信州山里だより

大阪弁しか話せないの信州人10年目。限界集落から発信している「山里からのたより」です。

もうすぐ春ですね。

2012年02月29日 22時49分59秒 | Weblog
2012年02月29日(水) 記

先週の土曜の25日、京都の北野天満宮に行ってきました。ちょうどこの日は梅花祭だったのですが、梅の開花はほんのチラホラでした。どこでもこの冬は寒かったのでしょう。

今日の関東、東京は雪。ここ信州でも午前中は雪でしたが、このころ降る雪は中南信では「上雪(かみゆき)」といって春が近いという天からの便りです。
そして天気予報では、サクラの開花予報も出ました。

気象庁によると、今年の冬は寒かったそうですが、信州のサクラは寒さに慣れているのでこのために開花が遅れるということはなく、春の暖かさが来れば例年に近く開花が始まる、ということです。
このことはサクラに限らず、モモもコブシも、サンシュウも…木の花の咲くや姫一般に通じるそうで、だから信州の春はいっせいに花が咲くのでしょうか。信州の春が待ち遠しいです。
ちなみに長野市の桜の開花日は4月15日、そして千曲市森のアンズは4月7日ということでした。

さて、今日は地元のラジオに週1回出ている堀井正子さんの随筆を紹介します。
私が森のアンズを知ったのは松本清張原作の映画『砂の器』でハンセン氏病に罹っている親と子の巡礼がこの中を歩いているシーンが初めてでした。
そして30数年後ここを訪れた時は忘れられません。「これが信州の春か!」という感動でした。



じゃ、堀井さんの随筆『上野発 ミステリー列車』をどうぞ。

 私が大学生のころだったから、うん十年の昔になる。
 友達のお父さんから、「いい所に連れて行ってあげるから、行きたい者は、上野から信越線の夜行列車に乗れ」という話が伝わってきた。
 大の山好きなその方は、その頃としてはたぶん珍しく、夫婦で山を歩いておられた。働き過ぎで、ずいぶんと肝臓が悪くなり、いつ死んでもおかしくないというのだが、私たち学生の目には若い者が大好きな、元気で気さくなおじ様にしか見えなかった。日によく焼けて、グリグリした目。「行きたい所には時間を作ってでも行くのさ」という少年のような好奇心。おば様は対照的に物静かで「しょうがないでしょ。やりたいようにやらせているのよ」と達観しているかのように見えた。旅慣れたお二人は、列車が上野を出るとじきに寝じたくにかかる。旅慣れない私たち、七人の女子学生はワイワイとおしゃべりに忙しく、なんだか、寝たような気がしない。
 そして、翌朝早く、私たちが降りたのは屋代という小さな駅だった。四月の半ば過ぎだった。ひんやりした朝の空気に包まれて、始発のバスを待った。駅前はガランとしてだれもいない。やがて、ボンネットバスがやってきた。
 それからどう走ったのか、なにも覚えていない。覚えているのは、やがてバスの前方に現われてきた桃源郷のような美しさだけなのだ。それだけはほんとうにはっきりと覚えている。メルヘンのような、ほのぼのとした美しさだった。山々の緑が朝の空を区切り、緑の山裾はそれこそ一面のピンク色。朝もやが山も山裾のピンクも柔らかくぼかしていた。桃源郷というのはほんとうにあるのだなと、そればかりを思っていた。
 うん十年前の森のアンズの花盛りである。まだ、ほとんどだれにも知られていないころの森のアンズを、山好きのおじ様は旅のどこかで聞いて、私たちヒヨッコにも見せてやろうと思ってくれた。すんなり伸びたアンズに藁葺き屋根。屋台などというものは一つもなかった。見物に参上する者も、私たち以外にはほとんどいなかったような気がする。それ以来、風景と言えば森のアンズが浮かんでくる。早朝の冷気の中、夜行列車の仲間たちだけで見たアンズの花盛りは、最高に贅沢だった。風景は静かに相対してこそ美しい。しかも、夜行列車の座席に座ったまま、寝たような寝ないような旅をしてきての桃源郷である。ひときわ美しく見えるのも当然かもしれない。
 このごろはすっかり便利になった。一夜かけての旅は無用になった。それだけ桃源郷にも出会いにくくなった。会いに行くための苦労をできるだけ少なくするのが、サービス産業の方向性なのだろうが、至れり尽くせりになればなるほど、桃源郷は遠のいていくのではないだろうか。



