姉川の戦い
織田三万の大軍団の行軍が始まった。
目指すは浅井氏三十九万石の本拠小谷城。
小谷城の南東に、横山城という浅井氏の支城がある。
横山城が落ちれば小谷城の防衛能力は半減する。
信長は自ら総指揮をとり、横山城を包囲した。
元亀元年六月二十六日夜半、浅井方に、越前の同盟軍朝倉氏から一万の援兵が来着した。織田軍を背後から包囲して殲滅する作戦である。
同じく二十六日、織田方の同盟軍、徳川家康の部隊一万も横山城包囲に参戦した。
姉川の北岸に浅井・朝倉の陣、南岸に織田・徳川が陣取っている。
地形は岸が崖になっている浅井・朝倉側の方が防御に有利である。
六月二十八日午前四時、徳川軍を先陣に十三段構えの織田軍の突撃が始まった。
伊右衛門達がいる秀吉の部隊は三番隊だった。
激しい戦いで、十三段構えの十一段まで崩れたが、そこから織田・徳川軍が盛り返した。
乱戦の中で、伊右衛門達も浅井方の足軽大将鬼藤三郎兵衛義兼という豪の者をしとめた。
戦に勝ったが、信長は一挙に小谷城に攻め込まなかった。そこには浅井長政に嫁いだ妹の「お市の方」が居る。
信長は、小谷城の周りの支城をつぶし始めた。
まず、横山城を落とし、木下藤吉郎三千の兵に守備させ、佐和山城を丹羽長秀に包囲させ、小谷城の北に市橋長利、南に水野信元、西の彦根山に河尻秀隆を置き、臨時要塞を築かせ、信長自身は全軍の論功行賞を行った後、さっさと岐阜へ戻ってしまった。
伊右衛門は、新知四百石。
四百石という加増は大きい。
まだ、戦闘中だから知行地もはっきり決まった訳ではないが、励みが出来た。
「吉兵衛、おれは織田家に仕えて幸運だったな」
「織田様にお仕えあそばいたこと、誠にご運がよろしゅうございました」
「人間、身を寄せる大将によって生涯の運不運が決まるものだ。ありがたい」
「大将とあおぐ木下殿もいい。この人はひょっとすると織田家第一の大将になるのではないか」と、もっとも、これは千代の観測の受け売りである。
姉川の大勝の後、小谷城が落ちるまで、この後数年の包囲戦が続くことになる。
この間、信長は摂津石山本願寺と戦い、浅井・朝倉の奇襲部隊と琵琶湖畔の坂本城で小競り合いをし、擬装講和をし、伊勢長島の一向一揆と戦い、叡山を討ち、多忙に過ごした。
が、伊右衛門らは、元亀二年の春になっても、横山城に滞陣したままだった。
城将の木下藤吉郎は、将士に惰気が生じるのをおそれ、様々な工夫をした。
こちらから仕掛けて小競り合いをしたり、敵の城下の青田を刈ったり、村を焼いたり、戦局に関係ない小戦闘を絶え間なくやっている。
一方、横山城の麓の村はずれに、小さな歓楽地を作り、遊女達の小屋掛けを許した。
城中の士は、組毎に日を決めて出掛けて行く。
が、伊右衛門には縁がない。
「わしは好かぬ、吉兵衛、新右衛門、お前達はゆけ」
「殿はお固うござるな」
と、吉兵衛等は伊右衛門にはかまわず、出掛けていっては、後で遊女の品評などをして興じている。
そんなおり、小りんが横山城下に現れた。
その人をと、心に念じつつ、わざわざこの戦乱の里まで来た。
(山内伊右衛門一豊と言いやったな、別に面白味のある男ではないけれど)
なぜ魅かれるのか、自分でも分からない。
「いいえ、恋じゃないよ」
と、浅井の小谷城にいる従兄弟の望月六平太にきっぱり言った。
望月六平太、南近江の甲賀では知られた郷士で、いわゆる忍び、忍者、甲賀者、などといわれている役目の男だ。
近江甲賀郷は、足利の隆盛期このかた、南近江の領主六角氏に属していた。六角氏と浅井氏が同盟している関係上、望月六平太も、その下忍どもを連れて小谷城に籠り、諜報活動をしている。
小りんは、望月一族のひとりとし六平太をたすけていた。
小りんと六平太とは、既に体で結ばれてる。が、どちらも愛情があるというわけではなく、お互いのごく生理的な必要のために相手を使用しあっているにすぎなかった。
六平太の歳は、小りんより九つ上だが、歯がない。
平素はつげの木と獣骨でつくった義歯をはめている。
旅に出るときは外して空也僧の装束などを着ると、どう見ても七十ぐらいの老人にしか見えなかった。
