歴史と旅と少しのグルメ

ぐんまを中心とし、日常の気ままな話題を書き込みます。

ぐんまの山VOL.2(赤城山)

2009年09月26日 | まち歩き

本日、群馬県の赤城山の最高峰、百名山でもある黒檜山(くろびさん)に行ってきました。朝8時頃から登り始めましたが、5連休の後のせいか、ハイカーはいませんでした。一人ゆっくりと登るのもいいものです。ダケカンバやミズナラ、ナナカマドなどの木々が紅葉を始めており、赤と黄色のコントラストは日を浴びてとても輝いて見えました。また、途中の登山道からは、大沼や小沼、地蔵岳や長七郎山が見え、まるで箱庭のようでした。

1時間ほどの急登の後、黒檜山頂上につきました。あまり展望は良くなかったですが、秋晴れの中、気持ちの良い時間が過ごせました。

その後、駒ヶ岳経由で下山しましたが、時間を追うごとに、多くのハイカーが上山し、赤城山の人気の高さがうかがえました。

身近な手軽に出来る登山場所としてこれからもたびたび訪れたいと思います。005

                                                                                 

地蔵岳と大沼。まるで箱庭のような美しさです。

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紅葉も始まっています。

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長七郎山と小沼

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本日上山した黒檜山(左)と駒ヶ岳(右)


ぐんまの歴史訪問記4(前橋天神山古墳)

2009年09月23日 | インポート

以前邪馬台国はどこかについて、奈良県である大和説が有力ということをお話ししました。

この地域には、卑弥呼の墓といわれる箸墓古墳があります。

この古墳が、卑弥呼の墓と仮定すると、亡くなったのは、3世紀半ばとされているので、この頃

造営されたと考えられます。この邪馬台国とその後国内を在る程度統一した大和朝廷との関連性ははっきりと分かっていませんが、大和を中心とした場合、その古墳の形態、いわゆる前方後円墳という形がその後全国に普及したと考えられます。

当然、支配下となった地域には、大和朝廷から統治者が派遣されるか、あるいは在地の有力者が大和朝廷の傘下となり、地域を治めたと考えられます。

群馬の古代は、上毛野(かみつけの)国と呼ばれ、1万基を超える古墳があったと考えられ、日本書紀にも記述があります。群馬の初期の古墳は、前橋南部の台地、今の朝倉にある前橋八幡山古墳や前橋天神山古墳とされています。

特に、前橋天神山古墳は、4世紀後半の前方後円墳で、副葬品の中には、卑弥呼が魏から賜った三角縁神獣鏡もあります。よって、この朝倉地域を治めた首長は大和朝廷と非常に関係が深かったと考えられます。

現在の天神山古墳は、後円部の埋葬部分の粘土郭部分のみ保存されていますが、初期の古墳としてはその副葬品の豪華さから東国を代表するものといえます。

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前橋天神山古墳、かつては、前方後円墳でしたが、現在は、後円部の埋葬部分のみ保存されています。

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左:後円部の埋葬部分粘土郭、右:出土遺物三角縁四神四獣鏡


はるかな尾瀬2009.VOL5

2009年09月12日 | まち歩き

久しぶりに尾瀬国立公園の拡張地域の会津駒ケ岳に行ってきました。

昨年10月以来でしたが、今回は草紅葉がはじまり、秋がすぐ近くに来ていることを感じさせられました。

7月頃のハクサンコザクラで有名な山ですが、オヤマリンドウやイワショウブなどの花が出迎えてくれました。

滝沢登山口から急登の稜線上の登山道を登ると、駒の小屋、その先に会津駒、中門岳の稜線が続き、思わず見とれてしまいました。

あと1ヶ月もすると、会津駒の他、御池付近のブナ林、新潟からの奥只見ルートなど紅葉が始まり、それは見事なものです。

皆さんもお出かけになってはいかがですか。

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中門岳方向から見た会津駒ケ岳

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キンコウカとヌマガヤの紅葉が始まっていました。

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中門岳付近

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中門岳頂上付近の池塘