ハンドメイドlu-x(るっくす)

手作りアクセサリーショップlu-x(るっくす)の店主ホイミのつぶやきブログ
  ~他ブログよりお引っ越ししてきました~

熊本地震から1年

2017年04月15日 | 震災・原発関連


 こんにちわ~^0^

 昨日で大きな被害をもたらした熊本地震から1年経ちました。


 ワタシは地震以降、熊本には2回程出かけて行きまして、1回目は 地震後間もない5月で記事はこちらです。

 で、2回目は約半年経った昨年11月に訪れてみました。


 今日は、その時の事を書きます。

 熊本の街は、震災前と変わらない活気に満ちあふれていました。

 もちろん震災後、未だ復旧していない道路のために、大回りの迂回路を通らなければならなかったりはしましたが、人々は元気そうに見えました。

 熊本の街の復旧は終わっていて爪痕は感じませんでしたが、熊本の人のシンボルである熊本城は、酷いままでした。

 熊本城を訪れたのが夜間でしたので

 あまり傷ついている様にはみえませんが

 少しズームしてみると

 地震による破壊の跡が見て取れます。

 崩壊した城壁

 危険なので城のすぐ側には近寄らせてもらえません。



 城と外壁、石組みの塀は大きく崩れて、掘の脇の桜の大木はいくつも倒れていました。

 数年前に訪れた時の姿とはまるで違っていてとても悲しかった。

 それでも今年も桜は綺麗に咲いてお花見が出来たようです。
 嬉しい知らせでした。


 南阿蘇にある熊本一の景勝地の看板のある月廻り公園

 ここにはよく立ち寄っています。


 阿蘇山の中岳火口付近からは この訪問のひと月前に爆発的噴火を起こした影響で断続的に噴煙が上がっていました。



 現在は火口周辺規制も解除されていますが、この時は大きく迂回する限られたルートしかなく、交通渋滞が凄かったです。



 公園の横にある月廻り温泉館も被害を受けていて、閉鎖されていましたが、現在は復旧して 営業再開しているようでホッとしています(〃∇〃)


 近くにある人気アニメ(夏目友人帳)の舞台地になった神社も、石の柵が崩れていました。



 そして、ナビに従って次の目的地に向かっていると偶然、震災で一番被害を受けた益城町に入っていました。


 震度7を2回も連続で経験した所です。

 山間部へ向かう一部の道路はボコボコに隆起していて車の走行はなんとか出来たけれど、通常のスピードで走るのが危険でした。


 家の屋根にブルーシートがかけられたまま




 傾いたままで建っている家もありました。


 傾いた電柱

 至るところにある震災の残した傷が痛ましかった。

 それでも住民の皆さんが頑張っている事を、この建物↓を見て感じ取る事が出来、


 少し涙が出ました。

 逞しく在ろうとしている人達の強さに。

 人ごとには思えませんでした、いつ自分も同じ目に遭うかわからない。

『もしも、震災を受けて生き残るために、私に何が出来るのか。

 もし、生き残れたなら、私は何が出来るのか。

 その時、私は笑って逞しく前を向けるのだろうか。』

 自分自身に問いかけながら益城町を後にしました。


 当時、噴火の影響でしょうか 地震活動が活発だったので、宿泊中や滞在中の地震が心配だったけれど、幸いにも遭遇せずに済みました。

 熊本を離れた次の日に少し大きめの地震が起きていました。


 私のお気に入りの道の駅 大津にて、建物の入り口の手前の露店で[いきなりだんご]↓は売られていて買う事が出来ました。

 ココの美味しいの(〃∇〃) ココのが一番好きかも。



 こちらは秋の阿蘇の美しくのどかな景色。



 今は益城町は瓦礫も撤去されてかなり復旧が進んでいるそうです。



 地震でお亡くなりになられた多くの方々に 心からご冥福を。
 
 そして一日も早い復旧・復興を。

 なにより心の回復を祈っております。


 また美味しいモノがいっぱい♪の熊本へ行きたいなyellow19






6年経った今

2017年03月11日 | 震災・原発関連


 こんにちわ~^0^

 今日は、3.11 東日本大震災、悲しく辛く、痛ましい大震災でした。

 震災で亡くなった多くの方々に心からご冥福をお祈りしています。

 あれから6年、福島のお米は2012年(平成24年)8月から全袋に検査を施していて今も続いている、それってスゴイ事ですよ。

 本当の安心と安全を確立して下さっている事は消費者にとってはとても有り難い事です。


 こんなこと本当に思いたくはないけれど、地震も津波も起きては欲しくないけど、日本に住んでいる限り絶対に起こり得るんだなと思わなきゃいけないし、それと付き合って行かなきゃいけない。

