歴史と旅と少しのグルメ

ぐんまを中心とし、日常の気ままな話題を書き込みます。

真田氏のふるさと探訪VOL.2(真田氏館跡)

2012年07月22日 | 旅行記

前回に引き続き真田氏のふるさと、上田市真田町の史跡真田氏館跡をご紹介します。真田昌幸の父、幸隆が築いた館といわれており、昌幸が上田城に本拠を移すまでは政治の中心地として使用されました。現在も周囲の土塁が残るほか、郭内は上下2つの平場があり大手門(南面)、搦手門(北面)、東門(南東面)の3門が設けられていました。400年以上前に遺構が残っているのは全国的にも貴重ですね。今はつつじの名所としても知られ、御屋敷公園として市民に親しまれているそうです。行った日は火曜日でしたが、公園内の真田氏歴史館が休みなのは残念でした。今度は花の時期に訪れてみたいと思います。

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南面にある大手門跡。周囲の土塁も残っています。

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館跡。つつじも多く、シーズンはきれいでしょうね。

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公園内の真田歴史館。休館でした。残念。

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真田氏のふるさと探訪VOL.1(真田氏本城跡・長谷寺)

2012年07月16日 | 旅行記

今日も暑いですね。前橋は最高気温が36℃の予想です。さて今回は前から行きたかった真田氏の古里である上田市の旧真田町に行ってきました。真田氏は前にもご紹介したとおり、群馬と長野に勢力を持っていた真田昌幸が長男の信之、次男の幸村とともにその知力を持って戦国の世を生き抜いたもので、その生き様には今でも多くの人の心をとらえてやみません。特に関ヶ原の戦いでは、豊臣への恩顧を貫き、親(昌幸、次男幸村)と子(長男信之)で西軍と東軍に分かれて戦いました。豊臣滅亡となった大阪の陣には、幸村が最後の力を振り絞って戦って果て、長男信之は松代城主として明治まで続く礎を築いた名君として徳川の時代を90歳を超えるまで生き抜きました。それぞれの人生を精一杯生きた真田氏の原点には前から興味があったのでまずは、真田氏本城跡に行ってみました。ここを本城跡と認定した理由としては、真田町内の他の城跡に比べ、尾根上に三郭からなる広大な規模をもっていること。眼下に、小県と北上州を結ぶ上州道を一望におさめることができることなどがあげられます。実際行ってみると、遠く上田まで視野に入る眺望豊かな場所であり、南面以外は切り立って敵の侵入を防げる自然の要害地でした。上田城ができるまでは、ここが真田の本拠であり、昌幸などがここで戦略を練っていたと考えると感慨もひとしおでした。また幸隆公と昌幸公の墓がある長谷寺にも行きました。本道裏のうっそうとした杉林の中にある墓は何となく凛とした威厳や風格が漂っている気がしました。幸隆は真田氏の繁栄を築いた人でその資質はこの昌幸にも伝わったいたと思います。信州の山奥の城主から天下に名を馳せることとなった真田氏のふるさとを見ることができて大満足の旅でした。

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真田氏本城跡入り口。手前に駐車場も整備されています。

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尾根上に本郭、二の郭、三の郭と並び南面以外は等高線も狭い切り立った地形で自然の要害です。

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本郭跡

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本城跡からの眺め。眼下を一望でき、拠点としては最高の立地ですね。

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長谷寺。幸隆、正室、昌幸の墓。木々に囲まれ静寂が漂っていました。

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左から幸隆正室、幸隆、昌幸の墓。


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桐生町歩き(のこぎり屋根、後藤織物)

