3月21日(日) 記
仮置きも終えて、次は「直会(なおらい)」です。
「直会」とは、神事、仏事の後に開かれる一杯飲みのことですが、各種委員会の集まり、各組の総会、あるいは勤労奉仕(という言葉が妥当かどうか疑問ですが)の後などに開かれる慰労等を含めて言うようです。
ムラの古老は「昔はこんなものしか楽しみが無かった」と言いますが、今でも貴重な情報源に変わりありません。
わがムラには2つの公民館があって、一つはムラの中心部、かつて小学校の分校や農協の出張所、農産物の集荷所のあったエリアの一角にあります。今残っているのは分校の講堂と校庭のみですが、やはりなんとなくムラの中心、という雰囲気が残っています。
この分校跡と公民館にはさまれた道の突き当たりが、ムラの鎮守様、『Y神社』の長い石の階段に続いています。『御柱祭』の舞台です。
もう一つの公民館は、無住のお寺の境内にあって、2階建てです。普段はあまり使われていませんが、この近辺の行事の集まりに、ときおり利用されています。
この建物は昭和40年代ころまでムラの養蚕共同作業場として使っていたものでかなり古く、歩けば床がふわふわするほど老朽化がすすんでいます。
(このお寺は奈良にある長谷寺の末寺で、明治初期まではかなり大きくかつ信者も多かったそうですが、廃仏稀釈でムラはY神社を選んだ…という話は、別の機会にしましょう)。
さていよいよ、この公民館の2階で『直会』の開始です。
約2時間の遅れを取り戻すべく、用意はすでに整っています。
座卓が田の字型に12ほど並べられ、その上には2,000円程度のオードブルがいくつかと数種のおつまみ類。そして1升ビンの日本酒が10本以上と烏龍茶。ビール、焼酎は出ません。日本酒オンリーです。ま、新年会や総会も含めて、ムラの飲み会のパターンです。
加えて今日はどうしたことか、焼かれた一夜干のイカが皿に盛られてデンと置かれているだけでなく、いかにも上等なメザシがどんどん運ばれてきます。
『先導』の1人であるノブオさんの挨拶が始まりました。この人はもう4年前になるかな、私が2年間公民館の役をやっていた時の館長として一緒に仕事をした人ですので、親しみを感じます。
この挨拶の中で、イカとメザシの由来の説明がありました。
このムラ出身の某氏からの寄付、というか差し入れ、というか献納、そういうものだそうです。イカが何十パイ、メザシが200数十匹、加えて酒が20~30本。祭り当日の4月にも再度寄付してくれる、とのことでした。
私の隣に座っているアキオさんにこの方のことを聞いてもよく知らない、と言う。他の人に聞くと、今は他県で建築業を営んでいるが、居宅はまだムラの中に空き家として残っているとのこと。
毎年行われる春・秋の村祭りでも見慣れぬ人を見かけます。
『祭』とは単に「神様をまつる」というだけの意味ではないですね。特にムラの祭りというのは信仰や宗派や神道などの言葉で論じられる、いわゆる一般的な『宗教』とはちょっと違う。
ある宗教に熱心なムラ人A氏は、移住して間もないころの私に近づいて、『邪宗』とか『信仰の自由を侵している』とか『ムラ社会の負の残存』と話かけてきましたが、この地のさまざまな行事にずっと参加してきて、やはり「違う」という感をより一層深く思うようになりました。
ま「こうして意識の中に入ってくるんだ」といわれれば、それまでですが…。
イカ、うまかった。公民館の外で、ドラム缶を縦半分に切ったグリル(?)に鉄板を置き、醤油をザーッとかけて焼いたイカのうまかったこと。
続いてメザシ。焼きすぎのものもあれば、半焼き、いやいや焼けてないのだってある。まともに焼けているものなんぞ無い、と言ったほうがよい。
