信州山里だより

大阪弁しか話せないの信州人10年目。限界集落から発信している「山里からのたより」です。

新公民館長等の決め方

2008年02月17日 12時58分16秒 | Weblog
今日も朝からずっと雪が降り続いています。なので、リンゴの剪定はお休み。ネコちゃん4匹とワンちゃんはストーブを囲んで眠っています。野沢温泉村ではとうとう積雪量が2mを超え、中野飯山地域(北信地域)では大雪警報が出されました。この雪、まだまだ続くという予報です。

今日は11時からわが『S集会所』で、『S組』だけの女衆のおしゃべり会。オカンも楽しみにしています。「来なさい、来なさい」と温かく迎え入れてくれてありがたいことです。こういう集まりは同じ『Y区』内でも他の『組』にはないようです。近所の温泉行きの時もあります。
女衆の集まりは男と違って各自持ち寄った野沢菜など漬物の漬け方や、おやき・煮物などの料理、諸行事や近所の話など生活に密着している話が多いので、若い頃から民俗学に興味を持っていた私は、男の集まりよりも正直こちらの方に興味はあるのですが。なんといっても、地域の伝統の大部分を引き継いでいるのは女性なんですから。
まあ、オカン、ゆっくり楽しんできてください。

一方、私は昨16日、『Y区』の臨時総会へ出席しました。議題は「Y公民館館長及び主事の改選について」。
公民館の役員の任期(2年)が切れるこの時期、臨時総会が開かれて新しい館長・主事(会計のようなもの)が決められます。この公民館長と主事の選出については、都市部では消えてしまったいわゆる「ムラの民主主義」が色濃く残っているような気がしますので、またまた硬くなりますが、おたよりせざるを得ませんので、ご辛抱の程を。

出席者19名(あとで3名が追加出席)、役員6名、委任状37で計62。現在の『Y区』は全戸数76。過半数超で総会は成立なのですが、76という数字に出席者には少なからずショックです。つい最近まで80数戸あったのですから。
まあそうでしょうね、区の状況に精通していない私ですら、この一年で2戸減ったのを知っています。

まず選出された議長が出席者のなかから立候補者を募ります。まあ、誰も立候補しないのはどこでも同じ。
次に出席者が各『組』(『区』に5組あります)ごとに部屋のあちこちに集まり、『組』として区の住民の中から館長・主事にふさわしい2名を推挙します。同時に各組2名ずつの選考委員も決めます。
そして各組から集まった合計10名の選考委員が、各組から推挙された人を検討します。
年齢、経験、市の役職(民生委員かどうかなど)、人望、その他。今回私も『S組』の選考委員として参加したのですが、諸要素を考慮した選考もなかなか大変です。そして選考委員会として館長、主事の2名を決定します。
この2名を選考委員長が臨時総会に報告し承認されます。ここでやっと「区民総意」となります。

ところが名前の上がった人が「はいわかりました、やります」と受諾するとは限らない。
もしこの総会に来ていなかったら推挙された旨を伝え、返事を待ちます。よい返事を得るために現館長・主事の説得活動もあります。これを受けてくれればいいのですが、この「区民総意」が断られたら…村八分? これはない。

ではどうするか。
受諾されるまで何度か臨時総会を招集、開催して同じ事を繰り返します。
実に時間がかかります。非効率といえば非効率です。でも今は何事も『多数決』で決められる世の中で、ちょっと違う「ムラ」の決定方法。ここに「ムラの民主主義」「ムラの寄り合い」の知恵があるように思います。

地方のこうした小さな地域だからこそ直接体験できる「ムラの民主主義」。
いま盛んに言われている地方・集落の疲弊・消滅の危機は、グローバルな民主主義とは違ったムラの直接民主主義の消滅の危機でもあるのです。

この大切な「民主主義」に繋がる「ムラ」の知恵を大切にしたい。そう思っています。

農協の地域懇談会

2008年02月15日 12時58分04秒 | Weblog
15日の今日も朝から細かいさらさらした雪が降り続いています。
9時現在で-3℃、気温としてはまあまあ。

でも、昨日の朝はホントに寒かった。寒いのはあまり苦手でない私でも、さすがにコタツに入りました。
寒いはず。軽井沢が-16℃、八ヶ岳山麓の野辺山が-22℃。富士山頂を除いて一番低かった、とニュースが流れていました。信州の家は北海道のように暖房がしっかりできないので、私以外でも少々こたえた人が多かったのではないでしょうか。
最高気温も-2℃。今年は真冬日が多いです。最低気温は1シーズンに-10℃が3~4回あるのですが、昼間は真冬日というのはそんなにありません。ところが今年は多い。昼間の気温が例年になく低い。
でも季節は着実に春に向かっています。光が強くなってきていますし、安曇野の犀川で白鳥が北帰行(ほっきこう)しはじめました。
リンゴの剪定に行かなくてはならなかったのですが、この寒さと午後から農協の『地域懇談会』があったので、これ幸いと、休みました。