2012年07月14日 | まち歩き

梅雨明け前で毎日蒸し暑いですね。1年で一番嫌いな季節です。毎日体調管理に気をつけて頑張りましょう。さて、今回ご紹介するのは桐生市です。桐生市は、江戸末期以降の織物業で栄えた町並みを残し、今月、本町1、2丁目、天満宮地区が重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定されました。「西の西陣、東の桐生」と言われ、絹織物の産地として栄えた桐生にはのこぎり屋根といわれる織物工場や蔵造りの町並みなどが数多く残っています。市では重伝建指定をきっかけに「重伝建のまち 桐生」としてPRしていくそうです。こうしたのこぎり屋根の中でもっとも当時の面影を残す「後藤織物」にお邪魔しました。後藤織物の建物は数が多く、その時期も明治、大正、昭和と多岐にわたり、主屋をはじめとする建物群の構成は、染色・撚糸・製織といった織物生産のシステムをそのまま残しているそうです。築造年が異なる4つの屋根を持つ工場は当時の日本の重要な絹産業を支え続けた風格さえ感じます。このほか、釜場や商談の場となった奥座敷など貴重な建物が保存されています。個人宅ですので勝手には入れませんが、皆さんも近代の産業遺産が残る桐生に是非行ってみてください。

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後藤織物のこぎり屋根。テレビや雑誌で取り上げられる桐生を代表する建物です。

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のこぎり屋根は北向きに採光のための窓があり昼間はとても明るいです。先人の知恵ですね。

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屋根もトラス構造です。富岡製糸場も似た構造です。東日本大震災で桐生も一部被害がでましたが、この工場は大丈夫でした。

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給水塔は鉄筋コンクリート製で貯水槽を4本柱で支えています。未だ現役です。


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桐生栗まんじゅう(藤掛屋)

2012年07月10日 | 食・レシピ

最近は暑い日が続いています。住んでいる群馬も例年35度以上の真夏日が多いので体調管理に気をつけたいと思います。さて先日桐生市にいってきました。私が前々から気になっていたのは栗まんじゅうで有名な藤掛屋さんです。よく周りの人が桐生なら藤掛屋と聞いていたのを思い出して買いに行きました。実は以前にも何度か買おうと思い見に行ってみましたが、売り切れと見えていつも閉店していました。念願の栗まんじゅうは国産小豆100%がぎっしり詰まった甘さもしつこくない美味でした。これからも売り切れ是非行きたい店となりましたよ。

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午後は閉まってしまうまんじゅう専門店

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栗まんじゅう。大きくてボリューム感あり。


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真田太平記来訪(小松姫墓(群馬県沼田市))

2012年07月01日 | 旅行記

今日は朝から天気が不安定です。こんな時は外に出ようか家で過ごそうか迷いますね。さて、先日上州(群馬県)の真田氏の城下沼田市の正覚寺の真田信之の正室小松姫の墓にいきました。昌幸の長男である信之は関ヶ原の戦時、父と弟の幸村と別れ、徳川家康の東軍に味方し、違う道を選びました。戦国時代、信之のように家臣やその家族、お家のことを考え、行動するのは当たり前のことですが、判官贔屓である日本人には父や弟の生き方に共感するところもあります。関ヶ原の戦いの前、上田に引き上げる父と弟を城に入れず、夫の留守ということで筋を通したいわれのある小松姫はさすが猛将本田忠勝の娘であったと思います。(実際は孫を連れてこの正覚寺にて対面したという人情の人であったそうです。)夫信之は沼田領内や城下町の整備を行うと共に慶長元年(1596)から城内に5層の天守閣を建設し、整備を行いました。
沼田城主は信之のあと、五代続きましたが、信利の時に藩政失敗を理由に、天和元年(1681)改易となり、真田氏の沼田城は終わることになりました。
小松姫は埼玉県鴻巣で死去し、その墓は鴻巣、上田、そしてこの沼田と3カ所あります。47歳でした。激動の戦国江戸を生き抜いた女性として長く語り継がれる人ですね。北条攻めのきっかけとなった名胡桃城代の鈴木主水重則の墓もあり、歴史ロマンを求める人には是非訪れてみたい場所です。

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小松姫の墓。質素で、徳川将軍時代とは違います。

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小松姫の墓の説 明板

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正覚寺山門。歴史を感じます。


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