↓一人でも多くの方にモラハラを知っていただきたくて、リンクを貼りました。
今ちょうど、ブログで調停について書いて
いることもあり、
調停についての質問のメールや相談のメールを頂くことが多くなった。
つい数日前も、数ヶ月前からフォローしている被害者の方の、
調停の相談の電話を受けたところである。
いつかも書いたが、モラルハラスメントの加害者というのは、
会話が通じないし、被害者に嫌がらせをすることを生きがいに感じているから、
離婚を前提とした別居を決行した後に当人同士による協議離婚が成立せず、
調停に発展することが多い。
また、芸能人でもないのに、たいした財産もないのに、
離婚裁判に至るケースが多く見られるのもモラの特徴だろう。
弁護士を通じてもなお話が通じないような相手と、
夫婦として一緒に暮らしていたのだから、
そう思うと本当にぞっとするというものだ。
そもそも私は、
調停中の実務的な流れや、
先生に頂いた貴重なアドバイスや基本的な考え方を書きとめて置きたくて
この編を書こうと決めた。
モラ相手の離婚に際する心構えは、普通の離婚とは異なるから、
ためになることはこれから離婚調停する誰かのために記しておきたいと、
かねてより思っていたからだ。
実はこの調停編を書くために、
結婚生活についてざっと記述する必要もあると感じたので、
「調停準備編」があのように長引いた。
だから本当に書きたかったのはあの壮絶な結婚生活のことではなく、
この調停編である。
さて
2年前のことで、ロクに記録も残していないから、
おぼろげな記憶を辿りつつ、先生とやりとりした山のようなメールを参照しつつ書いている。
書くうちに、また、前述の相談のメールや電話を頂くことで、
あの頃の苦しかった心境が蘇った。
そのことについて今日は、書いてみようと思う。
調停中というのは、本当に中途半端な時期である。
結婚している状況でもなく、離婚している状況でもない。
人生における長い保留ボタンを押されているようなものである。
多くの場合夫とは別居中で、
夫とは無関係の日常をすでに送っているにもかかわらず、
離婚が確定していないから、夫とは当然のように戸籍上夫婦である。
姓は夫と同じまんまだし、子供に対しても、離婚したのだとは言えない。
子供が小さいと、いつ帰れるのと尋ねられることすらある。
子供が保育園や学校で先生や友達に説明する際も、
「パパとは一緒に暮らしていない」としか説明できず、
そういうストレスを子供に強いるストレスも大きい。
仕事をしていれば、調停に行くなどとややこしい説明をしなければならないし、
近所の人に聞かれて説明するのもなかなかに鬱陶しい。
そんな外部要因が小さなちくちくしたストレスになり積み重なる上に、
「離婚調停」という多くの人が未経験の、
専門用語と緊張満載の、見知らぬ第三者を挟んだ話し合いが
定期的になされるのである。
何度も離婚調停をした経験がある人や、もともと自分が弁護士という人以外は、
離婚調停という定期的に行われるイベントそのものが、
とても大きなストレスになることと思う。
また、運転免許の更新のように、違反者講習のように、
何時間受ければちゃんと免許がもらえるのと違って、
いったいどれぐらい時間をかければまとまるのか全くわからない、
先の見えない不安も手伝って、
回を追うごとに、目の前が真っ暗になってしまうのだろう。
いったいこのトンネルには出口があるのかと、
途方に暮れる人も少なくない。
しかし、一度このトンネルに入ると、決して後戻りはできないと来ている。
前に進むしかない。
嫌でも、毎日がしんどくても、辛くても、涙がぼろぼろこぼれても、
立ち止まらずに前に進まなくてはならないというのは、
大きなストレスと言えるだろう。
調停中。
そんな小さなストレスや大きなストレスがゴロゴロ転がっている日常の中に、
突然前触れもなく飛び込んでくるのはモラからのメッセージである。
せっかく自分だけの生活や、自分と子供だけのささやかな幸せを支えに、
自分らしく生きるその喜びだけを支えに、
いつかゼロからのスタートを歩みだせる日を支えに歩いているところに、
モラからの毒たっぷりの、
悪意に満ちたメッセージが届く。
それは、
「生活費を支払わない」
だとか、
「子供に会わせろ」
だとか、
「お前のせいで俺はこんなに困窮している」
だとか、
「お前と子供たちがいなくなったから俺の両親がどうのこうの」
だとか、
「お前がいなくなったから会社でどうのこうの」
だとかに代表される言葉による嫌がらせだったりとか、
自分の写真を送りつけたり、かつて同居していた時の荷物を送りつけたり、
子供たちを利用しようと子供への高価なおもちゃと手紙を送りつけたりという
