goo blog サービス終了のお知らせ 

中村良一とマカカ・ルーサーズ・バンド

Macaca Rhesus'es Band.(赤毛猿バンド)
トラディショナルなジャズを広めたジャズマンを紹介します。

Jazz Trumpeter : Ryoichi Nakamura

2016年09月22日 17時48分47秒 | ジャズマン紹介
Jazz Trumpeter : Ryoichi Nakamura

中村良一(Ryoichi Nakamura.)コルネット,トランペット奏者
ジャズ発祥の地、NewOrleans Preservation Hall.で演奏した、本場仕込みの数少ない日本人トランぺッターです。
こちら⇒ 1979年、Preservation Hall.で演奏し好評をはくした。



あの世から蘇えったラッパ吹き。
脳梗塞で倒れ.あの世からお迎えが来たが.三途川を渡る船賃(六文銭)を墓場駅に置き忘れ.この世に連れ戻された。
脳梗塞のリハビリを3年間以上も続け、ラッパが吹けるまで回復し不屈の精神で復帰した。
墓場駅は、ルイジアナ州.ニューオーリンズに実在する駅名です。

2002年.ひょんな出会いで、Macaca Rhesus'es Band. を結成し現在に至る。

生まれ:鹿児島県,指宿(いぶすき)、開聞岳の麓(ふもと)
育ち :福岡県北九州市小倉区
卒業校:北九州市立・到津小学校
    北九州市立・曽根中学校
    福岡県立 ・小倉工業高等学校
年 令:近所の柴犬と同級生
干 支:ひつじ
星 座:ふたご座
血液型:A.Rhマイナス型
大好物:しみてるおかき
大嫌物:コハダ(魚類),子供の頃にコハダにあたった!
座右の銘:飛びます、飛びます。

音楽教育
音楽の師匠は現場で出会う諸先輩のミュージシャン。
諸先輩から音楽教育と性教育をご教示して頂いた。
師事する方はいません、師事される方もいません。
天涯孤独でお先真っ暗、でも前向きで明るい...

音楽との出会い
野球の応援で甲子園に行きたくて音楽部に入部した。
野球が好きなだけで、まったく音楽には興味が無かった。
音楽部の先輩から『好きな楽器を選べ』と言われたが、
ラッパしか楽器が無かったのでラッパを手にした。
ラッパに息を入れると音が鳴った、嬉しかった。
これから、ラッパとの付き合いが始まった。

卒業後、三段ベッドの寝台車に揺られて上京、
クラシックをやりたかったが、ジャズマンと出会い、仕方なくジャズを始める。
色んな曲を演奏したが、全部同じ曲に聞こえた。

23歳で渡米、ニューオーリンズはPreservation Hall.に出演。
共演したミュージシャンからつけられたあだ名がFuzzy Ryoichi.
どうも、出てくる音が曖昧らしい... I My Me ~

数年後、後ろ髪を引かれる思いで、やむなく『坊主頭』で帰国。
帰国後、日本の音楽風土になじめず中華人民共和国へ逃避行。
その後、帰国したものの佐賀県に島流しとなり音信不通となる。

end.

中村良一・オフィシャル・ウェブ・サイト.

2015年11月13日 08時55分54秒 | ジャズマン紹介
こちら⇒ Ryoichi Nakamura Official Web Site.

こちら⇒ 12月13日(日),西大島・クリスマス・コンサート.を開催します。

こちら⇒ オールド・ジャズの世界を紹介します。

こちら⇒ イベント風景を紹介します

こちら⇒ ジャズ・トランペッター:中村良一


end.

ジャズ・トランペッター:中村良一

2015年04月20日 01時48分15秒 | ジャズマン紹介
ジャズ・トランペッター:中村良一

トランペット教室
ジャズ発祥の地、NewOrleans Preservation Hall.で演奏したトランぺッターです。
ジャズ・トランペットを習いたい方は、お気軽にお問合せ下さい。

お問い合わせ先
ジャズ・トランペット講師:中村良一
メールアドレス: ryo1.nakamura@outlook.jp
youtubeチャンネル 
こちら⇒中村良一Ryoichi Nakamura

♪~♫~♩
中村良一(Ryoichi Nakamura.)コルネット,トランペット奏者
ジャズ発祥の地、NewOrleans Preservation Hall.で演奏した、本場仕込みの数少ない日本人トランぺッターです。
こちら⇒ 1979年、Preservation Hall.で演奏し好評をはくした。

演奏こちら⇒ My Blue Heaven.
演奏こちら⇒ Undecided.
演奏こちら⇒ How long has this been going on ?



