信州山里だより

大阪弁しか話せないの信州人10年目。限界集落から発信している「山里からのたより」です。

キノコの駒種打ち

2011年03月25日 09時00分00秒 | Weblog


2011年3月24日(木) 記

今日は昼過ぎから植菌しました。菌の種類は「ひらたけ」と「なめこ」の2種。シイタケは結局今シーズンは無理でしょうね。

実は5、6年前にシイタケを植えたのですが、秋にほんの申し訳程度にポツポツと出てくれるものの他の菌が入ってしまったようでどうもうまく発生してくれません。で一昨年、そのほだ木を竹薮の中にうっちゃってそのままにしておいたところ、昨秋、ウチワほどの大きな大きなシイタケが1枚だけ出ているのに気がつきました。

香りは間違いなくシイタケです。でもシイタケってこんなに大きくなるものなのか、他のキノコじゃないの、もしかして毒キノコ、などとお互いが言い合いながら2人とも気味悪く感じ、結局は食べませんでした。何しろここ信州人のキノコ好きは有名で、と同時に毎秋間違って毒キノコを食べて亡くなる人が多いので、慎重になった次第です(あれを炭火で焼いて醤油をたらーっとかけてかぶりついたら旨かっただろうな、なんてこれを書きながら未練たっぷりです)。

ま、こんなことを経験しつつ、キノコが発生してくるまでに1年半から2年の長丁場、出るかでないか「神のみぞ知る」というのが、キノコ作りの面白さ、なんです。

写真は長さをそろえ終え、キノコ用のキリ(8.5mm)を装着したドリルで植え穴を開けているところ。


植え穴に種駒を入れて木槌で叩きいれるところ。見やすいように種駒をいくつか入れていますが、作業としては1個づつです。そして積み上げて水をかけ、ムシロなどをかぶせて「仮伏せ」という工程までやりました。

12~13本のたったこれだけのほだ木ですが250個づつ、計500個の種駒を入れています。せめて1,000個は植えたかったのですが、一人での作業は能率が上がりませんね。

さて、これで終わり、あとはキノコの生えてくるまで寝て待て、というわけにはまいりません。これから毎日の水くれ(信州弁。水やりのこと)、位置がえ、温度と湿度管理などなど、それなりに手間がかかるものなのです。
そして、今回は大きな問題を抱えています。
それは、ケヤキは「キノコの原木としては不適」と断言している人も居れば、「◎とまではいえないが、○でしょう。×ではない」という人もいるハザマでウロウロしているシロウトの私は、やってしまいました。


作業中お日さまが出ている中で急に雪が降ってきて、あまりにも幻想的な風景が広がったので写真に撮りました。その雰囲気が伝わるかどうか。右の楕円はBSアンテナの一部です。


じゃ、また。

『real tamagokake-gohan』 に向かって、一歩前へ

2011年03月24日 23時02分27秒 | Weblog

2011年3月23日(水) 記

朝起きると、憂鬱な気分で「今日はどうだろう」とまず原発と放射能のことが頭にうかびます。まずやらねばならないことは原発事故を終息させること。活動している現場の皆さん、切によろしくお願いします。

さてここ信州の山里は午前中いっぱい雪でした。寒い寒い。寒暖計を見るともうすぐ昼だというのに2℃。暑さ寒さも彼岸までと言われるのに、山里はまだまだ寒くて畑仕事はまだありません。で、こういう時期を選んで山仕事をする、ということなのです。

雪のあがるまでは昨日使ったチエンソーのメンテナンスです。切っている最中に木に挟まれてから微妙におかしくなったガイドバーの調整と目立てをし、雪のあがった昼過ぎからフィールドへ。

昨日切ったケヤキの──といってもホンの一部で、ともかく大きい木なので全体から見れば1割もないでしょうね──丸太をとりあえず家まで搬入しなければなりません。
いつもの私ならしばらくは放っておくのですが、今回は「即実行」です。なぜならこれを原木にキノコを植菌したいため、です。

下の写真は、裏山から伐採したコナラの一部です。これでシイタケを作ろうともくろみ、玉切り(栽培に適した長さに切りそろえることで、長さが90~100cm位)までして、あとは菌を打ち込むのみ、というところまで準備しておりながら放置しすぎて、とうとう時期を失ってしまいました。いいほだ木になる木だったのに、残念です。
  
で、今回はそんな失敗を再演しないためにも私には珍しく「即実行」ということにしたのでした。

ところがいざという時に運搬車用のガソリンが心もとない。それに時期が時期。
街に出てホームセンターで「ひらたけ(しめじ、のこと)」と「なめこ」のコマ菌を購入したものの、この近くのGSでは案の定品切れ。で少し離れた知り合いのJAスタンドに電話すると、10リットルの制限つきだがあるとのこと。それで充分。そこまで行くことにしました。

着くとそこには、前々から声をかけていたニワトリの「ひな」の注文書がきており、期限が3月25日まで。なんともはや、時間の押し迫った騒がしいことです。
ガソリンの用事がなければ来なかったこの店、どうしてたんだろ。せめて電話1本ぐらいくれたらいいのにね。ま、その場で注文することにしました。