郵送による嫌がらせだったりとか、
長文のメールやファックスで、
延々と俺的反省文を送って寄越したりするものと
種類は多岐に渡る。
とにかく自分が脱出を果たしたことを後悔させるようにさせるように、
罪悪感を抱きやすい妻を攻撃するすべを、
一番知り尽くしているのは俺だといわんばかりに、
モラは妻に対し、いろんな仕掛けを楽しみながら行う。
相手が妻である間は、支配は続くのだ、
続けなければならないのだとでも、思っているのだろうか。
スパッと離婚できていたとしても、
このような元夫からの嫌がらせは本当に鬱陶しいものだろうが、
「調停中」というもどかしいストレス満載の日々の中に、
このモラからの攻撃を受けると、人はどうなるだろうか。
当然に、とてもしんどくなる。
しんどくなって当然である。
そんなストレスの中で、平気な女性なんていない。
突然、前触れもなく涙が出てきたりするし、
夜中に飛び起きてしまうことも、まれなことではない。
私は夫が顔で窓ガラスを割り、部屋に乱入して、
子供たちと私をメッタ刺しにする悪夢を何度も見た。
何十回も見て、大泣きして目が醒めた。
その度に子供たちをキツク抱き締めて、歯を食いしばって耐えた。
夜ぐっすり眠れないから、普段から体調がすぐれない。
運転していても目がかすんだりする。
スーパーで普通に買い物をしているだけなのに、
動悸が突然に襲ってきて、目が廻って動けなくなる。
夜一人で眠ろうとしても、
将来が見えない不安感に押しつぶされそうになる。
いや、不安感だけじゃない、妙な焦燥感に襲われる。
焦燥感は立ち止まることを許さずに、
自分の置かれている状況がまったく動いていないことを責める。
一人で考えていると、誰にも相談できない自分に気付く。
応援してくれている親や兄弟、友人でも、
日常のこまごまとしたことまですべて言えるわけでもないし、
わかってもらえなければもっと辛いから言えない。
自分はひとりぼっちだと感じたとき人は
恐怖とともに孤独感を覚える。
この孤独感も、調停中の自分には厄介な感情だった。
夫と離れた寂しさは、そのころには当然失せていたが、
別居を決行したことにより失った人々のことを、
急に思い出しては辛くなったものだった。
毎日遊んだママ友や、義父母や隣人、
自分が当たり前に包んでもらっていた温かい人々の心を
全部捨ててきたような気分になった。
あの家に戻れば、かつてのように、
多くの人とにこやかに談笑し、受け入れてもらい、
子供たちもその中で受け入れられ、過ごせるのにと、
もう果たせないことに決まっているのに懐かしくてたまらなくて、
ママ友に電話をして余計に落ち込んだりしたものだった。
ママ友は心配をしてくれるし、変わらず接してくれる。
日々どんなことがあったか、子供たちの友人がどうしているか、
話してくれる。
幼稚園の様子や、かつて住んでいた町の様子も話してくれる。
けれどせっかく自分から電話しているくせに、
彼女達のまわりの時間や、日常が、
なんら変わらずにそこにほっこりと、
あたたかく、花畑のように存在することが、
自分にとっては苦痛だった。
わがままかもしれないし、心が狭いかも知れないが、
それを苦痛に感じたのは事実だった。
このように、
調停中に去来する多くの感情は、
調停に関わるわずらわしいイベントや実務以上に、
自分を苦しめたし、モラと生活していた時とは別の閉塞感を感じたものだった。
けれど今になって私は、思うことがある。
モラルハラスメントという言葉に出会って2年と数ヶ月が経過する中で、
多くの調停仲間が離婚を果たしたし、裁判離婚した人も見てきた。
離婚したくてもできなくて、相手が応じてくれなくて、
ずっと辛い日々を一緒に歩いてきた人々も、
一人また一人と、「離婚しました!」と飛び立っていくのを見た。
私のまわりには「調停したけど、離婚できませんでした」という人は居ない。
また、「裁判したけど、離婚できませんでした」という人も居ない。
(なかには、居るのかもしれないが、少なくとも私は聞いたことがない)
だから、いずれは離婚できるのだから、
数ヶ月かかろうが何年かかろうが離婚はできるのだから、
「調停中」という時期をもっと有意義に過ごせばよかった、と、
今になって思うようになった。
私はかつてこの、中途半端な調停中の、何一つ前進していない時期に、
モラの攻撃に耐えながら、
子供たちの心を支えながら懸命に生活していた時期に、
友人Sさんにこの苦しさについて訴えたことがある。
失ったものばかり数えて、それがいかに価値あるものか訴えて、
モラより受けたダメージを、あれもこれも理不尽だと延々と訴えた。
辛い辛いと訴えた。辛いことばかりだと訴えた。