この長い長い寒さが過ぎればもうすぐ桃源郷です。


村の美術館

2012年02月25日 02時41分04秒 | Weblog
2012年02月25日(土) 記
今日のお便りは、一昨日の木曜日に参加した信州新町美術館ボランティアガイド講座について、です。
この講座は昨年も受講したのですが、今年も受けることにしました。
昨年は5回あったのですが、今回は4回になっています。

内容は、美術館・博物館の社会的役割についてとか、この美術館所蔵の作品についての鑑賞などです。まあ、大学の博物館学のサワリのようなものも一部あります。

信州は美術館が多い。
「こんなところに!」と思うような場所にひっそりと建っていることがあります。それは個人のものであったり、公営のものであったり、法人のものであったり。
さらに建設資金についても、公から支出されているもののほかに、普通の一般会社がスポンサーになっているもの、個人、そしてみんなが出しあって建てたものとさまざまです。
寄付で建てられた美術館で有名なのは安曇野穂高の碌山美術館が有名で、なんと30万人近い人が募金した。信州新町にも美術館に併設されている有島生馬記念館も、鎌倉から移築再建された費用は全額寄付金によるものだそうです。


もともと新町周辺は風光明媚なところで、長野県歌にも歌われている『久米路峡』という名勝もあって、辺鄙なところではあるものの日本画家や洋画家を問わずよく来ていた。
美術雑誌『みづゑ』にこのように紹介されています。
「河畔の厳頂に挙がってこの光景を望むと、戦慄凄然たらしむるのである。犀川の流れは緩やかにして、古来川船が上下している。上よりきたものは、皆この難門までを限りてここより少し上がった新町というところは、上より来たる着船所である。大滝を過ぐると水は俄然静かになって流れざる如く然も流るるという程で、これより犀川一の奇勝久米路峡の美に接するのである。」
そして、この風景を求めて来村する彼らに村人たちは親切に応対していた。

こういう状況が伝統的にずっと続き、戦争が終わった昭和22年秋、二紀会創立委員の一人であった栗原信が来村し、その歓迎会の席で
「私は若い頃フランスに行き随分苦労もした。忘れ難い感銘を語りたい。フランスにはミュゼという名の美術館が村にあった。私は努めてというより積極的に見て歩いた。村から村へと歩いた。今でもその感銘を持っている。敗戦亡国の日本は、教育の復興が一番大事と思うが、私は芸術家として日本中の村々に美術館を建てたいと思っている。まずこの村から創めませんか。」
という提言があった。
これが美術館創立の嚆矢となったのでした。

村の中にちょっと教会風の建物があって、実はそれが美術館だった、というヨーロッパの風景を想像してみましょう。
展示しているのは、有名な画家の有名な絵画でなく、その土地にゆかりのある画家や絵画や彫刻で、村人も来訪者も気軽に立ち寄れるそんな身近な美術館…。たしかにいいですね、これだと「われらが美術館」という気になりますよね。

さてこの新町美術館の始まりはなんと町役場の壁面だったそうです。
昭和35年に役場庁舎壁面に絵画を展示し、来庁者が気軽に見ることができるようにした。
そして昭和43年、福祉会館が完成し、その2階南側に美術館を併設。
それ以後、有志による寄付や県・国の補助金もあって昭和57年に現在の立派な美術館が建てられた。

ちなみに収蔵作品は現在、陶磁器や彫刻なども含めて3,000点近くあり、これはすべて寄贈によるもの。さらに今も寄贈の申し出があるのですが、なかなかすべて受け入れることはできないそうです。

今、ここでは3月25日まで『長野市風景画 選抜展』が開かれています。
全部で69点、すべて長野市内の風景画ばかりでもちろん知っているところもあり、絵になると見慣れた風景もまた違った印象を受けます。(長野も平成の合併で随分大きくなり、戸隠、鬼無里、大岡、信州新町、中条も今や「長野市内」だ)。