さて、注文書に書かれた「ひな」(ひよこ)の値段を見て「驚き桃の木山椒の木」です。ビックリしました。皆さんの参考になるかもしれないので値段表を書いておきます(オス・メスとも同価格)。

中びな(白・赤) 60~80日齢 1,200円
大びな(白・赤)100~120日齢 2,070円
烏骨鶏      60~80日齢 4,560円
青卵鶏      60~80日齢 2,210円
プリモスロック  60~80日齢 2,070円
合鴨               時価
あひる              時価
※ 名古屋コーチンは取扱いなし

迷いました。本命が取り扱いなしなので赤に即決ですが、「中」か「大」かもさることながら、値段がべらぼうですから。ここで働いているSさんも「えーっ、また上がったの」。
(ここは小声で…「だから百姓は農協に怒っているんだ。百姓はあくせく働いても実入りが少ないのに農協ばかり大きくなって。農協も商社と変わらん」と。これは私が言ってるのではないですよ。現場のお百姓が言ってるんです)。

でもまあ、TPPに参加して農協の役割の一部を剥奪して外資の民間企業に代わると、生産者は買い叩かれ、消費者は食べものの首根っこを押さえられることになるのは火を見るより明らかです。「国民の食べ物、食料」という安全保障の観点が無視され、利潤追求の一手段としての「食品」へとその性格は劇的にかわるでしょう。だから私はTPPは絶対反対なのです。

結局迷った挙句、当初の予定より羽数を大幅に減らして「大ひな」を注文しておきました。
「大ひな」にした理由。
ネズミやモグラは勿論、ヒヨドリ、ヘビさえ取ってくるネコが3匹いること。
とにかくこやつから守ってあげて、あーっ、早く『本物の玉子かけごはん』食いたいー。


思わぬ時間を費やしました。さあ、ここからトシカズさんの畑に直行です。
「はやいことケヤキを運ばな」。

ケヤキを「ころばす」

2011年03月23日 07時21分57秒 | Weblog
2011年3月22日(火) 記

3月5日からこちら、私のお便りも震災ばかりで、信州山里のたよりを送れていませんね。
震災があっても山里の生活は刻み続けています。今回はほんの短く、21日の日曜日の出来事を。

日曜朝8時。裏山で伐採後の木の後片付けをしていると、トシカズさんから「今からケヤキ、ころばすよ(信州弁で、伐採すること)」と携帯に電話。
実は3年前の秋分の日、右ひざを電気丸ノコで食い込ませて停止してしまうほど切って救急車で運ばれてから少々恐怖心が残り、「大丈夫かな」と不安と緊張とチエンソーを持って9時に現場へ。なにしろトシカズさんの畑を被さるような大きなケヤキですから。

たまたま隣に接している自分の畑に来たマサカズさんも加わって、3人で3時間ほどかけて無事にころばすことができました。
写真は、日曜日にころばせて(言い得て妙でしょう)そのままだったのを、トシカズさんかマサカズさんかが枝をある程度片付けてくれて、今日時間がある私が作業する前のもの。その隣の写真は同じ場所から撮ったわがムラの風景。豊かではないけれど(叱られるかな)心安らぐいい山里です。
  

木を切ることは少々怖いというか、厳粛な気になるというか、そんな気になります。これは「危険を伴うから」というだけでなく、なにか感じるんですよ、木に対しては。
したがって家の裏山で、あるいは自分ひとりでやる時は、太い木にはお神酒を少しふりかけてから、細い木には「悪いな、切らせてもらうよ」とつぶやいてからチエンソーを使います。

この時嬉しかったことが一つ。
日曜日に作業をしているとマサカズさんのお母さんが(80少し前位かな)やってきて、「誰かと思ったらKさん(私のこと)やな。都会から来た人はなかなかこんなことできんのに、すっかり山の人になって」と言われました。「すっかり山の人になって」って、嬉しいじゃないですかこの言葉。
ちなみに私が市の広報を配りに行ったとき、なんと縁側で『現代農業』という雑誌を読んでいたんですよ、このお母さん。

今日は一人で黙々と小枝の整理にいそしみました。12時頃から夕方6時前まで。日が長くなってきたのは作業がはかどって嬉しいことです。
でもその間、ラジオでは余震のニュースが続いています。そして東北大地震翌日の12日午前3時59分に起こった長野北部震度6弱の地震発生からからずっと、大きくないのであまり注目されていないけれど、わが山里にも連日数回の余震が続いています。

「(息子夫婦が住んでいる)茨城は地震が多いなぁ。あの子ら大丈夫かや(「かや」も信州弁。知らず知らずでてきます)」と夫婦で案じていた数ヵ月後にこの大震災。長野も安心できません。なにしろフォッサマグナが通っているし善光寺大地震の経験もしている土地ですから。はやくおさまって欲しいです。


