↓一人でも多くの方にモラハラを知っていただきたくて、リンクを貼りました。
「あなたは悪くない。」
あなたは悪くない、とずっとここで言い続けてきた。
モラルハラスメントな加害者に、精神的虐待を受け続けた人は、
「おまえが悪い」
「おまえのせいで」
「おまえさえ直せば」
と生活の中でずっと延々と言われ続けているが、
実はそれはモラルハラスメントな男のコントロールの基本手法であって
本当にあなたが悪いわけではない。
悪いのは「夫婦」として互いに協力しあい、支えあい、愛し合い、
役割を異にしながらも同じ方向を向いて歩くはずなのに、
そのパートナーを攻撃し続けることにより意のままに操ろうとしている夫のほうである。
彼らは本当に些細な些細な欠点であったり過失であったり、
そういうことをいつまでもいつでも持ち出しては、
いかに被害者が人間として劣っているか、
間違っているか、人と比較してダメかどうかを語り続ける。
最初はそんなに小さいことを酷く言わなくても・・・
と極めてまともな感覚で、その攻撃を受け止めることができたとしても
ずっと堂々と自信満々に、継続してこちらの至らない部分を
言われ続ければ誰だって、
「自分が悪いんじゃないか」
「自分のせいではないか」
「自分さえ努力すればなんとかなるのでは」
と誤認してしまう、そういうものだと思う。
増してモラルハラスメントな加害者は、
被害者のソトとの接触を上手に断つもしくは遠ざけるように仕向けるから
被害者は余計に中立的客観的な判断ができなくなるのだと思う。
私もかつて、密室で、ソトとの接触を遮断され、
毎日罵倒と無視とを繰り返される中で、
また、事あるごとに私自身の欠点や過去における過失を指摘され
いかに私が人と比較して劣っているか、人間として間違っているか
指摘され続ける中で、
そのようにお約束どおり自己を卑下する気持ちがどんどん膨れ上がっていき、
「私が悪いんじゃないか」
「私のせいじゃないか」
「私さえ我慢すればうまくいくのでは」
と思い込むようになっていた。
彼らと会話をするとき、
気づいている人も多いと思うが、彼らは
「Aという考えも、Bという考えもある。でもどちらかというとA。」
という発想はしない。
すべてが、「最初から何が何でもA。絶対にA。Bということはありえない。」
という発想から始まる。
こちらは普通の人間だから、どんなに自論に自信があったとしても
相手が反論して来た場合に、その意見を聞き入れる能力を持ち合わせている。
「私はAと思うけど、あなたがBというなら、私はBでいいわ。」
そのようにして、こちら側の、相手の気持ちを尊重して、
自分を曲げて相手に合わせるという、
普通の人が普通に持ち合わせるコミュニケーション能力が仇となる。
「こいつは俺の言うことを聞く」そう思われたら最後、
モラルハラスメントな夫は何が何でも自分の自論を通そうとする。
「俺がAと言ったらAだ、お前が意見する権利は一切無い。」
奴隷よろしく、妻は言うことを聞く以外の選択肢が無くなる。
その瞬間その瞬間の議論とその結果は、こちら側にとって見れば、一見、
「ここでコレを聞いてあげてそれで済むならいいわ」と
その場を凌ぐためのこちらのテクニックのように見えて、
実はこちら側は、許す度にどんどんと相手に侵食されていることに気づかない。
侵食され、領域を侵されている感覚なく、その場その場を許してしまうから
それが実績となり積み重ねとなることに気づかない。
夫は前許してくれて、この領域まで侵犯させてくれたということを
しっかり記憶している。
だから、次は同等もしくはもっと奥まで侵犯させてくれと迫ってくる。
つまり、もっと納得いかない事柄について、
納得せよと詰め寄ってくる。
すべてに於いてそうである。
モラの作った理不尽なルールを、すべて呑むように、呑まざるを得ないように
たっぷりと時間を掛けてしつけられてしまう。
モラにとっては大成功、である。
もう、この時点になると「NO」と言えるような余裕はこちら側には残されていない。
仕方なく「YES」を言い続け、言い続けることにより侵食されつづけ、
最終的には家庭内で立つ瀬がないほどに追い詰められてしまう。
追い詰められ、呼吸すらままならないほどに、
自分が誰なのか、自分が一体何を考えているのかわからないほどに、
ボロボロになったときに
「モラルハラスメント」という言葉に出会う。
そして、
「あなたは悪くない」という言葉が、目の前の重い鉄の扉を開ける!
