歴史と旅と少しのグルメ

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真田氏のふるさと探訪VOL.1(真田氏本城跡・長谷寺)

2012年07月16日 | 旅行記

今日も暑いですね。前橋は最高気温が36℃の予想です。さて今回は前から行きたかった真田氏の古里である上田市の旧真田町に行ってきました。真田氏は前にもご紹介したとおり、群馬と長野に勢力を持っていた真田昌幸が長男の信之、次男の幸村とともにその知力を持って戦国の世を生き抜いたもので、その生き様には今でも多くの人の心をとらえてやみません。特に関ヶ原の戦いでは、豊臣への恩顧を貫き、親(昌幸、次男幸村)と子(長男信之)で西軍と東軍に分かれて戦いました。豊臣滅亡となった大阪の陣には、幸村が最後の力を振り絞って戦って果て、長男信之は松代城主として明治まで続く礎を築いた名君として徳川の時代を90歳を超えるまで生き抜きました。それぞれの人生を精一杯生きた真田氏の原点には前から興味があったのでまずは、真田氏本城跡に行ってみました。ここを本城跡と認定した理由としては、真田町内の他の城跡に比べ、尾根上に三郭からなる広大な規模をもっていること。眼下に、小県と北上州を結ぶ上州道を一望におさめることができることなどがあげられます。実際行ってみると、遠く上田まで視野に入る眺望豊かな場所であり、南面以外は切り立って敵の侵入を防げる自然の要害地でした。上田城ができるまでは、ここが真田の本拠であり、昌幸などがここで戦略を練っていたと考えると感慨もひとしおでした。また幸隆公と昌幸公の墓がある長谷寺にも行きました。本道裏のうっそうとした杉林の中にある墓は何となく凛とした威厳や風格が漂っている気がしました。幸隆は真田氏の繁栄を築いた人でその資質はこの昌幸にも伝わったいたと思います。信州の山奥の城主から天下に名を馳せることとなった真田氏のふるさとを見ることができて大満足の旅でした。

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真田氏本城跡入り口。手前に駐車場も整備されています。

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尾根上に本郭、二の郭、三の郭と並び南面以外は等高線も狭い切り立った地形で自然の要害です。

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本郭跡

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本城跡からの眺め。眼下を一望でき、拠点としては最高の立地ですね。

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長谷寺。幸隆、正室、昌幸の墓。木々に囲まれ静寂が漂っていました。

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左から幸隆正室、幸隆、昌幸の墓。


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