【原発事故関連】
昔むかし、ずっと昔。独身の頃から反原発の立場だったので「東京に原発を!」や「ジョン・ウェインはなぜ死んだか」や「危険な話」(広瀬隆)などを読み、原発の学習会にも反対集会にも参加していた。

それから年月が少し経ち、RCサクセション、忌野清志郎の原発反対の歌が放送禁止になり、レコードも発売中止になったことを知って「へえ、そんな奴も居るんや」と彼に興味を持ち、好きになり、ロックの新しい聞き方ができるようになった子育て時代。

それから私は、原発には反対の立場であったものの、国政選挙で投票する時の基準の一つとしてはいたけれど、それ以上でもそれ以下でもなく、原発で生まれた電力を享受した日々の生活を送っていた。先の書籍も本棚に眠ったままになった。
そして今、東京電力福島第一原子力発電所の惨状に接するたびに、子や孫たちなど、次の世代に大きな禍根を残してしまったのじゃないかと悔いている。

今、あの世にいる忌野清志郎はどんな気持ちでいるでしょうね。「それみろ、俺が言ったじゃないか」か、それとも、ただただ悲しい顔をしているだけだろうか。
見た目は奇抜でその姿で反感を持たれることもあったけれど、根は優しかった彼は後者だろう、きっと。
RCサクセションの反原発の歌『サマー・タイム』。聞いてみてください。
http://protestsongs.michikusa.jp/japanese/summertime.htm

真実を知るために

2011年03月18日 21時36分44秒 | Weblog
2011年03月18日(金)記

ある人のブログを読んでいたら「真実を知りたい」とあった。地震、大津波、原発事故のうちでも、特に原発事故についてはその気持ちが強いだろうと察する。
私だって同じこと。生まれて1ヶ月になったばかりの初孫が近隣県に住んでいるから、なお一層その思いが強い。

政府が重要な情報を隠したり過少発表したりすることにより、これら子ども達が将来、一生背負わなければならない問題を抱え込むことになるとしたら、菅直人内閣総理大臣の罪は累代、この世あの世をを超えて、永遠に負わねばならない。(IAEAの事務局長が来日したとたん、事故レベルを5に上げた。やはり過少発表していたのか)。

しかし現実は、国民に知らせないように知らせないようにしているようだ。特にTVを含めたマスコミの責任は極めて大きい。

私はテレビや新聞のニュースは、必らずインターネットにつないだパソコンを見ながら読み、見るようにしている(したがって食事をしながら、ということも多いので叱られるが)。
その結果今の日本の新聞、特に全国紙は読む価値がないどころか、逆にさまざまな手法を使って、例えば「世論調査」や、報道しないことや、捏造記事や、リーク情報の垂れ流し記事や、意図的な写真などなどさまざまな手法を使って、私達を意図的にある方向に持っていこうとしていることを実感する。
新聞の熱心な一般読者に限って、新聞の意見を自分の意見と思い込んでいる人が多い。誠に残念だ。

長くなるのでここで端折るが、マスコミが、あるいはジャーナリズムを本来(つまり、国民側に立つ第3の勢力として)の姿に戻すためにも、一度はお灸をすえる(購読を止める)ことも必要です。ただし購読をやめるときは「あんたとこの新聞記事、おかしいぞ」と言わなければわかりませんが。


以下の記事は英文を除いて、ツイッターの私のホームに届いたものの一部です。英文はロイターの記事で、これもツイッターから教えてもらったものです。日本語訳は翻訳ソフトを使えばすぐです。
ツイッターは情報を取得するための重要なツールです。ぜひお勧めします。ただし取得した情報の取捨選択。これは極めて大切です。

以下、ツイッター記事です。

ogawahiro 小川裕夫
tosa_suigeiから
今日の官房長官会見で、フリーの入場を頑なに拒もうとしたのは西森昭夫内閣広報室調査官。西森調査官は総理会見に出席しようとした寺澤有 @Yu_TERASAWA さんに対して「私の権限で、あなたを出席させないようにすることができる」言い放った人物。要するに、官邸の壁
13分前


tosa_suigei 土佐の酔鯨
画像。ちょっと言葉を失う。 http://twitpic.com/4an2ck
10分前


nobuogohara 郷原信郎
続き)被災者の要請に応えられる客船を一刻も早く被災地に送りたいという気持ちわかっているのか局長がすべてやらなくても良い。誰か下の人間に任せればよい。なぜ迅速に対応できないのか。先程、官邸の福山副長官に電話し、迅速な対応を求めたところ、「了解です。」とのこと。今後の事態の進展に注目
24分前
»

nobuogohara 郷原信郎
続き)しかし、その後、全く動きなし。今日の夕方、国交省海事局長に電話したところ、「燃料の問題で忙しい。週明けには必ずやります」とのこと。週明けとは連休明けの来週火曜日のこと?「ふじ丸」は、病人の搬送にも、被災者の生活支援にも活用可能。医師、看護師が常駐でき、大浴場もある。(続く)
24分前
»

nobuogohara 郷原信郎
神戸港で待機中の大型客船「ふじ丸」の被災地への派遣の件、残念ながら、昨日から進展なし。船会社、親会社とも、東北の被災地支援派遣に積極的。国交省にオファーしたのに何もレスなしとのことだったので、昨日、国交省の事務次官を通じて海事局長に早急に対応してもらうよう要請した。(続く)
27分前


