モラルハラスメント・ブログ

モラルハラスメントな夫と壮絶なバトルの末離婚した二児の母のブログ☆モラハラブログリンク集もあります☆

自虐的愛。

2005年07月22日 02時36分45秒 | モラルハラスメント
夕鶴の話を書いたときには気づいていなかった。
自分の愛し方が、ここまで自虐的だということに。

恋愛関係に於いて普通の状況に居たとして
「羽根を抜いてまで恩返しがしたい、愛したい。」
というのは、にわかに理解されがたいものらしい。
私は「自虐的愛情」を常に恋愛対象の相手に提供してきたわけではなく、
どちらかというと愛情が強ければ強いほど、
提供したくなってしまう傾向にあったと思う。
その自虐的愛をマゾとは呼ばないと思う。
勘違いされては困る。
苛められて快感を覚える性癖と、
「自虐的愛情」を提供してしまうのはまったく別の話である。
これを、よく二次被害の場面で、
「苛められるのが好きだから、その男と続いたのではないか」などと
勘ぐる人がいるが、それは全面的に否定したい。
「苛められることに快感を覚える」性癖の持ち主と、
「苛められて、逆境にあり、そういう困難に耐えてでも、愛情が欲しい。幸せになりたい。」
と思う人間は全く別タイプなのである。
苛められるのが好きな人であれば、モラルハラスメントという言葉を知って
ショックを受けたりしない。
苛められるのが嫌いなのに(普通は嫌いだと思う)苛められるから
傷つくし、怖いし、心身の健康が損なわれるのだと思う。
あくまでも、苛められて苛め抜かれて辛い思いをしている人がラハラ被害者なのであって
そういった状況に好んで身を投じ、快感を覚える人たちとは違うのである。

ではなぜ、
その耐え難い状況の中でも、努力を続けてしまったのか。
それは、生育暦にも起因する部分(アダルトチルドレンなど)があると思うが、
必ずしもそうではないと思う。
本人は全く自虐的とは気づかないまま、つい自分を差し出してしまうタイプの人や
思いやりが深く、自己犠牲を厭わない、包容力の大きいタイプの女性も
この絶え間なく続く理不尽ないじめの状況の中、
強靭な精神力を持って忍耐をしてしまう場合があると思う。
だから、苛められたほうには全く過失はない。
ただ、なぜその、振り返ってみれば「意味のない努力」
を続けてしまったかというと、
やはり、「幸せになりたい」「夫婦と子供という形を維持したい」
そういった、女性であれば皆必ず持ち合わせている、
夢というか目標を抱いているからだと思う。
・・・ただそれだけだと思う。

ただそれだけの動機で、どうしてそこまで、
理不尽ないじめに耐え抜いたのかというと、
それは、モラルハラスメントの加害者の狡猾さに直結していると思う。
彼らは極めて臆病で、また狡猾である。
これぐらいは大丈夫かな、と最初はけん制程度の「いじめ」をチクリチクリと繰り返す。
もし、それに「適応」してきたら、次の段階である。
もう一段階酷いいじめを展開するのである。
「コイツ、いける」という見極めは、
彼らが婚姻関係を締結するまでにすでに訓練によって身につけられており、
いじめの通用しない女性とは、一緒にならないことが多いと思う。
モラはそうして、類稀なる精神力と、包容力と、
幸せになりたいというエネルギーを持ち合わせた女性を
ターゲットとして、近づき、獲物にするのだ。

獲物にしても、最初から食いついたりはしない。
うまい具合に弱らせて、しかもあたかも自分に非がないと
あとからちゃんと対外的に言えるように、
傷は残さずに、「それはどこの家庭にもあること」といった
細かい無数の傷をつけることによって、相手を支配しようとしてくる。

「DV男」と「モラ男」とは、根は一緒だが、モラ男の方が狡猾だと思う。
そして、モラ男の方が、臆病だと思う。
殴ってママに叱られたら困るし、世間体が良くない。
ナグル勇気はない、だが、ナブル勇気や残虐性はあるのである。
殴ることによってDV男は相手にストレスをぶつけ、発散させるが
ナブルことによってモラ男は相手にストレスをぶつけ、支配しようとする。
確固たる証拠もなく、傷もなく、人に説明できないばかりか、
こちら側が「被害者妄想が強い人間」として悪者にもされかねないから
モラの方がずっと性質が悪いと思う。