彼女は私の期待していた答えと違うことを言った。
「近所の八百屋や、パン屋さんや、魚屋さんを探して、
お気に入りを見つけてご覧。」
なんでそんなことに意味があるのかと思いつつ、
半信半疑で、近所のスーパーで何時間もウロウロしてみた。
パン屋でパンを買い、ケーキ屋でケーキを買って、
書店をウロウロしたが、楽しくもなんともなかった。
ところが帰宅して、「お気に入りを見つけてご覧」と言われたのを思い出した。
次の機会には、お気に入りを探そうとした。
いいお店がないか探した。
自分のお気に入りのケーキがある店はないかと、
ガイドブックを見て車で走ったり、
自転車で走り回ったりした。
美味しいランチ食べられるところはないか、
走ったりしてみた。
そのうちに、この町って便利だな、前の町と違って、
いいところもたくさんあるな、そう思えてきた。
知らず知らずのうちに、顔見知りの店員さんが増えた。
数は少ないけれど、ママ友もできた。
いい町かも知れないと思い始めたとき、彼女が何を教えてくれようとしたか悟った。
失ったものの数を数えるより、
得たものの数を数えてみようと、
彼女はそれを私に教えてくれたのだった。
そしてそのレッスンはとても有効だった。
家の中で、一生懸命失ったもの探しばかりしていた私は、
2年経った今では、
すっかりこの町が大好きになった。
先般電話相談を受けたMさんは、子連れ別居してすぐ調停を申立てて、
今度6回目の調停に向かう。
今度話が進まなければ裁判に持ち込むらしい。
本当にモラは誰もが同じである。
「歌いたい踊りたい」である。
ステージを今度は調停から裁判に移して、そこでも一人芝居をするつもりか。
彼女も例外なく、毎日が子育てと仕事と、
自分の感情に折り合いをつけるのに精一杯の毎日の中で、
モラの兵糧攻めなどの嫌がらせやメンコウ交渉にフラフラになっていた。
そんな彼女に私は、自分の過去の反省点も含んで言った。
「離婚は、いつかはできるんだよ。
調停で手こずっても、裁判で手こずっても、
いつか必ず、離婚成立する時が来るよ。」
「離婚を急いで焦ったり、
思うようにことが進まなくて苛立ったり、
あんな相手を選んだ自分を責めたり、
失ったものを並べて悩んで泣いて苦しんで。
それは全部自分いじめの感情だよ。
ずっとモラに苛められていたぶられて、
命からがら逃げてきたんだから、
もう自分で自分をいじめるのはやめてみない?」
「そう、辛いのはわかるよ、
辛いことばかりだよね。
ストレスだらけだし、未解決の問題ばかりだし、
一切人任せにできないし、誰も決めてくれないし、
相談だってできないし。
私だってそうだったよ。
でもね、これを乗り越えれば、本当に楽になれるよ。
そして、あなたは絶対に乗り越えられる。
だって、あの悪魔の巣から脱出する勇気があったんだから、
離婚にこぎつけるなんて、できないわけないじゃない。
あのモラと生活できたんだから、
一緒に暮らしていない今、
もう調停まで申し立てているんだから、
離婚できないわけないじゃない?」
「ね、出口のみえないトンネルじゃなくて、
出口は見えてるんだよ。
出口は見えてるんだから、大丈夫だよ。
今を楽しんでみない?
自分を誉めてあげて、よくやったって言ってあげて、
この先の自分に繋げてみない?」
彼女は頑張りますと言って電話を切った。
私は彼女が離婚できること、
自分で自分の幸せを手に入れることを一点の曇りもなく、
信じている。
真面目で努力家で、心優しい彼女が、
モラによって失ったものは大きいのかも知れないが、
かけがえのない子供たちがきっと彼女を笑顔で支え、
愛してくれるだろう。
彼女の作るおいしいご飯を、
毎日きゃあきゃあ言いながら子供たちがつつき、
笑顔のたえない家庭で皆が過ごす。
もうその姿が、未来予想図が、私には見えている。
いや、モラから脱出した誰もが、
脱出後は多くの幸せを手に入れることを私は信じている。
理不尽な欲求に毎日応じ、
宗教でいう苦行のような責め苦に毎日毎日血だらけになって耐えてきた人が、
幸せにならないなんてそれこそ理不尽である。
戦争が終り平和が訪れれば、
誰の心にも平穏が訪れるのである。
モラ地雷だらけの生活に戻らなければ、
必ず平和はやってくる。
何より一番大切なのは、自分の心と体。
それが自分で守れる平和な生活が何より、
人生における幸せなのだと、
そのかけがえのないものを手に入れて育んで、
つくづく思う。
まさに今、彼女のように、
調停中で苦しんでいる人や、裁判中で苦しんでいる人に、
私は、この言葉を捧げたい。
今はどんなに苦しくても、
離婚は必ずできる。
あなたは自分自身を取り戻せるし、
今度こそ自分らしく生きられる。
自分が望めば、望む形の幸せが手に入るし、