HEAT2009 HEAT
tosa_suigeiから
フィンランド外務省は18日、福島第1原発の事故を受け、東京にあるフィンランド大使館の機能を広島に移転すると発表した。広島での業務は19日から開始。共同http://j.mp/f4A4Gg40分前


kamitori kamitori
chateaux1000から
RT @h_hirano: 大臣経験のある民主党議員。「計画停電の根拠が怪しい。災害の時はその復旧のため電気を止めないのが原則だ。柏原原発事故のとき原発は止めたが、停電はしていない。それに停電地域に被災地を含めている」。別の副大臣の言。「停電する必要がないのに停電した疑いがある」
1時間前



kamitori kamitori
chateaux1000から
RT @h_hirano: 計画停電について。「計画停電には、電力不足対策はあるが、それ以外に隠された目的があると推測されるからだ。それは、電力不足を招いた福島原子力発電所の事故隠しと、原発不要論を抑制することである/徳山勝氏」。政府の記者会見は例によって記者クラブのみである。
1時間前



tambariensis Herr Tomo Tsugitatto
uesugitakashiから
官房長官会見を昨晩(記者クラブとニコ生のみ)と今夕(フリージャーナリスト同席)見比べた。聞く方話す方の緊張感が,全然違うぞ。これまで記者クラブと政治家がどれほど慣れ合っていたかモロ分かり。そして情報の垂れ流しと国民自身による判断がいかに重要か思い知る。@uesugitakashi
2時間前



sakuraphon 夏目久生
uesugitakashiから
NHKは原発の会見を都合が悪くなると、露骨に不自然なカットをするようになった。ここでも上杉隆さん(@uesugitakashi)は厄介者扱いらしい。彼こそ本物のジャーナリストなのに。
2時間前


h_hirano 平野 浩
chateaux1000から
原子炉冷却剤を断ったせいか、クリントン国務長官が激怒している。「日本の情報は混乱しており、信用できない。米国独自の調査で判断する」とテレビインタビューで強調。これを受け米メディアは「金曜日にも太平洋を超えて米国に放射性物質が到来する」と日本を非難。日本のメディアは知らん顔だ。
4時間前


U.S. delivers coolant to Japan nuclear plant: Clinton
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WASHINGTON | Fri Mar 11, 2011 11:05am EST
(Reuters) - The United States has transported coolant to a Japanese nuclear plant affected by a massive earthquake and will continue to assist Japan, Secretary of State Hillary Clinton said on Friday.
"We just had our Air Force assets in Japan transport some really important coolant to one of the nuclear plants," Clinton said at a meeting of the President's Export Council.
"You know Japan is very reliant on nuclear power and they have very high engineering standards but one of their plants came under a lot of stress with the earthquake and didn't have enough coolant," Clinton said.
(Reporting by Doug Palmer; editing by Will Dunham)


yujin_fuse 布施祐仁
tosa_suigeiから
内閣参与に任命された東大教授の小佐古氏は、原爆症認定集団訴訟で国側証人として出廷し、<被爆者の病気は放射線によるものではない>と証言した人物。内部被爆の影響が極端に過小評価され、被ばくによる健康被害を認めない流れがつくられることを憂慮します
3月17日


今、私達にできること

2011年03月16日 13時25分23秒 | Weblog

2011年03月16日(水) 記

(常用しているパソコンがダウンしてしまって、ここ10日近くお便りできませんでした。こんな緊急時に、といまいましい限りです。調子が悪くて普段使っていない別のパソコンを、なんとかだましだましてとりあえず送信しますが、もし送信できていなかったらごめんなさい)。


一昨日の14日の夕方、傷だらけ、腹部の毛もほとんど抜け落ちた無残な姿で約1ヶ月ぶりに帰ってきたオス猫の「クー」を昨日の午後、病院に連れて行きました。
その帰途、ヤギのためにキャベツの葉を貰いに行ったスーパーには、缶詰のほぼすべて、水、トイレットペーパー、パンは全部、どういうわけか納豆の棚も空だった。
ガソリンは10リットルの制限給油は多いとはいえ、店によっては売り切れ状態だった。

宮城沖地震以降、長野県北部にも地震が発生してから連日連夜揺れているが、かといって長野県栄村(さかえむら)を除いて、県下では日常生活に支障をきたしているという話は聞かない。
さらに被災地にある身内・知り合いに個人的に送ろうにも、その輸送手段がない。なのに、商品が無くなっている。
その主な理由は、入荷困難ということもあろうが『買いだめ』が多いという。
たしかにそうだ。所用で懇意にしているガソリンスタンドに行った時、携行缶に給油している客がいた。

海外では、こんな大災害時でさえ「略奪の起こらない」「行列を乱さない」ニッポン人を感嘆し、リスペクト(尊敬)しているという。私もこんな報道に接すると日本人として誇りに思い、どういう訳か涙ぐんでくる。

