信州山里だより

大阪弁しか話せないの信州人10年目。限界集落から発信している「山里からのたより」です。

『農家民泊』反省会 2/2

2011年08月29日 10時11分20秒 | Weblog
2011年08月28日(日) 記

昨日の土曜日、農作業をしながらラジオで民主党代表選の共同記者会見を聞いていました。
ジャーナリストという品格を持ちあわせていない3人の記者たちが次々に発する「オザワ、オザワ」というバカな質問の連続。
「バカか。原発や政策についてもっと質問しろよ」と劣化した記者にあきれながら、彼らの「思惑」とその思惑を「世論」と言い換えてあらぬ方向に引っ張られていく私達の国の姿を考えながら、ダイコンの種を一粒一粒、大地に落としていきました。
そして今日も、ダイコンのウネ作り。

「つるべ落とし」。
最近の夕方はまさにこの通りですね。黄昏時、農具を片付けて家に帰るか帰らないかのうちに夜の帳(とばり)が下りる。
いやあ、季節を肌身に感じることができることだけでも山間地に生活する価値があると思うし、あのミレーの絵画の中を体験できるような気がします。

さて、今日は昨日のお便りの続きです。

この『農家民泊』は、私の地域Sでは昨年から取り組み始めたということを、いつだったか報告しましたね。
もともと隣の地域Nが取り組んでいて、生徒数が多いので受け入れの応援という形で昨年からはじめた。これも言ったかな?この時、我が地域が応援としての受け入れた学校数が2校で、人数は(すいません)不明。

そして今年は、新たに今年から始めた1地域を合わせた3地域で11校、1,825人(そのうち我が地域は683人)でした。
そして来年の予定は17校で約4,400人(このうち500人はO村に応援してもらう)。これにO村への応援として1校80人を引き受ける。
ややこしいですね。要するに急激に数が増えた、それも異常な割合で、ということです。

なぜこんなに急激に増加したのか、いくつかの要因を挙げていました。

一つに、この地域が絵に描いたような典型的な中山間地地域である、ということだそうです。つまりロケーションがいい。
このお便りでたびたび出てくる善光寺平のような平坦地は、学校行事としての『農家体験学習』『農家民泊』の趣旨には合いにくいらしい。ま、確かに善光寺平では西山と呼ばれる当方に比べれば都会だし、農家も大規模でカエルも虫も極端に少ない。

二つに、地理的条件、つまり交通の便がいいこと。
これは意外でした。でも話を聞いてみると納得です。
つまり安曇野、白馬、大町と高速道長野ICを結ぶルートの途中に位置し、中間とはいえないが、まあ中間に近い、という訳です。観光バスによる移動だから、白馬で1泊してここで1泊。あるいは逆コースで、大阪を朝出発し、夕方前にここに着く。なるほど。


三つに、サポート体制が整っている、ということ。
一言で言えば病院のこと。救急病院、24時間体制の病院があること、です。
この病院は、受け入れ家族のなかで我が家が一番遠いのですが、それでも40分もあれば行けます。確かにたとえ一日と言えど人さまの子どもを預かっているのだから万全を期す必要はあります。

最後に、やはり一度来たら気に入る、のだそうです。
もちろんこれは先生方も、ということです。先生方がこの地を気に入って来年も、ということになるようです。
大阪M市の某中学校の校長先生もいたく気に入って、初期の段階からずっと続けてここに来ているという話を聞きました。私はM市をよく知っていますが、確かに地形的にも正反対で、生徒達が1日でもここに来ることは本当にいい体験になると思います。
さらに、先生方の転勤も影響があるようです。
というのは、この経験をした先生が新任校へ行って、その学校がまだやっていなければ「ぜひ」ということで、この地を推挙して下さる。

さらに付け加えて言えば、職業としての農家民宿や学生村ではなく、純粋な農家に泊まり、純粋な農家の生活に接することができるということも魅力となっているのでしょうか。
急激に増えた理由は、上に述べたそんなところにあるようです。

でも、やはり受け入れ数には限度があります。私達3地域を合わせて10校程度2,000人が適正規模ではないか、という話も出て、修学旅行は2年先のことを計画するのにあわせて、再来年のその数を考慮しているところのようです。あるいは隣町に応援を頼もうか、とか。
私自身は、都会の子ども達をできるだけ多く受け入れてあげたいと思っているのですが。