歴史とさまざまないきさつの結果、建物が立派になってしまって、村のミュゼのように「ぷらっ」と気軽に入りにくい気もしないではない。でもそれは門構えだけのこと。
美術館は中にある絵画などの展示品だけでなく、館のなりたちもおもしろいもの。ぜひこの美術館に限らず、たとえば飯山の「高橋まゆみ人形館」だの諏訪の「原田泰治美術館」などもぜひどうぞ。


「でも絵なんてわからない」。
誰だってわからないですよ。
「へー、この画家、山を赤く描いてる、なるほど」「この絵の雪、白じゃないんだ、赤も青も混ざってる」「絵の人物、今にもしゃべりそうだ」「なんか、色遣いがいいなあ」、「写真にそっくりだ」
これでいいと思いますよ。

モネもゴッホもミレーもいいけれど、画家が有名でなくても、描かれた人物、建物、風景や空気感も自分の住んでいる土地の身近なものだったら、より一層身近に感じるものですよね。これがいい。
ギリシャの女神ムーサ(英語はミューズ)の誘惑にのって身も心も委ねましょう、絵画という世界へご一緒に。
(でも「美術館」という言葉、固いね。なにかこう優しい親しみやすい呼び名がないかしら、ね。たしかに「ミュゼ」という呼び名、いいですね)

木を切る

2012年02月24日 00時29分36秒 | Weblog
2012年02月23日(木) 記

そうそう忘れないうちに。
2月12日、W.ヒューストンがなくなりましたね。惜しい人がまた一人、という思いです。
彼女とエディット・ピアフ。この2人は私の脳髄に直接響き入ってくるような声の持ち主で、大ファンでした。残念です。

さて信州の山里も雪はまだ残っているものの、光は徐々に春の輝きを帯びてきています。
こんな光が降り注いでくると体はじっとしていません。

雪が解けると忙しくなるので昨日、乾燥させている薪用の丸太を輪切りにでもしておこうかと準備していると、マサカズさんから電話。
「田んぼの影になる木を転ばしている(切っている)けど」
もちろんこういうのは「大好き」。薪としていただけることも嬉しいのですが、それ以上に彼の知恵を頂ける機会なのです。

マサカズさんは50過ぎ。わがS組の人です。
彼はおととし会社を早期退職して専業農家になりました。熱心で、いろんなことに取り組んでいる若手のホープです。
彼のお母さんは70代にもかかわらず、以前家を訪ねたとき縁側で本を読んでいらっしゃったのですが、それがなんと『現代農業』。親子ともども勉学心の盛んな方々です。

写真を撮っとけばよかったのですが、木一本を転ばすのもなかなか大変なのです。
単にチエンソーで切ればいい、というものでない。
切った木が谷に落ちないように、電線・電話線を引っかけないように、もちろん怪我の無いように、さらにはのこぎりやチエンソーの使い方、枝を伝っての木の登り方、登ときのロープの使い方、倒す方向は考えているけれども実際の倒れる方向の見極め方などなど。

かれ等は本を読んで勉強したというわけでなく、親や先輩や仲間の仕事ぶりを見たり手伝ったりしているうちに身につけたもので、だから何気ない作業動作が実に理にかなっている。これが私にとって勉強になる。
改めて「山仕事を教えてほしい」と私が彼に言ったところで、彼にしてみればいったい何を教えたらいいのか戸惑うことでしょう。それだけ身についている技術というのは、本人にとってなんでもないことなのですが、そしてムラの人々にとっても当たり前のことなのですが、部外者からみれば貴重な知恵にも拘らず彼らにとって「当たり前のこと」だから簡単に消えて失ってしまう。

今年の『Y区新年会』について結局お便りしませんでしたが、この場である長老に「山桜がさいたら何の種を植えるとか、白馬の雪形がどうなったらこうするとか、そんな言い伝え何かありますか」と聞きました。
すると「ここでは野菜は女衆の仕事で、男のわしらには分からないな。他のみんなもそうだろう」という返事でした。
ここに移住した当初、畑に出ている人は女性ばっかりなので「なんと女の人は働き者なのだろう」という印象を受けていたのですが、こういう役割分担があったんですね。