2002年.ひょんな出会いで、Macaca Rhesus'es Band. を結成し現在に至る。

生まれ:鹿児島県,指宿(いぶすき)、開聞岳の麓(ふもと)
育ち :福岡県北九州市小倉区
卒業校:北九州市立・到津小学校
    北九州市立・曽根中学校
    福岡県立 ・小倉工業高等学校
年 令:近所の柴犬と同級生
干 支:ひつじ
星 座:ふたご座
血液型:A.Rhマイナス型
大好物:しみてるおかき
大嫌物:コハダ(魚類),子供の頃にコハダにあたった!
座右の銘:飛びます、飛びます。

音楽教育
音楽の師匠は現場で出会う諸先輩のミュージシャン。
諸先輩から音楽教育と性教育をご教示して頂いた。
師事する方はいません、師事される方もいません。
天涯孤独でお先真っ暗、でも前向きで明るい...

音楽との出会い
野球の応援で甲子園に行きたくて音楽部に入部した。
野球が好きなだけで、まったく音楽には興味が無かった。
音楽部の先輩から『好きな楽器を選べ』と言われたが、
ラッパしか楽器が無かったのでラッパを手にした。
ラッパに息を入れると音が鳴った、嬉しかった。
これから、ラッパとの付き合いが始まった。

卒業後、三段ベッドの寝台車に揺られて上京、
クラシックをやりたかったが、ジャズマンと出会い、仕方なくジャズを始める。
色んな曲を演奏したが、全部同じ曲に聞こえた。

23歳で渡米、ニューオーリンズはPreservation Hall.に出演。
共演したミュージシャンからつけられたあだ名が、Early Ryoichi.
どうも、出てくる音が曖昧らしい... I My Me ~

数年後、後ろ髪を引かれる思いで、やむなく『坊主頭』で帰国。
帰国後、日本の音楽風土になじめず中華人民共和国へ逃避行。
その後、帰国したものの佐賀県に島流しとなり音信不通となる。

end.

Fletcher Henderson.

2015年03月10日 17時33分24秒 | ジャズマン紹介
Fletcher Henderson.(フレッチャー・ヘンダーソン)ピアニスト

音源こちら⇒ Stealin' Apples
音源こちら⇒ I'll See You In My Dreams
音源こちら⇒ Sorry

1897年、ジョージア州カスバートで学校教師の息子として生まれた。
アトランタ・カレッジで化学を専攻し、研究のためニューヨークに出た。

その折、アルバイトに「W.C..ハンディ」のバンドで働いたのがきっかけとなり、
1922年には「ブラック・スワン・レコード会社」のピアニストになった。
しかし、間もなく、その会社が潰れてしまったので、1923年に自分のバンドをつくり、
「クラブ・アラバム」で旗上げした。

そこで、とても好評だったため、翌年にはブロードウェイに進出、
「ローズランド・ダンス・ホール」に出演した。
このバンドは、何度かメンバーを変えながらも、15年間ほど続き、
ジャズ史上に大きな足跡を残し、吹き込んだレコードの数も非常に多い。

1934年に一時解散し、すぐに再編成して1939年まで続いた。
その後、「ベニー・グッドマン六重奏団」のピアニストとなったり色々なバンドで活躍した。
1952年12月ニューヨークで亡くなった。



end.

Bob Crosby.

2015年03月09日 10時09分14秒 | ジャズマン紹介
Bob Crosby.(ボブ・クロスビー)ボーカリスト、バンド・リーダー.

音源こちら⇒ Tweedlely Dee - The Bob Crosby Show.

