信州山里だより

大阪弁しか話せないの信州人10年目。限界集落から発信している「山里からのたより」です。

もうすぐ春ですね。

2012年02月29日 22時49分59秒 | Weblog
2012年02月29日(水) 記

先週の土曜の25日、京都の北野天満宮に行ってきました。ちょうどこの日は梅花祭だったのですが、梅の開花はほんのチラホラでした。どこでもこの冬は寒かったのでしょう。

今日の関東、東京は雪。ここ信州でも午前中は雪でしたが、このころ降る雪は中南信では「上雪(かみゆき)」といって春が近いという天からの便りです。
そして天気予報では、サクラの開花予報も出ました。

気象庁によると、今年の冬は寒かったそうですが、信州のサクラは寒さに慣れているのでこのために開花が遅れるということはなく、春の暖かさが来れば例年に近く開花が始まる、ということです。
このことはサクラに限らず、モモもコブシも、サンシュウも…木の花の咲くや姫一般に通じるそうで、だから信州の春はいっせいに花が咲くのでしょうか。信州の春が待ち遠しいです。
ちなみに長野市の桜の開花日は4月15日、そして千曲市森のアンズは4月7日ということでした。

さて、今日は地元のラジオに週1回出ている堀井正子さんの随筆を紹介します。
私が森のアンズを知ったのは松本清張原作の映画『砂の器』でハンセン氏病に罹っている親と子の巡礼がこの中を歩いているシーンが初めてでした。
そして30数年後ここを訪れた時は忘れられません。「これが信州の春か!」という感動でした。



じゃ、堀井さんの随筆『上野発 ミステリー列車』をどうぞ。

 私が大学生のころだったから、うん十年の昔になる。
 友達のお父さんから、「いい所に連れて行ってあげるから、行きたい者は、上野から信越線の夜行列車に乗れ」という話が伝わってきた。
 大の山好きなその方は、その頃としてはたぶん珍しく、夫婦で山を歩いておられた。働き過ぎで、ずいぶんと肝臓が悪くなり、いつ死んでもおかしくないというのだが、私たち学生の目には若い者が大好きな、元気で気さくなおじ様にしか見えなかった。日によく焼けて、グリグリした目。「行きたい所には時間を作ってでも行くのさ」という少年のような好奇心。おば様は対照的に物静かで「しょうがないでしょ。やりたいようにやらせているのよ」と達観しているかのように見えた。旅慣れたお二人は、列車が上野を出るとじきに寝じたくにかかる。旅慣れない私たち、七人の女子学生はワイワイとおしゃべりに忙しく、なんだか、寝たような気がしない。
 そして、翌朝早く、私たちが降りたのは屋代という小さな駅だった。四月の半ば過ぎだった。ひんやりした朝の空気に包まれて、始発のバスを待った。駅前はガランとしてだれもいない。やがて、ボンネットバスがやってきた。
 それからどう走ったのか、なにも覚えていない。覚えているのは、やがてバスの前方に現われてきた桃源郷のような美しさだけなのだ。それだけはほんとうにはっきりと覚えている。メルヘンのような、ほのぼのとした美しさだった。山々の緑が朝の空を区切り、緑の山裾はそれこそ一面のピンク色。朝もやが山も山裾のピンクも柔らかくぼかしていた。桃源郷というのはほんとうにあるのだなと、そればかりを思っていた。
 うん十年前の森のアンズの花盛りである。まだ、ほとんどだれにも知られていないころの森のアンズを、山好きのおじ様は旅のどこかで聞いて、私たちヒヨッコにも見せてやろうと思ってくれた。すんなり伸びたアンズに藁葺き屋根。屋台などというものは一つもなかった。見物に参上する者も、私たち以外にはほとんどいなかったような気がする。それ以来、風景と言えば森のアンズが浮かんでくる。早朝の冷気の中、夜行列車の仲間たちだけで見たアンズの花盛りは、最高に贅沢だった。風景は静かに相対してこそ美しい。しかも、夜行列車の座席に座ったまま、寝たような寝ないような旅をしてきての桃源郷である。ひときわ美しく見えるのも当然かもしれない。
 このごろはすっかり便利になった。一夜かけての旅は無用になった。それだけ桃源郷にも出会いにくくなった。会いに行くための苦労をできるだけ少なくするのが、サービス産業の方向性なのだろうが、至れり尽くせりになればなるほど、桃源郷は遠のいていくのではないだろうか。



この長い長い寒さが過ぎればもうすぐ桃源郷です。