こうしたことから「当たり前の知恵」は当たり前だからこそ、必要な人には伝えられていくけれども、そうでない場合はたとえ家族であっても伝えられず消えていく。
結論を出すには早計すぎるけれど、父親や男衆から息子や男の子へ、母親や女衆から娘や女衆へ、男から女へということはあまりない、ということになろうか。

さてこの作業で、切り倒すと電線に引っかかる恐れのある場合の木の切り方とスギの枝の払い方を学びました。
スギの枝は思う以上に芯が固いので、ナタなどの刃物を安易に使うと刃こぼれする。で、こういう風に傷をつけてあとはポンとはらうと枝が落ちる、と。
こんなこと本に載っていないよね。また一つ覚えました。

『Y区臨時総会』 こんなことを決めました②

2012年02月21日 23時06分22秒 | Weblog
2012年02月21日(火) 記

今日の昼間は暖かかったですね。実はここ信州の山里ではこれから一番危険な時期になってきました。
というのは、最低気温はいまだ氷点下6℃、7℃となるので、暖かい昼間にとけた雪が凍って道路はまさにアイスリンク状態。で、ちょっと油断するとツルッです。今日は危険と思われるところに塩化カルシウムを撒いてきました。

撒くとすぐ音が鳴ります。シヤーッとかピシピシとか。これは雪や氷が解けていく音です。これも冬の終わりの季節の音といえます。


さて前置きはこれくらいにして、今回は3号議案の「道普請の出不足金徴収に区の草刈りも加えるについて」です。

「道普請」とは、道を直す作業のこと。年に2回、春先と秋にあります。特に春先は重要で雪国は冬を過ごすと道が傷んでいるのでその修理だったり、雪で道に覆いかぶさっている竹や樹木の伐採などします。
「草刈り」は文字通り草刈り。夏のはじめとお盆前の2回あって、これは欠席しても出不足金は取られない。

これを「平成23年度 Y区基本方針」では、

3.出不足金について
 (1)道普請一日4,000円(女世帯3,000円)。半日作業は半額とする。
 (2)区有林作業も道普請と同額とする。
 (3)区有林作業免除世帯  4月1日現在 男性75歳以上、女性70歳以上の世帯
 (4)世帯主が入院・病弱等の場合は、各組長と区・植林委員会が協議し決定する。

とあります。

これを修正案として

3.出不足金について
 (1)区(の)道普請および草刈りは、一日4,000円(女世帯3,000円)。半日作業は半額とする。
代替者に対しては、差額を徴収しない。世帯で1人出動。
 (2)区有林作業も(1)と同額とする。
 (3)区有林作業免除者は、 4月1日現在 男性75歳以上、女性70歳以上の人、その他免除者は、各組長と区・植林委員会が協議し決定する。

が提案されました。

さて、ここでまたさまざまな意見が出ました。
「当日所要のため出席できず、その代り前日草刈りした場合はどうするのか、誰が確認するのか」
「なんでもカネというのはどうか。草刈りは本来ボランティア作業。それを欠席だからカネをとる、というのは反対。今まで通りでよい」
「いや、出ない人は決まってる。人が少ないのに出た人ばかりに負担がかかっている。今ウチの組では午前中では終わらない。毎回刈残しがある」
「そう。組担当の範囲、人が減ってアンバランスが大きくなっている」
「組担当から、ここからあそこまで何人、あそこからあの地点まで何人と、その都度人の配置を考えたらどうか」などなど。
出てくる意見はそれぞれ今抱えている問題そのものでした。

特に出不足金を取る、という点については数人の方から反対意見があがりました。
「ボランティア」作業から「強制力を持つ」作業へと変化していくことへの違和感、反発ということでしょう。

こうした問題が起こってきた背景には、やはり高齢化と人口減が最大の理由です。ここでは人口減もさることながら75歳以上になるのが急ピッチなので、当然作業に出てくる人が急速に減ってきています。
60代がまだ多くいた時には、出席した人への負担はそれほどでもなく何の不満も非難も問題も起きることはなかった。したがって23年度方針(3)の「……の世帯」という文字が残り続けていた。(修正案では「……の世帯」から「……の人」に変更される)

