信州山里だより

大阪弁しか話せないの信州人10年目。限界集落から発信している「山里からのたより」です。

『農家民泊』──中学生がやってきた(3)

2011年06月26日 23時51分07秒 | Weblog
2011.06.26(日) 記

今日は『JIN~仁~』最終回。2時間だったのでついさっきまでTVを見ていました。
TVを見ながら、ツイッターで『JIN~仁~』関係の呟きを読んでいると、私には浮かばない発想で見ている人がいれば、家庭の様子なども披露する人があって、単にドラマだけを見ているのとは違って、なかなか面白いものでした。

ドラマの放送中、こんなツイート(つぶやき)がありました。

kupupi H ase T (イナ・バウワww) 
かわいい! RT @mi_strawberry: 治療に奔走する仁先生を見て、2歳の息子が「じんしぇんしぇい!」と巾着袋を頭にかぶりぬいぐるみ治療してる☆仁先生に負けず劣らず忙しそうです(笑) #JIN_TBS #JINhttp://p.twipple.jp/S4MPv
(これは上野の山で彰義隊と官軍との戦争で怪我した者を治療している場面の時でしょうね。)

KawashimaNoriko 川島ノリコ
母の愛とは、、、本当に深いものですね(;_;) #jin
(これは怪我をした娘、橘咲を見舞いにいかない母、橘栄を見て)

minazuki255 minazuki255
世界の違う過去・未来に龍馬と一体になった仁が成立できるんだろうか?それは別の世界でもありえないことになるのではないの?つまり、同世界に同じ物が二つあるという矛盾になる・・・?わかんなくなってきた・・・#JIN #tbs
(この人も私と同じように、TVを見ながらごちゃごちゃになっている自分の頭の中を整理をしようとしているのだが…)

久しぶりに集中して見たTVドラマでした。



さて今日は3人から来たお礼状を紹介する、ということでした。
あ、そうそう、タイトルが前回と前々回違っていましたね、今朝気がつきました。
『大阪の娘がやってきた』というフレーズがインパクトがあって頭に染み付いていたんでしょうね、きっと。いやぁ、こっちのほうが断然いい。
という訳で、今回も『農家民泊』──中学生がやってきた(3)とさせて頂きました。

まずA君から

前略 風薫るさわやかな季節となりました。この度は修学旅行をお受け頂き誠にありがとうございます。

今回僕が民泊させていただき、僕がいちばん印象に残っているのは、ドライブとヤギです。
ドライブの中でも特に印象に残っているのはキノコの栽培所です。本当は炭を作っている所を見たかったけど作っている人がいなかったのが残念でした。キノコを作っている場所を見れたのには感動しました。

他にも印象に残っているのがヤギや犬などの動物です。中でも一番おどろいたのが白いヘビの話でした。
白いヘビはめずらしいので一度見てみたかったです。家の近くや色々な所にタヌキやキツネの巣があると聞いた時には見てみたいと思いました。長野では大阪に住んでいて野生では絶対に見れない動物がいっぱい見れるのですごいと思いました。

家の中ではみずてっぽうの付いているトイレやまきブロははじめて見ました。いろりは博物館で見たことはあって、その時は自分で火を付けたくなりました。ああ言う物がすきでずっとさわっていてもあきませんでした。特に火を付けた後に火を見ていると心がやすらぎました。
そして火は見ていてもあきそうになくずっと見ていられそうでした。

この民泊で色々お世話になり大阪では絶対に体験できない色々な事をさせていただきありがとうございました。

5月26日                          



次はB君です

前略
風薫るさわやかな季節となりました。この度民泊をお受け頂き誠にありがとうございます。
自然とふれあう事や、ヤギなどめずらしい動物を見る事が出来ました。

その中でも、焼肉と村のたんけんと家の中がとても印象に残っています。

焼肉では羊の肉が、少し歯ごたえがありとてもおいしかったです。焼肉で出た野菜はシャキシャキして新鮮で今でも歯ごたえが残っています。

村ではキノコの栽培場や、お寺に連れていって頂き、とても楽しかったです。小学校を見れなかったのは残念ですが、色々な事を学べて良かったです。

家では囲炉裏やトイレに水てっぽうがあるのが、びっくりしました。囲炉裏を見るのは初めてで感動しました。火をつけれるかと言われた時、どうしたらつくのかと思ったけど、思ったより簡単でした。