最初はその言葉が信じられない。
「私は悪くないんですか?」
思わず叫んでしまうのも仕方が無いほど、
「自分は悪くない」ということが信じられない。
悪い悪いといわれ続ければ、当然なのだけれど、
自己否定のもともと強い人が
一緒に暮らす相手に権限を握られて、悪い悪いといわれ続ければ
自分が一方的に悪いと思ってしまうのは至極当たり前のことなのだけれど、
自分が術中にはまったなどとすぐに認識できる人などほとんど居ない。
ただ、
「あなたは悪くない」
という言葉は、衝撃とともに自分に染み込んでいく。
「悪いのは、モラルハラスメントな配偶者ですよ。」
「悪いのは、愛し合い、助け合うはずの家族を傷つけ続け、奪い続けた配偶者ですよ。」
ようやく気づいた自分にとって、
「あなたは悪くない」という言葉は心の支えとなる。
私もそうして、一番辛いときを乗り越えた。
(どこが一番辛いかわからないほど辛い時期が長かったが)
私は、
悪いのは夫で、自分じゃない。
私は、悪くない、と自分に言い聞かせ続けた。
そうして、力を得て、強くなり、自分を取り戻すことができ、
離婚まで突き進むことができた。
ところが、である。
今離婚して2年が経過して、思うことがある。
本当に私は悪くなかったのだろうか。
いや、実は「私は悪かった」と思う。
「私は悪かった」ということに、最近確信をもって気づいた。
こう話すと衝撃を受ける人も居るかもしれない。
けれど、「私は悪かった」というのは、そういう意味ではない。
それは、
「もっとこうすればよかった」という迷いではない。
もっと頑張れた、ということでもない。
夫に対して私は、もうこれ以上譲れないほど譲ったし、
もうこれ以上添い遂げられないというほどに自分を変えて努力したし、
もうこれ以上そばに居れば狂ってしまうほどに、
耐えた。
だから「やり残した感」は対夫に関しては皆無である。
それは、
「私は悪かった」というのは、
「もっと、自分を大切にすればよかった」
という強い強い後悔である。
私は、私をこれっぽっちも大切にしなかった。
私の心は、元夫により、とうの昔にズタズタに引き裂かれていたし
さんざん酷いことをされて、酷いことを言われて、
もう何の希望も見込みもないところまで追いやられていたのに、
それでも、
「まだやれる、もっとやれる」と、無駄な努力をひたすら続けてしまった。
その努力はなんだったんだろうか。
その努力の先に、私が求めたものは何だったんだろうか。
長いので、続きます。
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↓超オススメ・何度も読みたい本
「あなたは悪くない。」
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「おまえが悪い」
「おまえのせいで」
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実はそれはモラルハラスメントな男のコントロールの基本手法であって
本当にあなたが悪いわけではない。
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そのパートナーを攻撃し続けることにより意のままに操ろうとしている夫のほうである。
彼らは本当に些細な些細な欠点であったり過失であったり、
そういうことをいつまでもいつでも持ち出しては、
いかに被害者が人間として劣っているか、
間違っているか、人と比較してダメかどうかを語り続ける。
最初はそんなに小さいことを酷く言わなくても・・・
と極めてまともな感覚で、その攻撃を受け止めることができたとしても
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言われ続ければ誰だって、
「自分が悪いんじゃないか」
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増してモラルハラスメントな加害者は、
被害者のソトとの接触を上手に断つもしくは遠ざけるように仕向けるから
被害者は余計に中立的客観的な判断ができなくなるのだと思う。
私もかつて、密室で、ソトとの接触を遮断され、
毎日罵倒と無視とを繰り返される中で、
また、事あるごとに私自身の欠点や過去における過失を指摘され
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「私が悪いんじゃないか」
「私のせいじゃないか」
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彼らと会話をするとき、
気づいている人も多いと思うが、彼らは
「Aという考えも、Bという考えもある。でもどちらかというとA。」
という発想はしない。