なぜ、このような狡猾で臆病で、つまりは「弱い」男が
強靭な精神力を持った、「強い」女を組み敷こうとするのか。
それは、簡単である。
「弱い」女であれば、最初からその男の相手が務まらないからである。
いや、私はそんな強い女ではない、と思うかも知れない。
事実私も、そんなに強い女ではないと思っている。
けれど、モラに添い遂げることが一度でもできた女性は
強いのだと思う。
本当に弱い女性ならもっと早くに、抜け出せるのかもしれない。
その虐待の度合いが少しずつエスカレートして、
耐性ができてしまう部分もあるし、
こちら側が「慣れ」てしまっていじめが日常化する中で
さらなる度合いの強い苛めに鈍感になっている部分もあるかも知れない。
それでも往々にして、そもそも強い女性が
ターゲットになってしまうことを、申し上げておきたい。

どこかの本で読んだことがある。
私たち女性は太古の昔から、環境に順応する能力が高いらしい。
転々と移り住んだとしても、
どんなほら穴でも住めば都と、
順応していく能力を、遺伝子に組み込まれている。
だから過酷な状況に置かれても、
どちらかというと出ていこうという気持ちより
なんとか順応してうまくやっていこうと思ってしまうのだと思う。

今さらながら・・・私は強いのに、弱い男に弱らされた。
彼の、支配欲の餌食となってしまった。
それがなんとも悔しく、悲しく、腹立たしい。
できればこの精神力とエネルギーを、彼にささげたくはなかった。
違うもっと有益なことか、自らの幸せに直結していることに
もしくは他者の幸せに直結していることに使いたかった。
(これから、これから。)

話を頭まで戻して、
私の自虐的愛について話すと、
私はもうこのような愛し方は二度としたくないと思っている。
自分を必要以上に差し出すことによって、
羽根をむしって血を流してまで恩返ししようとすることによって
相手から、得られるものがあるとすればそれは愛ではない。
本当に自分を愛している相手であれば、
「君はそんなに自分を差し出さなくてもいいよ。」
「そんなにがんばらなくてもいいんだよ。」
「君のありのままの姿が好きなんだよ。」
「無理して僕に何もくれなくても、裏切らないよ。」
そう言ってくれるはずなのである。
本当に愛してくれている人であれば、
かつて一緒に暮らした男のように
「前は辛抱できたやろ、もっと辛抱せえ」
「だいたい注文が多すぎる。何様のつもりや」(その言葉そのまま返すわ!)
「もっとよこせ、もっと耐えろ、もっと差し出せ」
と言わないはずなのである。
この経験を経て、ようやく、自虐的に愛を差し出しても、
全然意味がないと思えるようになった。
「こんなに頑張っているのに・・・」
の「のに」には、相手にその分見返りとして、
自分が捧げた代償として、何かをして欲しかったり愛して欲しかったり
する部分が多いと思う。
見返りを求めてしまうのは人間の極めて普通の感情だけれど、
先に潔く差し出しておいて、暗に返して欲しいと思うのは自分勝手だし
自己愛の押し付けとも言われかねない。

等身大の自分を、まず自分が愛すること。
そして、その自分の等身大を愛してくれる人を愛すること。
お互いに依存せず寄りかからず、一人で立っていられる間柄でいて
思いやれる範囲で、支えられる範囲で、与え合う。
そんな関係が理想だと今は思う。