で、今日の『たより』は昨日開催された、農協の地域懇談会について。

この懇談会は、農協支所の管轄内のすべての地域で、ほぼ『区』単位で開かれます。S町にはN支所とK支所があって、ここはK支所の管轄。順に各区の公民館で開催され、わが『Y区』では昨日の開催だった、ということです。
組合員の出席は約20名。農協側は監事、支所長と事務方各1人の計3人。
事前に各戸配布されていた『地域懇談会資料 いのちとくらしを守る地域づくり』と名付けられた12ページほどの小冊子に従って、支所長が説明。後に組合員から質問や意見、要望などを聞く、という形をとります。
昨年度はこんなことをしてきた、今年度はこんなことをします、というようなことです。

基本項目1:販売を起点に農家手取りの向上と持続的で儲かる農業づくりをすすめます。
基本項目2:健康で安心して豊かに暮らせる環境づくりすすめます。
基本項目3:協同による新たなコミュニティーと地域ブランドづくりをすすめます。
基本項目4:組合員・地域に信頼され貢献できるJAづくりをすすめます。
とあって、それぞれの項目のもとにいくつかの具体的な施策がしめされています。

確かに農協は、過疎地域では大きな頼り、大きな力を持っています。行政以上に地域の世話もしています。でも、金融、共済にどんどん重点を移しているような気がします。さらに支所の統廃合に熱心。支所長の説明もこの面に大きく割り振られていました。
中国産農産物に対する消費者の動向を視野に入れた農産物の販売戦略はこうしていきます、ですから野菜を作ってくださいなど、希望を持てるような一言でも欲しかったけれど、なかった。

そして、参加者からの質問。
1.不稼動資産(遊休倉庫、統廃合による空き事務所など)のこれからの取り扱いは?
2.Aコープ(農協系のスーパーマーケット)で販売している中国製品は心配ないのか?
3.松代と篠ノ井のJAファーム(※)のポイントカードを共通にできないのか?(同じJAなのに相互に使えない)

わが『Y区』は高齢化で、かろうじて一部の人がほんのわずかに無臭ニンニク、加工トマト、インゲン、マメ(大豆、小豆)、クリを出荷している程度。かつて出荷していたピーマンもアスパラもダイコンもコメも自家用のみに衰退。荒れた農地がほんとうに多いです。
こういう状況だから、説明も質問も私にとって期待はずれだったのかもしれない。他の『区』はどうだったのだろう。

約一時間の説明、質問の時間を終え、続いて懇親会。昨年はイッパイも出たけれど今年はどうだったでしょう、私は所用があって、エノキとブナシメジのキノコ1パックずつのお土産をもらって帰宅したけれど。

(※)ホームセンターのようなもので、主に肥料、農薬、農業資材、苗、植木などを販売している

帰信?(信州へ帰る)道中記 その2

2008年02月13日 17時04分14秒 | Weblog
今朝の7時過ぎ、NHKニュースを見ていましたら雪景色の高槻が紹介されていました。大変でしたね。
ここ信州の山里は、70~80cmの積雪予報がはずれ、降ったのはわずか。気温もさほど低くなく、-5℃程度でした。ただ日中の気温は上がらず最高気温が-2℃。
そんな中、朝の9時半頃から夕方の4時頃までリンゴの剪定をしていたのですが、青空の下、まったく寒さを感じることなく、快い“労働”をして帰ってきたところです。

さて今日は一昨日の続きです。


三輪山は大神(おおみわ=大三輪)神社のご神体。この山には登ることは許されないと知った時(そりゃそう、ご神体だもの)、若かったんでしょうねぇ無性に興味がわいて、この巻向川沿いからチャレンジしようと今走っている道を歩いたこともあったんですが、結局登らず。これでよかったんです(ここが福沢諭吉と違うところ。諭吉は、ご神体の石を取り替えて、それを知らないで拝む衆人の無知を笑い、云々という話がありました)。

途中何台かのクルマとすれ違いながら、川沿いにどんどん山の中に入って行くにつれて愕然としました。無茶苦茶に山が荒れているのです。杉の木はいたる所で倒れ、下草すら無く、山は暗い。この暗さは雪の天気での暗さではなく、死にかけている山の暗さなのです。普段あまり興味のないオカンですら「なに、ここの山。信州の山も荒れているて言うけれど、全然違うわ。信州の山の方がずっとキレイわ。倒れてる木、持って帰ってストーブの薪にしようか」
富はあるのでいらん苦労はせんでも、もう山の恵みなんぞいらない、死んでもかまわないというのでしょうか。「採算」「もうけ」という経済原理に貫かれた今の日本の精神を象徴しているような気がして、少々悲しい気分になりました。