私の皿に「さあ、どんどん食べて」と載せてくれたメザシだってそう。なま? 炭? それでも食いましたよ。それがまたうまい。酒も注がれれば飲む。盃を飲み干すと、あっちから「ほれ」こっちから「ささっ」。
大阪にいた時は飲めなかった。ほんの少し飲んだだけで心臓がドキドキ。挙句の果てはしんどくなってダウン。ところがここに来てから酒がうまく、随分飲むようになりました。この日もトータルで3合くらいは行ったかな。かといって家では飲まない。
宴たけなわ。窓からふっと外を見る。耕耘を待つ傾斜した畑には春の光が注いでいる。背側の窓からは光に包まれたわがムラの集落の大部分が見える。
すう~っと私が天空に舞い上がる。
天空に漂っている自分自身が、光の中の朽ちかけた公民館でムラ人とともに飲み、話し、笑っている自分を俯瞰している。
と思い巡らしている時、向かいに座っていたキンジさんが「この醤油、10年前のやで!」「えっ!」「ほら賞味期限、2000年11月になってる」「大丈夫か」「誰も具合悪い、というもんいないから、大丈夫やろ」「どこにあったんや」
それから1週間。ムラ人全員いたって健康。いったいなんだい、あの醤油は。
この『直会』は流れ解散。
というのは、この日はムラの各組(4組あります)の総会が開かれる日で、わがS組も3時からでした。
各組長も『先導』役として入ってるので、わがS組組長のトシカズさんはここの後片付けや、総会の準備のため大忙しです。ご苦労様。
今回は長くなりました。S組の総会については、次回に。
またお便りします。
写真は梃子衆の作業風景です。今日の『たより』とは関係ないのですが、『梃子』というのが分りにくいので、ご参考までに。
それから今日の日曜日11時から、S組女衆の『お茶っこ』の日。オカンはきのこ屋さんのヒデヒコさんの家へ行きました。
普通はS組の公民館でしたり、日帰りの温泉に行ったりするのですが、女衆も随分年を重ねてきているので。
仮置きも終えて、次は「直会(なおらい)」です。
「直会」とは、神事、仏事の後に開かれる一杯飲みのことですが、各種委員会の集まり、各組の総会、あるいは勤労奉仕(という言葉が妥当かどうか疑問ですが)の後などに開かれる慰労等を含めて言うようです。
ムラの古老は「昔はこんなものしか楽しみが無かった」と言いますが、今でも貴重な情報源に変わりありません。
わがムラには2つの公民館があって、一つはムラの中心部、かつて小学校の分校や農協の出張所、農産物の集荷所のあったエリアの一角にあります。今残っているのは分校の講堂と校庭のみですが、やはりなんとなくムラの中心、という雰囲気が残っています。
この分校跡と公民館にはさまれた道の突き当たりが、ムラの鎮守様、『Y神社』の長い石の階段に続いています。『御柱祭』の舞台です。
もう一つの公民館は、無住のお寺の境内にあって、2階建てです。普段はあまり使われていませんが、この近辺の行事の集まりに、ときおり利用されています。
この建物は昭和40年代ころまでムラの養蚕共同作業場として使っていたものでかなり古く、歩けば床がふわふわするほど老朽化がすすんでいます。
(このお寺は奈良にある長谷寺の末寺で、明治初期まではかなり大きくかつ信者も多かったそうですが、廃仏稀釈でムラはY神社を選んだ…という話は、別の機会にしましょう)。
さていよいよ、この公民館の2階で『直会』の開始です。
約2時間の遅れを取り戻すべく、用意はすでに整っています。
座卓が田の字型に12ほど並べられ、その上には2,000円程度のオードブルがいくつかと数種のおつまみ類。そして1升ビンの日本酒が10本以上と烏龍茶。ビール、焼酎は出ません。日本酒オンリーです。ま、新年会や総会も含めて、ムラの飲み会のパターンです。