この修学旅行は一生の思い出になると思います。ありがとうございました。

5月26日



最後にC君

拝啓
風薫るさわやかな季節となりました。
こちらは学校の定期テストや運動会が近づいて忙しくなって参りました。

このたびは修学旅行での民泊で私共を泊めてくださりありがとうございました。この民泊ではいろいろな体験をさせていただきました。この修学旅行で本当に一番記憶に残っているといっても過言ではないくらいです。

まさかヤギに触れ合うことができるとは、そして茶色の温泉に入ることになろうとは、カメムシがあんなに湧くとは、カメムシはおどろきこそはしませんでしたが、あんなにでてくるとは思いませんでした。

一日という短い時間の中で、本当にたくさんのことを体験させていただきました。家に泊めてくださって本当にありがとうございました。
敬具
  五月二十六日

『農家民泊』──中学生がやってきた(2)

2011年06月25日 21時16分49秒 | Weblog
2011.06.25(土) 記


昨日のお便りは、炭焼き小屋の探検で終わりました。
探検はそれから、御柱の『Y神社』、標高の高いところなのに湧き出ている不思議な泉、そしてお寺に行ったところで雨が激しく降ってきたので帰宅しました。結局、分校跡だの『七清水』だの、これと云う所には行けませんでした。

さて今回のお便りは、私と同じように中学生を迎えた方の手記を紹介しましょう。地区公民館の広報紙に掲載されたものです。この方は私より1日前に受け入れました。写真とその解説は私です。




『大阪の娘がやってきた』

今日5月11日は、朝から妻と二人して、そわそわ落ち着かない。民泊の娘たちが来たら「何の仕事をしてもらおうか」「でも雨が降っていてどうしよう」「また夕食には何を食べてもらおうか」など。
4月15日の民泊説明会を聞いて来てから、毎日こんな話をしながら心配したり、楽しんだりである。

我が家の末娘も30歳を過ぎた今では、夫婦間の会話も少なくなり、かわいい孫の話がほとんどである。しかし、今日は時間が15年以上もタイムスリップした感じで、大阪の娘4人が我が家に泊まりに来てくれる。

嬉しさと不安の中で、M(地名)の健康スポーツセンターへ迎えに行く。前日に写真が送付されてきたので、我が家に来る子供達をすぐに探すことができた。プラカードを示すと彼女たちもすぐに解った様子で、にっこりと笑顔で応えてくれた。
(観光バス4台がスポーツセンターにやってきました)
(体育館での説明、挨拶など。このあと生徒と受け入れ側の対面です。奥に並んでいる人が受け入れ農家)

我が家に向かう途中で、水田の周りの電気柵を珍しがり、「これは、猪や鹿からの害を予防するものであること」を話したり、ここは晴天の日には美しいアルプスが一望出来る場所であることなど話した。「お世話になります」と言って、上がった足もとがズブヌレであった。

話を聞けば、「白馬の残雪で雪遊びをして濡れたが、とても楽しかった」と言う。娘たちを着替えさせ、茶の間に誘うと、都会にはない堀こたつをみてビックリしていた。

お茶の後、みんなでギョウザや山菜の天ぷらなどを楽しそうに作ってくれた。大勢で食べた夕食は、格別に美味しかった。彼女達が一番楽しみにしていた星空が見られずに、残念ながら夜10時過ぎに眠りについた。

翌朝、早々に食事を済ませ、裏の畑で土産用に野菜や椎茸を採らせた。

あいにくの雨のため、満天の星空も、素晴らしい北アルプスも見せてやる事が出来ずに残念であった。

我が家では、「S(地区)と都市の交流を図り、Sの活性化を」との考えに賛同して、民泊に参加させていただいた。

それから、もう10日が過ぎてしまった。

5月23日には、大阪の娘たちから礼状が届いた。子供達との確かな心の交流が出来たことを知り、とても嬉しく思った。

この子供達が成長し、立派な大人になった時、このSと何らかの関わりが出来たら嬉しいと思うと共に、子供達の健やかな成長を祈る今日この頃である。





以上が、ある受け入れ農家の感想でした。
農家民泊。私にとってもなかなかいいものでした。
次回は、この手記にもあるように私に届いた礼状を紹介したいと思います。
じゃ。