すべてが、「最初から何が何でもA。絶対にA。Bということはありえない。」
という発想から始まる。
こちらは普通の人間だから、どんなに自論に自信があったとしても
相手が反論して来た場合に、その意見を聞き入れる能力を持ち合わせている。
「私はAと思うけど、あなたがBというなら、私はBでいいわ。」
そのようにして、こちら側の、相手の気持ちを尊重して、
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奴隷よろしく、妻は言うことを聞く以外の選択肢が無くなる。
その瞬間その瞬間の議論とその結果は、こちら側にとって見れば、一見、
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実はこちら側は、許す度にどんどんと相手に侵食されていることに気づかない。
侵食され、領域を侵されている感覚なく、その場その場を許してしまうから
それが実績となり積み重ねとなることに気づかない。
夫は前許してくれて、この領域まで侵犯させてくれたということを
しっかり記憶している。
だから、次は同等もしくはもっと奥まで侵犯させてくれと迫ってくる。
つまり、もっと納得いかない事柄について、
納得せよと詰め寄ってくる。
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モラの作った理不尽なルールを、すべて呑むように、呑まざるを得ないように
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ボロボロになったときに
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「私は悪くないんですか?」
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「自分は悪くない」ということが信じられない。
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自分が一方的に悪いと思ってしまうのは至極当たり前のことなのだけれど、
自分が術中にはまったなどとすぐに認識できる人などほとんど居ない。
ただ、
「あなたは悪くない」
という言葉は、衝撃とともに自分に染み込んでいく。
「悪いのは、モラルハラスメントな配偶者ですよ。」
「悪いのは、愛し合い、助け合うはずの家族を傷つけ続け、奪い続けた配偶者ですよ。」
ようやく気づいた自分にとって、
「あなたは悪くない」という言葉は心の支えとなる。
私もそうして、一番辛いときを乗り越えた。
(どこが一番辛いかわからないほど辛い時期が長かったが)
私は、
悪いのは夫で、自分じゃない。
私は、悪くない、と自分に言い聞かせ続けた。
そうして、力を得て、強くなり、自分を取り戻すことができ、
離婚まで突き進むことができた。
ところが、である。
今離婚して2年が経過して、思うことがある。
本当に私は悪くなかったのだろうか。
いや、実は「私は悪かった」と思う。
「私は悪かった」ということに、最近確信をもって気づいた。
こう話すと衝撃を受ける人も居るかもしれない。
けれど、「私は悪かった」というのは、そういう意味ではない。
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「もっとこうすればよかった」という迷いではない。
もっと頑張れた、ということでもない。
夫に対して私は、もうこれ以上譲れないほど譲ったし、
もうこれ以上添い遂げられないというほどに自分を変えて努力したし、
もうこれ以上そばに居れば狂ってしまうほどに、
耐えた。
だから「やり残した感」は対夫に関しては皆無である。
それは、
「私は悪かった」というのは、
「もっと、自分を大切にすればよかった」
という強い強い後悔である。
私は、私をこれっぽっちも大切にしなかった。
私の心は、元夫により、とうの昔にズタズタに引き裂かれていたし
さんざん酷いことをされて、酷いことを言われて、
もう何の希望も見込みもないところまで追いやられていたのに、
それでも、
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まっち~さんのモラを伝える表現力 毎回 本当に驚くほどわかりやすく そうそうそれそれと思ってみさせていただいてます。 そういうふうにまわりに伝えたくても 自然なコミュニケーションがちょっと相手が自分本位なだけと受け取られがち または 私がちょっと??かなり??器が小さいとおもわれてしまう
まっち~さんのような賢さ また言葉の表現力を持ちたい日々です・・・
思わず、見入ってしまいました。
幸せになれて良かったですね☆
実は私もモラハラの被害に合ったことが過去に
あります。
別れて本当に良かったですね♪
応援しております。