今度こそそれを邪魔する人は居ない。
だから今は、
別居により失ったものの数ではなく、
離婚により失いつつあるものの数ではなく、
その温かい手の中に手に入れたものの数を
毎日寝る前に指折り数えて下さい。
言いたいことが言える幸せ
子供たちと屈託なく笑える幸せ
一人で眠れる幸せ
モラ夫が帰ってこない幸せ
好きなものが食べられる幸せ
好きな映画が見られる幸せ
好きな音楽が聞ける幸せ
好きなことができる幸せ
好きなものが買える幸せ
子供への連鎖が断てた幸せ
きれいな花を見て、きれいと思える幸せ
美味しいものを食べて、美味しいと思える幸せ
空の高さが、空の青さが、風の温度がわかる幸せ
・・・じぶんの、じぶんだけのじんせいを手に入れたしあわせ・・・。
ほら、10本の指では足りないぐらい、
たくさんの幸せをあなたはもう手に入れている。
離婚してしまえば、
これまた忙しく直面する事務的なことがたくさんあるから、
今しかできないことを、探してみよう。
他の誰でもない「わたし」は、どう生きたかったのか、
「わたし」の夢は何か、
「わたし」はここから、どこへ行くのか。
せっかく脱出して、離婚まで時間があるのだから、
ゆっくり考える時間に充ててみよう。
私が、約束します。
あなたなら、できます。
あなたの進む未来には、もうこんな高い壁はない。
あなたは望むところへ行ける。
あなたは望む高さに飛べる。
果てしなく広がる未来へ!
↓一人でも多くの方にモラハラを知っていただきたくて、リンクを貼りました。
↓超オススメ・何度も読みたい本
↓次に買いたい本
今ちょうど、ブログで調停について書いて
いることもあり、
調停についての質問のメールや相談のメールを頂くことが多くなった。
つい数日前も、数ヶ月前からフォローしている被害者の方の、
調停の相談の電話を受けたところである。
いつかも書いたが、モラルハラスメントの加害者というのは、
会話が通じないし、被害者に嫌がらせをすることを生きがいに感じているから、
離婚を前提とした別居を決行した後に当人同士による協議離婚が成立せず、
調停に発展することが多い。
また、芸能人でもないのに、たいした財産もないのに、
離婚裁判に至るケースが多く見られるのもモラの特徴だろう。
弁護士を通じてもなお話が通じないような相手と、
夫婦として一緒に暮らしていたのだから、
そう思うと本当にぞっとするというものだ。
そもそも私は、
調停中の実務的な流れや、
先生に頂いた貴重なアドバイスや基本的な考え方を書きとめて置きたくて
この編を書こうと決めた。
モラ相手の離婚に際する心構えは、普通の離婚とは異なるから、
ためになることはこれから離婚調停する誰かのために記しておきたいと、
かねてより思っていたからだ。
実はこの調停編を書くために、
結婚生活についてざっと記述する必要もあると感じたので、
「調停準備編」があのように長引いた。
だから本当に書きたかったのはあの壮絶な結婚生活のことではなく、
この調停編である。
さて
2年前のことで、ロクに記録も残していないから、
おぼろげな記憶を辿りつつ、先生とやりとりした山のようなメールを参照しつつ書いている。
書くうちに、また、前述の相談のメールや電話を頂くことで、
あの頃の苦しかった心境が蘇った。
そのことについて今日は、書いてみようと思う。
調停中というのは、本当に中途半端な時期である。
結婚している状況でもなく、離婚している状況でもない。
人生における長い保留ボタンを押されているようなものである。
多くの場合夫とは別居中で、
夫とは無関係の日常をすでに送っているにもかかわらず、
離婚が確定していないから、夫とは当然のように戸籍上夫婦である。
姓は夫と同じまんまだし、子供に対しても、離婚したのだとは言えない。
子供が小さいと、いつ帰れるのと尋ねられることすらある。
子供が保育園や学校で先生や友達に説明する際も、
「パパとは一緒に暮らしていない」としか説明できず、
そういうストレスを子供に強いるストレスも大きい。
仕事をしていれば、調停に行くなどとややこしい説明をしなければならないし、
近所の人に聞かれて説明するのもなかなかに鬱陶しい。
そんな外部要因が小さなちくちくしたストレスになり積み重なる上に、
「離婚調停」という多くの人が未経験の、
専門用語と緊張満載の、見知らぬ第三者を挟んだ話し合いが
定期的になされるのである。
何度も離婚調停をした経験がある人や、もともと自分が弁護士という人以外は、
離婚調停という定期的に行われるイベントそのものが、
とても大きなストレスになることと思う。
また、運転免許の更新のように、違反者講習のように、
何時間受ければちゃんと免許がもらえるのと違って、