やがて峠らしきところに着くと、乗り捨ててある車が道の左に一台、今度は右に一台、道の真ん中にも一台。スリップ事故を恐れたのか、積雪で動けなくなったのか。さらに進むと、黒塗りの立派な車が人を乗せエンジンをかけたまま止まっている。
(ああ、俺もだんだん信州人になってきたなぁ、と苦笑しつつ)クルマを横に止め、ウインドウを開けて「どうされたんですか。大丈夫ですか」と声をかけました。
助手席には奥さんらしき人、後部座席には娘さんが2人。
「ええ、これからが下りでスリップが怖くて」「そうですね。この先に2、3台乗り捨ててあったから。タイヤは?」「ノーマルタイヤしか履いてなくて」「それじゃ無理しないほうが。なにかしましょうか」「いえ、もう少しこのまま待ちます」「そうですか。手助けできずに申し訳ないです」と言い残して、日が暮れてくると危険だけれど、まだ昼過ぎなので大丈夫かと思い、後ろ髪をひかれる思いで4WDのシールが付いている長野ナンバーの乗用車は、針に向かって再び進んだのでした(この部分、ちょっと優越感が滲み出ているかな。そんなつもりじゃないのですよ、決して)。

平地にでても、大型トラックが道を塞ぐように横になって、タイヤが空転するばかりで動けなくなっていたり。
そして都祁村に入り、程なく針IC。これくらいの雪ならもう通行止めは解除になっているだろう、という目算は見事にハズレ。IC入り口には係員が通せんぼ。仕方ない、ずっとおとなしくしているロクにも少し散歩をと、とりあえずここ『針テラス』で休憩することにしました。


ところで『つげ』という言葉に何か意味があるのでしょうか。というのは、この近辺では『つげ』と読む地名が散見されます。『都祁』、万葉集でも有名な『都介野』、40年近く前、関西本線を走る重連の蒸気機関車の写真を撮りに行った『柘植』。
ご存知の方、教えてください。

イノシシ狩り

2008年02月12日 14時08分16秒 | Weblog
(今日は朝からずっと雪。こういう日はリンゴの剪定も休み。ゆっくりブログを書けます)
さて、『道中記』の続きは次回以降に。
というのも…。

休日だった昨日の午前、オカンがロクをつれて散歩に行った時、シバ(お隣─何回か前のブログで紹介しました)の雪の畑に点々と、かなり大きい足跡を発見。
この時期、ほんとにいろんな動物の足跡が雪の上に残されていて、その足跡から何の動物か探るのも楽しいのですが、ま、その時は「あ、大きい足跡やわ」で済んでいました。
家事を終え、いざ雪見露天風呂へ、と出かける前の腹ごしらえをしている最中にロクの異常な咆哮。で表に出ると、一人のハンターが鉄砲担いで我が家の周辺をうろうろしている。こういうときに一番厄介なのは猟犬です。しばらく様子を見ていると猟犬がいないようなので、安心して家の中に入りました。
我が家の周辺は格好の猟場らしく、11月の解禁日になるとハンターがよく来るので、まあ慣れた出来事です(クマ以外のシカ、イノシシ、キツネ、タヌキ、サル、ハクビシン、キジ等々ご近所さんです)。

しばらくして「さあ、行こうか」と車に洗面具などを積み込んだ丁度その時、軽のバンが無遠慮に家の前に駐車。「おいおい、そんな所に止めると家から出れないよ」と声かけに行きかけると、次から次に軽トラックや軽バンが集まってきてあちこちに止め、降りてきたのは総計10人以上のハンター。
リーダーらしき人に聞くと、我が家のほうにかなり大きなイノシシが逃げ込んできたのでそれを駆除する、という。オカンが見た大きな足跡の正体はどうもそれらしい。

まずシバの畑の前に猟銃をかまえたハンターが2人。おばあちゃんの家の前でハンター1人と勢子が2人。わが家の裏のお堂に勢子が1人それぞれ待機。残りが西側(高圧線側)から声を出してイノシシを追い出し、出てきたところを仕留めるという布陣でした。
「ホーッ、ホーッ」と勢子。ロクは怯えたのか家の中へ。ネコ4匹は、離れのベランダでこの様子を見聞きしている私たちにぴったりと寄り添いながらも、興味深々、一緒にいる。

