モラルハラスメント・ブログ

モラルハラスメントな夫と壮絶なバトルの末離婚した二児の母のブログ☆モラハラブログリンク集もあります☆

生きているということ。

2005年03月13日 18時25分04秒 | 日記
今日は日曜日。
春を控えての真冬並みの冷え込みも、これが過ぎたらあったかくなるんだろうと思うと
思わず歓迎してしまう。
娘も私も病み上がりだから、今日は出掛けずに家にいようと決めた。

朝ごはんはパンを食べるつもりが、昨日買い忘れていて、ゴハンも炊いていなかったから
冷凍うどんにした。
昆布を水から煮立てて、沸騰したら削り節を入れ、2~3分煮立てて取り出す。
うすくち醤油と塩、みりんと酒で調味して冷凍うどんを入れ、とき卵を混ぜいれる。

昼も何もないから、ツナ缶と玉ねぎで、ツナのクリームソースのスパゲッティを作った。
暇で体力をもてあましている長男が、「俺がやる」と言って玉ねぎを切るところから本当にしてくれた。
にんにくを少し油で炒めた中に玉ねぎを入れ、透き通ったらツナとバターを入れる。
小麦粉を混ぜいれ、牛乳を少しずつ入れて混ぜ続けて、
塩コショウとナツメグ、ローレルの葉を入れ、お酒で少し薄める。
コンソメも半カケ。おいしいツナソースの完成である。

おっと、おやつ棚におやつの買い置きもない。作るしかない。
牛乳80、卵一つ、小麦粉120、ベーキングパウダー大さじ4分の3
バター大さじ1、砂糖大さじ2、バニラエッセンス少々
この程度のレシピは頭に入っている。
泡だて器で娘がこねこね混ぜて、チョコチップを混ぜてフライパンで焼く。
チョコチップホットケーキの出来上がりである。
直径5センチほどのミニ焼きにすると、
キャーキャー歓声をあげながら焼きたてをとっとこいくらでも食べてくれる。

私はホットケーキだと重いから、マカロニをやわらかくゆでて
きなこと砂糖を同量混ぜた中に放り込む。少量はちみつを垂らす。(テレビでは黒蜜)
先日テレビで見た即席おやつ。
きなこマカロニ。丁寧に淹れたお茶にばっちりと合う。

モラ夫は外食を禁止していたので、家にあるもので調理することが
いつしか大変得意になってしまっていた。
ケーキなどは週に2台は焼いていたから、洋菓子も得意になった。
買ってくるより安いしおいしいから、夫のいない今も惣菜などはほとんど買わない。
(自由を満喫するために外食はする)
それは「いいこともあった」といううちの一つに数えていいことだと思う。

今日は、結局ずっと家にいて
皆で調理をして、皆で食べて、皆で片付ける。そんな普通の一日である。
今晩は長男にかぼちゃのシチューを作ってもらうことになっている。
うどんにスパゲティーに、ホットケーキにシチュー、
特にごちそうではないけれど、十分ご馳走なのである。

最近夜眠るときに、
「今日も生きていた。」「生きていてよかった。」「ありがとう。」と思う。
幼い頃から抱いたことのない感覚だ。
やっと感謝できたからお迎えが来るんじゃないかと思うほど、
今日一日生きていたことを感謝する毎日である。

私は幼い頃、小児喘息を患っていた。
4歳の時から、中学2年に空気のいいところに引っ越すまで
週のうち2回~3回は発作で眠ることができなかった。
朝まで、誰かに首を絞められているような
細い細いストローで空気を吸い込むような呼吸を
正座し、強く両腕に力を込めて両膝について、横隔膜を広げて
朝まで発作と向き合った。
朝が来ると、「今日も生きのびてしまった。」「あの呼吸をやめれば死ねたのに」
と思うことが多かった。それほど過酷な修行であった。
学校に行っても体育の授業に出られず、そのことでいじめられたこともあった。
ずる休みだとか、病気のヤツはいいとか嫌味を言う健康な人たちがいた。
喘息は、幼い自分にとって、「生きているってことはたいして歓迎すべきではない」と
そういう価値観を築くのに十分なほど重い経験だった。

その私が40歳を前にして「生きていてよかった」と初めてしみじみと思う。
人生何が起こるかわからない。

数日前、家にあった極めて有名な本を読み返した。
「世界がもし100人の村だったら」である。以下抜粋。

******************************

誰かが私に興味深いお話を伝えてくれました
もし現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで
全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう

その村には…

57人のアジア人
21人のヨーロッパ人
8人のアフリカ人がいます

52人が女性で
48人が男性です

70人が有色人種で
30人が白人

70人がキリスト教以外の人たちで
30人がキリスト教

89人が異性愛者で
11人が同性愛者

6人が全世界の富の59%を所有し
その6人ともがアメリカ国籍

80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません
50人は栄養失調に苦しみ
1人が瀕死の状態にあり
1人は今生まれようとしています

1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け
そして1人だけがコンピューターを所有しています

もしこのように縮小された全体図から 私達の世界を見るなら
相手をあるがままに 受け容れること 自分と違う人を理解すること
そしてそう言う事実を知るための教育がいかに必要かは
火を見るより明らかです

また次のような視点からもじっくり考えて見ましょう

もしあなたが今朝目が覚めた時 病気でなく健康だなと感じることが出来たなら
…あなたは今週生き残る事のできないであろう100万人の人たちより 恵まれています

もしあなたが戦いの危険や投獄される孤独や獄門の苦悩
あるいは飢えの悲痛を 一度も経験したことがないのなら…
あなたは世界の5億人の人たちより恵まれています

もしあなたがしっこく苦しめられることや逮捕拷問
または死の恐怖を感じることなしに教会のミサに行くことが出来るなら…
あなたは世界の30億人の人たちより恵まれています

もし冷蔵庫に食料があり着る服があり 頭の上に屋根があり寝る場所があるなら…
あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています

もし銀行に預金がありお財布にお金があり
家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら…
あなたはこの世界の中で最も裕福な上位8%のうちの一人です

もしあなたの両親がともに健在で そして二人がまだ一緒なら
…それはとても稀れ なことです

もしこのメッセ-ジを読む事ができるなら あなたはこの瞬間2倍の祝福を受けるでしょう
何故ならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて
その上あなた は全く文字の読めない世界中の20億の人々より
ずっと恵まれているからです

昔の人がこう言いました 我が身から出るものはいずれ我が身に戻り来ると

お金に執着することなく喜んで働きましょう
かって一度も傷ついたことがないかのごとく 人を愛しましょう
誰も見ていないかのごとく自由に踊りましょう
誰も聞いてないかのごとくのびやかに歌いましょう
あたかもここが地上の天国であるかのように 生きていきましょう

このメッセ-ジを人に伝えて下さい そしてその人の一日を照らしてください

*************************

その本は今人に貸しているので原文ずばりは書けないが最後に、
「あなたは幸せです、なぜならあなたは生きているからです」という意味のことが書いてあった。

「金銭的に恵まれているから、幸せ」
「夫婦仲がいいから、幸せ」
「子供たちが元気だから、幸せ」
「食べ物がおいしいから、幸せ」
人の幸せには、いろいろな理由付けがあると思う。
人は「こうだから」幸せだと思う。
その理由付けができるような事柄に、私が人よりたくさん恵まれているとは思えない。
少なくとも、以前の生活の方が、客観的に見れば幸せに映ったであろう。
しかし以前の生活では、毎日泣いていたし、泣きながら眠ることが多かったし、
眠っていても緊張していたし、
天井から黒い大きな蜘蛛が音を立てて落ちてくる夢を、週に一度は見て飛び起きた。

いろいろなものを失って、ここに来た。
モノも徹底的に捨てたが、何年もかけて築いた多くの人間関係も断ち切って捨ててきた。
失った歳月というのもこれまた大きく、30歳だった私はもう40歳になろうとしている。
なのに、今ははっきり、「生きている」ことを尊いと思えるし
「生きている」「死んでいない」そのことだけに感謝できるし
休む前に「生きている」「今日も生きていた」その自分自身の体を血を体温を、
いとおしく歓迎し、感謝し、目を閉じることができる。
私の最強の応援団の寝息を聞きながら・・・

「生きている」そのことに「ありがとう」と思える日々
それは、何より幸せなことなのではないかと、思う日々である。

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3 コメント

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はじめまして (宇砂子)
2005-03-15 01:06:36
まっち~さん、はじめまして。

大いなる、母なるサイトの癒しパブで最近くつろげる幸せを実感している宇砂子といいます。

宜しくお願いします!