いったいどれぐらい時間をかければまとまるのか全くわからない、
先の見えない不安も手伝って、
回を追うごとに、目の前が真っ暗になってしまうのだろう。
いったいこのトンネルには出口があるのかと、
途方に暮れる人も少なくない。
しかし、一度このトンネルに入ると、決して後戻りはできないと来ている。
前に進むしかない。
嫌でも、毎日がしんどくても、辛くても、涙がぼろぼろこぼれても、
立ち止まらずに前に進まなくてはならないというのは、
大きなストレスと言えるだろう。
調停中。
そんな小さなストレスや大きなストレスがゴロゴロ転がっている日常の中に、
突然前触れもなく飛び込んでくるのはモラからのメッセージである。
せっかく自分だけの生活や、自分と子供だけのささやかな幸せを支えに、
自分らしく生きるその喜びだけを支えに、
いつかゼロからのスタートを歩みだせる日を支えに歩いているところに、
モラからの毒たっぷりの、
悪意に満ちたメッセージが届く。
それは、
「生活費を支払わない」
だとか、
「子供に会わせろ」
だとか、
「お前のせいで俺はこんなに困窮している」
だとか、
「お前と子供たちがいなくなったから俺の両親がどうのこうの」
だとか、
「お前がいなくなったから会社でどうのこうの」
だとかに代表される言葉による嫌がらせだったりとか、
自分の写真を送りつけたり、かつて同居していた時の荷物を送りつけたり、
子供たちを利用しようと子供への高価なおもちゃと手紙を送りつけたりという
郵送による嫌がらせだったりとか、
長文のメールやファックスで、
延々と俺的反省文を送って寄越したりするものと
種類は多岐に渡る。
とにかく自分が脱出を果たしたことを後悔させるようにさせるように、
罪悪感を抱きやすい妻を攻撃するすべを、
一番知り尽くしているのは俺だといわんばかりに、
モラは妻に対し、いろんな仕掛けを楽しみながら行う。
相手が妻である間は、支配は続くのだ、
続けなければならないのだとでも、思っているのだろうか。
スパッと離婚できていたとしても、
このような元夫からの嫌がらせは本当に鬱陶しいものだろうが、
「調停中」というもどかしいストレス満載の日々の中に、
このモラからの攻撃を受けると、人はどうなるだろうか。
当然に、とてもしんどくなる。
しんどくなって当然である。
そんなストレスの中で、平気な女性なんていない。
突然、前触れもなく涙が出てきたりするし、
夜中に飛び起きてしまうことも、まれなことではない。
私は夫が顔で窓ガラスを割り、部屋に乱入して、
子供たちと私をメッタ刺しにする悪夢を何度も見た。
何十回も見て、大泣きして目が醒めた。
その度に子供たちをキツク抱き締めて、歯を食いしばって耐えた。
夜ぐっすり眠れないから、普段から体調がすぐれない。
運転していても目がかすんだりする。
スーパーで普通に買い物をしているだけなのに、
動悸が突然に襲ってきて、目が廻って動けなくなる。
夜一人で眠ろうとしても、
将来が見えない不安感に押しつぶされそうになる。
いや、不安感だけじゃない、妙な焦燥感に襲われる。
焦燥感は立ち止まることを許さずに、
自分の置かれている状況がまったく動いていないことを責める。
一人で考えていると、誰にも相談できない自分に気付く。
応援してくれている親や兄弟、友人でも、
日常のこまごまとしたことまですべて言えるわけでもないし、
わかってもらえなければもっと辛いから言えない。
自分はひとりぼっちだと感じたとき人は
恐怖とともに孤独感を覚える。
この孤独感も、調停中の自分には厄介な感情だった。
夫と離れた寂しさは、そのころには当然失せていたが、
別居を決行したことにより失った人々のことを、
急に思い出しては辛くなったものだった。
毎日遊んだママ友や、義父母や隣人、
自分が当たり前に包んでもらっていた温かい人々の心を
全部捨ててきたような気分になった。
あの家に戻れば、かつてのように、
多くの人とにこやかに談笑し、受け入れてもらい、
子供たちもその中で受け入れられ、過ごせるのにと、
もう果たせないことに決まっているのに懐かしくてたまらなくて、
ママ友に電話をして余計に落ち込んだりしたものだった。
ママ友は心配をしてくれるし、変わらず接してくれる。
日々どんなことがあったか、子供たちの友人がどうしているか、
話してくれる。
幼稚園の様子や、かつて住んでいた町の様子も話してくれる。
けれどせっかく自分から電話しているくせに、
彼女達のまわりの時間や、日常が、
なんら変わらずにそこにほっこりと、
あたたかく、花畑のように存在することが、
自分にとっては苦痛だった。
わがままかもしれないし、心が狭いかも知れないが、
