歴史と旅と少しのグルメ

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真田太平記来訪(小松姫墓(群馬県沼田市))

2012年07月01日 | 旅行記

今日は朝から天気が不安定です。こんな時は外に出ようか家で過ごそうか迷いますね。さて、先日上州(群馬県)の真田氏の城下沼田市の正覚寺の真田信之の正室小松姫の墓にいきました。昌幸の長男である信之は関ヶ原の戦時、父と弟の幸村と別れ、徳川家康の東軍に味方し、違う道を選びました。戦国時代、信之のように家臣やその家族、お家のことを考え、行動するのは当たり前のことですが、判官贔屓である日本人には父や弟の生き方に共感するところもあります。関ヶ原の戦いの前、上田に引き上げる父と弟を城に入れず、夫の留守ということで筋を通したいわれのある小松姫はさすが猛将本田忠勝の娘であったと思います。(実際は孫を連れてこの正覚寺にて対面したという人情の人であったそうです。)夫信之は沼田領内や城下町の整備を行うと共に慶長元年(1596)から城内に5層の天守閣を建設し、整備を行いました。
沼田城主は信之のあと、五代続きましたが、信利の時に藩政失敗を理由に、天和元年(1681)改易となり、真田氏の沼田城は終わることになりました。
小松姫は埼玉県鴻巣で死去し、その墓は鴻巣、上田、そしてこの沼田と3カ所あります。47歳でした。激動の戦国江戸を生き抜いた女性として長く語り継がれる人ですね。北条攻めのきっかけとなった名胡桃城代の鈴木主水重則の墓もあり、歴史ロマンを求める人には是非訪れてみたい場所です。

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小松姫の墓。質素で、徳川将軍時代とは違います。

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小松姫の墓の説 明板

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正覚寺山門。歴史を感じます。


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