また、秋に受け入れたらどうか、秋のほうが農産物の収穫時期だし都会の子ども達にとっても、農産物の少ない初夏よりいいのではないか、という意見もあるのです。でもやはり公立の中学校ではスケジュール的に、また受験なども考えると今のところ難しいようです。
でも、受験を考える必要のない中学校がこの秋、初めて来ます。それも2泊。W大学高等学院中学部2年生の120人。


色々な問題を抱えながら1歩ずつ進んでいます。
この子達が大人になってもこの体験はきっと忘れず、また将来的には新しいレジャー、新しい休暇の過ごし方も生まれてくるでしょう。そして、農村が経済的な見地以上にその重要性、貴重なものとして再認識してくれるでしょう。こうなれば何よりも嬉しい(農は国の本(もと)、こころの拠りどころ、といわれますものね)。

私は海外旅行などまったく興味がなく、家族の中では私だけがパスポートを持っていません。
ただ、ヨーロッパの田舎で、農家の老夫婦がベッドと朝食だけを提供し(B&B。漫才の島田洋七・洋八じゃありませんよ~)、都会の人が休暇をそこでゆったりと過ごしている、そんな農家を一度でいいから見たいし、泊まってみたいと思っています。


今回は長くなってしまいました。
じゃ、また。

『農家民泊』反省会 1/2

2011年08月27日 23時45分47秒 | Weblog
2011年08月27日(土)

昨日の昼過ぎ、ついでにどこかの温泉にでも入ろうと思って準備をしていたら『雨あがる。』です。
畑仕事をしました。

今日の夕方、オカンの知り合い2人が来訪したとき、リンゴを持ってきてくれました。もちろんその方が作ったものです。
帰られてからそのリンゴを見ると少し早いかなと思いつつも、甘さと酸っぱさが口の中に広がって、「やっぱり旨いな」が最初に出た言葉。次に「口の中が爽やかになる」でした。
お返しにというわけではないですが、こちらも今日生みたてのタマゴを持って帰っていただきました。

そしてお隣に配り物を持っていくと「油みそにしたら旨いで」と丸ナスの6、7個も頂きました。もちろん私は丸ナスも作っていますが、遠慮せず頂き、夕飯のおかずにしました。
料理は味噌味の、ゴマも入ってる…そんなもの。

いずれもGDPやGNPには0.000001%も貢献していないですが、GNH(Gross National Happiness 国民総幸福量または国民総幸福感)100%でした。



さて、火曜日の『農家民泊の反省会』についての報告です。

一言で言えば「やってよかった」に尽きます。

もちろん、負の意見というか、なんというか、例えば
「おやすみ、とか、おはようなどの挨拶ができない子だった。こちらから話しかけても言わない。扱い方が難しかった」とか、「寝る段になって、3人のうち2人がケンカおっぱじめて、一人が鼻血出して、ま、そんなことがあった」「服装は長袖長ズボンにしてもらえないか」。

こんな意見もあったんですよ、信じられますか。
「虫やカエルのこと見るの初めてで、怖がって…田舎はこんなものは当たり前ということを事前に学校で教えておいて欲しい」だって!
いつだったか、セミを見て「ハエ!」と答える都会の子がいる、と聞いたことがありましたが、「ホンマでっか!?」と思いつつも、今回来た生徒の中には、虫やカエル、見たことのない子がやっぱりいるみたいですよ、いやぁ、オドロキました。

でも「だからもう受け入れはしたくない」という人は一人もいなく、「やってよかった」と言う人ばかりでした。
ある人は「アルプスの見えるところまで行って、アルプスを見ながら子ども達といっしょに歌を歌った。あ~、よかった」と感激していました。


一番議論になったのは、おみやげ、の扱いでした。

お土産については基本的にはダメ。買ったものは絶対ダメ。これについてはだれにも異論はありません。
でも、こういう意見がでてきました。
「では子ども達が作ったり、収穫したりしたものもダメなのか?」

これについては出席者から具体的な話が出てきました。
「ニンニクの収穫を体験させた。収穫後、チンして食べさせたら「おいしい」「あまい」と喜んでいた。都会ではお母さん方は農薬や何たらいっても結局、安い中国産を買う。で、生徒が、こんなにおいしいからおかあさんに持って帰りたい、というからもって帰らせたが、これはダメなのか」
「うちは女の子だったので調理体験させた。一緒に『したし豆』を作って、それをみやげに持たせたが、ダメか?」