採決で、議長が「賛成14 委任状28で案の通り決まりました」というと「それで決まったのか」という不満の声もあがったけれど、24年度から実施ということになりました。確かに賛成者は少なく、委任状を出している人の多くは高齢の方が多いので、出席者がもう少し多ければ結果は逆になっていたかもしれません。


このお便りでは前々回と今回とも、総会の様子をできるだけありのままに書きました。言ってみれば一つのことを決めるのに時間もかかれば、半順番制である区の役員さんへ風が当たる時もある。今回の役員さんは本当にご苦労さまでした。

さてさて、こんな様子からあなたは「田舎とは難しいところだ」と思いますか、それとも「田舎にこそ民主主義が息づいている」と感じましたか。あるいはまた、別の見方をされますか。
少なくともこのY区には「ボス的」存在はいない、というのが私の感想です。



この総会があってすぐ、こんな本が新聞広告に載っていました。

『限界集落株式会社』(黒野伸一 著)
ルールは変わった。新しい公共がここに!
「限界集落」、「市町村合併」、「食糧危機」、「ワーキングプア」、「格差社会」などなど日本に山積する様々な問題を一掃する、前代未聞! 逆転満塁ホームランの地域活性エンタテインメント!!
起業のためにIT企業を辞めた多岐川優が、人生の休息で訪れた故郷は、限界集落と言われる過疎・高齢化のため社会的な共同生活の維持が困難な土地だった。優は、村の人たちと交流するうちに、集落の農業経営を担うことになる。現代の農業や地方集落が抱える様々な課題、抵抗勢力と格闘し、限界集落を再生しようとするのだが……。
ルールは変わった!
老人、フリーター、ホステスに犯罪者? かつての負け組たちが立ち上がる!!ベストセラー『万寿子さんの庭』の黒野伸一が、真正面からエンタテインメントに挑んだ最高傑作! 新しい公共がここにある。


私、2週間ほど前に買ったリンゴの剪定の本、まだ読んでいない!



光市母子殺害事件

2012年02月20日 22時57分35秒 | Weblog
2012年02月20日(月) 記

山口県光市の母子殺害事件、判決が出ました。「重い」です。
少年法を論じる法学者としての立場から、死刑廃止論・有用論の立ち場から、罪は罪罰は罰と割り切る人、犯罪抑止に生かそうとする立ち位置、11ヶ月という赤ちゃんを身近に持つ人、少年をよく知っているという立場、ケアしてきた人の立ち位置、不安定な身分に立たされている同じような年齢の人の立場、社会正義を振り回す人、「みんなが言っている」と簡単に受け入れる人、その他いろんな人々や立場、立ち位置からこの判決を巡ってさまざま論じられることでしょうし、論じられたほうがいい。

ただこの判決が出たからと言って、遺族の本村さんには心の「張り」が切れてしまわないように、判決を受けた元少年は、今から残された短い時間の中で、見栄やてらいや強がりなどの心を飾るものをすべて脱ぎ去ったうえでの正直な声を残していってほしい。
そしてたまたま当事者でなかった私たちは、こうした悲劇を繰り返さないよう、もしこの悲劇の一因が元少年が受けた幼児虐待とするならば、あるいは母親の自殺が元少年の人格形成に大きな影を与えたというならば、こうした子どもたちを守っていく社会にしていかねばと考えるのです。


今日は重い日です。
某元首相が「自己責任! 自己責任!」とほざいて人間をばらばらに孤立化させ、会社と労働者の関係もぶっ潰し社会のギスギス感を先鋭化させたが、やっぱり私たちの社会は「もちつもたれつ」、「お互い様」、「子どもは仏さまからの預かりもの」「みんなで一緒に」「子どもは社会の子」などが似合う(こんな言葉、もっとあるはず。教えてください)。
またこの人によって中間層が破壊された結果、庶民の大多数、特に若者が、そして社会全体が貧困化しつつあるなか、こんな時こそ古いといわれるかもしれないけれど、かつてあった「隣近所」をもう一度見直していかねば、と思うのです。

私の幼い時、親に叱られて冬の寒い外に追い出されてべそをかいている時、風呂(銭湯)帰りの近所のおばさんが事情を聴き、少し説教をもらったあとに一緒に謝ってくれ、やっと家の中に入ることができた…そんな時代がほんの4、50年前にはあったんですよ。あ、そうそう『三丁目の夕日』の世界が本当にあったのだ。これが人の繋がりのある社会だった。
この映画(漫画の方?)野田総理がお好きだそうで。

やっぱり、庶民の社会までアメリカ化してしまう懸念のあるTPPは止(よ)しましょう、野田総理!