しかしこんな時の買いだめは、お金を払っているとはいえ一種の『略奪』といえるのではないか。そう、これは強者による略奪なのだ。

考えてもみよう。
普段の生活で加齢、知的、身体的なハンディを負っている人々を相手にスーパーで競争して物を買うだろうか。同じなのだ。大災害に罹災したことによりハンディを負わざるを得なくなった人々からは絶対に物を奪ってはならない。むしろ逆に、足らないものや必要なものを届けることが、今の私達の「せめてできること」なのだ。
しかし現状では個人的に物資を送ることは不可能。だから「買いだめはしないこと」なのだ。

幸いにも罹災していない私達には家族がそばにいる。食べたい時には食べることができ、トイレにも自由にいける。寒さや雨・雪から身を守る家もある。
いま避難所にいる人たちは配偶者を失い、子を亡くし、孫を亡くし、健康を失い、仕事を失い、家を失い、希望まで失っている。こんな人たちからあなたは物を奪えるか。

私達はあの小泉・竹中の『新自由主義』という名の弱肉強食の世界から、日本社会が本来持っていた「お互いさま」「おかげさま」の世界に戻ろうよ。この大災害を機会に、二人によって壊された元からの日本社会を再建しようよ。
この再建の第一歩が、「富める者は貧しい者から奪ってはならない」(イスラムの教え)のだ。

さあ、「買いだめ」はやめよう。蛍光灯は一本減らそう。便座の暖房はやめて便座カバーをつけよう。コンセントからプラグを抜こう。服を一枚重ね着しよう。湯たんぽを使おう。自転車を使おう。早寝早起きをしよう。
「そんなこと」と言われるかもしれない。でも「そんなこと」から私たちは実行していこうよ。


追伸
報道関係の方へ
報道関係者がもしこのブログをご覧になっていたら私からお願いが一つあります。
「○○が破壊された。○○が無い 等々」の報道も大切ですが、「○○が到着した。○○道路が開通した。○○の瓦礫が撤去された。○○で復旧した」など、再建へ歩み出す姿を是非報道してください。今こそ「希望」が必要なのですから。
さらに「ガソリンが無い」と報道されたらやはり買いだめに走る。一工夫を。

機織り機

2011年03月05日 22時58分41秒 | Weblog
2011年03年5日(土) 記

昨日は寒かったですが、今日は風が冷たかったものの、お日様が出ていたからか暖かかったですね。このまま春が来てくれたら、と思ったりもします。

そうそう屋代線の廃止問題、金曜日から市議会で論議し始め、今日の土曜日から沿線住民の松代住民自治協議会と若穂住民自治協議会が地区内で署名活動を開始した、とニュースが報じていました。
これを機会に行政に対しての住民の意識が どのように変わるでしょうか。

さて今日の話題です。
この木曜日、二階の屋根裏部屋からやっと「機織り機」を出しました。
写真は屋根裏部屋の一部です。障子や板戸の類、炬燵の櫓(やぐら)などはまだ残しています。あ、そうそうそれに使い道のわからないものも少し。

ちなみにこの部屋の床は「簀の子床(すのこゆか)」(一階からみれば「簀の子天井」)と呼ばれるもので、一階が漬物部屋の部分は簀の子を、牛小屋と風呂のかまど部分は板を並べただけ、となっていて(この家の古さが偲ばれます)、足元がぐらついたり、ズボッと踏み抜いたりの危険性が高いので少々緊張気味です。それに分解しているとはいえ機織り機の部品部品の重いこと重いこと。


思いおこせば、えーっと、昨年の春までに出しておいてといわれていたから、その前年の平成21年夏ごろに連れ合いから言われ、平成22年の春には結局出せず、やっとこの平成23年の今春、引っ張り出した、ということです。まあ、時間が随分かかりました。

この家を買ったとき「居ぬき」ではなかったにもかかわらず、まあいらない荷物がゴミ状態でどれ程あったか。布団・着物・古い古い家電・子どもの教科書、箪笥などの家具や長持、屏風、記念品、ダルマ、什器、写真や表札までも。
写真や表札は大切に保管し、いつだったか訪ねてきた娘さん(といっても私よりは年上)に返してあげましたが、ほとんどを粗大ゴミとして清掃センターに運んで処分しました。
そんな中で、今考えると実に勿体ないことに糸車のいくつかは処分してしまったけれど、この機織り機は残しておいたのでした。
(ちなみに古民家、特に農家を買いたいと考えている方へのアドバイスです。「残された家具類の処分はどちらが負担するか、きっちり話し合いをしておくこと」。私たちも話し合っていたのですが…)

下ろした機織り機をブルーシートの上に並べてみました。これでほぼ機織り機1台分になりますが、多いですよねぇ。


何十年か、あるいはひょっとすると100年になるかもしれない期間、煙に燻されて真っ黒になっています。これは洗い落とすのが大変ですが、おかげで虫食いにあっていないようです。
さらによく見ると、ごく普通の丸太を手斧(ちょうな。ちょんな、ともいう)で削った跡が残っている。かなり古いものだと思いますよ、これは。ちなみに昔のものだから何もかもが立派なもの、というものでもなく、これなんかも丸太そのままを使っている部品もあるんですよ。