子ども達が帰りのバスの中で、ここの家でこんなことをした、あんなことをした、という話になることは当たり前。この時、おみやげを貰った子と貰わなかった子が判明し、微妙な何かが生まれてこないか、という難しい問題でした。

こんな意見もありました。
「生徒が集合した時、いかにもおみやげという感じでカバンからはみでている、というのもなんだかな」
これは時期的にタケノコかもしれません。関西のタケノコはモウソウで、ここはハチク。子どもにとっては、いや関西の大人にとっても珍しく、確かにおみやげにふさわしい。

私はどうか。難しいですね。
あの時晴れていたらリンゴの花摘みをしてもらったかも知れない。そして秋になって「手伝ってくれたリンゴができたよ」と送ってあげたい気持ちになるだろうし。うーん、難しい。

次回は、『農家民泊』の動向について、です。これはこれで興味深い話になると思います。
じゃ。

TV番組

2011年08月26日 12時29分26秒 | Weblog
2011年08月26日(金)

きのう、このお便りを書き始めた夜10時頃、雨が上がった、と書きましたが、送信してからすぐ降りだし、これが午前11時の今現在、ずっと降り続いています。
その降りかたは梅雨時と同じように、しとしと、です。これは秋雨前線による雨なのかしら。

ところで、8月9日のお便りで「NHKのTV小説『おひさま』は今の内容では、安曇野であろうが丹波であろうがどこでもいいようなもの」という意味のことを書きました。
でも、今週になって様子が変わってきたような気がします。今日は特にそう思いました。

陽子の初恋の人で満州に行った川原が、うらぶれた姿で偶然にも陽子の嫁ぎ先の蕎麦屋『丸庵』に入ります。そこで宝くじで浮かれている家族や近所の人に対して怒りをぶつけたあと、『丸庵』の家族の中での会話…。

(道夫)う~ん、満州か…。 いや~ えれえ思いして帰ってきたんだろうな。
(徳子)そうだよねえ。 この辺りにも 大勢いるよね。
(道夫)いや~ 信州から渡った人が日本で一番多いだでね。「そこには理想の土地がある」俺たちもさんざん聞かされたじ、ほいでもまあ 行ってみたら全然違ったらしいで。

TV小説は、舞台となるその土地・地域の風土や風習、そしてそこの住む人びとの記憶や歴史を織り込りこんでこそのもの、であると思う。だからこそ舞台になった地域は格別の喜びを感じるものだし、地域こぞって番組の応援もし、それが契機となって地域おこしの運動が起きる。

2日ほど前「避暑地として思い浮かぶのはどの地域ですか」とのアンケート結果で、第1位が長野県、大きく離して2位が北海道、3位が群馬県という報道を見ました。
たしかに夏の信州は過ごしやすいので「皆さん、おいでなさんし」という気持ちはもちろん本心ではあるけれど、多くの人が満蒙開拓団で悲惨な体験をした歴史も持っているということを少しは知っていれば、道端に何気なく祀ってある道祖神や小さなお堂も単に目に映る風景・景色から、地域の心と交流できる信濃路の旅となって、より深く忘れがたいものになると思うのです。そのきっかけとしてのTV小説に期待したいですね(昨年の11月15日のこのお便りに、満蒙開拓団と軽井沢についてふれています。ご参考までに)。

今日は『農家民泊』の反省会についてお便りするつもりでしたが、内容が大きく違ってしまいました。
こうなればついでに、私が欠かさず見ているTV番組を紹介します。

BSプレミアムのアニメ『へうげもの』。これ面白いです。
古田織部(ふるたおりべ)を主人公にして「数奇(風流 の意味)」を巡る戦国武将を描いているというか、戦国武将がとりつかれた「数奇」を主人公にしているというか、面白い。
クレジットタイトルが終わっていよいよ始まるというときに「フィクションにて候」という文字が出てきますが、歴史学を学んだ私ですら、光秀が反乱を起こしたのも、信長が死んだあと秀吉が数日で備中高松(岡山)から戻れた訳も、家康の実像も歴史学の論文よりここで描かれているほうが真実じゃないか、と思えるくらいです。

