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まちだ ひろがりネット

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町田・生活者ネットワークの活動日記

緊急ティーチイン@和光大学

2011年05月26日 | 活動
「震災・脱原発を考える」シリーズの第2回。

最首悟さん(和光大学名誉教授)
向井宏一郎さん(和光大学教員)


科学を最高のものと思い込んできた、我々の来し方をばっさり。最首悟さんのいのち論から。

科学はいのちのことなど何一つ解明できない。現象を説明でき、再現できても、どうしてそうなるかという問いかけに答えられない。科学は、無味、無色、無臭のもの。科学にはにおいや見えるという感覚を説明することができない。対面する2人の間にほんわかするかんじ(ラポール)がなぜ起きるのか説明できない。

いのちの真髄は「つづく」ということ。いのちとは始まりのないもの。とどまること無く流れるもの。いのちは無量価値のもの。
いのちはいのちをいただくもの。私は何でも食べる。
殺さないというベジタリアンなんてまやかしだ。野菜のいのちをもらっている。

流れ続けるいのちを理解しようとして、科学はその流れを止め、切り分け、線引きする。
所詮、科学とはそういうことをするものである。だからいのちのことなど分からない。
国家、科学、資本、すべて、いのちに特有の感覚を扱えないものである。

そんな国家に何かお願いするの?(福島のお母さんたちが文科省に門前払い扱いされたことについて答えて)

最首さんは、問いかける。
世界人口は増えながら一方で飢餓人口も増えている。だから遺伝子組み換えで大量の食品を作るという。その時の科学者は使命感に燃えている。しかしそれでいいのか、立ち止まって考えよう。

太陽電池をいっぱい使って十分な電力をまかなおうと願う前に、立ち止まって考えよう。



最首さんの”いのち”があくまでもひらかな表記なのには訳がある。命という漢字の中に、叩くという部分がある。これは命令に通じる。つまり上から押し付けられる存在を表す。だから漢字を使わないのだそうだ。

原発のことを調べると、原発村があって、そこの人たちは金を欲しがり、嘘をつき、改ざんし、だます、という文字が絶えず目に入る。しかしそれが、原発事故の根本の原因でないことはだれにも分かる。分からないのは、なぜそういうことをするのかだ。その疑問について考える糸口を示した見せたティーチイン第2回だった。(お)