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まちだ ひろがりネット

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町田・生活者ネットワークの活動日記

変える

2011年05月14日 | 活動
トランジション・タウンの実践の話。
枝廣純子さんの語る、持続可能性のための思想。
藤村靖之さん提唱「月3万円ビジネス」。
そして、参加者がグループで語り合う時間。

シンポジウムは午後1時から6時近くまで、あっという間の時間でした。

トランジション・タウンとは、「くらしをゆるやかにスローダウン」「自発的に持続可能な未来を創る」運動です。
現代の生活の中で人間が発揮することが無くなったひとりひとりの「創造性を解き放つ」。
金儲けに依らない幸せを実践する。
気心の知れた仲間の輪をつくる。
個人個人に切り離されていたみんなが繋がり合って、あらたなコミュニティができる。
こうならべると、まさにあちこちでみんなが気付き始めたコミュニティの再生、を目指す一つの実践だと言えそう。

枝廣さんは持続可能な社会の実現のために必要な思想のお話でした。
老荘思想から『無為自然」。
身の丈。足るを知る。
そして、行き過ぎずに止まることができるか。
効率だけを追い求めた結果、災害に弱くなった社会をみんな目の当たりにした。
最期に、「あなたの幸せのためにお金がいくら必要ですか」考える宿題がでました。

藤村さんの月3万円ビジネスとは。小さければ小さいほどいい。
ひとつの仕事で月3万円以上稼いではならない。ひとつの仕事にかけるのは3日まで。さも無ければ他の楽しいことができなくなる。
そんな仕事を作り出すのは簡単。潜在的な(客の)欲求に感動的な商品を提供する。評価に対してその半額で提供。
そして、いい人であるあなたはいい人しか客にしない。時に歯を食いしばってもいい仕事しかしない。

終始、かんたん、かんたんとおっしゃるけれど、聞けば聞くほどハードルが高くなってきます。
ただ、一心不乱に儲けようとして”自分で作る”時間を失い、手に入れるためにますます稼ぐという仕組みの中で暮らしていると、差し引きけっこう貧乏かもという気がしてくるお話でした。

3.11は、徐々に変わりつつあった空気にどんとインパクト。
時代が変わるとき、政治も学者もマスコミも力をなくす。
国を変えようなどとせず一人一人が仲間の中で幸せになることをめざす。
国に頼ろうとしない。脱依存。

など、いろいろ沢山の言葉をいただきました。
時代はいま、ほとんど必然的に変わりつつある。歴史が弾みを持って変わり始めている、そういう感じをもちました。
それぞれの活動を一度は見に行きたいと思います。

枝廣淳子さん:環境ジャーナリスト (有)イーズ代表。http://www.es-inc.jp/
藤村靖之さん:発明家。那須に非電化工房、非電化パークなど。見学は http://www.hidenka.net/seminar/kenngakukai.html
NPO法人トランジションジャパン http://www.transition-japan.net/


(お)

水源の話

2011年05月10日 | 活動
走り出したら止まらない公共事業数々ある中のひとつ、群馬県の八ツ場ダムの話から、東京の水源、さらには町田市の井戸にまで至る話を聞きました。町田市民として残念だと思ったのは、水道事業が市から都に移されるという話です。市の側からいうと行政機関のリストラっていうことでしょうか。東京の側からいうと、多摩地域の水源(地下水)の適切な利用のためにということのようです。

八ツ場ダムを造って東京の水源にするという構想は、水質の悪さを知っていれば起きるはずも無いと思いましたし、
東京の側にもう水のニーズが無くなったことを知っていれば、もう造る意味が失われたはずだと思いました。
しかしこれは町田にすんでいて思っていることで、現地でははるかに解決しがたい葛藤があったやに聞きます。

ところで東京の水処理能力に比べて実際の処理量は7~8割に落ちているそうです。
確かに人口は増えているが、節水型機器が普及したり、水を大量に使う産業が国外に出て行ったことなどによるそうです。
産業が出て行ったという現実はいささか、寂しいものがありますね。

町田の井戸の話にまいりましょうか。

町田市内には今も市所有の井戸が6カ所あるそうです。かつて現役、いま退役。それを今後起こりうる災害時の非常用水として見直そうという意見です。水道施設・配管は地震でずたずた、あり得ます。そのとき、せめて飲み水くらいは自前で確保するのが、危機への市の備えというものでしょう。その方の構想では、1トン200世帯を割当にして、そのエリア毎に水調節をするようにしようということでした。

電力と違って(!)水利用には自由度があって、地域で切ったりつないだりができる仕組みだそうです。
もちろん、実行するためにしかるべき人を配置するとのことです。普段は水道水と混合で使っていていいが、災害時には自立する。自前水源の例として横須賀市あげられました。横須賀は基地の町、かつてインフラがそこを乗り越えてこれなかったために陸の孤島化した、その解決策が自前の水源だったそうです。今は横浜市からももらっているらしいですが。(横須賀市のホームページ参照)

というわけで、災害時の公共用井戸として、6カ所現存する井戸を見直す、今が絶好の機会だというお話でした。

(おまけ)
絶好の機会といえば「原発を止める」のも今がチャンスだと思います。浜岡原発だけといわずに、全部見直しに入ればいいのに。国が浜岡原発のとりあえずの停止を要請、中部電力側受諾との報ですが、その代わりのように他の原発は再開にも継続にも問題ないと保証してしまったのが残念。そんなこと言っていいのか、思わず叫んでしまいました。

(お)


霧雨のなかのデモパレード レポート

2011年05月07日 | 活動
午後2時渋谷区役所前集合。
私の到着は2時半。集会の真っ最中かと思いきや、
轟音を放つ車(スピーカをどかどか積んで)が2、3台。ロック調の重低音がばすばす、響く。
道路際に並ぶのはほとんど機動隊の車両。それも練馬や品川ナンバーが見える。



人の集まりは悪い。雨が降ると出足が悪いのかな。これまでとちょっと違う雰囲気に戸惑い。
小一時間、霧雨の中で立っているうちにだいぶ人が並んで来たが、いつパレードが始まるの。
いまか、いまか。

ようやく動き出したと思って前の方にずんずん行ってみると、
見慣れた雰囲気をかもす人々。ここに加わることにする。



私がいちばん叫んだ言葉は「こどもをまもれ」。

 「命か原発か」

この旗を読んだとき目がうるっと。。。

しばらく行くうちにまた違いが気になりはじめる。
列を守るように2メートル間隔で居たはずの警官が今回は10メートルも20メートルも間隔をあけている。
人数不足だからか?

ようやく分かった。行列の先頭に立っているのは2人の警官。パレードのスピードをコントロールしている。
のみならず、一団を200人程度のグループにして、グループ同士をずーっと切り離すように誘導している、
かのように青信号を2度も3度も待って、それから出発。全方位赤信号にした中を横切っていく。
守られている私たちはまるで羊の群れのよう。

渋谷駅前はすごい人波。われわれの小さなパレードはすっかり呑み込まれていました。

NHKニュースで1万人の規模だったと報じたようですが、そんな実感は無いデモパレードでした。(お)