2つ目は、フジTV系の『ホンマでっか!?tv』。
金魚すくいをうまくするには ?(忘れました)=Wcosθ の数式を使う。この数式は金魚すくいのためにある、なんて説明には抱腹絶倒ものです。毎回楽しみにしています。

こんなところですか。

ちょうど昼になりました。雨はまだ降っています。
読みたい本も随分たまっていますが、せっかくの雨なのでこれから愛車(スズキの軽トラ)を駆って安曇野へドライブに行ってきます。雨の安曇野、いいんですよ。

じゃ、また。

種まき(この月曜の)

2011年08月25日 23時13分04秒 | Weblog
2011年08月25日(木)


今日は昨夜から降り始めた雨がずっと降り続いて、夜10時の今、やっと上がったようです。

雨、好きですねぇ。
明け方そろそろ目も覚めようとする頃、雨の音が聞こえてくるとなぜかしら心が安らぎます。
「今日は農作業が休みだから」ということでもないし。なぜなんでしょう? 

こんな雨の中、その間隙をぬって秋・冬野菜のために畑の雑草抜き。ニンジンの播きなおしをしました。

というのは7月19日にホウレンソウとニンジンを播種しました。この時ニンジンについては、今年の種と共に、残った去年の種も試しに播いたのですが、今年のは発芽したもの去年の種はまったく芽が出ませんでした(ニンジンについては、やはり古い種はダメ、ということでしょうか。保存方法にも関係するかも知れませんが、それにしても1袋の種の量が多すぎて、どうしても余ってしまいます。量を少なくして、値段を安くして欲しいです)。
という訳で、播きなおし、という次第です。

この地では、遅すぎでしょうね。でも、根が肥大しなくても葉だけでも充分。強い香りの葉のゴマ和えはもちろんパスタの上にパラパラと。
食べることが大好きな私には、もう今から楽しみです。


ところで月曜日に50ポットずつ播いたハクサイ・キャベツ・京ミズナ。
2日後の昨日の24日、ハクサイは100%、キャベツ・ミズナはポツポツと発芽しました。畝に播いたダイコンもちらほら(いずれも今日は全部発芽しました)。早かったのでホッとしました。

実は今回、種まき用培土が使えませんでした。理由は『放射能』。

いつだったか忘れましたが、ホームセンターで売っている堆肥、培土、腐葉土から放射能が検出され、それらが軒並み販売停止・休止になり、まったく手に入らなかったのです。
それらは店先に積んではいるもののブルーシートで覆われ、店長に話すると、検出されていないものも今のところ売れない、ということでした。

困っていたのは私だけではなかったようで、販売可能なプランター用の土すら売り切れ状態でした。これは人びとが培土として転用しているのでしょう、私もそう考えましたから。

春まきは1週間遅れても挽回できるが、夏・秋まきは1週間遅れると生育が1ヶ月遅くなる、と聞いたことがあります。
遅くなった2回目の苗つくりも早急にしなければなりません。
特にダイコンは、月曜日に播いたものはごく普通の青首ですが、たくわん(関西弁でこうこ、こーこ)用の『信州地大根』はまだ播いていない。これは絶対に作らなくては。

『信州地大根』のたくわん、ほんとに旨いですよ。
去年初冬に漬けたものをこの春先から食べ続けて、あと残り4本になってしまいました。

それにしても『放射能』。

あ、そうそう、昨日のヤニで汚れた腕の件。
どうもヤニではなさそうです。
昨夜、寝る頃から痒くなってきて、今朝見ると「かぶれ」そのものです。いやはや、まいりました。

通せんぼ

2011年08月24日 23時15分40秒 | Weblog
2011年08月24日(水)記

お元気ですか?
お盆が過ぎるとここ信州は、一気に秋めいてきます。とは言ってもさすがに温暖化、土地の人は「昔ほどではない」と言います。
お盆を過ぎて全国的に涼しくなったとき、夜、窓を少し開けて机に向かっていると涼しすぎて、綿入り半天を引っ掛けてしまいました。ま、今日は最高気温が30℃近くなりましたが。

月曜日、あわててダイコン、ハクサイ、キャベツ、京水菜(関西では普通にミズナという)を播種。これについては、近いうちにお便りします。

火曜日は、5・6月の中学生の『民泊』受け入れについての反省と、来年の予定についての話し合いがありました。これは夜の7時から9時過ぎまで。これについても近いうちに報告します。