1913年、ワシントン州スポーケンに生まれた。
ボーカリストの「ビング・クロスビー」の弟。
はじめは歌手としてスタートした。

1935年、解散寸前の「ベン・ポラック」のバンドを引き受け、バンド・リーダーになった。
スウィング時代であったが、ディキシーランド・スタイルのプレイを大いに売り出した。
1942年、そのバンドを解散。

ピックアップ・メンバーによる、「ボブ・キャッツ」という小編成バンドをつくり活躍した。
1993年3月に亡くなりました。

音源こちら⇒ The BOBCATS - Who´s sorry now
Eddie Miller: tenor sax
Matty Matlock: clarinet
Billy Butterfield: trumpet
Warren Smith: trombone
Nappy Lamare: guitar
Jess Stacy: piano
Ray Bauduc: drums
Bob Haggart: bass



end.

Arvell Shaw.

2015年02月16日 22時22分51秒 | ジャズマン紹介
Arvell Shaw.(アーヴェル・ショウ)ベーシスト.

音源こちら⇒ How High The Moon.

音源こちら⇒ Royal Garden Blues.

1923年9月15日ミズーリ州セントルイスに生まれた。
最初は高校でチューバの演奏を習い、後にコントラバスに転向した。
1942年にミシシッピ川を航行するリバーボートで、Fate Marable と演奏した。

その後1942年から1945年まで海軍で勤務した。
海軍を除隊後、1945年から1947年まで、ルイ・アームストロングの最後のビッグ・バンドで演奏した。
1950年まで、ルイ・アームストロング・オールスターズに加わった。

1952年から1956年まで、再びルイ・アームストロングと共に演奏を行った。
1958年のブリュッセル万国博覧会でベニー・グッドマンと演奏をした。
ヨーロッパで何年か過ごした後、1962年の中央アメリカのツアーで再びベニー・グッドマンと演奏をした。

1962年から1964年まで、再びルイ・アームストロングと演奏をした。
その後も1960年代の終わりまでルイ・アームストロングと共に演奏をした。
1960年代以降、非専属の自由契約でニューヨークで活動した。
2002年11月5日ニューヨーク州ルーズベルトで亡くなりました。



end.

トランぺッター:中村良一

2015年02月07日 18時54分29秒 | ジャズマン紹介
中村良一(Ryoichi Nakamura.)コルネット,トランペット奏者

音源こちら⇒ コルネット演奏

1979年.ジャズ発祥の地ニューオーリンズは、Preservation Hall.で演奏し好評をはくした。



あの世から蘇えったラッパ吹き。
脳梗塞で倒れ.あの世からお迎えが来たが.三途川を渡る船賃(六文銭)を墓場駅に置き忘れ.この世に連れ戻された。
脳梗塞のリハビリを3年間以上も続け、ラッパが吹けるまで回復し不屈の精神で復帰した。

墓場駅は、ルイジアナ州.ニューオーリンズに実在する駅名です。

2002年.ひょんな出会いで、Macaca Rhesus'es Band. を結成し現在に至る。

生まれ:鹿児島県,指宿(いぶすき)、開聞岳の麓(ふもと)
育ち :福岡県北九州市小倉区
卒業校:北九州市立・到津小学校
    北九州市立・曽根中学校
    福岡県立 ・小倉工業高等学校
年 令:近所の柴犬と同級生
干 支:ひつじ
星 座:ふたご座
血液型:A.Rhマイナス型
大好物:しみてるおかき
大嫌物:コハダ(魚類),子供の頃にコハダにあたった!
座右の銘:飛びます、飛びます。

音楽教育
音楽の師匠は現場で出会う諸先輩のミュージシャン。
諸先輩から音楽教育と性教育をご教示して頂いた。
師事する方はいません、師事される方もいません。
天涯孤独でお先真っ暗、でも前向きで明るい...

音楽との出会い
野球の応援で甲子園に行きたくて音楽部に入部した。
野球が好きなだけで、まったく音楽には興味が無かった。
音楽部の先輩から『好きな楽器を選べ』と言われたが、
ラッパしか楽器が無かったのでラッパを手にした。
ラッパに息を入れると音が鳴った、嬉しかった。
これから、ラッパとの付き合いが始まった。

卒業後、三段ベッドの寝台車に揺られて上京、
クラシックをやりたかったが、ジャズマンと出会い、仕方なくジャズを始める。
色んな曲を演奏したが、全部同じ曲に聞こえた。

23歳で渡米、ニューオーリンズはPreservation Hall.に出演。
共演したミュージシャンからつけられたあだ名がFuzzy Ryoichi.
どうも、出てくる音が曖昧らしい... I My Me ~

数年後、後ろ髪を引かれる思いで、やむなく『坊主頭』で帰国。
帰国後、日本の音楽風土になじめず中華人民共和国へ逃避行。
その後、帰国したものの佐賀県に島流しとなり音信不通となる。

end.