『農家民泊』──中学生を迎えて

2011年06月24日 23時51分22秒 | Weblog
2011.06.24 (金) 記


あわや40℃になるかという気温のところがあるかと思えば、大雨。それに加えて放射能。日本列島全部がホントに大変です。

ここ信州も上高地につながる道で土砂崩れがあって、観光客や上高地で働く人たちが閉じ込められている、というニュースが大きく取り上げられていました。
でも私の住む山里は、ほんのパラッときた程度で、さすが信州は山国、少し離れると気象状況が随分と違います。こちらでのまとまった雨は、今夜半から明日にかけてでしょう。


さて今日のお便りは、半年前の1月21日付けでお便りした『農家民泊』の、その後についてです。
実は5月12日から13日にかけて東大阪の某中学校の3年生3人を引き受けました。
彼らはこの日の午前中、白馬でパラグライダーやラフティングを楽しんで、その夜はそれぞれ分泊して農家で過ごす…。昨今の修学旅行は羨ましいですね。

我が家で泊まるのはそれぞれ個性ある男子3人で、「孫」と言うには大きすぎ「子」というには小さすぎて、最初はどう接したらよいのか戸惑いもあったのですが、すぐに打ち解けました。

この農家民泊では明るいうちは、農作業の手伝いをする、薪割り、風呂沸かしなど農家の家事手伝いをする、山菜を取りに行く、農家料理を一緒に作るなどなど、まあ「プログラム」的なことをすることになっているのですが、残念ながら当日は雨。普通こんな時は「何をしようか」と困ります。

私はムラ(Y区)の探検に連れて行くことにしました。
山の中のこんな小さな集落でも、人の営みの歴史があり、その営みの中から生まれた数々のものがまだまだ息づいている事を知って欲しい、と思ったからです。
もちろん中学生の彼らに、こんな理屈っぽいことは言いませんが。

禁止されています。本当はダメ、なんです。ダメなんですがこうした山村の中では中学生のみならず、大人でも喜ぶこと──軽トラの荷台に乗って、さあ、ムラの探検です。

実は今年になって早々、『Y区 てくてくマップ』なる手書き地図を作り上げていました。
これはウチに遊びに来てくれた方が一人ででもムラの中を散策できるようにと作ったもので、7つの清水のある場所とか、Y神社、山の神、地勢など書き入れてある手書き地図です。

合羽を着、笠をかぶった彼ら3人にこの地図を与え、初めての軽トラの荷台に興奮しながらまず向かったのは、もう使われなくなった炭焼き小屋でした。


ウメ

2011年06月21日 23時02分18秒 | Weblog
2011.06.21(月) 記


お元気ですか。
私の気分は△。どうも気分が優れません。ま、このお便りではこれ以上触れずにいましょう。

さて写真は昨日の朝7時頃、小梅を収穫していたらなんとなく感じた視線。ふとみると朝露に濡れた、葉も広げる前の生まれたばかりのササにしがみついているカエルでした。

ひんやりとした空気。気持ちよい湿気。植物から出ているフィトンチッドかもしれない香り。朝もやを透けて通ってきた柔らかい朝の光。
こんな「アトモスフィア」に包まれれば、カエルだって気持ちいいわ。
写真を撮って、オンドリの声を聞きながら収穫の作業を続けました。


梅は2本あって、あと1本は『豊後』だったか『南高』だったか、どちらにせよ普通の大きさの梅です。
これは、ここに移住してきた平成16年、その秋に竹薮を切り開いて記念樹として植えたものです。ま、そういうことから他の木々に比べ少々思い入れがあります。