夕鶴の間柄は、はなから対等ではない。
恩返しをしたい人間は、つい下から、自己犠牲のもとにしてしまいがちだ。
鶴は差し出すものがなかったから、自分の羽根を選んだが、
本来いくら金になるとはいえ、自分が飛べなくなるリスクを犯してまで
自分を差し出す必要はないのである。
一度反物を織って、少し羽根を抜いて、献上して
「この分で終わりです。」で義理は十分果たせるはずなのである。
自らを献上してもさして痛まない程度に、
献血レベルで終わっていれば、よかったのだと思う。
ここにお互いに「もっと」「もっと」となるから
しんどくなってしまうのだと思う。
名作をけなすわけではないが、あの話で若者は
鶴と正体を明かす前、やせ細っていく娘に対し「もう織らなくていい」
とは言わずに、恩返しの娘の行動に敢えて甘んじている。
娘を大切に思うのなら、傷ついた鶴を助けたような心優しい若者なら、
どうして「金は俺が稼ぐから、君はもう機を織らなくてもいい」と
言えなかったのかと思う。

お互いに差し出し過ぎない、求めすぎない間柄が
本当にお互いを尊重できている関係なのかも知れない。
愛すればこそ、私は差し出しすぎてしまった。
もう、自分がなくなってしまうぐらい、
お金も、時間も、心も、体力もすべて差し出して
尽くし尽き果てた。
何も残っていない、と言えるほどに差し出してしまった。
そこまでしてでも欲しかったのは、
ただの、特別でもなんでもない、普通の幸せだったのに。

自分が磨り減っていると、相手と接していて思う人は、
まず差し出すことをやめるか、
一度その間柄を疑ってみたほうがいい。
どうして対等でないのか、
もしかしたら、相手方が上手に立場関係をコントロールして
差し出すよう磨り減るよう、仕向けているかもしれないのだから。
つい目の前にいる相手を信じ、相手が喜ぶことをしたくなる人は
注意が必要だと思う。
世の中には、そんな良い人に、悪意を持って、
相手をコントロールするために接近する輩がいることを、
そんな奴いるわけがないと思うあなたを餌食にする輩がいることを
認識して欲しい。

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13 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おはようございます (酒蔵)
2005-07-22 06:06:17
>先に潔く差し出しておいて、暗に返して欲しいと思うのは自分勝手だし



はい、そうとも言えるかもしれません。

楽しくキャッチボールをしたかったのに、相手が悪かったのかな、とも思います。



>そんな奴いるわけがないと思うあなたを餌食にする輩がいることを認識して欲しい。



そんな人、います、いますよ~!

(小さく援護射撃してみました☆)



今日も深いわぁ……。



まっち~さん、暑い日が続きますね。

涼しくて美味しい食べ物レシピなど、折を見て、掲載して頂けませんか?

甘えリクエストでしたw
返信する
おはようございます。 (宇砂子)
2005-07-22 08:44:11
暑い日が続きますが、夏バテなどされていませんか~?



さて、朝から深いです。

深い切り口に、仕事に行く準備も適当になりそうです(^^;



>若者は鶴と正体を明かす前、やせ細っていく娘に対し「もう織らなくていい」

とは言わずに、恩返しの娘の行動に敢えて甘んじている。

娘を大切に思うのなら、傷ついた鶴を助けたような心優しい若者なら、

どうして「金は俺が稼ぐから、君はもう機を織らなくてもいい」と言えなかったのか



・・・とっても深いな、と思います。

すごいですわ。



夕鶴はとても良いお話なんですけれども、こういうお話をお伽話として名作として、小さな頃から慣れ親しんできた、って所にちょっと怖さを感じてしまいました。

自虐的な愛情を「良し」と認識してしまっていたんだなぁ・・・と(^^;



今日の記事、お年頃の未婚のお嬢さん方に是非読んでもらいたいと思いました。





返信する
Unknown (mina)
2005-07-22 10:58:51
若者は鶴と正体を明かす前、やせ細っていく娘に対し「もう織らなくていい」

とは言わずに、恩返しの娘の行動に敢えて甘んじている。娘を大切に思うのなら、傷ついた鶴を助けたような心優しい若者なら、どうして「金は俺が稼ぐから、君はもう機を織らなくてもいい」と言えなかったのか



うーん・・そうですよね。私もまっち~さんが言われるように自分を全て出し尽くすことで愛されようとしていた。それはやっぱり母と私の間の問題からでもあるような気がします。