その、小りんが、横山城下の村はずれで、五藤吉兵衛を呼び止めた。
そして、吉兵衛に「伊右衛門さまにお会いしたい」と連絡を頼み込む。
吉兵衛の話を聞き、動揺したが、結局待ち合わせの雑木林に出向いた。
そこに待っていたのは、空也僧姿の望月六平太。
伊右衛門の素性を知る六平太を怪しみ斬りかかる伊右衛門。
六尺棒で伊右衛門を打ち倒そうとする六平太。
伊右衛門の必死の打ち込みに、六平太が棒をひいた。
「よそう、おぬし、織田家の侍ながら、わしは見込んだ。いつか、会いに行く。取り敢えず、わしの女をくれてやろう」
六平太は草むらから、布を噛まされ、縛られている小りんをつかみだし、投げるように突き飛ばした。
倒れている小りんのそばにしゃがみ、脇差しで縄を切った。
自由になった筈の小りんは動かずに、伊右衛門をみつめている。
雑木林を暮色が包み始めている。
伊右衛門は小りんの細い腰を抱きすくめた。
虚脱して倒れている伊右衛門の耳元で小りんがささやいた。
「わたくし、伊右衛門様を連れて、この戦場から逃げて行きたい。六平太との打ち合いでは、甲賀きっての棒術の名手六平太の方が危うかった。伊右衛門様は近江でも一番の野武士になれます」
「世の中から踏み外すことになる」
「気楽ではありませんか。踏み外して初めて、人間らしい暮らしが出来る。伊右衛門様さえ野武士になれば、わたくしは一生おそばを離れずに済む」
「言っておくが、おれは強いのではない。天運がついているのだ。天運がおれを守っている。千代がそう申した」
小りんが起きあがった。
「千代、伊右衛門様の奥様の名ですね。こういうときにそんな名を出すものではないわ。二度といったら、千代とやらいう女を、小りんが刺します」
つづく
それにしても、伊右衛門は、小りんとの情事の後に、千代の名を出すとは・・・。
司馬遼太郎は、どこまでいっても、伊右衛門が千代の呪縛から逃れられない男として描いています。
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織田三万の大軍団の行軍が始まった。
目指すは浅井氏三十九万石の本拠小谷城。
小谷城の南東に、横山城という浅井氏の支城がある。
横山城が落ちれば小谷城の防衛能力は半減する。
信長は自ら総指揮をとり、横山城を包囲した。
元亀元年六月二十六日夜半、浅井方に、越前の同盟軍朝倉氏から一万の援兵が来着した。織田軍を背後から包囲して殲滅する作戦である。
同じく二十六日、織田方の同盟軍、徳川家康の部隊一万も横山城包囲に参戦した。
姉川の北岸に浅井・朝倉の陣、南岸に織田・徳川が陣取っている。
地形は岸が崖になっている浅井・朝倉側の方が防御に有利である。
六月二十八日午前四時、徳川軍を先陣に十三段構えの織田軍の突撃が始まった。
伊右衛門達がいる秀吉の部隊は三番隊だった。
激しい戦いで、十三段構えの十一段まで崩れたが、そこから織田・徳川軍が盛り返した。
乱戦の中で、伊右衛門達も浅井方の足軽大将鬼藤三郎兵衛義兼という豪の者をしとめた。
戦に勝ったが、信長は一挙に小谷城に攻め込まなかった。そこには浅井長政に嫁いだ妹の「お市の方」が居る。
信長は、小谷城の周りの支城をつぶし始めた。
まず、横山城を落とし、木下藤吉郎三千の兵に守備させ、佐和山城を丹羽長秀に包囲させ、小谷城の北に市橋長利、南に水野信元、西の彦根山に河尻秀隆を置き、臨時要塞を築かせ、信長自身は全軍の論功行賞を行った後、さっさと岐阜へ戻ってしまった。
伊右衛門は、新知四百石。
四百石という加増は大きい。
まだ、戦闘中だから知行地もはっきり決まった訳ではないが、励みが出来た。
「吉兵衛、おれは織田家に仕えて幸運だったな」
「織田様にお仕えあそばいたこと、誠にご運がよろしゅうございました」
「人間、身を寄せる大将によって生涯の運不運が決まるものだ。ありがたい」
「大将とあおぐ木下殿もいい。この人はひょっとすると織田家第一の大将になるのではないか」と、もっとも、これは千代の観測の受け売りである。
姉川の大勝の後、小谷城が落ちるまで、この後数年の包囲戦が続くことになる。