そして極めつけがこれ。

天保十四年の墨書があります。
天保十四年といえば1843年。今から168年前のもので、ペリーの浦賀来航がそれから10年後。

じゃ、また。

地方都市の鉄道事情。長野の場合(下)

2011年03月03日 12時52分38秒 | Weblog
2011年03月03日 (木)

お知らせ:今回よりアドレスをクリックするだけでリンクできるようにしました。前回の関西テレビの番組紹介もリンク可能にしておきました

今日は3月3日、「桃の節句」「ひな祭り」です。
ここ信州の山里ではどんなお祭りをするのか、どんなものを食するのは興味あるところですが、残念ながら皆さんにお便りするほどのことは聞いてません。何しろ私の子どもは男ばかりだったので、「桃の節句」についての脳回路が発達しなかったのでしょう、まるで異世界のような感じがします。

昨日は午前中まで雪のような雨で、気温も真冬のよう。三寒四温を繰り返して春になるのです。人生とおなじ、ですね。

さて今回のお便りは、「長野電鉄屋代線」の廃止問題についてです。
屋代線といっても県外の方はピンと来ないかもしれませんが、信越本線(現在 しなの鉄道)屋代駅(千曲市)から松代、そして須坂にいたる約24Kmの路線です。この須坂で小布施、中野、湯田中へ、逆方向へは長野駅へと連絡しています。この沿線は名だたる観光地。他の鉄道業者から見れば垂涎の路線とも言えなくもない。

そもそも官設鉄道が屋代から千曲川左岸の篠ノ井、長野を通ったので、同じ屋代から右岸にある町々を結んだ。今も「浜街道」という名称が国道に付けられていて松代、須坂、小布施、中野に残る町並が当時の繁栄をうかがえる(観光にいいですよ)。さらに30年ほど前までは国鉄が東京上野駅から屋代線を通って湯田中(志賀高原の最寄り駅)まで急行を走らせていた。

こんな歴史や観光資源があるにもかかわらず、モータリゼーションと、地方でも起こっている一極集中化、つまり長野市への集中によって経営が悪くなった。
ところが経営が悪くなったといっても公共交通機関なのですぐ「赤字ですので廃止します」というわけにはいかず、平成21年5月に「地域公共交通の活性化及び再生に関する法律」に基づいて「長野電鉄活性化協議会(委員27名)」が設立された。

さて問題はここからです。
この法律に基づいて昨年の平成22年3月に「長野電鉄屋代線総合連携計画」を策定し、各種実証実験や推進施策を実施しはじめたのですが、3年かけて利用促進を図るための協議会で、わずか1年も経たないこの平成23年2月、実証実験もたった3ヶ月行われただけで、廃止14、実証実験継続11(つまり「3年の実験が3ヶ月で終了ということに反対」)という票決で廃止が決定された(一部報道では廃止14、存続11としているが、存続と継続では意味が全く違う。小沢問題でもよくわかるが、マスコミは誠に真実を伝えない。記者がバカなのか。それとも作為なのか。特に全国紙)。

これは最初から「廃止ありき」であって、「活性化協議会」はそのための隠れ蓑、あるいは法律があるから形だけのものだったといわれても仕方ない。余談になるがこのようなことでも「法律」はいかに大切か、ということがわかる。
なお実証実験の内容はここでは煩雑になるので、下記のサイトをご覧下さい。
http://www.nagaden-net.co.jp/yashiro/activation.html

もちろん地域住民は怒る。私だって「あれれ」と思うし、実験の3ヶ月での打ち切りに対し長野市議会や千曲市特別委員会でもこの決定に疑問を呈している。しかしTVニュースでは記者の質問に鷲沢(わしざわ)長野市長はそっけなく「活性化協議会の決定に従います」の一言。まあ、この市長は中条村と信州新町を吸収合併する直前、挨拶にきて頭を下げている町長、村長を前にしてTVで写っているのにズボンのポケットに手を突っ込んで上から目線で話す「えらいさん」だから、予想された回答だ(しかしどこの職場でもポケットに手を突っ込んで話すこんなタイプの「えらいさん」にろくなヤツはいない)。
ちなみに同じように経営の苦しい松本電鉄(上高地方面に行く鉄道)に対して松本市では、職員の通勤を公共交通機関利用に制限したりして松本電鉄存続に向けて進めている。
大きな差だ。この違いはどこからでてきているのだろう。環境に対する取り組み姿勢の差? 費用対効果の価値観? 総合的な交通政策? 高齢化社会には必至の交通弱者への視点? なんにせよこの対比は興味深い。