等身大の自分を、まず自分が愛すること。

そして、その自分の等身大を愛してくれる人を愛すること。

お互いに依存せず寄りかからず、一人で立っていられる間柄でいて

思いやれる範囲で、支えられる範囲で、与え合う。

そんな関係が理想だと今は思う。



私はまだ自分に自信が持てず、すぐに自己否定してしまいます。ここを直さなければ一緒なんですよね。

モラの餌食になってしまう・・



返信する
はじめまして (しま)
2005-07-22 13:14:11
はじめまして!いつも拝見しています。

私は独身で、家庭内のモラルハラスメントではないのですが、

職場で上司から、侮蔑の言葉や冷笑、恫喝、監視等、人格否定される日々を

一年間過ごし、今月から病気で通院しています。

まっち~さんの文章や言葉で、いつも励まされています。

強い女が犠牲になる。

モラ男の臆病さと狡猾さ。

二次被害。

夕鶴。

なるほどと思い、自分はひょっとして甘えているのではなく、

我慢をし過ぎただけなのだと思った時、すこし気が楽になりました。

来月いっぱいで会社を辞めます(解雇ですが)

家にパソコンがないため、今後あまり拝見することが

出来なくなると思い、このブログに出会ってからの数ヶ月の

お礼を込めて、今日コメントさせていただきました。

私は負けて逃げます!

でも宇宙人に勝てる普通の人間なんていません!

頑張り過ぎること、人の顔色をみてビクビクすること、

人の思惑や世間の目を気にして辛抱すること…

全部辞めます!

ありがとうございました!
返信する
忍耐強いのです。きっと。 (ウメ)
2005-07-22 22:12:41
こんばんは!



あのようなモラ夫と一緒に生活したこと自体が、ある意味自虐的であるかもしれません。ただ、私達は自分がダメになろうとしていたのではなく、常に好意的に、前向きに、真面目にモラ夫と向き合おうとした結果、返って自分を痛めつけることになってしまったのだと今では思います。それと、共依存の要素も大いにあるのですけどね。



斉藤学先生という精神科医がおっしゃていました。

「DV夫の妻は、とても優秀でしっかり者が多い。なぜなら、社会的に責任ある仕事をこなしながら、あんな大変な男の世話をしているのだから」と。



夕鶴の話しは、ハッピーエンドでない分、教訓的に聞こえます。ああいう男には気をつけろ、と。情が深いと見せかけてむしりとるだけむしりとる男だと。

夕鶴に描かれている男こそ、モラそのものなのでしょうね。



ところで、横レスですが「しまさん」、本当に大変でしたね。

私もかつてモラ上司(女)に、しまさんとおなじような目に遭いました。身も心も病気寸前でした。そして、私もその職場を辞めました。辞めるのは逃げるというより、危険な場所から離れる、ということだと思います。しまさんには必ず、いい職場が見つかりますよ!私も数回の転職を経て、現在はいい職場に恵まれました。危険な人、場所からは離れて正解!きっと運がめぐってきます。
返信する
お久しぶりです (MEMO)
2005-07-22 23:31:28
いつも拝見しています。



忙しくて自分のブログは放置状態なのですが・・・(汗)





実は、私は「強い女」の自覚は無く、

きっと、弱そうに見える人よりずっと弱いのに・・・と思っているにも係わらず、

旦那には「オマエは強い」「オマエより強い女は見たことない」と何度か言われたことがあります。

結構ショックでした。

私が弱ければ、もっとかわいがってもらえたのか?なんてね(笑)



それでも、今、旦那が自分を変える努力をしているのは、

私の強さゆえかと思ってもいます。



「捨てる勇気」を持てたこと。

「冷めた目」を向けたこと。



それが、モラ夫を焦らせ、

モラ夫が自分を省みるチャンスになったのかもって。



もちろん、スイッチを切り替えるようには変わりませんが、

かなり今は私に気を使ってくれています。



ちなみにうちの旦那は、他人から見て決して弱いタイプの人ではありません。

むしろ、敵に回すと面倒な相当強いタイプ。

私から見ると、確かに強い面もあるけれど、

精神力はアタシの方が上ね・・・なんて思ってます。





モラ夫も届けば、変わるだろうなと思います。

ただ、やはり心の障害なので、簡単には自分をコントロールできなくて苦しんでいるようです。
返信する
フリーになりました (もにゃ)
2005-07-23 02:48:08
こんばんわ 先日調停が終わりリコン成立したもにゃです。