それを苦痛に感じたのは事実だった。
このように、
調停中に去来する多くの感情は、
調停に関わるわずらわしいイベントや実務以上に、
自分を苦しめたし、モラと生活していた時とは別の閉塞感を感じたものだった。
けれど今になって私は、思うことがある。
モラルハラスメントという言葉に出会って2年と数ヶ月が経過する中で、
多くの調停仲間が離婚を果たしたし、裁判離婚した人も見てきた。
離婚したくてもできなくて、相手が応じてくれなくて、
ずっと辛い日々を一緒に歩いてきた人々も、
一人また一人と、「離婚しました!」と飛び立っていくのを見た。
私のまわりには「調停したけど、離婚できませんでした」という人は居ない。
また、「裁判したけど、離婚できませんでした」という人も居ない。
(なかには、居るのかもしれないが、少なくとも私は聞いたことがない)
だから、いずれは離婚できるのだから、
数ヶ月かかろうが何年かかろうが離婚はできるのだから、
「調停中」という時期をもっと有意義に過ごせばよかった、と、
今になって思うようになった。
私はかつてこの、中途半端な調停中の、何一つ前進していない時期に、
モラの攻撃に耐えながら、
子供たちの心を支えながら懸命に生活していた時期に、
友人Sさんにこの苦しさについて訴えたことがある。
失ったものばかり数えて、それがいかに価値あるものか訴えて、
モラより受けたダメージを、あれもこれも理不尽だと延々と訴えた。
辛い辛いと訴えた。辛いことばかりだと訴えた。
彼女は私の期待していた答えと違うことを言った。
「近所の八百屋や、パン屋さんや、魚屋さんを探して、
お気に入りを見つけてご覧。」
なんでそんなことに意味があるのかと思いつつ、
半信半疑で、近所のスーパーで何時間もウロウロしてみた。
パン屋でパンを買い、ケーキ屋でケーキを買って、
書店をウロウロしたが、楽しくもなんともなかった。
ところが帰宅して、「お気に入りを見つけてご覧」と言われたのを思い出した。
次の機会には、お気に入りを探そうとした。
いいお店がないか探した。
自分のお気に入りのケーキがある店はないかと、
ガイドブックを見て車で走ったり、
自転車で走り回ったりした。
美味しいランチ食べられるところはないか、
走ったりしてみた。
そのうちに、この町って便利だな、前の町と違って、
いいところもたくさんあるな、そう思えてきた。
知らず知らずのうちに、顔見知りの店員さんが増えた。
数は少ないけれど、ママ友もできた。
いい町かも知れないと思い始めたとき、彼女が何を教えてくれようとしたか悟った。
失ったものの数を数えるより、
得たものの数を数えてみようと、
彼女はそれを私に教えてくれたのだった。
そしてそのレッスンはとても有効だった。
家の中で、一生懸命失ったもの探しばかりしていた私は、
2年経った今では、
すっかりこの町が大好きになった。
先般電話相談を受けたMさんは、子連れ別居してすぐ調停を申立てて、
今度6回目の調停に向かう。
今度話が進まなければ裁判に持ち込むらしい。
本当にモラは誰もが同じである。
「歌いたい踊りたい」である。
ステージを今度は調停から裁判に移して、そこでも一人芝居をするつもりか。
彼女も例外なく、毎日が子育てと仕事と、
自分の感情に折り合いをつけるのに精一杯の毎日の中で、
モラの兵糧攻めなどの嫌がらせやメンコウ交渉にフラフラになっていた。
そんな彼女に私は、自分の過去の反省点も含んで言った。
「離婚は、いつかはできるんだよ。
調停で手こずっても、裁判で手こずっても、
いつか必ず、離婚成立する時が来るよ。」
「離婚を急いで焦ったり、
思うようにことが進まなくて苛立ったり、
あんな相手を選んだ自分を責めたり、
失ったものを並べて悩んで泣いて苦しんで。
それは全部自分いじめの感情だよ。
ずっとモラに苛められていたぶられて、
命からがら逃げてきたんだから、
もう自分で自分をいじめるのはやめてみない?」
「そう、辛いのはわかるよ、
辛いことばかりだよね。
ストレスだらけだし、未解決の問題ばかりだし、
一切人任せにできないし、誰も決めてくれないし、
相談だってできないし。
私だってそうだったよ。
でもね、これを乗り越えれば、本当に楽になれるよ。
そして、あなたは絶対に乗り越えられる。
だって、あの悪魔の巣から脱出する勇気があったんだから、
離婚にこぎつけるなんて、できないわけないじゃない。
あのモラと生活できたんだから、
一緒に暮らしていない今、
もう調停まで申し立てているんだから、
離婚できないわけないじゃない?」
「ね、出口のみえないトンネルじゃなくて、
出口は見えてるんだよ。
出口は見えてるんだから、大丈夫だよ。
今を楽しんでみない?