結局は不発でした(正直、ホッです。やるんならどこかで、というのが本音)。で、戻ってきたリーダーは「殺生はいかんのだが、殺生はいかんのだが」と言いつつも、ヤギのナナを見て「よく肥えているな。ヤギの肉、うまいんだ。喰ったらいい。妊娠しているな。2頭は入ってるで」と。
このリーダー、自身でリンゴも作り、私のこともよく知っていた。わがリンゴ園の近所にこの方の家があるらしく「リンゴの剪定、終わったか。ウチはまだ半分や」とか、止めていた乗用車を指差して「最近この車でよく剪定に来ているな」とか。で、「あんたも猟友会に入らないか」。やはり高齢化でどんどんメンバーが減っているらしい。「ウチの家はあんたのリンゴ畑から、こう行ってああ行ったら同じような古い家がある。遊びにおいで」。まあ、こちらが知らなくとも私たちのことはよく知られている。

お堂に入った勢子も私たちのことを知っていた。この若者は、以前、メール版『信州山里だより』で報告した早大大学院の過疎地研究会?(正確な名前は忘れました)の1人。以前ウチに泊まった院生の後輩だという。この彼はここが気に入り、いわゆる「普通に就職」もせずに今は炭焼きの弟子になって大岡村(合併して長野市大岡)に住んでいるという。で、今日は勢子のアルバイト。
「○○さん(私のこと)、先輩から話聞いていました、一度ゆっくり遊びにきます」と。
若者と話すのは楽しみです。

こういうわけで雪見露天風呂から、近場の松代温泉へ変更。ここで偶然知り合ったご婦人の話もおたよりしたかったのですが、割愛です(オトンのブログは長い、とせがれからの批判を謙虚に受け止めて)。

今日は、夕方から仲間5人で遅まきながらの新年会です。福岡のあの事故以前は、なにしろ田舎なので、んっ、まぁ、ちょっとだけの飲酒運転は……だったんですが、今回からは絶対的に×です。当然のことといえば当然なんですが、こういう集まりもやりにくくなりました。なにしろ田舎のこと、足の確保が最大の難事、深刻なのです。

帰信?(信州に帰る)道中記 その1

2008年02月11日 10時02分42秒 | Weblog
お久しぶりです。9日(土)の雪、いかがでしたか?
ここ信州ももちろん雪。一晩で40cmほどの積雪です。さらさらの雪で口で吹けば飛ぶほど。スキーにはいい雪です。月曜日の休日には『雪見露天風呂』?
大阪は11年ぶりの大雪だったとのこと。慣れないので大変でしたでしょう。でもなんとなく心がウキウキしたのではないでしょうか。雪とはそんな不思議な力があります。

さて一週間前の3日の日曜日のこと。
2日(土)の早朝に長野を出て、午後、堺にあるお墓に参った翌日の日曜日、できるだけ早く長野に帰りたかったので大阪を早立ち。「あの人にもこの人にも会いたい」、「『551の豚まん』も喰いたい」、という気持ちも抑えてすぐに家路に着いた理由は、植林委員として2年間の役目も終え、この日に新規役員との引継ぎ会があったからです。

西名阪松原ICから天理ICに向かって、雪は降っていたものの快走。ま、この程度の雪は信州ではどうって事はないし、車も4WDのスタッドレスタイヤなのでノープロブレム。
ところが、途中の電光掲示板に「ユキ 天理東~山添 通行止め」と出ているではないか! 「少々の雪は慣れてまっさかいに」と大阪弁で頼んでも無理だろうし、困った、どの経路で帰ろうか、と思案しつつ走っていたら、天理東で係員により名阪国道から強制的に出されました。

出たあと、南に向かって走って行くとやがて天理教の建物群。旧25号で行くか、このまま南へ桜井まで行くか。
私としては何と珍しいことに、SAで地図ももらわず、道路地図も持ってこず。そこで40年前にこの近辺をふらついていた記憶を呼び覚まし、呼び覚まし、「そうそう長谷寺の道があった。これなら確か榛原、名張へ行くはず」。
と決めたのはいいが、そこに行く途中、なんと懐かしい『巻向(まきむく)』集落に出くわしたのです!

この近辺は若い頃、犬養孝の『万葉の旅』、部分的にはエロ本として読んでいた岩波文庫の『古事記』や古代の神々に関する本を持ってほっつき歩いたところ。『山辺の道(やまのべのみち)』も幾度か歩いた。大阪まで付き合ってくれた愛犬ロクと一緒に後部座席で寝ているオカンとも歩いた(別の人だったかな、それならヤバイけど)。ということはヒミコの墓に比定されていた箸墓(はしはか)も近所にあるはず。箸で陰部を刺し貫いて死んだ、という伝説も思い出す。『巻向』という地名が30年、40年の時間を一瞬に飛び散らす。

「ここからだったら、確か針(ハリ。都祁村)に行けるはず」と左(東)へ入る。
家並みには三輪素麺の看板がいたるところに掲げられている。
「そうそうこんな看板、あった、あった。この道、この道」「この近辺の集落は相変わらず豊かやなぁ」
と比較的強く降る雪の中を半分ドライブ気分。やがて巻向川に沿って山の中へ、山の中へと入って行くのでありました。