まっち~さんのこのプログにはホント励まされました。私の場合結婚前・結婚後も「ほんとにこの人でいいの?」「なぜ夫婦なのに気を使っているの?」などなど言われ続け、モラ夫の良いところをあげて懸命にかばってきました。だけど物事には限界がありますね。もともと我慢するタイプなのでどの辺で痛みや苦しみを訴えたらいいのか見当がつかない私。もっと素直にアドバイスを聞き入れればよかったです。でも「自分に自信を持つこと、嫌なことは嫌と言う」を身につけたい。今はそんな気持ちです。



これからは子どもを育てていきます。幸いフルタイムの仕事をしているのでやめない限り生活はできます。完全にモラ夫と縁が切れるには時間かかりますが、夫婦の縁は法律上きれました。気持ちは晴れ晴れです。いろいろと大変なこともあるけど自分の家の中で仕事以上に気を遣うことがない、安心して眠れる状態で過ごせるのが嬉しいです。



またきます。
返信する
まっちさんへ (ゆうちゃん)
2005-07-23 17:22:30
まっちさん、こんにちわ!

今日のブログは、深く共感しながら読みました。



>苛められて、逆境にあり、そういう困難に耐えて

>でも、愛情が欲しい。幸せになりたい。

>「幸せになりたい」

>「夫婦と子供という形を維持したい」



その部分は、私の考えそのものですね。

無駄な努力なのかもしれませんが

その中で、今ももがいている感じです。



ただ、蓋を開けてから、とても苦しい状態が

続いています。これからをどうしたらよいかを

考える時期に来たのかなと、考えます。
返信する
共感 (ぶるー)
2005-07-24 18:38:54
まっち~さん、共感しながら拝読いたしました。

特に、



「DV男」と「モラ男」とは、根は一緒だが、モラ男の方が狡猾だと思う。

そして、モラ男の方が、臆病だと思う。

殴ってママに叱られたら困るし、世間体が良くない。

ナグル勇気はない、だが、ナブル勇気や残虐性はあるのである。

殴ることによってDV男は相手にストレスをぶつけ、発散させるが

ナブルことによってモラ男は相手にストレスをぶつけ、支配しようとする。

確固たる証拠もなく、傷もなく、人に説明できないばかりか、

こちら側が「被害者妄想が強い人間」として悪者にもされかねないから

モラの方がずっと性質が悪いと思う。







この部分、頷けました。

私も彼は、父親を嫌っていました。

亭主関白なところのあるお父様だったようで、子供の頃からお父様のお母様への仕打ちに耐え難いものを感じていたようです。

そんな父親に反発する気持ちがある一方で、見た目はだんだん父親に似ていき、一時期はそれがイヤでイメージチェンジをしようとしたこともあったようでした。

でも、結局は、彼は嫌悪していた父親と同じようなことを私にしていたわけです。

「暴力」という形は殆ど取らず、「精神的に傷つける」といった形で。

自分自身気づかないところで(もしかしたら気づいていたのかもしれませんが)、自身の父親が持つ「残虐性」を露出させていったんですね。前彼のこと、「狡猾」だと思います。

改めて、別れてよかったと思いました。



ただ、まっち~さんが書かれているように

『こちら側が「被害者妄想が強い人間」として悪者にもされかねないから』、この思いはいまだに私について回っています。

きっとこれからもこの思いから逃れることはできないでしょう。それを思うと、苦しいです…

(このコメントには前彼のプライベートなことに触れている部分がありますので、不便があれば削除してください)

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すみません (ぶるー)
2005-07-24 18:41:38
すみません、上記コメント13行目、



「私も彼は、父親を嫌っていました」

ですが、正しくは

「私の前彼は、父親を嫌っていました」

です。

訂正いたします。申し訳ありませんでした。
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