 阪神淡路大震災・東日本大震災や熊本地震などの大災害から私達が学び得たことってあると思う。

 今も小さな地震が毎日どこかで起きている。

 またそのうちドカンと暴れ出すかもしれない。

 地震はいつも自分たちと隣合わせだという事。

 いつ、自分たちが被災者に成っても不自然じゃない事。

 何が今出来る事なのか、防災について前向きに考える事って大切だと思う。

 一言で防災と言っても漠然としか思い浮かばないかもしれないけれど、今からでも何かしておかなくちゃいけない事は分かってる。

 運良く生き残れた後はどうだろう・・

 6年経っても答えは漠然としたまま、正解が分からない。

 いがみあったり、憎しみあったり、喜んだり、悲しんだり、良い人も、悪い人も、幸せな人も、不幸せな人も、自然は容赦しない。全部飲み込み無残に壊す。

 ちっぽけな自分に今 何が出来る? 


 問い続ける事も私は無駄な時間ではないと思う。

 どの震災も心が壊れそうになった、今も思い出すと壊れそうになる、涙がこぼれる。

 いっそ 忘れたいけれど、忘れられない痛み。

 忘れちゃえないなら、忘れちゃいけないのだなって思う。


================

 こちら↓は、福島県の三春町にある [三春滝桜]

 樹齢1000年(推定)を超えるエドヒガン系ベニシダレザクラの古木。

 写真は、昨年の滝桜 日没後のライトアップの様子です。

 人の大きさで桜がどれだけ大きいか分かるかな?

 間近で見ると圧倒される程に、この木には女神様が宿っているように思えた。






避難訓練と危機意識

2016年11月22日 | 震災・原発関連


 こんにちわ~^0^

 今朝の福島沖の地震はビックリしましたね。
 震度5の後も頻繁に揺れが起きていて、強震モニターを7時半ぐらいまで見つめていました。
 東日本大震災の生々しい映像の記憶が脳裏を過ぎり、ぶるっnose4

 東北の皆さん、早く逃げて!と祈ってばかりいました。

 結果的に今回は被害が少なくてホッとしています。

 これが前震でなければ良いのですが。。

 前回の記事で少し触れましたが、先日、職場がある地域の避難訓練に参加しました。

 職場は、南海トラフが起きたら、3m前後の津波の被害が予想される地域(最新の想定は最大7mだって言われていたっけか。)

 歩いて1分もかからない所に地域指定の※津波避難ビルがある。 そこは、県の建物。
  

 地震が起きて揺れが収まるのに10分程度をやり過ごしたと想定して職場をスタートする。

 スタートしたが、外に出ると、周り近所の建物から誰も出ようとはしていない。
(避難訓練に不参加の様子。)

 警察官や消防員の姿は見られたが一般人の姿は皆無。

 折角なので、参加はするつもりだけれど、誰も行ってないのに、行くのはちょっと気が引ける、だから、更に5分待ってからスタートした。

 避難ビルとはさほど離れてはいないが、ルート上には古いビルも多く、電信柱や塀や移動可能な看板など様々。
 車通りもあり、震災を受けるとこれらがどのような動きをするのか。

 …想像してみる。

 震度7の激しい揺れに襲われて、古いビルの外壁面はポロポロと落ちてくるだろう、電柱は傾き車通りを遮り渋滞になっているかもしれない、事故が起きているかもしれない。

 液状化も起こるかもしれない、火災が発生しているかもしれない、塀も崩れて歩くのも難しいかもしれない、立て掛けられただけの看板は倒れていたりするだろう。

 倒れてきた塀に押しつぶされて動けず助けを求めている人が居るかもしれない。
 目の前に現実と認めたくない 恐ろしく残酷な地獄絵図が広がるのだろうな、、いゃだなぁ。。