手帳を繰ってみると…1月30日の日曜日、松代温泉に入っていると隣の2人連れがこの問題について話していた。聞くともなしに聞いていると「車で走ってみた。同じところへ行くのに1時間以上かかった。バスに代わったら停留所があるからもっと遅くなるし、道も1車線だから他のクルマも混むよなぁ。通うのに大変になる」。これが地元民の実感だろう。

じゃ、反対している住民はどんな活動をしているのか。
確かに松代町の家々には「乗って残そう屋代線」などの幟を揚げているものの、反対運動の顔があまり見えてこない。で、活動内容を知りたいと思って事務局というか、世話人というか、団体というかそういうのを探しても見つからず、
「いすみ鉄道 社長ブログ|長野電鉄屋代線活性化協議会」
http://isumi.rail.shop-pro.jp/?eid=608176というのがあった。

ここで語られている内容については、同意する面が多い。
(このブログの最初に
「長野電鉄に出かけてきた話をしましたが、本当の目的は屋代線活性化協議会への訪問。」
と書かれていますが、このブログの内容は『若穂地区住民自治協議会』(若穂は屋代線沿線)主催の「長電屋代線 存続運動住民集会」という緊急集会での話。『屋代線活性化協議会』での内容ではないようです。)

社長の話した内容に加えて、活動団体は沿線地域のみならず市内や県内の他地域、あるいは他府県の人々の応援や援助、存続のためのアイデアを求めたらいいのに、と思う。
鉄道ファン向けの雑誌『鉄道ジャーナル』『鉄道ピクトリアル』『鉄道ファン』などへのパブリシティ活動、地元コミュニティ新聞も重要だ。特に前者へは違った効果が出てくると思うが、どうだろう。私ならこれらの鉄道雑誌に「私たちの鉄道を助けてください」とか書いて投稿する。

こんなことを言っては長野県民に叱られるかもしれないが、どうも県民性からか、ネコを駅長にしたり、醤油せんべいを売ったり、線路の両側にサクラを植えてサクラトンネルを作ったり、トロッコ電車を走らせたり、ライトレール化したり、各地の超古い車両が走る博物館路線にしたり、運賃を考え直したりといった奇抜な発想が出てこないようだ。電車そのものに乗る楽しみもつくろうとする発想もない。
論理的県民性なので理屈で解決しようとするのはわかるが、それでは経済原理に簡単にやられてしまう。アイデアいっぱいの鉄道ファンに力を借りようよ。具体案を出して行政を交渉のテーブルに引っ張り出さなあかんで、と思う。

屋代線は通勤通学手段として、観光地への足としての役割は小さくなっているのは事実。しかし鉄道は観光資源そのものにもなるし、輸送手段としても延命できる。
いったん廃止と決まった福井の京福電鉄も再出発したし、米フロリダ州では新幹線は建設しないと決めた知事が州議会議員によって州最高裁判所に告訴された。

3年のはずが3ヶ月で打ち切り廃止を正当化する。議会が意義を唱えても一顧だにしない。地域住民自身のことは自身で、いろんな相談には乗るから、といって『住民自治協議会』ほぼ強制的に各地域で結成させた現市長が、その協議会の意見を無視する冷たさ。行政単位が大きくなればなるほど地域住民から離れていくものでしょうかね。それともこの市長だけの特質? 

この長野電鉄屋代線の廃止問題で、交通のあり方とともに「地方公共団体とは何ぞや」と考えた次第でした。

今回はしんどかったでしょう。ま、スルーしていただいても結構です。
じゃ、また。次回はちょっと柔らかいのを。

追伸
前回のお便りで、日本郵政西川前社長は特別背任にならないのか、と書きました。総務省『日本郵政ガバナンス問題調査専門委員会報告書』を読んでそう思ったのでした。こんな大切なことを朝日を始め大マスコミは全く無視。やはり何かあるのじゃないかと推測してしまう。
日本郵政ガバナンス検証委員会委員だった保坂展人さん(社民党前衆議院議員)のブログが読みやすいのでこちらのアドレスを載せておきます。
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/189629016c3f73902cf9f79eb7d8ddc9

地方都市の鉄道事情。長野の場合

2011年03月01日 22時25分03秒 | Weblog
2011.03.01(火) 記

今日は朝10時頃から冷たい雨が降り出して、たそがれ時には雪になってしまいました。こんな天気ばかりだと、この『信州山里だより』も頻繁に書けるのですが。

さてこの1~2週間、長野にかかわる鉄道についてマスコミを賑わしています。それは都会の人々から見ると、なんてことない話題かもしれませんが。

話題の1つ目は、長野電鉄の特急車両が変わった、という話です。
4~5年前に「小田急ロマンスカー」が「特急ゆけむり」として入り、昨日の2月28日からJR東日本の「成田エクスプレス」が「特急スノーモンキー」として導入され、長電(ながでん)の自社オリジナルの特急型電車が引退しました。変な言い方ですが、鉄道に興味ある方は、この話題には興味あるでしょうね。なにしろ地方鉄道としてはこの車両は評判でしたから。私も鉄道が好きなので少し寂しい感じです。
雪にまみれたこの丸顔の特急電車が、温泉の湯煙が立ち込めている雪深い終着駅「湯田中」に到着している姿なんぞ、大阪にいる頃の北信濃の典型的なイメージの一つでしたから(前にも書いたことがありました。よほど自分自身で作り上げた堅牢なイメージですね)。
ちなみに「ゆけむり」は湯田中・渋温泉を、「スノーモンキー」はあの温泉に入る地獄谷のサルに因んでつけられた名前です。