実は小梅はお隣(といっても300mほど離れています)のウシザワさんから毎年、ザルに一杯頂いているので、そんなに「実を取りたい」という思いがなく自然のままにほうっておいたのですが、おととしの春に2~3輪、去年は20輪ほど花が咲いて5つ6つの実を付け、そして今年は50ほどなりました。
一方の梅は今年初めて数十の花が咲いたのですが、実になっているのはざっと見で20ほどです。

で今年初めて気づいたのですが、小梅と普通梅の花の時期が少しずれているんですね。
小梅のほうが早く、ちょうどこの花のほとんどが散ってしまう時期に、普通梅の花が咲き出すのでした。

これは少々問題です。
というのも小梅はともかく『豊後』も『南高』も自分の花粉では実が成らないか成りにくいのです。

果樹は不思議なものです。植えて幾年かはなかなか成長しないのですが、大きくなりはじめるとそれはそれは早い。
玄関までの進入路の脇に植えてあるグミは今年は見事に成って、パン食のオカンはせっせとジャムを作っているほど、カリンも去年は2、3個から今年は鈴なりに成っています。

来年の梅は今年以上に多くの花が咲くでしょう。その惠を有難く頂くためにも、受粉についてはもう少し考えねば、と思うのでした。


あ、そうそう、付録です。
近くに生えていたマタタビをちぎって、「ハチ」にあげました。普段はいちばんしっかりしている「ハチ」のリラックスした姿をどうぞ(写真では見にくいけれど目は開いているんですよ)。

区有林手入れ下見

2011年06月20日 00時19分04秒 | Weblog
2011.06.19(日) 記
わがY区は区有林を持っています。年に2回、区民総出で下草刈りや間伐、雑木や潅木の伐採などの管理を行なうのですが、今日は今年1回目のための下見の日。

この下見は、区の5つの地域(『組』という)から2名ずつでている植林委員10人と、区長、区長代理各1名の計12人で行ないます。でも今日は病気やなんやかやで出席者は8名でした。私はS組の委員として参加しました。

先ず8時に公民館に集合です。
ここで過去の記録を見返し、今日の下見場所を2~3箇所決めてから山歩きをします。そして2時間ほどかけて2箇所を下見しました。
写真はそのうちの一箇所で、民有林と区有林の境である尾根筋から撮りました。
左側が区有林で植林して40年から50年のカラマツ林。その奥にアカマツ林。右側が民有林で、植林することなく種々雑多な木々があって、やはり雑木林のほうが美しいですね。明るくて柔らかく、いかにも森は生きている、という感じがします。


でもこの森歩きは実に楽しい。いろんなことを教えてもらえます。
木の名前はもちろん、その性質、使い道、こんなところまで戦後開拓に入った人の家の後、動物の足跡、食べられる植物、マツタケをとりに○○サンは必ず秋にここに来るとかいった秘密、この沢が犀川支流の○○川の源流、山から抜いてきた植物の根の乾燥を防ぐための方法などなど、実に楽しい。山も生活の一部であった人たちの話はやはり違う。

下山後、公民館で協議しました。
まず1つ目は、作業地の決定です。今日見た2箇所からどちらか。これはすぐに決まりました。
2つ目がこの作業の免除について、です。
免除世帯として男世帯は4月1日現在、75歳以上、女世帯は70歳以上、そして病気の者と一応決まっています。が、ここに問題があります。
免除世帯に20歳以上の若い息子や娘がいる世帯はどうするのか? 年度途中に区に入ってきた者は? 夫が75歳以上でも妻が70歳以下の場合は? 老夫婦の下に子ども夫婦が入ってきた場合は? 子ども夫婦が別に家を建てたばあいは? などなどいろんな問題が出されました。

こんなことを議論されるようになったのは、実は免除世帯が急激にふえて(つまり高齢化社会になって)きたからです。

我がY区の世帯数は72(参考までに人口は177人)。このうち年齢による免除世帯は28(加えて病気免除は2世帯)。72分の30で実に42%が出れない。

参加可能世帯が少ないということは、次のことに影響がでています。
1つに、出席できる世帯も当然平均年齢が上がってきていますから、単純にいって作業能率も作業量も減ってきています。したがって作業面積が少なくなってきている。つまり手入れできる面積が少なくなってきており、荒れてくる面積が年々大きくなってきている。
2つ目に、実は作業欠席世帯には男世帯は半日で2,000円、女世帯は1,500円を出不足金として徴収し、それを植林委員会の財政の柱のひとつとしてるのですが、このお金も当然集まらなくなってきて、委員会の運営もきつくなってきた。

