時、どんな行動を取るか、
思い通りにならないと知ったとき、どんな行動を取るか、
ネット上の友人であり、私にとっては人生の恩人であるSさんは、
想定内だったと後に私に言ったが、
私には全く想定できなかった。
甘かった。
自分でもその頃の自分の甘さに腹が立つほどに、甘かった。

ともかく、予定していたが未遂に終わった決戦を、
次週、私はもう一度夫に対して、挑んだ。
前回よりはもっともっと強い離婚への意志を持って、
夫に離婚届を突きつけた。
誰がなんと言おうと、離婚しかないと、訴えた。




・・・続きます。
ちと、長すぎでしょうか?
でもその時の感情を書かないとつじつまが合わなくなるんで、
丁寧に書いてます。

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7 コメント

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ひどい!! (ボレロ)
2006-04-15 16:13:14
人の気持ちがわからない、と言いながら、巧妙です。共感はできないけど、コントロールはうまい・・・。夫とよく似ています。これから離婚にむかいますが、大いに参考にさせていただいています。というのも、まっち~さんと私も似ているからなのです。年はだいぶ違いますけど・・・

返信する
煮えくり返る思いです (にゃりんた)
2006-04-15 16:29:13
娘さんのけなげな姿に胸を打たれつつも、モラ夫に本当に腹が立ちます。

よくもよくも傷つけたなぁ~と激しい怒りが湧いてきます。



まっち~さんは本当に丁寧に書かれていて、尊敬しちゃいます。

私もその時々の気持ちをちゃんと書いていけたらいいなと思います。

参考にさせていただきますね
返信する
しまじろう、いかんね (レジリっこ)
2006-04-15 17:14:34
まっちーさん、私は「謝っても許せないことがある」ってとても大切な情報をお子さんに伝えられてと感じています。

モラ夫やバタラーは「謝っているのだから、許せ」的な事を言ってきます。

世の中には謝っても許せないことはある。モラ夫がやったことは謝って許されるものではありません。

私たちのなかにある「謝っているのだから、許さなくてはならないのではないか」という間違った認識によりモラ関係やDVにはまっていくのではないでしょうか。

しまじろう、「ごめんね」「いいよ」が通じない場合も実はとても多いのですよ!
返信する
Unknown (かなちゃん@夫の浮気にサクッと対応)
2006-04-15 22:54:58
長すぎだなんて、とんでもありません。

いつも素晴らしい文章で、さらっと読めてしまいます。



しかし、元夫さんのやり口は汚いですね。

涙は女の武器とか言いますが、実は男もよく使いますよね。



会社で家庭で泣き落としをするのは男も同じです。



普段強さを装っているだけに見苦しいですね。



あ、すいません、少しいい過ぎでしたら

誤ります。
返信する
初めまして (うるうる うさぎ)
2006-04-15 23:42:16
初めまして。私もモラハラで一年半前に離婚しました。

今は、ときどき起こるフラッシュバックに悩んでます(T∇T)

日記へのコメントじゃなくなってしまいましたね・・・ごめんなさいm(_ _)m
返信する
はじめまして (mipopo)
2006-04-19 05:36:05
はじめまして、いつも拝見してるんですが、

なかなか、コメを書けませんでした。



いま、私も夫のモラから脱出する為に、離婚に向けて

動いております。しかし、モラ夫ってなんでも

自分は悪くない、お前が悪いに持ってくのは

うまいですよね・・・ある意味感心してます。

もしくは、自分のほうが被害者的な所が

すっごい、腹たちますよね!!!



「この年になっても自信のない、決断力のない、

自分を大切にできない人に、育ててはいけない」実は

私も同じ気持ちです。

最近長男がこんな感じなので

すっごく不安なんですよ・・・・



また、きます。文章が下手ですみません≦(._.)≧ ペコ
返信する
Unknown (スイカズラ)
2006-04-19 22:53:49
まっち~さんは悪くないのに、

でも、迷ったのが失敗だったんだ。。

喧嘩したり、仲良くなった(ように見えたり)

そんな事がこんなに子供を振りまわしてしまうんですね…。

私今凄く実感しました。気付いたっていうのかな?

こんな風にさせた元夫さん、、、ああ、モラ…(分かってるって)

巧みな技に手が震えますです。。
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