自分を誉めてあげて、よくやったって言ってあげて、
この先の自分に繋げてみない?」
彼女は頑張りますと言って電話を切った。
私は彼女が離婚できること、
自分で自分の幸せを手に入れることを一点の曇りもなく、
信じている。
真面目で努力家で、心優しい彼女が、
モラによって失ったものは大きいのかも知れないが、
かけがえのない子供たちがきっと彼女を笑顔で支え、
愛してくれるだろう。
彼女の作るおいしいご飯を、
毎日きゃあきゃあ言いながら子供たちがつつき、
笑顔のたえない家庭で皆が過ごす。
もうその姿が、未来予想図が、私には見えている。
いや、モラから脱出した誰もが、
脱出後は多くの幸せを手に入れることを私は信じている。
理不尽な欲求に毎日応じ、
宗教でいう苦行のような責め苦に毎日毎日血だらけになって耐えてきた人が、
幸せにならないなんてそれこそ理不尽である。
戦争が終り平和が訪れれば、
誰の心にも平穏が訪れるのである。
モラ地雷だらけの生活に戻らなければ、
必ず平和はやってくる。
何より一番大切なのは、自分の心と体。
それが自分で守れる平和な生活が何より、
人生における幸せなのだと、
そのかけがえのないものを手に入れて育んで、
つくづく思う。
まさに今、彼女のように、
調停中で苦しんでいる人や、裁判中で苦しんでいる人に、
私は、この言葉を捧げたい。
今はどんなに苦しくても、
離婚は必ずできる。
あなたは自分自身を取り戻せるし、
今度こそ自分らしく生きられる。
自分が望めば、望む形の幸せが手に入るし、
今度こそそれを邪魔する人は居ない。
だから今は、
別居により失ったものの数ではなく、
離婚により失いつつあるものの数ではなく、
その温かい手の中に手に入れたものの数を
毎日寝る前に指折り数えて下さい。
言いたいことが言える幸せ
子供たちと屈託なく笑える幸せ
一人で眠れる幸せ
モラ夫が帰ってこない幸せ
好きなものが食べられる幸せ
好きな映画が見られる幸せ
好きな音楽が聞ける幸せ
好きなことができる幸せ
好きなものが買える幸せ
子供への連鎖が断てた幸せ
きれいな花を見て、きれいと思える幸せ
美味しいものを食べて、美味しいと思える幸せ
空の高さが、空の青さが、風の温度がわかる幸せ
・・・じぶんの、じぶんだけのじんせいを手に入れたしあわせ・・・。
ほら、10本の指では足りないぐらい、
たくさんの幸せをあなたはもう手に入れている。
離婚してしまえば、
これまた忙しく直面する事務的なことがたくさんあるから、
今しかできないことを、探してみよう。
他の誰でもない「わたし」は、どう生きたかったのか、
「わたし」の夢は何か、
「わたし」はここから、どこへ行くのか。
せっかく脱出して、離婚まで時間があるのだから、
ゆっくり考える時間に充ててみよう。
私が、約束します。
あなたなら、できます。
あなたの進む未来には、もうこんな高い壁はない。
あなたは望むところへ行ける。
あなたは望む高さに飛べる。
果てしなく広がる未来へ!
↓一人でも多くの方にモラハラを知っていただきたくて、リンクを貼りました。
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。あれから子連れで実家に戻り別居、先日2回目の調停を終えました。1回目で自分の否を認め、すべて直すからと復縁を迫った我がモラ夫は私の決意の固さを知ると2回目では離婚OK、親権もあっさり諦めたところまでは良かったのですが金銭面で本領を発揮、慰謝料は払う気なし、養育費も収入の割には少ない金額を主張。しまいには調停委員に手帳の写真まで見せて子供思いの可愛そうな父親を熱演し、離婚はお互い様とまで。今までに良くあった最初の原因は棚上げ状態で責任転嫁の展開です。すっかりだまされた調停委員の説得を受け、なんかヒジョ~に疲れて帰宅しました。長引く調停を考えると他の皆さんに比べたら離婚受け入れただけでも幸せと思って条件飲んじゃおうかと思いましたが子供の為にもう一頑張りします!