 やがて避難ビルの1Fに到着したが、ビルに入ると直ぐに階段で6階まで上がるように指示される。

 しかし、階段は大渋滞で、列の後ろに並んでから、5分以上待って上がりだしたが、大渋滞のそのワケは 一目で判った。

 近くの保育園の園児達 十数人と保母さんが、一段一段 ヨイショ ヨイショと上がっているからだった。

 園児達だけじゃない、本番になれば、身体の不自由な人やお年寄りもこの中に入ってくるだろう。

 6階まで上りきるのにかなりの時間を費やす。

 避難待機に設けられた室内に入ると、一般人はワタシを含めてたったの5人。
(ぞろぞろ居た園児達は別の階に集められたようだ。)

 地震発生からもう既に40分は過ぎていた。園児達と大人がたった5人なのに。
 想定ではそろそろ津波が来る時刻。

 このあと集会があるので待てとの事だったが、暇だったので、ヘルメットをかぶった県の職員の男性をつかまえて、災害時用のグッズを保管している棚を見せてもらったりしていたが、食料の備蓄までは無かった。(あくまでココは一時避難所みたいだ)

 救急箱と水にカセットコンロ、毛布は別の棚にあるらしい。
 折りたたみ式の担架・・・(これだけ?・・足りなそうなんですけど;;一時避難場所だからOKなのか~?そうなのかぁ~~??)

 用意してくれている備蓄品にモンクを付けるつもりはないが・・・ええんか?ホンマに?

 たまたま近くに居た別の職員の男性に、『今回の避難訓練で判った事がたくさんありそうですね、問題点が浮き上がり、それに対し改善策が早急に必要ですね』と声をかけた。

 すると、男性は、ワタシに『訓練をしてどのように感じましたか?』と聞く。


 南海トラフは十数分の長い揺れが起きると想定されているが、おそらく一度の揺れが収まっても繰り返し断続的な揺れが続く、どのタイミングで飛び出せば良いのかタイミングがわからない。
 
 職場では日頃の危機意識が薄い人が多く、早く避難しましょう!と声をかけても腰を直ぐに上げる人は少ないと思う。[逃げたいのに逃げられない問題]

 一人だけ、『ワタシ、避難しまぁ~す!じゃっ((((((〃 ̄▽ ̄)ノ 』

・・・なんて言い出し辛いんです。。トホホ(。・´_`・。)

 今回の避難訓練に参加した人の少なさがその意識の表れだと思います。
 各自、危機意識を持ってもらうために、日頃から地道に防災対策が必要だと提案しているのですが・・これが なかなか難しいものでして。。

 避難開始するタイミングも判らないし、避難開始したとして、外に出たら、色々な物が散らばり飛んだり倒れたりしている中、助けを求められたり救助したりしながら、いくら近いと言えど避難ビルに近づく間に事故に巻き込まれそうだと感じました。

”津波てんでんこ”と言われても助けを求める手を振り切る事もワタシには出来そうにない。

 避難ビルに到着したらしたで、避難者の集中による階段の渋滞。

 子供・お年寄り・障害を持った人、6階まで上がる体力が無い人も居るだろう。

 体力のある男性が子供を一人ずつ抱えて上がるのもアリかもしれないが、断続的に起きる大きな揺れで階段では人の雪崩が起きるのも想定出来る、

 よって、階段の幅が狭すぎる、手すりが片方しかないのは大きな問題かと思う。
 はぐれた家族の行方を探して階段を逆戻りする人も出るかもしれない。

 想像よりも遙かに多くの人が押し寄せるハズだが対応出来る室内スペースが不足しているように見える。

 準備してくれている防災用品も一時避難用としての機能しか果たせないと見受けられるが・・想定外の強烈な地震の場合、何日も揺れと水が引かない事も有り得るのではないだろうか。(津波避難ビル※はあくまで一時しのぎの避難所だから仕方がないのだろうけれど。。)

 南海トラフだけでなく、同時に九州~関東までの太平洋ベルト地帯全域に及ぶ連動型地震に発展していたなら、救済・救援は都市部に集中し、我が徳島は後回しにされるだろう、救援物資が届くまで、一時避難重視では二次的災害に対応しきれないように感じた。


 と、思いの丈を男性にぶちまけていました。

 男性は、しばらく『う~~む。。』と考え込んでいましたが、大きな課題が浮き彫りになって、何らかの改善策を検討したいと思うと言って下さいました。

 けれど、ワタシは、その男性が一人 大きな声を上げたところでどうにもならないのでは?と思ったのです。

 しかし、後の集会で、その男性は、避難対策本部のトップの人だった事を知りました(汗)