『Y区臨時総会』、こんなことを決めました①

2012年02月19日 23時52分39秒 | Weblog
2012年02月19日(日) 記

今日は息子家族が住んでいる茨城県M市に行ってきました。
茨城県の最南端、つまり東電福島原発から随分と距離があるのにかかわらず高い放射線量が観測されているところなので、今でもずっと気になっています。

常磐道谷和原ICで降りて一般道を走っていると町の様子に何の異常さも見えない。
若い街なので小さな子どもたちが目立つ家族連れで賑わう大きなショッピングセンターも以前と全く変わらない。平和な穏やかで微笑ましい風景が広がっている。
家人に「放射能について語られることがあるか」と聞くと、「今はほとんど聞かない」という。
それらが私には異様な違和感を覚えた。

時の官房長官は「ただちに影響がない」と7回しか言ってないそうだが、「ただちに」はもちろん「ずっとずっと」先にも小さな子どもたちに影響がなければよいのだけれど。
放射能の影響は今進行中なのだ。「関心が薄くなった=影響が少なくなった」と絶対勘違いしてはいけない。

せめて行政が正確な情報を頻繁に開示していくのが第一歩だと思うが、それもないらしい。
とにかく万全を期し、数十年後何もなければ「とり越し苦労だったけれど、何もなくてよかったよかった」というのがいいと思うのだけれど。
臭いもなく色もなく、目に見えないからゆえ不気味であるし、遺伝子レベルで影響を及ぼすといわれているから恐ろしいのだ。

息子夫婦らと団らん中の14時すぎ、かなりゆれた地震があった。
もし新幹線で事故が起きたら、事故原因がはっきりしてから動かすだろう。
こんなに日本列島全域に地震が続く中、原発は事故原因がはっきりしないまま動かそうとする「うさんくささ」。きっとその裏に何かがあるのだろう。
そして隠ぺいしようとする技術の未熟さと傲慢な精神。これは残念だけれど中国新幹線と同じレベルだ。




さてさて本来の今日のお便りは、昨夜開催の『Y区臨時総会』についてです。
ま、この言葉だけを見ると「固い内容」と予想されるでしょうが、実はその通り。
ただ今回の議案は、過疎化・高齢化が進行中の集落が抱える問題点があぶりだされている内容なので、ぜひ皆さんに知ってほしいと思ってお便りします。特に都市部に住んでいる方に。

この時期の臨時総会の議題は「Y区公民館」(Y区など各区の公民館は「地域公民館」と呼ぶ)の館長と主事(会計担当)の選出なのですが、今回は盛りだくさんでした。
煩雑かもしれないけれど、辛抱してください。

1号議案 Y公民館長および主事の改選について
2号議案 公民館に設置してある電話機の取り外しについて
3号議案 道普請の出不足金徴収に区の草刈りも加えるについて
4号議案 植林委員の人員削減と区有林作業免除の確認について
5号議案 賛助金、緑の羽根募金、結核・肺がん募金について
6号議案 その他

我がY区の世帯数は、平成16年に移住してきたとき90近くあったのに今は72世帯。
出席者は当初29(遅れた参加者を入れると33)委任状提出者が28。
総会成立です。

過疎・高齢化で問題となるのが、お金(区費=自治会費)のひっ迫と働き手の減少です。
この点を押さえておいて、まず2号議案に入ります。

公民館にある電話は事務用となり、基本料1か月2,350円で年間約33,000円。通話度数はこの数年、年間を通じてほぼ0。
この使われなくなった電話をどうするか。皆さんならどうします? 費用もばかにならないし即撤去?