さて今日の水曜のお便りは、写真の通り、です。
ここは昨年の10月に崩れたところで、倒れた樹木の名残が残っていますが、今回もまったく同じ場所です。朝、ゴミの集積所に行こうとしたら、こんな状態でした。


区長さんに連絡すれば地元の土建屋さんが片付けてくれるのですが、自分でやりました。なにしろここから上は、私宅ともう1軒あるだけですから。


ところがこの木は何なのか、葉っぱだけを見るとウルシに似ていますがそうではなく、ヤニが強く、何度も洗い、風呂からあがっても腕はこの状態です。

加えて、写真では見にくいですが、皮膚がふやけたように白くかぶれているところと、赤く高原状に腫れているところがあって、両腕が痒(かゆ)い(長袖でやればよかったのに、すぐに片付くので半袖でやってしまいました。反省です)。
それにしても、この木は、一体何なのでしょう。


現場からホンの少し離れたところの小さな秋。
道にはイガグリが転がって、その頭上、栗の木が道を覆いかぶさっています。

この谷川にはホタルがよく飛んでいたのですが、今年はどうだったのでしょう。
じゃ、また近いうちに。

帰省

2011年08月20日 22時54分00秒 | Weblog
2011年08月20日(土)記


皆さん、お盆休みはいかがお過ごしでしたか? 我が家には、京都と茨城に住む子ども家族が帰ってきました。

皆さんの所もそうでしょうが、お盆期間中も暑かったですね。信州の中山間地のこちらも暑く、とうとう屋根裏部屋から扇風機を引っ張り出しました。こんなことはここに来て丸7年で、初めてのことでした。

14日の日曜日の夜はムラの盆踊り大会。
開催場所の分校跡グラウンドに行ったときはすでに踊りは終了で、最後のくじ引き大会開始の時でした。
参加者は近年にはない多人数でした。それもムラの住民は稀(まれ)で、ほとんど全部と言っていいほど帰省中の若いお父さんお母さんとその子ども達で、その数あまた(数多)。

もちろん私には、誰がどこの息子・娘・孫だかさっぱりわかりません。
親しいムラの人に聞いても「ワシらもさっぱり解らん。それにしてもこんなに大勢になるんだ」とびっくりしていたように、今年は特に多かった。
わがムラでも、TVニュースの「今年は帰省が多い」ということが実感されました。これは巷間言われているように、やはり3.11の影響でしょうか。


15日の午後には京都組が、16日には茨城組がそれぞれの日常生活に戻って行きました。

それぞれが帰ってしまうと、「あれも話したかった。これも言うのを忘れた」と悔いが残ります。

ゆっくりと時間が取れているはずなのに、肝心なことが話せていないのは、私達の時間がまだ「田舎時間」になっていないのか、それとも娘夫婦でなく息子だからなのか。



さて、日常生活に戻って、こんな記事を見つけました。
「ブロークン・ウインドウ(割れ窓)」現象とは対極に、「農」にはこんな力もあるのですね。
「荒廃する社会」を救うのは「都市農業」? ←クリック


あ、そうそう、あと2~3日で削除されてしまうので、ぜひ今のうちに聞いておいて下さい。
NHKラジオ第一「ラジオあさいちばん」ビジネス展望(午前6時43分頃~52分頃)の
7月26日(火)放送分 京都大学大学院教授 諸冨徹 「電力事業における発送配電分離の必要性」
http://www.nhk.or.jp/r-asa/business.html
です。

東京電力が行なった計画停電。
電力不足のこの時「特定規模電気事業者」が電気を売りたいと思っても、東京電力によって拒否されたという、原発事故を起こした反省のかけらもなく、輪をかけて強圧的なやり方を私達が知ることができます。

それにしてもマスコミはこんなことは報道せず「電力不足、電力不足」と叫ぶばかり。NHKも早朝の時間帯に一度流すだけ。

マスコミは、この国と国民をどうしようとするのでしょうね。

タマゴとヘビ

2011年08月12日 23時53分33秒 | Weblog
2011年08月12日(金)記


帰省と行楽のため、高速道路、新幹線、飛行機など交通機関は大変ですね。特に帰省は、混雑の中を帰ってくるのは大変でしょうけれど、でも「帰省」という響き、いいものですね。

