ハンドメイドlu-x(るっくす)

手作りアクセサリーショップlu-x(るっくす)の店主ホイミのつぶやきブログ
  ~他ブログよりお引っ越ししてきました~

ジオラマ

2009年09月12日 | ぷち旅
こんにちは~^0^

昨日の日記で(時間的にキツくなって)載せられなかった画像を・・

広島のお好み焼きをペロッ!とたいらげたホイミと助さんは、

せっかく広島まで来たのだから、何か観て帰ろうという事になり、

平和公園にある原爆ドームを見に行ったのです。

以前 訪れた時は昼間でしたが、今回は夜9時頃でしたので、
幻想的な光に包まれたドームを見ることができました。


現実味のない不思議な世界観のある写真が撮れてしまいました。

なんだか、ゴジラのテーマが似合いそうな・・・ジオラマのようでしょ( ̄∀ ̄*)



綺麗だけど、怖いような、もの寂しいような・・・

広島は原爆を投下されてこうやって跡形をしっかり残していて
人々の心にいつも忘れてはいけない事を教えてくれます。

長崎には、原爆記念館や平和の像は有っても投下現場は残されていませんでした。

なぜ?広島のように残っていないのでしょう。。 それには理由がありました。

(記憶違いにより修正しています。)

理由は公にはされません。なぜなら、
当時のアメリカ軍が落とすはずだった※長崎の投下予定位置設定は精密さに欠けており、うっかり、絶対落としてはイケナイ場所に落としてしまったのです。

※本当は、投下地候補として小倉・福岡の軍事施設が上がっていらたしいんですけど、当日雲が多くて目視で確認できなかったんだって。で、殆ど下調べ無しで長崎になったらしい。(たまたま雲の切れ目で見えた長崎だとか。)
下調べしてたら、きっと250年間も隠れキリシタンで迫害されていた人達の街にはわざわざ落とさなかったと思いますよ。

長崎は日本人ならだれでも知っている事ですが、隠れキリシタンが潜伏していた背景もあり、カトリック信仰の強い土地ですね。

さて、長崎のどこに落ちたと思いますか?

浦上天主堂からわずか500m離れた場所です。浦上天主堂は聖母マリア像の立つ隠れキリシタンの聖地、当時の浦上天主堂は隠れキリシタンで迫害されていた人々が何十年もかけてやっと建設した教会でした。

その信仰の象徴である浦上教会が被爆したことは、米国にとって、世界世論の手前もあり、非常に都合が悪い事実でした。


現在の浦上天主堂は真新しいです。中に入ると撮影禁止、進入禁止になっており、
奥の方にぼんやりと白いマリア像がぽつんと立っており、遠目に見ることができます。
(ま、ほぼ何も見えないですけどね、暗くて、遠すぎて^^;)

現在の浦上天主堂


訪れた時は、信者の人しかマリア像を近くで見られないのかと思ってたんですけど、違いました。マリア像は被爆しており、とても貴重で重要なものなので、一般公開はよほどでないと無いようです。(被災60周年の時に一般公開されたらしいです)※あとがき

うっかり聖母の守る土地を火の海にしてしまった当時のアメリカ軍は、慌てて証拠隠滅をしようと先手を打ちました。

なぜなら、被爆直後の浦上天主堂は広島同様、建物は原型を留めず、木製のマリア像がそれは無惨な姿のまま立っていたのですから。(もし、そのまま残されていたなら、きっと広島原爆ドーム以上の平和の象徴として世界中から注目を浴びるはずだったでしょう。)

当時の長崎市長をアメリカ軍は買収、証拠隠滅を図ります。
そうしなければ、母国アメリカからも大きな批難をあびる事は安易に想像できたからです。(こちらも裏話があります。それは、下の方で。)

キリスト教カトリック信者、いわば兄弟を撃ったのですもの。
当時は冷戦時代で、この事が公になったら、世界中から批難ゴーゴーですから。(特にヨーロッパからの批難はアメリカにとっては大きな痛手となりましょう)

焦ったアメリカ軍は、被災者や当時の長崎市議会らの被爆した浦上天主堂を残すという固い決定を覆すため、長崎市長をアメリカに招待し懐柔。 長崎に帰って来た市長はコロッと手の平を返しました。
米国セントポール市との姉妹都市締結を機に今後の日米関係など政治的背景を重視し、「原爆の必要性の可否について国際世論は二分されており、天主堂の廃墟が平和を守る唯一不可欠のものとは思えない。多額の市費を投じてまで残すつもりはない」と答弁し、議会決定に反して破壊を求める意向を決定、 浦上天主堂を解体、全て闇の中に葬ったという話です。

(原爆投下後、解体される1953年まで被爆した天主堂の残骸は存在していたの。)

アメリカ軍にとって原子爆弾のお陰で終戦できたというシナリオが根本的に覆る事をも恐れたのでしょう。
もし、この事が公になっていたなら、もしかすると、今の世界から原爆は排除されていたかもしれませんね。

浦上天主堂は再建されました、そして現在は更に新しく建設しなおされ、過去の遺物は完全に消し去られ、罪は永遠に葬られましたとさ。

爆弾を落とされ未だに後遺症を背負った人がいる日本人はもっと怒っても良かったのでしょう。 日本は戦争をした民族ですが、昔から根っこは穏和な民族だったのでしょうね。反米感情は今は持っていませんもの。

他国から反日感情を抱かれることはあれど、罪を憎んで人を憎まずのサムライ精神です。

憎み合ったりしないで済む平和な世界を願うほかありません。

過去の経験を踏まえて けっして繰り返されぬようにと。。



あわわわわase2 ホイミ、つい真面目に語ってしまいまちた( ; ̄ω ̄)ゞ

らしくないですが・・・・

たまにはこういうド真面目な談義をしているホイミと助さんなのでちた。

※あとがき
当時マリア像は2体ありました。(首が落ちた無惨なキリスト像も)原爆投下時間に聖母被昇天を迎えて、ゆるしの秘跡(告解)が行われており、そのため中にいた神父を始めとする信者の全員が死亡しています。

被爆した場所を視察に北海道から訪れた神父さんが瓦礫の中から見つめる現在のマリア像と目が合い、密かに自宅へ持ち帰り30年間祈りを捧げていたそうです。残りの1体は、浦上天主堂解体と同時に処分されていましたし、歴史的に重要なマリア像を個人的に所有するのは申し訳ないと悟った神父は浦上天主堂へ返還したことにより、当時の原爆投下のすさまじさを物語る今のマリア像があるそうです。

当時の市長は口を閉ざし、真相を話すことはありませんでした。
その市長が亡くなったので、アメリカ軍が市長にどのようなアプローチが有ったのか真実を知る人はもういません。

歴史とは、どれだけ歪められているのでしょうかね^^;
市長に近づいたのは歴史には名を残さない陰の組織の人間が動いていたんでしょうねぇ。。黒ずくめの男達・・かな? (; ̄ー ̄Aコワイネ・・

長崎


『・・・・・・
のどが乾いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが
   一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました』

(上記は、ザ・スクープスペシャルという番組で放送されたアメリカの消さなければいけなかった過去を参考にしています。)