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司馬遼太郎「功名が辻」にみる千代のコーチング 10

2006年02月14日 | 読書
ある日、伊右衛門は城籠もりのつれづれに馬を引き出し遠乗りをした。
の街道脇に茶店が有ったので松の木に馬を繋ぎ、
「湯漬けが所望じゃ」と、よしずの陰に入った。
腰をおろすと、横に若い薬売りが居る。色の白さ、京者らしい。
それが、笑いかけてきて、
「ここに見えられると思うて、後をつけ、先回りした。先夜はどうも」と、なれなれしく言う。
「汝は何者じゃ」
「解らぬか、望月六平太よ」と、言ったから、伊右衛門は、一瞬顔から血が引いた。
「また、やる気か」
「いやいや、やらぬ。あのとき、わしはいつかおぬしを訪ねてゆくと約束した。おぬしが気に入ったからだ。それに、小りんの体を通じて、お互いに他人ではない」
さらりと言う。
「ところで、話がある。湯漬けを食ったら、裏の桑畑まで顔を貸してくれんか。いやいや悪い話ではない。おぬしが喜ぶことだ」

六平太は言った。
「城内の我々伊賀組が五十人で、日を決めて城に火をかける。同時に織田方が、攻めかかれば、落城うたがいない。おぬしが、うん、と言えばわしはやる。落城に工作したとなれば大手柄、二千石は間違いないぞ」
「その代償に何が欲しいのだ」
「おぬしの魂がほしいのさ。おれに売らぬか、浅井の小谷城と引き替えに」
「魂を売ればどうなるのだ」
「いや、簡単なことだ。われわれ甲賀衆は落城とともに立ち退く。実を言えば次の仕事が待っている。中国の毛利が大阪の本願寺と同盟して、織田家の勢力を摂津で食い止める防衛戦を準備している。わしらは、こんど毛利に雇われることになったのさ。われら甲賀者は、浅井家の譜代でもないのに城と共に焼かれてはかなわぬ。そこで、毛利へ行く。毛利へ行っても織田が敵だ。だから、おぬし、わしが時々会いに来るから、織田方の機密、軍略、うわさ、鉄砲の数、武将どもの間の仲の良さ悪さ、全てを教えてくれぬか。たとえば木下藤吉郎と明智光秀は仲がよろしくない。柴田勝家と丹羽長秀はどうか、などと云うことさ」
「魂を売れ、とはそのことか」
「どうだ」
「六平太、今度はわしの言うことを聴いてくれるか」
「聴くとも」
「わしは、おぬしが見抜いた通り、功名の餓鬼かも知れぬ。おぬしはそういうわしの弱みに乗じてこの話を持ってきたのであろう」
「まあ、そうだな。いいか、甲賀者は口が固い。おぬしが今後織田家の機密を漏らしている、というようなことは、おぬしの生涯ひとには知れぬ」
「しかし六平太、確かにおれは功名をたてたい、立身はしたい。したいが、まあ、あれだな、・・・・・・つまり、よく出来たことに小心な男だ。そんな芸当は出来ぬさ、ことわる。おれは真昼間の太陽の下で功名をたてる。そういう男でないと立身は出来ぬ、とおれの女房殿が言うた」
「女房殿?」
「とにかくことわる。しかし六平太、このこと、金輪際、他言せぬ。ここで別れよう」

つづく

「真昼間の太陽の下で功名をたてる。そういう男でないと立身は出来ぬ、とおれの女房殿が言うた」こんな時にも、千代のコーチングが生きている。

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