明治期にはすでに堺商人として生業し、戦前には少しは名も売れていた商売をしていたけれど、堺大空襲で無一文になってもこの地に住み続けていたにもかかわらず、つまり少なくとも100年以上、4代以上も前から住み続けているのにかかわらず、私にはずっとデラシネ(根無し草)感がありました。なぜなんでしょうね。

だから、という訳でもないですが、北原謙二さんの『ふるさとのはなしをしよう』という歌(http://www.youtube.com/watch?v=45rqaUJruMg)が羨ましい気持ちもあって大好きでした。
(作曲、キダタローさんなんですね、初めて知りました。大阪の人間には「浪速のシューベルト」としてよく知られた作曲家です)


あしたの13日、我が家にも2組の息子夫婦が帰ってきます。
一組は京都から。もう一組は茨城から。

ということで、たとえ息子夫婦だといっても片付けや掃除などは一応やらなくてはなりません。で、今日は家の掃除でした。

でも生き物を飼っている以上、世話はしなければなりません。
で朝9時半ころ、普段この時間帯には5羽とも卵を産み終えているので、採卵のため産卵箱を覗くや、なんと先客がいるではないか。飛び上がりました。


しばらく見ていると、この中の一番小さい卵を飲み込もうと一所懸命です。
下顎の蝶番をはずして最大限口を空け、タマゴの横から試し、とんがった方からも試し、何度も何度も試みていますが、飲み込めません。


しばらく見ていたのですが、たぶんアオダイショウですが別の毒蛇だったらいやなので物置に行き、高枝切りを持ち出し、それを使って挟んで捕まえようとしたのですが、胴あたりにあてがったものの手が震えていて、スルリと逃がしてしまいました。わあ、やっぱりヘビはいやだ。
(もちろん一緒に見ていた嫁はんには、「よう滑るわ。」と嘘をついておきましたが…。

暑っ!

2011年08月10日 23時30分57秒 | Weblog
2011年08月10日(水)記


今日はほんとに暑かったですね。「暑い」というより「熱い」です。

国道の側にある電光温度計が表示している気温が、なんと39℃。こんなこと初めてです。コピーをとりに行ったコンビニの中でもこの話題。

今日は1日中、何もできませんでした。いや、何もしないほうがいいかも。

暑いときは、写真のようにネコを真似たらいいんですね。
ここはヤギ小屋の中。

  

ほんとに暑かった。

今日のお便りはこれだけ。


「おひさま」陽子の安曇野と、「山の女」ハルエの秋山郷

2011年08月09日 20時38分17秒 | Weblog
2011年08月09日(火) 記


今日はナガサキの日。忘れてはならない日です。

さて、いよいよ夏休みモードになって、ここ信州では他県ナンバーの車が多く見られるようになってきました。夏の信州を楽しんで、無事故で帰宅されるように祈っています。

NHKもこの時期にあわせているのか、安曇野と松本を舞台にした連続テレビ小説「おひさま」キャンペーンをやっています。
でもこのドラマを見ていたら正直なところ、別に安曇野でなくっても、という感じがします。

陽子と信州松本や安曇野との関連の必然性があまりないし(設定に疎開先を丹波に、蕎麦屋を酒屋にしたって違和感はない)、安曇野のシンボルである常念岳や有明山はもちろん、広々とした田園風景や屋敷林、透明な空気感、クリアな光も感じ取れないので、安曇野の風景や風土を愛する私としては、全国の人々から「安曇野はこんなもの」と思われてしまうのは誠に残念な気持ち。

録画していた7日のNHK日曜美術館『光を色を!もっと高い山へ セガンティーニのアルプス』を今日見て、一層その感を深くしました。ちなみにこの画家のことは初めて知りました。

たまたま数週間前、陽子とほぼ同年で同じ信州の秋山郷で暮らす女性の半生記の語り本を読みました。題名は『山の女 秋山郷・焼畑の谷に生きた女の一生』(山田ハルエ 白日社。世間にあまり知られていませんがいい本屋さんだと思うので紹介しておきます  http://www.hakujitsusha.co.jp/ この本、アマゾンにはなかった)。

陽子とハルエ。同じ時代であってもその生活環境の落差の大きさに驚かされます。これは長野市を中心とした善光寺平(里)とその西に広がる山間部(西山地区。里に対し山と呼ばれる。いま私が住んでいるところ)の違い以上のもののようでした。
この本に書かれた内容からは、戦前はもちろん戦後の一時期まで、風俗や日常生活は江戸幕末期からあまり変わらないのではないかと思われるほどのものでした。まあここの女の人は大変だったようだ。
交通の手段はもちろん“徒歩”。今は上越新幹線の越後湯沢駅を利用すれば、長野県庁より東京のほうが近いそうですが。