加えて今日はどうしたことか、焼かれた一夜干のイカが皿に盛られてデンと置かれているだけでなく、いかにも上等なメザシがどんどん運ばれてきます。
『先導』の1人であるノブオさんの挨拶が始まりました。この人はもう4年前になるかな、私が2年間公民館の役をやっていた時の館長として一緒に仕事をした人ですので、親しみを感じます。
この挨拶の中で、イカとメザシの由来の説明がありました。
このムラ出身の某氏からの寄付、というか差し入れ、というか献納、そういうものだそうです。イカが何十パイ、メザシが200数十匹、加えて酒が20~30本。祭り当日の4月にも再度寄付してくれる、とのことでした。
私の隣に座っているアキオさんにこの方のことを聞いてもよく知らない、と言う。他の人に聞くと、今は他県で建築業を営んでいるが、居宅はまだムラの中に空き家として残っているとのこと。
毎年行われる春・秋の村祭りでも見慣れぬ人を見かけます。
『祭』とは単に「神様をまつる」というだけの意味ではないですね。特にムラの祭りというのは信仰や宗派や神道などの言葉で論じられる、いわゆる一般的な『宗教』とはちょっと違う。
ある宗教に熱心なムラ人A氏は、移住して間もないころの私に近づいて、『邪宗』とか『信仰の自由を侵している』とか『ムラ社会の負の残存』と話かけてきましたが、この地のさまざまな行事にずっと参加してきて、やはり「違う」という感をより一層深く思うようになりました。
ま「こうして意識の中に入ってくるんだ」といわれれば、それまでですが…。
イカ、うまかった。公民館の外で、ドラム缶を縦半分に切ったグリル(?)に鉄板を置き、醤油をザーッとかけて焼いたイカのうまかったこと。
続いてメザシ。焼きすぎのものもあれば、半焼き、いやいや焼けてないのだってある。まともに焼けているものなんぞ無い、と言ったほうがよい。
私の皿に「さあ、どんどん食べて」と載せてくれたメザシだってそう。なま? 炭? それでも食いましたよ。それがまたうまい。酒も注がれれば飲む。盃を飲み干すと、あっちから「ほれ」こっちから「ささっ」。
大阪にいた時は飲めなかった。ほんの少し飲んだだけで心臓がドキドキ。挙句の果てはしんどくなってダウン。ところがここに来てから酒がうまく、随分飲むようになりました。この日もトータルで3合くらいは行ったかな。かといって家では飲まない。
宴たけなわ。窓からふっと外を見る。耕耘を待つ傾斜した畑には春の光が注いでいる。背側の窓からは光に包まれたわがムラの集落の大部分が見える。
すう~っと私が天空に舞い上がる。
天空に漂っている自分自身が、光の中の朽ちかけた公民館でムラ人とともに飲み、話し、笑っている自分を俯瞰している。
と思い巡らしている時、向かいに座っていたキンジさんが「この醤油、10年前のやで!」「えっ!」「ほら賞味期限、2000年11月になってる」「大丈夫か」「誰も具合悪い、というもんいないから、大丈夫やろ」「どこにあったんや」
それから1週間。ムラ人全員いたって健康。いったいなんだい、あの醤油は。
この『直会』は流れ解散。
というのは、この日はムラの各組(4組あります)の総会が開かれる日で、わがS組も3時からでした。
各組長も『先導』役として入ってるので、わがS組組長のトシカズさんはここの後片付けや、総会の準備のため大忙しです。ご苦労様。
今回は長くなりました。S組の総会については、次回に。
またお便りします。
写真は梃子衆の作業風景です。今日の『たより』とは関係ないのですが、『梃子』というのが分りにくいので、ご参考までに。
それから今日の日曜日11時から、S組女衆の『お茶っこ』の日。オカンはきのこ屋さんのヒデヒコさんの家へ行きました。
普通はS組の公民館でしたり、日帰りの温泉に行ったりするのですが、女衆も随分年を重ねてきているので。