歴史と旅と少しのグルメ

ぐんまを中心とし、日常の気ままな話題を書き込みます。

東京歴史ぶらり旅Vol.1

2009年03月08日 | まち歩き

あいかわらず、花粉症で悩まされています。

今年は例年より、症状がひどいですね。

さて、久しぶりに東京に行って来ました。

前々から、江戸幕府の末期、明治維新前の尊皇攘夷の吹き荒れる頃、長州や薩摩、幕府を取り巻く時代背景には興味がありました。

いままで、明治維新時の上野周辺の歴史的な箇所を回る機会がなかったので、今回はたのしみにしており、今回は、上野寛永寺と谷中墓地に行ってきました。

寛永寺は、寛永2年(1625年)、3代将軍徳川家光の時に建立され、江戸末期までは、今の不忍池周辺から、国立博物館付近までの約120万平方メートル(上野公園の約2倍)という徳川将軍家ゆかりの寺にふさわしい偉容を誇り、大小百近い寺院や荘厳な堂塔伽藍が建立されていました。しかし、戊辰戦争の彰義隊の戦いでそのほとんどを焼失し、明治政府の命令で境内も大幅に縮小されてしまい、今は江戸時代の十分の一の寺域となっている。

昨年の大河ドラマの「天璋院篤姫」やその夫の13代将軍家定 などの墓があり、多くの人が訪れていました。

谷中墓地は桜の咲く頃はよく映像が放映されますが、多くの著名人が葬られています。(天璋院篤姫とは関連の深い、徳川慶喜や明治期の近代国家礎を築いた渋沢栄一など)
また近くには昭和の風情を残す商店街「谷中ぎんざ」があり、人とのつながりが色濃い下町の雰囲気が漂っていました。

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寛永寺根本中堂。明治12年に天海僧正ゆかりの地川越(埼玉県)の喜多院から移築された。

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江戸期の寛永寺絵図。根本中堂周りには回廊があり、大仏もありました。

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谷中墓地内の徳川慶喜の墓。門があり、周囲には近づけません。

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谷中ぎんざ商店街。今は希薄な、人との交流がある、昔なつかしい処でした。


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