今日もこのことが論じられました。
もうそろそろ、区有林としての保持も限界かもしれない、という話も区内住民から聞こえてくる、という話も出た。
あるいは、山の木をキノコのほだ木(キノコ栽培の原木)として売ったらどうか、というアイデアも出た。
これには私も賛成なのだが「ダメ」らしい。原因は税制。つまり、植林委員会として区有林から収入を得ると現在の無税扱いが課税されるようになり、さらに収入に対しての課税があり、あわせてかなりの金額が課税される、という。そう、かなりの金額。これでこの案はあっさりボツ。

この話からY神社社有林の話も、今は無住である寺の寺有林の話も出た。
特に神社境内の木を整理するために目通し10cm以下の木を伐採する予定になっているが、神主から「売ったら絶対困る。そのまま倒して枯らしてほしい。少しでも収入があれば税金だのなんだのと実にいろんなことがあって困る」というのだそうだ。あちこちで見られる切られてほったらかしになっている木々。もったいないと思っていたが、こんなケースもあるのだとは知らなかった。

これらの話が終わって缶ビール1本ずつと豆、スルメなどでの簡単な慰労会をして終了。
ま、わが区有林は人の問題やら税制やら、財政面やらで難しい局面に立たされていることは事実です。

それにしても人が入らない山は、確実に荒れていく。荒れた結果は土砂崩落をひきおこす。
現に、雨の降り方も熱帯のように変化してきていることもあるだろうけれど、わが区、わが地域の土砂崩落の箇所数、回数も私がここに来た7年前に比べて確実に増えてきています。

それはそうと、こんなのはどうだろう。
1泊3食と酒と寝る場所は提供するので、ボランティアで山の下草刈りに来てくれ……ないだろうなぁ。交通費も出ないし賃金もないし。
いや、見方によれば報酬は「体力は使うが気持ちよい山での労働」「山のはなし」「村人との新しいつながり」などなどで、お金では買えないものが報酬、と言えるかもしれないけれど…。
このお便り読んでくださってるあなた、どう思います?

(『JIN~仁~』切られるシーンや手術シーンは目をそらしながらじっくり見てしまって、このお便りが遅くなりました。いよいよ来週が最終回ですね)

あ、そうそう。ニワトリ、今日はタマゴ5個産みました。なんと10割です。こんなに多く生んでくれなくてもいいのに。母体もいためず、じっくりと細く長くでいいのにね。ニワトリも短期間に数多く産むように品種改良されているのかしら。少なくともウチの動物達には経済原理のみで働くように強制はしていないんだけど。

3.11 そして ニワトリ

2011年06月17日 14時16分31秒 | Weblog

2011.06.17(金) 記


3ヶ月近くも…本当に申し訳ないです。

3.11。
「サンてんイチイチ」と読みます。これからはそう呼ぶことにします。

この3.11以降、あなたの何が変わったですか。
この3.11以降、あなたに見えてきたものは何ですか。


私はこの大震災大津波から以降、極めて涙もろくなった。ちょっとしたことで胸が詰まり涙がでる。文章(このブログ)を書く気力も起こらなくなった。

特に原発事故以降どうも調子が悪い。
睡眠が浅く、体が重く、前向きな気持ちが以前に比べて萎えているような気がする。朝目覚めると「夜中はどうだった」と、先ず原発のことが気になる。
そしてずっと腹を立てている。無性に腹が立ち、怒り、この国の行く末、この国の姿を案じている。
私個人はあと30年も生きることはないだろうけれど、子や孫達がどんな生活を送るのか、それを考えるとやはり怒りがこみ上げてくる。せっかくこんなに美しい豊かな国土で生を得たのに、一企業の利益追求(と一部の利権屋)のせいで。