 ワタシなんかが思いの丈をぶちまけてしまって良かったんだろうか。。と、後悔しました。

 けれど、その男性なら、何かひとつでも問題点を声に出して その対策にあたって下さるように思いました。
 男性の実行力を期待をしています。

 集会で、地震対策の専門家によるお話の中で、

「よく聞かれる質問ですが、南海トラフはいつ来ますか?とよく問われます。
 その質問に対し、私は、その質問は、あなたはいつ死にますか?と同じ質問だと思います。
 あなたは、必ずいつかは死ぬ。しかし、いつ死ぬかは誰にも判らない。南海トラフも必ず起きる。しかし、いつ起きるのかは誰にも判らない。
 ただ、近い将来、必ず訪れるのだから、備えをしなければならない。」


 確かにそのとおり、、
 やっぱ来るんですね。絶対に、来るんですね・・・(¬д¬。) グスン 


 ありとあらゆる幸運と偶然の相乗効果の中でワタシ達は今を生きている。

 幸運と偶然に頼ってばかりはいられない。

 いざという時は、自分で決断を下さなければならない、自分の命の責任は自分で取れるように備える事こそ生死を分けると感じたのでした。


※指定避難ビルは『津波避難ビル』と『災害避難ビル』の2種類あります。

 注意して頂きたい点は、地震が起きると、まず震源がどこなのかをまず知る事がとても重要です。

『直下型地震』なら『災害避難ビル』へ避難する事。
『海溝型地震』なら『津波避難ビル』へ避難する事。

★海溝型地震は震源が海底なので、津波を引き起こすと考えてください。
 マグニチュード8~9クラスなら20~40mの津波が起きると言われています。
 
『災害避難ビル』では、津波には太刀打ち出来ません。

 見分け方はビルの入り口に『津波避難ビル』というパネルが張られてあります。

 ご自分の生活域周辺の『避難ビル』がどちらに該当するかをチェックしておきましょう。


 今日の地震と、避難訓練で知った事などを元に、意識を高めてもらうべく上司の一人と話し合いました。
 何よりも避難をいち早く開始するようにしないとまた例の園児達に巻き込まれる事になる。
 という結論に至り、ワタシがずっと抱えていた[逃げたいのに逃げられない問題]は解消できそうです^w^

 避難訓練の経験で、ひとつワタシの抱えていた不安が解消されました(u_u*)


 少し前に内閣府が公開したシミュレーション動画をリンクしておきます
 南海トラフ巨大地震編

 首都直下地震編



 徳島県海部郡美波町 田井ノ浜

 震度7の地震発生から12分で24mの津波が到達する予測です

 高知県土佐清水市 竜串

 震度7の地震発生から4分で34mの津波が到達する予測です


 そして

 地震から半年以上経った熊本城

 地震の凄まじい破壊力の傷跡が生々しく残っていました。








熊本地方の方 大丈夫でしょうか。。

2016年04月19日 | 震災・原発関連


 こんにちわ~^0^

 今回の熊本地震にて被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。

 一日も早い地震の収束と避難されている人々が元の生活に戻れるよう心から願っております。


 九州の地震の頻発回数と大きさに驚いています、今も頻繁に揺れていて、熊本・大分にお住まいの方のストレスは計り知れないものがあると思いますが、どうか、お気持ちをしっかり持って今後の余震に備えて頂きたいと願っております。

 九州にはlu-xのお客様もネットのお友達も居るので凄く心配です。
 どうかご無事でいらっしゃいますようにと祈る事しか出来ないのがとてもはがゆいです(´;ェ;`)


 震源が内陸で大きな津波を伴っていなかったのが少しの救いでしたが、家屋の倒壊や火災、TVから流れてくる中継映像では、目を覆いたくなるような光景が><

 の受け入れ先や物資の供給も支障が出ているようでしたし、増える犠牲者にただただ言葉を失っていました。

 九州は好きで良く出かける所で、土地勘も何となく出来てきたワタシにとっては、人事だとは思えない所もあります。

 今回大きく動いた断層は、我が四国を通って千葉まで走る中央構造線の西側の一部っぽいのです。

     (参考図:ウィキペディアよりお借りしました。)
 

 今後、その先に波及しないように願うばかりです。

 物理的には西が動いたので東側の千葉まで警戒しておいた方がいいかもしれません。

 大分から連動して四国の中央構造線が動けば、今回の九州と同じぐらいの規模で震源が移動して行くと考えられるわけで、その上には原発も存在するわけで・・・あぁ>< 怖すぎます(TT)

 中央構造線では1596年9月1日~5日で連動発生した慶長伊予地震慶長豊後地震慶長伏見地震という連動する地震があったようです。

 もしも、今回の地震が引き金になってしまったのなら、このクラスの地震が連動発生する可能性があるかも?