長野市S地区には14区あって、各区の地域公民館に電話を置いてあるのは5区のみ。Y区は5区のうちの1つ。

「この電話設置のいきさつは災害用としたのだけれど、今まで行政からの補助はなかった、つまり災害用として認められていなかった。」
「いざという時にはここに「災害対策本部」が置かれることになっていて、本部が置かれるほどの災害が発生した場合には携帯電話がまず不通となるので、なお一層固定電話が必要となるのではないか。」これは地元消防団員の意見。
「いや、そんな災害なら電話線も切れているで」
「警察、消防が無線を持ってくるので、なかっても切羽詰る状況にはならないのではないか」
「じゃ、警察、消防、行政からの連絡は、本部長になる区長はどこでどの電話で受けるのか。ケータイは不通だぜ」
「一人暮らしのお年寄りが里に住む息子や身内に連絡するのに、何を使うの」

そして私はといえば
「固定電話以外に何かなかったのかなぁ、災害用非常電話とか、何かあったような気がするけれど」と考え込んでいるだけ。

わがY区は山に囲まれているからか、ハザードマップでは地滑り危険・要注意地帯とあり、行政から「孤立の可能性ある集落」として指定され、いくらかの食糧・毛布が配布されていて緊急用として備蓄しているのですが、さてさて電話の取り外しの是非やいかに。

結果:賛成23 委任状28 反対10。

さて、あなたは電話の撤去について賛成?それとも反対?


次回の3号議案も、これまた難しい問題です、高齢化・過疎化集落にとっては。


NEWパソコン 来ました

2012年02月18日 23時22分44秒 | Weblog
2012年02月18日(土) 記

長い間ご無沙汰しました。
パソコンが火が噴いて使えなくなってから新しいパソコンを選ぶまで、少し時間がかかってしまいました。
あれがいいかこれがいいかで随分迷い、経済的なことも考慮すると十分満足というわけではないのですがノートの某機種に決めました。
というわけでこのお便りも再開です。
それにしてもパソコンのない生活、ほんとにこの間不便でした。もう手放すことはできないですね。

で、初めて使うWindows7。長い間XPを使っていたので戸惑うことばかりです。ま、便利になったのかより高性能を求めて複雑になっているのか。
それにしてもシャットダウンするとき、ソフトのインストールだかバージョンアップだか「電源を切らないでください」と表示が出て、それからずいぶん待たされる。「なんだこれは!」と、少々イライラする。まさか使用状況データが収集されているということではないでしょうね。
それに画面の見にくいこと。
Windows7は全体が「霞がかっている」というか、絵の具にある「パステル的」というか、「粉っぽい」というか、どうも見にくい。その点XPは画面のコントラストがはっきりしていて見やすかった。
これからは、どんどんバージョンアップしていく高度な作業用とそこまでしない基本作業用という2極化した基本ソフトがあればいいと思うのですが、どうでしょう。


さて、ここ信州の山里はすごく冷えています。
今夜、夜7時から『区臨時総会』があったのですが、ムラの人々は異口同音に「今年は雪が少ないかわりに冷えがきつい」とおっしゃる。

北信(北信州)の今年は全般的に雪が多いのですが、どういうわけか私たちの周辺は例年に比べて雪が少ないような感じです。その反面、この冬ほど寒く感じた年はありません。昼間も氷点下の気温が続いています。
リンゴの剪定にも行かなくてはならないのですが、寒くて寒くてなかなか行こうという気が起こりません。なにか東京のほうでは梅の開花が1カ月近くも遅れている、とか。

とりあえず今日はパソコンが入ったお知らせです。
次回は今日の『臨時総会』についてお便りしましょう。
じゃ、また近いうちに。

(23時15分、戸外にある寒暖計はすでに-8.8℃になっています。今夜はどこまで下がるのでしょう。でも星空はキレイです)

パソコンが火を噴いた

2012年02月06日 16時30分00秒 | Weblog
2012年02月06日(月) 記
随分の無沙汰です。
少し前、このお便りを書いている最中に突然、パソコンから火が噴き出てきました。あわてて電源を切りしばらくして再度電気を入れると、より大きな火が…。
いろんなところから集めた資料、写真、住所録、リファレンス、すべてすべて消滅です。悔いが残ります。

昨年は愛用のノートが、そして今度はデスクトップが。
一時期、3台あったパソコンが今0台。不便です。

というわけでこの便り、しばらくお待ちください。
よろしくです。