朝、オンドリの泣き声で4時半から5時頃に起きる。信州の朝はヒヤッとして、それはそれは気持ちいい。
小屋からニワトリたちを出し、給餌し終えて部屋に戻って一番に原発の状況をインターネットで確認する。

外の空気に触れた爽快感が一瞬に消え、ため息が出て気が重くなる。
状況が良い方向にまったく向かっておらず、むしろ意図的に隠されていた悪い情報が今頃になってぼろぼろと出てきているのを知るごとに、愕然となる。


大地震と大津波によるこの大災害で、子を亡くした母親が、目の前で教え子が津波に流されるのを見た先生たちが、親が、兄弟が、それぞれ大切な人を目の前でどうしようにもできなかった自分を責めて責め続けて悲嘆にくれる罹災者がうめいているさなか、石原都知事は「天罰」とのたまった。
その息子、自民党石原幹事長はイタリアの脱原発に対して、「集団ヒステリー」と言い放った。一方「原発さえなければ」という壁書きを残して、福島の酪農家が自らの命を絶った。

事故当初「まったく危険はない」とTV・新聞で喋りまくっていた東京大学大学院を頂点とする原発関係教授連中は『学究の徒』ではなく、単なる『曲学阿世』の輩であることがわかった。
(参考 http://www47.atwiki.jp/goyo-gakusha/pages/1.html

それを無批判に広報しまくった報道機関は、「広告というカネ」に身を売り、隠蔽に加担している単なる私企業の一つであることもわかった。公正・中立・客観というのは読者の幻想だったのだ。
ただ厄介なのは、「ジャーナリズムだ」「俺たちが国民を導いているのだ」といううぬぼれ臭をぷんぷんさせているのがミエミエなのにかかわらず、誠に残念ながら新聞活字や(作為されている)TV映像を信じている読者視聴者がまことに数多くいる、ということなのだ。

米軍の「トモダチ作戦」。これ、アメリカの友愛の証と思っていたが、実は有料だった。『空母なんとか』も放射能がわかって、はるかかなたの沖合いに退いた。ついに首相官邸にまで出入りする始末。まさに主権を侵しているにもかかわらず、誰も不審としない。

事故を起こした当事者である東京電力は「原発がなければ電力不足になる」とお客さまを恫喝し、関西電力も尻馬に乗る。

政府の対応は、これはもう言わずもがな、だ。放射線量の計測、個人が計測したほうが信頼が置けるなんて国家としては最低だ。


こうしてみると、なぜか被害者が持って加害者とその立場にいるものが持ち合わせていないもの。
それは『自責の念』。逆、なのだ。加害者とその立場にいるものが持つべきものなのだ。

『太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降り積む
 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降り積む』(三好達治)

私たちは眠った太郎、眠らされた次郎であってはならない。怒る時は怒ろうではないか。
放射能は今でも私達の家の屋根に庭に公園に、さやさやさらさらと雪のごとく降り積もり続けているのだから。改めて言う。たった今現在も進行中なのです。



しんどくなってきたね。話を変えて、わたしの農的ライフを。

5月25日に入ったニワトリ、もう卵を産んでいます。
最初に生まれた卵の重さは41.5g。買い置きしていた市販品、Lで平均67.5gでした。最初だからかなり小さい。これから大きくなるでしょう。


メス5羽、オス1羽で、かなり広い場所で飼っています。彼女たちは走り回り、時には飛んだりします。ヤギのナナもたじたじです。「尻つつき」といったイジメはまったくありません。ひょこひょこと私の後をついてまわる可愛い子たちです。
写真は地面を掘って6羽が仲良く砂浴びをしているところ。


やはり卵は市販のものと違いますね。
先ず卵黄に爪楊枝を刺してもそれが倒れません。卵ごはんにすると絶品でほんとに違いがわかります。玉子焼きにしても実にうまい。昨夜の冷麺に添えた薄焼き卵なんぞ、焼き豚を凌駕、です。

ウチに遊びに来た人にはトリ小屋から失敬してきた卵を、湯気立つご飯にパカッと割ってさっと差し出してご馳走したい。
こんな夢が1つ、実現しました。

原発事故がなければ、ヒヨコの導入から小屋作りまでのてんやわんやの顛末をお便りできたのに。