 これにより南海トラフが刺激されたりしちゃうかも。。? なんて考え出すと、もう想像を絶する恐怖しか妄想できません。(専門家は南海トラフは、関係ないとかTVで言ってますけれど・・ホントに?・・・ホントに???)
 
 東日本大震災の時も痛感致しましたが、自然は必ず人知の遙か上を越えて来るように思います。

 やっぱ、もう一度、ちゃんと、避難グッズを見直そうと改めて思いました。

 徳島は最大で震度3と報じられていましたが、ワタシの住んでいる地域では気付かなかった人が多かったようでした。

 近隣の四国も揺れていたので、ご心配のメールを下さった方々には感謝致します。
 ワタシの方は、今のところ全く問題はありませんので、ご安心下さいね。


 ご紹介はしていなかったのですけれど、過去にぷち旅した熊本の阿蘇神社の楼門↓が崩壊したとのニュースに大ショック(x_x)


 重要文化財指定のこちら↓の楼門(ろうもん)は「日本三大楼門」の一つです><

   (この日は雨が降っていました。)

 拝殿(神殿)も全壊しているらしい(TT)


 日本のお宝が~~>< 



 熊本城↓も、石垣が崩れていた場所がさらに広がり、櫓やぐらなど国の重要文化財4棟が倒壊する被害が出ているのよね。。



 熊本のシンボルが~~~><

 地球様~八百万の神様~おねがい~もう揺らさないで(T人T)オネガイ







未だ癒えない痛みと、これから

2016年03月11日 | 震災・原発関連


 こんにちわ~^0^

 今日はあの忘れもしない3.11から5年。

 あの日 多くの命を失い、誰もが衝撃を受け、心に傷を負いました。

 被災地から遠く離れて暮らしていると、皆すっかり遠い昔の様に感じているのかなと思えてしまえるほど、日常生活を普通に暮らしているワタシですけれど、やはり、この日を迎えると、心に付いた古傷がまた痛むのは、きっと誰もが同じなのだろうと思います。

 遠く離れて暮らしているワタシにさえ、こうなのだから、被災地の方々にとっては全く癒えていないに違いないと思い、また心が痛みます。

 先日、やっと身元が判明した遺体が家族の元へ帰ったとのニュース。
 戻された遺体の一部を丁重に弔う事が出来たと言うご家族の表情。

 遺体のほんの一部が戻り、行方不明の家族が いつかひょっこり帰ってくるかもしれないという僅かな期待も潰(つい)えてしまった絶望と、亡くなっているのならばせめて弔いだけでもしてやりたいという願いが叶う喜び、…複雑に入り交じるご家族の表情に、また心が痛みました。

 まだ身元が判明していない人も居る事ですし、皆の心の復興はまだまだ先の事なのでしょう。

 今日は、岩手・北三陸を訪れた際、震災の傷痕が残る漁港に立てられた小さな碑を見付けましたので、ご紹介します。







 北三陸の海は、穏やかに静かな波音を立てていました。




 この穏やかな海が、恐ろしく変貌するのを想像するだけでブルッと来ます。

 けれど、石碑にも記されているとおり、今後起こりうる震災に備え、教訓にしないといけません。

 東日本大震災は、平安時代に起きた貞観地震の再来といわれています。

 地震年表どおりならば、近い未来に北海道・東北・関東・東海・四国・九州大きな震災は巡り巡ってやって来るかもしれない。

 …つまり、どこに居ても災害に遭う可能性が有るわけで。。
 来るものは避けられないわけで、Xdayは予告なく突然訪れるわけで。。

 とにかく、来(きた)るべき日に備えて損はありません。

 先人達のノウハウに加え 文明の利器 利用出来る物は全て利用し、備えを整え、知力体力を存分に発揮し生き残らねばならない事を心に命じながら、

 無念に消えた全ての魂に 安らかな眠りを。 と、そっと手を合わせたいと思います。