まっち~さんが、小児喘息について書かれているのを読んで、子供の頃の孤独感を思い出しました。

私は小学校低学年から、酷い偏頭痛でよく寝込んでいました。

割れるような頭の痛みと、立っていられない眩暈、そして吐き気…。でも周りは「たかが頭痛で大げさな!」という態度でしかありませんでした。

そんな時、私は孤独でした。子供だった私に「孤独」というのが何なのか分かりませんでしたが、あの頃の感覚を今の私が表したなら、孤独感でした。

「誰にもこの苦しみは分かってもらえない。それは周りが言うように、私がダメな人間だからだ。こんなに苦しいのに何で生まれて来たんだろう?」

と寝込む度に思ったものです。

最近、頭痛に詳しい病院にかかる機会があり、そこの先生に「片頭痛は立派な病気です。怠けているわけでも何でもありません。」と言われ、病院からの帰り道で泣いてしまいました。孤独感が消えた瞬間でした。



去年離婚したのですが、最近たまたまツイているだけなのか「生きる」って何て暖かい事なんだろう、と思う事が次々起こります。

大いなるサイトで罪悪感と向き合えた事、病院で長年の孤独感と向き合えた事・・・。

その上で、まっち~さんご紹介の「世界がもし100人の村だったら。」を読むと感慨もヒトシオです。以前読んだときは何とも思わなかったのに(婚姻中だったからか?)

これも今、「生きる」って事の暖かさを感じ、日々感謝する事が出来るようになったからだと思います。

私も、最近色んな事に日々感謝感動なので「お迎え近かったらどないしよ~」と心配なのですが(笑)せっかく味わう事が出来るようになった暖かな感覚に、長く浸っていられるよう、自分を大切に日々過ごしていこうと思っています。



最初のご挨拶にしては長くなってしまって申し訳ありません。

ちなみに病院の先生は「そんなに小さな頃から片頭痛?」と首を傾げていらっしゃいました。偏頭痛の原因は主に「ストレス」だそうです。

子供の頃から片頭痛・・・私も立派なACだと改めて教えられた一瞬でした(爆)





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そんな気持を (シエル)
2005-03-15 15:56:17
生きてるだけで幸せだね って実感できるって事自体が

本当に幸せな事だろうな・・って思います。

以前読んだ本なのですが「代議士になったパリの娼婦」ってのがありました。

とことんまで堕ちた・・と言われている筆者が最後には大学を出て 代議士になって・・ というサクセスストーリーでしたが、最後ページの言葉で

「私が幸せなのは 代議士になったからではなく 大学にいけたからではなく 

幸せだと実感できるから幸せなのだ」 

な 言葉が連なっていました。忘れられないです。



幸せというものを 主体的に実感できる・・

これって やっぱり極上の幸せの一つの形だと思ってしまいました・・・。
返信する
ありがとう。 (まっち~)
2005-03-16 01:01:39
宇佐子さん

はじめまして、はい、こちらでは初めましてです☆

あちらで知っている方が来てくださると、なんか、

「ああ!」って感じなんですよ(笑)



宇佐子さんの、「孤独感」のくだり、激しく共感しました。

私も、ずーっとずーっと孤独でした。家族とも心を合わせたことなどなかったですね。そして、こういうものだと、人生なんてこんなものだと、そんなにいいことなんてないのだと、思ってました。

だから、いつもうつむいて歩いていたし、笑顔の写真なんてほとんどないし。

>「誰にもこの苦しみは分かってもらえない。それは周りが言うように、私がダメな人間だからだ。こんなに苦しいのに何で生まれて来たんだろう?」

それわかります。

というか、母は幼い娘を縛りつけ、体だけでなく精神まで蝕む「発作」を「苦行」と称して、どちらかというと肯定してました。

こんなことを受け入れられないようじゃダメだとも言われていました。

「お前は依存心の強い人間だ。自意識過剰だ。私の気を引こうなんて思うなよ、私は忙しいのだから」と

ずっと言い続けられていました。



話がそれましたが(笑)

幼い頃に培った「世界に対する否定感と不信感」はなかなかぬぐえなくて、

でも暗いところから明るいところに来た今はじめて

お互いに「世界に対する肯定感と信頼」を抱き始めているのかもしれませんね。

お互い、よかったですね、そう思えて、幸せと言えて。(涙)



シエルさん

そうですね、初めての感覚なんですよ、

生きるなんてどうでもいい、

いつ死んでもいい、こんな価値のない自分と思っていたし

いつでも、消えたいという欲求が見え隠れする時期もあったし。

でも、今は生きたいし、この命、与えられた人生を肯定してます。

感謝してます。

今手のひらがあたたかいこと、呼吸ができること

今日もおいしくゴハンが食べられたこと・・・

この気持ちが続くといいと思います。

何かまた違うものが見える気がして。

「幸せと実感できるから幸せなのだ」

まさにそうです。何かを得たかではなく、何に恵まれているかでなく

生きているだけで価値があるということに気付いて

幸せです。ありがとう。
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