2~3年前、この秋山郷に行ったことがあります。
この一番奥にある切明温泉を目的に、40年以上も前に読んだ『北越雪譜』のこの地を観光案内マップを片手にドライブし、歩きました。
(参考 『秋山記行』http://www.i-apple.jp/aki/ )

途中、「屋敷(字名)」というところに秋山郷民俗資料館があります。
この資料館は200年ほど前の民家をそのまま利用し、館長であるおばあさんの夫や義父がこつこつと蒐集した道具類を展示してある民間のものです(200年前のこの家と110年前の我が家とあまり変わらない。変化がなかったのかも)。

で、山田ハルエさんはここ「屋敷」の山田亀太郎さんに嫁入りします。本にはこの民俗資料館の内部の写真も掲載されています。小さな集落なので館長さんとのかかわりある話を聞けるかもしれません。

民俗資料にあまり興味のない人は見終えるのに10分もかからない資料館に囲炉裏があります。
入館者がここに自然と集まって座り、お茶を飲みながら世間話をするのがメインのようなものです。これは、一人暮らしをしているこの館長さんの楽しみかも知れません。「全国あちこちから来てくれる人と話すのが楽しみ」と言っていましたから。

子どもたちが来た折には連れてきてあげたい場所のひとつです。

東北の地震の翌日に起こった信州栄村の地震。復興にはまだまだです。どうか応援も兼ねて信州栄村と秋山郷へぜひお越しを。温泉の宝庫でもありますよ。

じゃ、また。

夏までの収穫 2/2

2011年08月08日 22時26分44秒 | Weblog
2011年08月08日(月) 記


6日の土曜日は、午前はJAの農業講座を受講し、午後は高速バスで大阪に行ってきました。
最近まではJRでしたが、運賃はともかく、荷物を持っているときの名古屋での乗り換えがわずらわしいのに加え、新幹線の混雑振りがいやでもっぱらバスになりました。
同じような考えの人が多いのか、この高速バスの利用は、最近、若者より中高年の方が多いような気がします。復路は夜行で3台でした。松本行きの台数はわかりませんが、結構需要があるんですね。

帰りのこのバスの魅力はなんと言っても安曇野の夜明けを感じることができること。走っている時間はわずかですが、信州に帰ってきた、ホッとする、という実感が湧いてきます。

さて、前回は夏までの収穫についてのお便りでした。今回はその続きです。
続きといってもそんなに目新しいものはありません。でも考えてみれば、毎年毎年同じようなものを作り、同じようなものを食するということが、実はかけがえのないことなのかもしれません。

写真は6月26日のタマゴです。
1羽が1日のうちに2個産んでおり、そのうちの一つに「殻」がなく「薄皮」のままでした。なぜなんでしょう、解りません。そんなに産まなくてもよい、と言っているのですが。写真を見てもタマゴ自体はまだ若い、ということが解ります。



左に写っているのがラズベリー(7月4日)。これは2種類植えてあって、赤くなるのと薄黄のもの。これももちろんジャムですが、生食するとプチプチとした食感と口中に広がる香水のような香り。

私は香りの少ない薄黄のほうが好きで、つまみとって直接口の中に放り込みます(たまにクモの巣も味わうことになりますが)。

その間、春ダイコン、タマネギ、アスパラ、ブロッコリー、ズッキーニ(ことしはダメでした)のほか、コマツナ、シュンギク、ホウレンソウなどの葉ものも作りました。
そして7月31日のお便りのとおり、夏の定番、果菜類へと移って行きました。



いつだったかのお便りに、水上勉さんの『土を喰う日々』(新潮文庫)を紹介したことがありました。
この本は1年間の野菜との交流を随筆したものですが、きっと先生も、その時期になればその時期にタケノコを食べ、梅を漬け、それを何年も何年も繰り返してきたのでしょう。

今年は特に、この繰り返しができることの有難さや尊さを深く感じます。
なんの落ち度もないのに、この「この時期にはこれをする」というまっとうな暮らしから引き離された、福島をはじめとする放射能汚染農家の無念さが思い浮かばれます。

では、また。