この間、信長は摂津石山本願寺と戦い、浅井・朝倉の奇襲部隊と琵琶湖畔の坂本城で小競り合いをし、擬装講和をし、伊勢長島の一向一揆と戦い、叡山を討ち、多忙に過ごした。
が、伊右衛門らは、元亀二年の春になっても、横山城に滞陣したままだった。
城将の木下藤吉郎は、将士に惰気が生じるのをおそれ、様々な工夫をした。
こちらから仕掛けて小競り合いをしたり、敵の城下の青田を刈ったり、村を焼いたり、戦局に関係ない小戦闘を絶え間なくやっている。
一方、横山城の麓の村はずれに、小さな歓楽地を作り、遊女達の小屋掛けを許した。
城中の士は、組毎に日を決めて出掛けて行く。
が、伊右衛門には縁がない。
「わしは好かぬ、吉兵衛、新右衛門、お前達はゆけ」
「殿はお固うござるな」
と、吉兵衛等は伊右衛門にはかまわず、出掛けていっては、後で遊女の品評などをして興じている。
そんなおり、小りんが横山城下に現れた。
その人をと、心に念じつつ、わざわざこの戦乱の里まで来た。
(山内伊右衛門一豊と言いやったな、別に面白味のある男ではないけれど)
なぜ魅かれるのか、自分でも分からない。
「いいえ、恋じゃないよ」
と、浅井の小谷城にいる従兄弟の望月六平太にきっぱり言った。
望月六平太、南近江の甲賀では知られた郷士で、いわゆる忍び、忍者、甲賀者、などといわれている役目の男だ。
近江甲賀郷は、足利の隆盛期このかた、南近江の領主六角氏に属していた。六角氏と浅井氏が同盟している関係上、望月六平太も、その下忍どもを連れて小谷城に籠り、諜報活動をしている。
小りんは、望月一族のひとりとし六平太をたすけていた。
小りんと六平太とは、既に体で結ばれてる。が、どちらも愛情があるというわけではなく、お互いのごく生理的な必要のために相手を使用しあっているにすぎなかった。
六平太の歳は、小りんより九つ上だが、歯がない。
平素はつげの木と獣骨でつくった義歯をはめている。
旅に出るときは外して空也僧の装束などを着ると、どう見ても七十ぐらいの老人にしか見えなかった。
その、小りんが、横山城下の村はずれで、五藤吉兵衛を呼び止めた。
そして、吉兵衛に「伊右衛門さまにお会いしたい」と連絡を頼み込む。
吉兵衛の話を聞き、動揺したが、結局待ち合わせの雑木林に出向いた。
そこに待っていたのは、空也僧姿の望月六平太。
伊右衛門の素性を知る六平太を怪しみ斬りかかる伊右衛門。
六尺棒で伊右衛門を打ち倒そうとする六平太。
伊右衛門の必死の打ち込みに、六平太が棒をひいた。
「よそう、おぬし、織田家の侍ながら、わしは見込んだ。いつか、会いに行く。取り敢えず、わしの女をくれてやろう」
六平太は草むらから、布を噛まされ、縛られている小りんをつかみだし、投げるように突き飛ばした。
倒れている小りんのそばにしゃがみ、脇差しで縄を切った。
自由になった筈の小りんは動かずに、伊右衛門をみつめている。
雑木林を暮色が包み始めている。
伊右衛門は小りんの細い腰を抱きすくめた。
虚脱して倒れている伊右衛門の耳元で小りんがささやいた。
「わたくし、伊右衛門様を連れて、この戦場から逃げて行きたい。六平太との打ち合いでは、甲賀きっての棒術の名手六平太の方が危うかった。伊右衛門様は近江でも一番の野武士になれます」
「世の中から踏み外すことになる」
「気楽ではありませんか。踏み外して初めて、人間らしい暮らしが出来る。伊右衛門様さえ野武士になれば、わたくしは一生おそばを離れずに済む」
「言っておくが、おれは強いのではない。天運がついているのだ。天運がおれを守っている。千代がそう申した」
小りんが起きあがった。
「千代、伊右衛門様の奥様の名ですね。こういうときにそんな名を出すものではないわ。二度といったら、千代とやらいう女を、小りんが刺します」
つづく
それにしても、伊右衛門は、小りんとの情事の後に、千代の名を出すとは・・・。
司馬遼太郎は、どこまでいっても、伊右衛門が千代の呪縛から逃れられない男として描いています。
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