2つ目は、中央リニア新幹線の飯田駅をどこに持ってくるか、という話題です。
現JR飯田駅に併設するか、もうすこし北側に新設するか、ということなのですが、飯田と長野は遠く、全県的な問題にはまだなっていないようです。
どちらにせよ長野飯田間の連絡はどうするのだろうと考えてしまいます。なにしろJR飯田線はカーブが多く駅間距離も大阪環状線並かそれより短いですから。

3つ目は、北陸新幹線(長野新幹線)が2014年に金沢まで開業すると同時に、信越本線がJRから経営分離され、長野県内の長野駅~妙高高原駅間の扱いを巡ってどうするかが大きな問題となっています。
最近では東北新幹線が新青森まで開通したのに伴い東北本線が、そしてまもなく九州新幹線の開業で鹿児島本線が経営分離されるので、各地、各自治体でその経営について問題になっている、あるいは問題になっていくでしょう。

新幹線のメリットはもちろんありますし、新幹線反対!ということでもないのですが、現状では地方にとって財政的な負担が大きいということを知ってほしいと思うのです。

具体的には、新幹線のために県などが建設費の一部を負担しなければならないのですが、その金額がかなり大きい。駅舎もそう(全額負担、というところもある)。緊縮財政の中、県の予算案を見ると正直「他に回せたら」と思うこともあります。新潟県知事が新幹線建設費の県負担分を拒否するのも理解できます。そして完成すればJRから分離された平行在来線の維持(経営)のため、これまた多額の県民税が毎年投入される。そして鉄道運賃の大幅なアップ。3重にも4重にも経済的な負担をしなければなりません。結局負担を住民に押し付けているのです。

年に1~2回、今までよりは楽に、早く東京に行く代価としてはあまりにも大きすぎる負担です。これは都会に住む住民はあまり知られていないし実感もないのではないでしょうか。

つまり国鉄を民営化したから全面的に経営が良くなったというのは一面的で、いかに地方の住民から相当な金額を収奪(言い過ぎなら吸い上げ)して黒字を生んでいるかということも、ぜひ頭の片隅に置いてて欲しい。『収奪は広く薄く。そうすれば抵抗は抑えられる』。これは歴史の定理です。
(これによく似た話はいくらでもあります。たとえばごく最近の例では、経営がボロボロだったペリカン便を無理やり日本郵便に押し付けた結果、日通が健全経営になり、一方の日本郵便は1,050億円の赤字になった。結局これも長い間積み上げてきた国民の財産を一私企業に掠め取られていることと同じなのです。住友から来た前社長の西川善文氏は特別背任にならないのかと思う)。

儲かる新幹線はJRへ、儲からなくなるから在来線は地方へハイどうぞって、こんな不合理な話はないと思います。加えて地方では必需品のクルマ関連の負担を加えると、地方の住民はライフラインたる交通手段にかなりの経済的負担を負っています。

そしてサービス。
JRになってサービスが良くなった? とんでもない。
私は年に2回以上は大阪に行きます。このときJR東日本~JR東海~JR西日本を使うのですが、連絡が不便なことこの上ない。特に東海と西日本(東日本は長野~塩尻という短い区間のみ)。従って少々ムリしても高速道路を使ってしまう。
駅員が「ありがとうございます」と言ったからサービスが向上したと錯覚しないで欲しい。JR西日本の福知山線事故もはきちがえたサービスの結果、あれだけ多数の人を殺してしまった。

分割民営化の大きな目的の一つに「国鉄労働組合=国労」を潰すことにあった。(半分嫌味で言うが)その目的を達した今、地方の財政的負担を軽減するためにも、国土のバランスの取れた発展を図るためにも高速道路を含めた交通体系を見直しし、新たな国家像に沿って再構築する必要がある。そのためにもJRのあり方を再考する時期に来ているのではないかと、「新幹線開通」と浮かれている今、片田舎に住んでいてつくづく思います。

最後の4つ目。
この2月2日に決定された長野電鉄屋代線の廃止問題です。
これは上に述べた3点とはちょっと違って、地方都市の抱える大きな問題をはらんでいると考えますので、次回にします。
もう少し鉄道の話にお付き合い下さい。

じゃ、また。


追伸
TPPについて。
大阪の関西テレビ「スーパーニュースアンカー」 2011年2月16日 放送の分です。ご覧ください。(アドレスをコピーし、それを貼り付けると簡単にログインできます

その1 http://www.youtube.com/watch?v=XD-nv0sfbxQ
その2 http://www.youtube.com/watch?v=KwoGAtMfbUg
その3 http://www.youtube.com/watch?v=Lq37d8FbZyI