信州山里だより

大阪弁しか話せないの信州人10年目。限界集落から発信している「山里からのたより」です。

木を切る

2012年02月24日 00時29分36秒 | Weblog
2012年02月23日(木) 記

そうそう忘れないうちに。
2月12日、W.ヒューストンがなくなりましたね。惜しい人がまた一人、という思いです。
彼女とエディット・ピアフ。この2人は私の脳髄に直接響き入ってくるような声の持ち主で、大ファンでした。残念です。

さて信州の山里も雪はまだ残っているものの、光は徐々に春の輝きを帯びてきています。
こんな光が降り注いでくると体はじっとしていません。

雪が解けると忙しくなるので昨日、乾燥させている薪用の丸太を輪切りにでもしておこうかと準備していると、マサカズさんから電話。
「田んぼの影になる木を転ばしている(切っている)けど」
もちろんこういうのは「大好き」。薪としていただけることも嬉しいのですが、それ以上に彼の知恵を頂ける機会なのです。

マサカズさんは50過ぎ。わがS組の人です。
彼はおととし会社を早期退職して専業農家になりました。熱心で、いろんなことに取り組んでいる若手のホープです。
彼のお母さんは70代にもかかわらず、以前家を訪ねたとき縁側で本を読んでいらっしゃったのですが、それがなんと『現代農業』。親子ともども勉学心の盛んな方々です。

写真を撮っとけばよかったのですが、木一本を転ばすのもなかなか大変なのです。
単にチエンソーで切ればいい、というものでない。
切った木が谷に落ちないように、電線・電話線を引っかけないように、もちろん怪我の無いように、さらにはのこぎりやチエンソーの使い方、枝を伝っての木の登り方、登ときのロープの使い方、倒す方向は考えているけれども実際の倒れる方向の見極め方などなど。

かれ等は本を読んで勉強したというわけでなく、親や先輩や仲間の仕事ぶりを見たり手伝ったりしているうちに身につけたもので、だから何気ない作業動作が実に理にかなっている。これが私にとって勉強になる。
改めて「山仕事を教えてほしい」と私が彼に言ったところで、彼にしてみればいったい何を教えたらいいのか戸惑うことでしょう。それだけ身についている技術というのは、本人にとってなんでもないことなのですが、そしてムラの人々にとっても当たり前のことなのですが、部外者からみれば貴重な知恵にも拘らず彼らにとって「当たり前のこと」だから簡単に消えて失ってしまう。

今年の『Y区新年会』について結局お便りしませんでしたが、この場である長老に「山桜がさいたら何の種を植えるとか、白馬の雪形がどうなったらこうするとか、そんな言い伝え何かありますか」と聞きました。
すると「ここでは野菜は女衆の仕事で、男のわしらには分からないな。他のみんなもそうだろう」という返事でした。
ここに移住した当初、畑に出ている人は女性ばっかりなので「なんと女の人は働き者なのだろう」という印象を受けていたのですが、こういう役割分担があったんですね。

こうしたことから「当たり前の知恵」は当たり前だからこそ、必要な人には伝えられていくけれども、そうでない場合はたとえ家族であっても伝えられず消えていく。
結論を出すには早計すぎるけれど、父親や男衆から息子や男の子へ、母親や女衆から娘や女衆へ、男から女へということはあまりない、ということになろうか。

さてこの作業で、切り倒すと電線に引っかかる恐れのある場合の木の切り方とスギの枝の払い方を学びました。
スギの枝は思う以上に芯が固いので、ナタなどの刃物を安易に使うと刃こぼれする。で、こういう風に傷をつけてあとはポンとはらうと枝が落ちる、と。
こんなこと本に載っていないよね。また一つ覚えました。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。