相手はハラッサーでなかったのかもしれません。
ただの支配志向の回避的人間だったのでしょう。
「弁護士を通じてもなお話が通じないような相手と、
夫婦として一緒に暮らしていたのだから、
そう思うと本当にぞっとするというものだ」
この一言が、
ぐっと来ました。
モラの本質を表していますね。
結局、
モラは頭の悪い、
まっとな理屈の通らない人間なんですね。
私も来週に初めての離婚調停があります。今も提出資料がまとまらなかったり、調停の場でどう訴えるか考えると頭が混乱してきて定まらなかったりして悩み続け、モラ旦那によって社会から隔離され続けていたので人前で主張する自信が持てずに怖くてしかたありません。
けれど今回の記事にかなり励まされました。
別居してからの良かった出来事をありったけ思い浮かべ、これからの希望に繋げていきたいと思います。
私は、Febさんの少し後ろを歩いています。
離婚の合意、親権も片付き、今月中旬に財産分与が始まります。
おととい、家出した「自宅」へ荷物を取りに戻ったところ、注意していた夫ではなく、なんと夫の両親に鉢合わせてしまい、フラバってしまいました。
同時に、娘からの「いつ帰れるの?」「(夫の)おばあちゃん、いとこのお姉ちゃんに会いたい」要求。
いつ、本当のことを、どのように話そうか…。
家出後も、子どもの保育園は変わってませんが、保育園が終わった後の「今日、○○ちゃんちに遊びに行ってもい~い?」の言い訳には、毎度苦心しています。
でも、夕食を作るとき、「あの頃はこんなメニューはありえなかったなあ」としんみりしたりして。
「苦しくても、あと数ヶ月!」と後悔しないように、先輩の背中を見ながら歩いています。
まっち~さんの優しい心に、心から感謝しています。
二歳の娘は、パパ恐い。
と夫が原因の急性ストレス症の診断書もありますが。
調停で夫から罵られ、嘘言われると思うと・・。
でも頑張ります!
私もまっち~さんがアドバイスされてる方とまったく同じような気持ちでいます。
モラって自分のことしか考えられない生き物だから、いつもそれを正面からドンと受け止めてしまうこちらとしては本当に疲れてしまいます。
「相手の本意は何?」ってずっと考えてしまいます。
でも、結局モラはモラなので、普通じゃないから、こちらがあれこれ考えても答えなんてみつからないんですよね。
私も娘と地元生活を少しずつ楽しめるようになってきました。
アパートのご近所とも顔なじみになったし、音楽教室で世間話するくらいのママ友だちもできました。
そうやって少しずつ母子の生活の基盤を整えていけば、いつ離婚が成立してもいいですもんね!
調停は計5回、その後裁判に移り判決文を頂くまで2年ほど掛かったような気がします。
あれから9年目を迎えています。
当時、子供と住んでいたアパートはお風呂とトイレが一緒では無かったものの、お風呂は1畳ほどしかなく
どう考えても子供とお風呂に入る事が出来ず、その頃から子供は1人でお風呂に入るようになりました。
恐らく床板が腐ってきていたのでしょう、6畳ほどの和室は
足を踏み入れるとフワフワとした感じがしました。
6畳と4.5畳の和室と3畳のキッチン、お風呂とトイレ
これが私と子供の脱出後の城でした。
学習机を持ち出す事も出来ず、子供はこたつが兼用のテーブルで宿題や勉強をしました。
以前も書き込ませて頂きましたが、本当に身の回りの最低限の物のみしか持ち出せず、
それも、居場所を突き止められるとそれこそ新聞の三面記事になってしまう不安があったので
ある日突然、文字通り逃げ出しました。
こうやって文字にすると結構ひさんな生活だったように見えますが、
今でもたまぁ~に子供が言うのですが、あのボロっちいアパートで
いつ見つかるかとビクビクしながらも生活したあの日々が
1番楽しかったと言います。
それだけ、あの怪物から離れられた事は私と子供に安息をもたらしてくれたのだと思います。
あの当時「明けぬ夜は無いのだから」と自分に言い聞かせながら
がむしゃらに突っ走ってきた事を今日のブログを読んで思い出しました。
あなたなら、できます。
あなたの進む未来には、もうこんな高い壁はない。
あなたは望むところへ行ける。
あなたは望む高さに飛べる。
果てしなく広がる未来へ!」
という、最後のまっちーさんの言葉を読んで、泣けました。 ポロポロと涙が溢れる気持ちでいっぱいになりました。
ちょっとの風でもモロモロに崩れてしまいそうな弱い自分の心を支えてくださるまっちーさんの言葉が身に染みて、そしてそれ以上に、言うに言われぬ安心感を与えてくれました。
まっちーさん、本当に我慢強いですね。 そんな大きなストレスを抱えて、ずっと頑張ってきたんですね。私はまっちーさんほど強くないし、理解を得られない状況を苦にしては涙を流してばかりいますが、そんなんではいけないですね。 ちゃんと未来を見据えないと。
まっちーさんのブログからは学ぶことがとても多いです。 そしてまっちーさんの優しい言葉と激励に心から癒されます。 新しい幸せな生活を手に入れたにも関わらず、モラルハラスメントに苦しむ人達のためにブログを続けてくださっていることに、心から感謝です。。。