Dick Cary.

2015年02月03日 22時45分35秒 | ジャズマン紹介
Dick Cary.( ディック・キャリー)。マルチ・プレーヤー.

音源こちら⇒ At The Jazz Band Ball.

1916年7月10日.コネチカット州ハートフォードに生まれた。
マルチ・プレーヤーで、アルト・ホルン、トランペット、ピアノを演奏した。
ピアニストのためか、アルト・ホルンとトランペットのプレイは繊細であった。

1942年から1943年にニューヨークででソロ活動をし、その後、カサロマ楽団に入団。
1944年から1946年に陸軍に入隊し、入隊中にマグシー・スパニアとレコーディングした。
除隊後、1947年から1948年に、ルイ・アームストロング・オールスターズに入団。
1949年から1950年に、ジミー・ドーシーのオーケストラに入団。

1950年代に、エディ・コンドン・オールスターズに参加し、レコーディングした。
1959年にロサンゼルスに移動し、フリーランスやスタジオミュージシャンになった。
1970年代に彼自身のバンドを結成し、活躍した。

また、ロサンゼルスのトップ・ジャズ・ミュージシャンのグループを率いて活躍した。
1994年4月6日. カリフォルニア州サンランドで亡くなった。



end.



Lionel Hampton.

2015年02月02日 00時01分02秒 | ジャズマン紹介
Lionel Hampton.(ライオネル・ハンプトン).ヴィブラフォン奏者.

1908年4月20日.アラバマ州バーミングハム、またはケンタッキー州ルイビル生まれ。
ジャズ・ヴィブラフォンの第一人者である。

1948年にジャズ映画『ヒット・パレード(原題は“A Song Is Born”)』にヴィブラフォン奏者の役で出演し、
ベニー・グッドマンやルイ・アームストロングらの有名ジャズ・ミュージシャンと共演した。
演奏されている曲は「Stealin' Apples.」、素晴らしい演奏です。

音源こちら⇒ Stealin' Apples.  

初めはドラマーのミュージシャンとしてスタートした。
ドラムの腕前は素晴らしく、スネヤーにスティックを叩いた反動で.スティックを放り投げて、
また.つかんで.叩くと、スティックさばきのパフォーマンスは名人芸である。

ヴィブラフォンとの出会いは1930年にルイ・アームストロングのレコーディングに参加した時である。
スタジオに置いてあったヴィブラフォンを弾いてみるように、ルイ・アームストロングから言われたのがきっかけ。
1936年、ハンプトンはヴィブラフォン奏者としてベニー・グッドマンのバンドに参加した。
これはジャズ楽器としてのヴィブラフォンの存在を広く知らしめただけでなく、
人種の壁が厚かった時代に白人の人気バンドに黒人のミュージシャンが参加したという点でも画期的な出来事であった。

その後もハンプトンは自身のリーダーバンドを率いて精力的に活動した。
バンドからは多数の有名ジャズ・ミュージシャンを輩出した。
またボーカリストとしても明るいエンターテイナーぶりを発揮して人気を博した。

1995年に心臓発作で倒れライブ活動を引退。
2002年8月31日.94歳で亡くなった。



end.

Sidney Catlett.

2015年01月27日 07時23分59秒 | ジャズマン紹介
Sidney Catlett.(シドニー・カットレット)ドラマー.

音源こちら⇒ Big Sid Catlett.

1910年インディアナ州の生まれ。
ディキシーからバップにいたるまで、広いスタイルを自分のものにした、
史上に残るジャズメンの一人である。

1933年「べニー・カーター」のバンドで活躍した。
その後「フレッチャー・ヘンダーソン」のバンドを経て、
1938年~1942年を「ルイ・アームストロング」のバンドで過ごした。

1944年から「テディ・ウィルソン」のバンドに加わり、
1947年~1949年、ふたたび「ルイ・アームストロング」のバンドに迎えられた。
彼のプレイは、モダン・ドラマーの「マックス・ローチ」などに影響を与え、
1951年3月、41歳の若さで亡くなった。



end.